獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

『居場所を探して』を読む その20

2024-08-30 01:58:09 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。

一部、引用します。

■第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
 □第1部「福祉との出合い」
 □第2部「司法と福祉のはざまで」
 □第3部「あるろうあ者の裁判」
 □第4部「塀の向こう側」
 □第5部「見放された人」
 □第6部「更生への道」
 ■第7部「課題」
□第2章 変わる
□おわりに 


第7部「課題」

=2012年6月12日~22日掲載=

(つづきです)

9)困惑
  拒否する人をどう支援

知的障害があり、刑務所の入出所を繰り返すが、福祉の支援を拒否する森容子(41)=仮名=。消息も分からなくなっていた彼女をようやく見つけたのは今年3月。またも逮捕、起訴され、裁判所に公判予定が入っているのを取材班が見つけた。
法廷に入ると、彼女の姿が見えた。
足を放り出し、不機嫌そうな表情で被告席に座っていた。刑務所を出た後、長崎に戻っていたとは思わなかった。前回の裁判から1年半。思いがけない「再会」だった。
森は昨年10月に刑務所を出所。通帳に残っていた数十万円の障害者年金を取り崩しながら、福岡の街をあてどなくさまよった。仕事も見つからず、年の瀬に長崎に戻った。インターネットカフェの代金を工面するため、売却目的で大量の文庫本を万引し、警察に逮捕された。
しんと静まり返った法廷で、検察官の冒頭陳述が続く。突然、森が傍聴席を指さして大声を上げた。
「誰だ! 知らないやつがいる!」
たまたま傍聴していた男性に罵声を浴びせた。検察官の制止も聞かず、森は「誰だ!」と繰り返した。
裁判官や弁護士が「反省してる?」「これからどうやって生きていく?」と尋ねても、彼女はほとんど何も答えない。足を組み、そっぽを向いている。終始何かにいら立っていた。
結局、森が明確に自分の意思を示したのは「誰の助けもいらない。自分は障害者じゃない」ということだけ。彼女の様子も、彼女を取り巻く環境も何も変わっていないように見えて、ため息が出た。
弁護士の最上次郎(33)は頭を抱えていた。
初日に30分だけ身の上話を聞いて以降、接見を拒否されていた。
「身柄を拘束された人たちは大抵、何度となく接見を求めてくるものなんですが……」。
初対面同然で臨んだ裁判は案の定、被告と弁護人の息が合わず「弁護」とは程遠かった。
「障害があると認めない人や他者の助けを拒否する人をどんなふうに支援すればいいのか。助けが必要なのに、それでも1人で生きていきたいと言う。一体、どうしたらいいんでしょうね……」
最上はそう言ったきり、黙り込んだ。

(つづく)

 


解説

「障害があると認めない人や他者の助けを拒否する人をどんなふうに支援すればいいのか。助けが必要なのに、それでも1人で生きていきたいと言う。一体、どうしたらいいんでしょうね……」

確かに、こういう人の場合は支援は難しいかもしれません。

親身になってくれる肉親や知人あるいは、信仰を同じくする仲間の存在があれば、少し違ってくるのかもしれないかな、と思います。

 

獅子風蓮


『居場所を探して』を読む その19

2024-08-29 01:46:55 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。

一部、引用します。

■第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
 □第1部「福祉との出合い」
 □第2部「司法と福祉のはざまで」
 □第3部「あるろうあ者の裁判」
 □第4部「塀の向こう側」
 □第5部「見放された人」
 □第6部「更生への道」
 ■第7部「課題」
□第2章 変わる
□おわりに 


第7部「課題」

=2012年6月12日~22日掲載=

(つづきです)

8)彼女の場合
  自由求め福祉を拒否

雲仙市の更生保護施設「雲仙・虹」に入所した日からちょうど1年後の2010年11月10日。森容子(41)=仮名=は、長崎地裁の法廷に立っていた。JR長崎駅のロッカーに火を付けたとして器物損壊の罪に問われていた。
「どうして『虹』を飛び出したの?」
弁護士が尋ねると、森はふてくされた顔で答えた。
「嫌になったから。自由が……。1人で好きにできないから」
「お金なくなったら、どうやって生きていくの? 障害者年金はいらないの? 生活保護は?」
弁護士はしつこく確認した。彼女の更生には、福祉的な支援が必要だと考えた。だが、彼女は一度も首を縦に振らなかった。
「できればそういうのはもらわないで、ちゃんと働いて、自分の給料でやっていきたい」
検察側の冒頭陳述によると、「虹」を出た後、森は長崎市内のインターネットカフェで寝泊まりしていたが、所持金が底をつき、いら立ちを募らせて犯行に及んだ―とされる。
NPO法人県地域生活定着支援センターはこのとき、森の裁判を支援しなかった。
福祉的な支援は本人が希望するのが前提だ。そうでなければそれは「押しつけ」でしかない。同センター所長(当時)の酒井龍彦(53)が苦渋をにじませる。
「残念だが、彼女は福祉の支援を受ける意思がない。司法と福祉のはざまには手を差し伸べても、救えない人がたくさんいる」
1週間後。長崎地裁は森に懲役1年の実刑判決(求刑懲役1年6月)を言い渡した。彼女の態度は最後まで変わらなかった。
「接見? 予定はないです。控訴の意味も分からないんじゃないかな」。
判決後、弁護士はさじを投げた。

差し伸べられた手をはねのけ、福祉に背を向ける理由は何なのか―。私は、彼女の口から真意を聞きたかった。しかし、拘置所での面会は拒否され、手紙の返事もなかった。あきらめきれず、刑務所を出るまで1年待った。
障害者が刑務所を出所する時、福祉の支援につなぐ特別調整制度がある。どこかしらの刑務所を出て、放浪生活になれば捜しだすのは難しい。だが、制度に乗った時に接触できるかもしれない―そう考えた。
何本目かの電話で、森の調整に関わった団体に行き当たった。だが、担当者から返ってきたのは、意外な言葉だった。
「森さんは支援を拒否しました。『自分は障害者じゃないから』って」
つながりかけた糸は、ここで途切れた。

(つづく)

 


解説

「残念だが、彼女は福祉の支援を受ける意思がない。司法と福祉のはざまには手を差し伸べても、救えない人がたくさんいる」

確かに、そういう人の場合は支援は難しいかもしれません。

親身になってくれる肉親や知人あるいは、信仰を同じくする仲間の存在があれば、少し違ってくるのかもしれないかな、と思います。

 

獅子風蓮


『居場所を探して』を読む その18

2024-08-28 01:13:41 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。

一部、引用します。

■第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
 □第1部「福祉との出合い」
 □第2部「司法と福祉のはざまで」
 □第3部「あるろうあ者の裁判」
 □第4部「塀の向こう側」
 □第5部「見放された人」
 □第6部「更生への道」
 ■第7部「課題」
□第2章 変わる
□おわりに 


第7部「課題」

=2012年6月12日~22日掲載=

(つづきです)

7)幸福とは
 「お仕着せ」の危うさ

1年半以上に及んだこのシリーズの取材で何度となく福祉の関係者に尋ねた。
「刑務所しか居場所がなかった累犯障害者たちに福祉の支援が差し伸べられた結果、彼らは幸せを手に入れたんでしょうか?」
ある人は自信なさげに首をひねり、ある人は「幸せの形は人それぞれだから……」と言葉を濁した。
人々の暮らしや幸せに正解がないように、累犯障害者たちにとっても福祉との出合いはゴールではない。ともすればそれは、刑務所以上に彼らを縛りつける存在にもなりうる。
障害者の中には、自分の思いを言葉にして伝えるのが苦手な人が多い。だからこそ、障害者にとって福祉は常に「お仕着せ」になる危うさをはらんでいるのではないか―そんな思いをぬぐえなかった。
障害者の幸福は、居場所はどこにあるのか。それが分からなかった。ただ、その答えは分からなくても、私たちはひたすら向き合い、考え続けるしかない。
ある女性を取材しながら、そんなことを教えられた。

森容子(41)=仮名=。中国地方にある刑務所を出た後、雲仙市の更生保護施設「雲仙・「虹」にやって来たのは2009年の初冬。身寄りも、帰る家もなく、刑務所が「虹」に連絡してきた。言葉遣いが荒く、目つきも鋭い。彼女は、どこか他者を寄せ付けない空気をまとっていた。
虹の職員、大坪幸太郎(33)が振り返る。「難しい人だった。孤立無援のジャングルをたった1人で生きてきたような、そんな雰囲気がありました」
甲信越地方で生まれ育った。両親とも他界。唯一の肉親の妹は、生死の別も分からない。高校卒業後、社会に出ると職にあぶれ、万引や器物損壊事件を繰り返した。前科4犯。犯行の動機は多くの場合、「イライラしたから」。
中度の知的障害があることが分かり、初めて療育手帳を取得。虹の勧めで、養鶏場で卵を仕分けする仕事にも就いた。しかし、周囲と打ち解けず、孤立を深めた。自室に閉じこもり、職場の同僚とトラブルを起こしては、無断欠勤を続けた。「どうしたものか」。大坪は頭を抱えた。
「虹」に来て7カ月が過ぎた10年7月。森はなけなしの金を持って、施設を飛び出した。
2週間後、JR長崎駅のロッカーに火を付けて回ったとして、警察に逮捕された。取り調べで理由を問われ、彼女はこう答えたという。
「むしゃくしゃした」

(つづく)

 


解説

「刑務所しか居場所がなかった累犯障害者たちに福祉の支援が差し伸べられた結果、彼らは幸せを手に入れたんでしょうか?」

この問いかけに対して、福祉関係者は、なかなかそうだとは言えなかったといいます。

 

累犯障害者たちにとっても福祉との出合いはゴールではない。ともすればそれは、刑務所以上に彼らを縛りつける存在にもなりうる。

なかなか難しい問題です。

 

 

獅子風蓮


『居場所を探して』を読む その17

2024-08-27 01:59:59 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。

一部、引用します。

■第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
 □第1部「福祉との出合い」
 □第2部「司法と福祉のはざまで」
 □第3部「あるろうあ者の裁判」
 □第4部「塀の向こう側」
 □第5部「見放された人」
 □第6部「更生への道」
 ■第7部「課題」
□第2章 変わる
□おわりに 


第7部「課題」

=2012年6月12日~22日掲載=

(つづきです)

6)広がる距離
 「拙速さ」に戸惑いも

「告訴してください」
社会福祉法人コスモス会(南島原市)理事長の本田利峰(56)は5月末、面倒を見てきた知的障害者を警察に引き渡すことを求め、彼の職場にそう告げた。
刑務所で更生できるとは思わない。しかし反省もなく福祉から離れていこうとする彼を見逃すわけにはいかなかった。悩んだ末の“答え”だった。
数日前。運営するグループホームにいた島崎洋介(40)=仮名=が勤め先の車を盗み、無免許運転で事故を起こした。幸いけが人はなかった。
島崎は1年ほど前にグループホームに来た。これまでに何度か刑務所に入っていた。一度自転車を盗んだが、その時は被害届を取り下げてもらった。
だが車の盗みが発覚した後、島崎は「会社をやめて長崎に行く」と言い出した。長崎に身寄りはない。「もし同じ犯罪を起こし、人にけがをさせたら社会に申し訳ない」。告訴されて数日後、島崎は窃盗の疑いで逮捕された。
本田は約30年にわたり知的障害者の福祉に携わる。これまでも罪を犯した障害者を受け入れてきた。今は県知的障害者福祉協会の会長も務める。社会福祉法人南高愛隣会の田島良昭(56)が目指す、知的障害者を刑務所ではなく福祉施設で更生させる理念には賛同する。
ただ、福祉関係者の間には「知的障害者の更生はそう簡単ではない」という空気が広がるのも事実だ。「今は手探りの状態で、愛隣会でさえノウハウを持っているのだろうか」。本田はそう感じる。

田島が代表を務める厚労省の研究班は昨年12月、刑務所ではなく福祉施設で更生教育する制度の創設を国に提言した。しかし本田にはその動きが拙速に映る。厚労省社会・援護局総務課長の古都賢一(54)も「福祉施設での更生教育はまだモデル事業の段階だ。福祉の受け皿づくりも必要だし、刑事政策の整理が必要だ」と話す。

福祉関係者の戸惑いをよそに田島は改革のスピードを緩めようとはしない。
「検察の改革は進んでいる。これから福祉がもっと裾野を広げるべきだ」。
3月16日に広島市内で開かれた研修会。田島は社会福祉法人が更生保護事業に参入する必要性を訴えた。しかし会場に福祉関係者の姿はまばら。田島と福祉の“距離”は広がっている。それを縮めるには田島が歩み寄るべきなのか、福祉の側が歩み寄るべきなのか。その答えは出ていない。

(つづく)

 


解説

ただ、福祉関係者の間には「知的障害者の更生はそう簡単ではない」という空気が広がるのも事実だ。

現実問題として、罪の意識がない場合には、累犯障害者を福祉施設で更生させるのは難しいのでしょう。

 

獅子風蓮


『居場所を探して』を読む その16

2024-08-26 01:52:18 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。

一部、引用します。

■第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
 □第1部「福祉との出合い」
 □第2部「司法と福祉のはざまで」
 □第3部「あるろうあ者の裁判」
 □第4部「塀の向こう側」
 □第5部「見放された人」
 □第6部「更生への道」
 ■第7部「課題」
□第2章 変わる
□おわりに 


第7部「課題」

=2012年6月12日~22日掲載=

(つづきです)

5)懸念
 「福祉施設が刑務所化」

「隔世の感だな」
3月10日、東京都内。
山本譲司(49)は、200人近い人に囲まれ笑顔を浮かべる厚労省元局長、村木厚子(56)や社会福祉法人南高愛隣会理事長の田島良昭(67)を見ながらそんなことを思っていた。この日は、村木が南高愛隣会に寄付した損害賠償金でできた累犯障害者支援の基金の設立式だった。
山本は衆院議員だった2000年9月、秘書給与詐取事件を起こした。詐欺罪で有罪判決を受け、1年2ヶ月にわたり黒羽刑務所(栃木県)に入った。初めて足を踏み入れる“塀の中”の恐怖は大きかった。しかしそこで目にしたのは想像もしなかった光景だった。そこは、社会の中で「変わり者」「生産性がない」と言われ排除され続けてきた障害者の居場所だった。「刑務所の福祉施設化」。山本の脳裏にそんな言葉が浮かんだ。
刑期を終え03年12月、この実態を「獄窓記」で発表した。しかし福祉団体や障害者団体から猛烈な抗議がきた。彼らは口々にこんな言葉を浴びせた。「被害者のことならいざ知らず、加害者となった障害者のことを取り上げるとは何事か」
あれからもうすぐ9年になる。累犯障害者の認識は広がり、障害がある受刑者が刑務所を出た後に福祉につなぐ「地域生活定着支援センター」も全国にできた。山本自身も「播磨社会復帰促進センター」(兵庫県加古川市)など官民協働の刑務所2カ所の運営に携わる。そこでは福祉的な手法で知的障害者らに生活技能を教える。
罪を犯すことで冷たい社会から刑務所に避難している障害者がいる。山本は刑務所の中で障害者と会話を交わし、初めてそのことに気付いた。累犯障害者の問題は、この国に根付く排他的な意識を変える象徴なのだ。しかし福祉全体として支援が広がっているとは言い難い。
今、田島らの働きによって、累犯障害者を刑務所ではなく福祉施設で更生させる仕組みができようとしている。この動きには期待するものの、福祉の世界の現状から考えると、隔離する場所が刑務所から福祉施設に変わるだけに終わってしまう懸念も感じている。
「福祉施設の刑務所化」
それだけは防がなければならないと山本は考えている。

 

(つづく)


解説

山本譲司氏の体験とその著書、村木さんの冤罪との闘い、損害賠償金でできた累犯障害者支援の基金、山本氏の講演を聞いた田島良昭の反省と奮闘……いくつもの歯車がかみ合い、累犯障害者の問題に光が差し込んできたのです。

獅子風蓮