石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。
湛山の人物に迫ってみたいと思います。
そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。
江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)
□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
■第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき
第8章 悲劇の宰相
(つづきです)
「先生、これからは頻繁に派閥の重鎮と会っていただかねばなりません。その際に大事なことは……」
「石田君、ポストの件だろう? 君のほうこそ大丈夫かい。手形の乱発は駄目だよ。もし当選したときに収拾がつかなくなるからね」
「そのことです。よく承知していますから。ポストで釣ること、つまり空手形は出さないことを肝に銘じてやっています」
「石田君、それでいいよ。後々、嘘つきにだけはなりたくないからね」
情勢分析も頻繁にやった。
「投票総数はおそらく500票をいくらか超えるほどだろう。このうちで岸が200以上を取るだろう。これは確かだ。問題はその200をどのくらい上回るかということだ。250を超えたらまずい」
「今現在で、石橋先生の支持は甘く読んで170。 石井が120というところかな」
「いい読みだ。岸210、石橋170、石井120。これで決選投票に持ち込める。そうすれば何とかいける」
「しかし、石井派も同じことを考えているはずだ。読みは自分のところに甘くなる。2、3位連合を持ちかければ逆に、石井を、と言ってくるだろう」
「そこが駆け引きじゃあないか。大会の前日までにそこのところを決めておかなければ混乱する」
石田は「大会の前に石橋・石井両派が候補の一本化を図る」という目的で、石井派の池田らに接触した。
12月13日には、秘密会が公然化した。午前11時半、東京会館で正式な一本化会議が開かれた。その結果、申し合わせが成立した。
一、現状では両候補の一本化こそ最善の道であるから、この実現のために徹夜をしても努力する。
一、両候補を支持している者は14日朝、一カ所に集合し対応を協議する。
だが、湛山は両派幹部に一任したものの、石井は申し合わせに難色を示した。そのために、協議は場所を紀尾井町の料亭「福田家」に移して続けられた。夜半まで続いた話し合いは、石井派の池田が、最後まで「石井で一本化」に執着したためであった。
「石田君、俺は最後まで石井で一本化を主張するよ。そうすれば土壇場までうちの派閥は切り崩されずに一枚岩でいられる。これが2、3位連合への最大の布石だ」
会議の直前に石田は池田からそう告げられていた。石田はこの会議そのものには出席していない。岸派も、この協議を警戒していた。一本化が成立したら、すぐさま一本釣りで切り崩そうと、結果待ちの状態でいたが、やがて「一本化ならず。両派引き上げ」の報に岸陣営の空気が緩んだ。
石田は新聞記者たちを別室に集めて「協議物分れ」の裏などを解説した。その間に、池田と三木だけが残って、2、3位連合の話を秘密裏に成立させたのであった。
14日早朝、午前8時半、石橋・石井両派は東京会館の合同懇親会に出席せよ」という電話が両派の議員全員の寝耳を襲った。
合同懇親会に集まった両派は260人を超えた。
石田と池田は目で合図して軽く頷き合った。
湛山は前夜、新橋第一ホテルに泊まり込み、この朝早くホテル内の理容室で散髪をし、東京会館に現われた。両派を代表して石井派の小沢佐重喜が、2、3位連合を宣言した。
「決選投票になった場合は、石橋、石井いずれであっても上位の者を全力で支援する」
拍手と鬨の声が東京会館の中に響き渡った。
【解説】
「石田君、俺は最後まで石井で一本化を主張するよ。そうすれば土壇場までうちの派閥は切り崩されずに一枚岩でいられる。これが2、3位連合への最大の布石だ」
湛山が総裁選挙で勝てた秘訣は「2、3位連合」の秘策にあったのですね。
先日行われた自民党の総裁選挙では、「2、3位連合」の密約はあったのでしょうか。混沌とした選挙だったので、たぶんなかったのでしょう。
獅子風蓮