獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

石橋湛山の生涯(その81)

2024-10-07 01:37:45 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
■第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき


第8章 悲劇の宰相

(つづきです)

22日、精密検査。
この発表に社会党は「総辞職」を要求した。
党内は固唾を呑むような状況になった。
政局は大きく動く。誰もがそんな予感を持った。
「22日の診断結果で1ヶ月以内の静養なら頑張る。だが、それ以上なら総辞職」
三木は宣告するように断言した。
「先生、残念です」
22日夜。精密検査の結果が出た。「2ヶ月の静養を要す」。万事休すであった。
病床の湛山に総辞職の意志を伝える石田の頬に大粒の涙が光った。
「君、何事も運命だよ。運命だよ」
湛山は、石田の手を握ってはっきりした声で言った。
その夜、官房長官室に党三役、幹部閣僚を集めた石田は、すべてを報告した。総辞職反対の電話や申し入れも多かった。
「2ヶ月なら、何とか乗り切れる。せっかくの政権を投げ出すな」
「我慢することが大事だ。石橋内閣が倒れたら、日本が変わる」
だが、すでに骰子は投げられていた。
23日午前1時20分、石田は、病床で湛山が作成した 岸臨時代理と三木幹事長宛ての「石橋書簡」を記者団に読み上げた。その中の「私の政治的良心に従います」という条りで、記者団から「ほうっ」と声にならない嘆声が洩れた。
2月23日午後2時、石橋内閣は総理のいない臨時閣議を開いて総辞職を決めた。総裁公選から71日、総理就任から63日の短命内閣であった。しかし、この2ヶ月間には、湛山のそれまでの人生のすべてが詰まっていた。「ビー・アンビシャス」が、「ビー・ジェントルマン」が、そしてプラグマティズムが、小日本主義が。
「父さん……。決して無駄でも間違いでもなかったよ。短い63日だったけど、父さんにとっては72年間を凝縮した63日だったんだ。未練はないだろう? そう、何事も運命なんだから……」
うとうととする湛山の夢に和彦が現われて、白い歯を見せて笑った。湛山も満面の笑顔で和彦に頷いた。

2月25日、岸が首班指名され、岸内閣が成立した。
27日、首相の所信表明演説の代表質問に立った社会党の浅沼書記長は「政治家はかくありたいもの」と前置きして、石橋書簡の全文を読み上げた。
浅沼は、志半ばの湛山の胸中を思いやり、出処進退の潔さに感動して、時には声を詰まらせながら読み終えた。

〈私はいろいろ考えました末、この際思い切って辞任すべきであると決意するに至りました。友人諸君や国民多数の方々には、そう早まる必要はないという御同情あるお考えもあるかも知れませんが、私は決意いたしました。私は新内閣の首相としてもっとも重要なる予算審議に1日も出席できないことが明らかになりました以上は、首相としての進退を決すべきだと考えました。私の政治的良心に従います。……これがこの際私として政界のため国民のためにとるべきもっとも正しい道であることを信じて決意をした次第であります。
2月22日  

      
 内閣総理大臣 石橋湛山〉

       ◇

嵐の2ヶ月が去った。心ある人々は、無限の期待と深遠な興味を蔵しながら、慌ただしく去っていった石橋政権への無念の思いを鮮明にした。
後に「あの時にもしも石橋政権が2年続いてくれたら、ずいぶん世の中は変わったであろう。アジアの有り様も違っていただろう」としみじみ話した政治家や政治評論家は多い。

「先生、手続きはすべて終わりました」
「おお、石田君か。苦労をかけたねえ」
「読書ですか」
「うん、ちょっとね。ケインズをね。気にかかっていたことがあるからさ」

湛山が築地の聖路加病院を退院するのは、4月27日であった。その後、しばらく伊豆長岡で静養し、さらに7月の終わりには避暑を兼ねて山中湖畔の別荘に移った。

 

 


解説

22日夜。精密検査の結果が出た。「2ヶ月の静養を要す」。万事休すであった。
病床の湛山に総辞職の意志を伝える石田の頬に大粒の涙が光った。
「君、何事も運命だよ。運命だよ」

こうして、湛山は潔く首相を辞するのでありました。


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