獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その4)

2024-10-31 01:14:17 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

そのため、佐藤氏の著作を読み込んでいますが、その数と量は膨大で、なかなかはかどりません。

さて、最近、氏のこんな著作を読みました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」

歴史に学び、21世紀の日本の道を探る
ポスト冷戦後の世界は、帝国主義時代に近い構造を持っている。
このような世界で日本が生き残っていくには、どうすればいいのだろうか。
北方四島、尖閣諸島問題を見れば、最近、日本外交が「八方塞がり」に陥っていることは新聞や雑誌の論評を読めばよくわかる。日本外交の歯車が狂い始めているのだ。こんなときに、安直な対症療法ではかえって事態を複雑にし、病状をより深刻にする。いまこそ腰を落ち着けて、歴史に学ぶことが重要だ。歴史は繰り返すのである。
1941年当時、日本が対米戦争に踏み切らざるを得なかった。急速に発展するアメリカという帝国主義国と妥協はできなかった。妥協をすれば、日本はアメリカの保護国、準植民地になる運命を免れなかった。
NHKラジオの連続講演をもとに1942年1月に出版された、大川周明の『米英東亜侵略史』は、アメリカの対日政策の分析において、客観的および実証的なものだった。
過去の歴史から学び、現下日本国家そして日本人が抱える外交政策の困難な問題を克服する緒が得られるとの考えから、佐藤優が『米英東亜侵略史』を丁寧に読み解き、21世紀の日本の方向性を示唆している。


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。


日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

■はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
□第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
□あとがき

 


はじめに

(つづきです)

本書は以下の構成をとる。
まず『米英東亜侵略史』の前半部分である「米国東亜侵略史」のテキストを読んでいただく。
その後、筆者の解説で、国民は軍閥に騙されて戦争に突入したという認識は、戦後、アメリカの情報操作工作によって作られた神話で、1941年当時、日本は対米戦争に踏み込まざるを得なかった大義名分があり、日本政府は説明責任を果たしていたことを明らかにする。大川のアメリカ対日政策に対する分析は客観的かつ実証的で、現代にも通用する水準のものだ。
これに続いて後半部分の「英国東亜侵略史」のテキストを読んでいただき、その後、筆者は大川の思想を読み解く中で、歴史は繰り返されるものであり、過去の歴史から謙虚に学ぶことで、現下日本国家と日本人がかかえる困難な問題を克服する緒が得られるとの私見を提示する。

個人に運不運があるように、国家や民族にも運不運がある。
太平洋の向こう側にアメリカという、急速に発展を遂げる帝国主義国をもった日本は地政学的に運が悪かったのである。そしてアメリカの本質は現在も変化していない。 しかも中国が急速に国力をつけ日本の潜在的脅威となりつつある。21世紀、日本を取り巻く環境が冷戦時代はもとより、太平洋戦争前よりも悪くなっていく可能性は十分ある。

地政学的な運の悪さをインテリジェンスによって克服した例が世界にいくつかある。冷戦下に東西を手玉に取ったユーゴスラビアや現在ではイスラエルがその例だろう。『米英東亜侵略史』で展開した大川の言説を振り返り、少し工夫をすれば、「理論的に正しかったが、戦争に敗れた」という結末ではなく、「理論的に正しかったので、戦争に至らぬかたちで日本国家と日本人を生き残らせることができた」という結果を将来導き出すことができるかもしれない。

こんな問題意識をもちながら、大川の言説を読み解いていきたい。

 


解説
まず『米英東亜侵略史』の前半部分である「米国東亜侵略史」のテキストを読んでいただく。
その後、筆者の解説で、国民は軍閥に騙されて戦争に突入したという認識は、戦後、アメリカの情報操作工作によって作られた神話で、1941年当時、日本は対米戦争に踏み込まざるを得なかった大義名分があり、日本政府は説明責任を果たしていたことを明らかにする。(中略)
これに続いて後半部分の「英国東亜侵略史」のテキストを読んでいただき、その後、筆者は大川の思想を読み解く中で、歴史は繰り返されるものであり、過去の歴史から謙虚に学ぶことで、現下日本国家と日本人がかかえる困難な問題を克服する緒が得られるとの私見を提示する。

この本の特徴は、戦前の思想家・大川周明の著書である『米英東亜侵略史』のテキストを2部に分けて再現し、その間に著者・佐藤優氏の解説を挟み込むという形式をとっていることです。
この形式は、佐藤氏が創価学会系の雑誌『潮』に記事を連載するときや、その著書「池田大作研究」を書いた時のスタイルと共通するものです。
さらに言えば、私がいろいろな本を読んでブログで引用する際に、記事の最後に【解説】として私見を述べていますが、そのスタイルにも通じます。

そこで次回からは、読者が読みやすく理解しやすいように、あたかも佐藤氏がこのブログを書いているかのように、私のブログのスタイルをまねて、この本の内容を再構成してみたいと思います。
必要に応じて、改行したり、文章を削除したりしますが、内容の変更はしません。

なるべく私(獅子風蓮)の意見は挟まないようにしますが、どうしても付け加えたいことがある場合は、コメント欄に書くことにします。

ご理解の上、お読みください。


獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その3)

2024-10-30 01:59:05 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

そのため、佐藤氏の著作を読み込んでいますが、その数と量は膨大で、なかなかはかどりません。

さて、最近、氏のこんな著作を読みました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」

歴史に学び、21世紀の日本の道を探る
ポスト冷戦後の世界は、帝国主義時代に近い構造を持っている。
このような世界で日本が生き残っていくには、どうすればいいのだろうか。
北方四島、尖閣諸島問題を見れば、最近、日本外交が「八方塞がり」に陥っていることは新聞や雑誌の論評を読めばよくわかる。日本外交の歯車が狂い始めているのだ。こんなときに、安直な対症療法ではかえって事態を複雑にし、病状をより深刻にする。いまこそ腰を落ち着けて、歴史に学ぶことが重要だ。歴史は繰り返すのである。
1941年当時、日本が対米戦争に踏み切らざるを得なかった。急速に発展するアメリカという帝国主義国と妥協はできなかった。妥協をすれば、日本はアメリカの保護国、準植民地になる運命を免れなかった。
NHKラジオの連続講演をもとに1942年1月に出版された、大川周明の『米英東亜侵略史』は、アメリカの対日政策の分析において、客観的および実証的なものだった。
過去の歴史から学び、現下日本国家そして日本人が抱える外交政策の困難な問題を克服する緒が得られるとの考えから、佐藤優が『米英東亜侵略史』を丁寧に読み解き、21世紀の日本の方向性を示唆している。


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。


日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

■はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
□第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
□あとがき

 


はじめに

(つづきです)

1941年12月の開戦直後、当時の政府は戦争の目的とそこに至った経緯を国民に対して論理的かつ実証的に説明することを試みた。その一つが大川周明(おおかわしゅうめい)によるNHKラジオの連続講演(全12回)だ。この速記録は講演が行われた翌月(1942年1月)に『米英東亜侵略史』(第一書房)という単行本として上梓され、ベストセラーになった。本書を読めば、日本が何故にアメリカ、イギリスとの戦争に至らざるを得なかったかがよくわかる。さらにその内容が、客観的事実に基づいた冷静な主張であることにも驚かされる。本書にはその全文を掲載している。読まれた方は、「鬼畜米英!」などといった過激なプロパガンダが見られないことを意外に思われるかも知れない。しかし、そのことは当時の日本国民の知的水準の高さを示している。
帝国主義の時代において戦争は不可避であった。日本は開戦の大義名分をもっていたし、アジア国家としての筋を通した。しかし、筋を通す正しい国家が必ずしも勝つわけではないというのも歴史の厳粛たる事実だ。
大川周明もA級戦犯容疑者として逮捕され、公判に引き出されたが、精神障害のため免訴となった。本文で詳しく紹介するが、この免訴の経緯については謎がつきまとう。大川が『米英東亜侵略史』の言説を法廷で繰り返した場合、理論的には開戦の正当性について、日本の大義と米英の大義をほぼ互角に持ち込めたであろう。
日本国民は当時の国家指導者に騙されて戦争に突入したのでもなければ、日本人が集団ヒステリーに陥って世界制覇という夢想に取り憑かれたのでもない。日本は当時の国際社会のルールを守って行動しながら、じりじりと破滅に向けて追い込まれていったのである。あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。

(つづく)


解説
日本国民は当時の国家指導者に騙されて戦争に突入したのでもなければ、日本人が集団ヒステリーに陥って世界制覇という夢想に取り憑かれたのでもない。日本は当時の国際社会のルールを守って行動しながら、じりじりと破滅に向けて追い込まれていったのである。あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。

これまで私は、石破湛山の生涯を学んできて、湛山が戦前のこういうムードの中、冷静に「小日本主義」の論説を張っていたことに感銘を受けました。
戦後、すべての植民地を失っても、経済復興をきたした現代から見れば、湛山のリベラルな主張が正しかったことが分かりますが、戦前、戦中の言論空間では、佐藤氏の述べるような理論が正当性を持って語られたのも事実でしょう。
__あの時、日本はどういう選択をすれば良かったのか?
難しい問題ですが、この本『日米開戦の真実』を参考に考えてみる価値はありそうです。

 

 

獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その2)

2024-10-29 01:57:07 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

そのため、佐藤氏の著作を読み込んでいますが、その数と量は膨大で、なかなかはかどりません。

さて、最近、氏のこんな著作を読みました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」

歴史に学び、21世紀の日本の道を探る
ポスト冷戦後の世界は、帝国主義時代に近い構造を持っている。
このような世界で日本が生き残っていくには、どうすればいいのだろうか。
北方四島、尖閣諸島問題を見れば、最近、日本外交が「八方塞がり」に陥っていることは新聞や雑誌の論評を読めばよくわかる。日本外交の歯車が狂い始めているのだ。こんなときに、安直な対症療法ではかえって事態を複雑にし、病状をより深刻にする。いまこそ腰を落ち着けて、歴史に学ぶことが重要だ。歴史は繰り返すのである。
1941年当時、日本が対米戦争に踏み切らざるを得なかった。急速に発展するアメリカという帝国主義国と妥協はできなかった。妥協をすれば、日本はアメリカの保護国、準植民地になる運命を免れなかった。
NHKラジオの連続講演をもとに1942年1月に出版された、大川周明の『米英東亜侵略史』は、アメリカの対日政策の分析において、客観的および実証的なものだった。
過去の歴史から学び、現下日本国家そして日本人が抱える外交政策の困難な問題を克服する緒が得られるとの考えから、佐藤優が『米英東亜侵略史』を丁寧に読み解き、21世紀の日本の方向性を示唆している。


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。


日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

■はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
□第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
□あとがき

 


はじめに

(つづきです)

太平洋戦争直前にABCD包囲網という言葉が流行した。
A(アメリカ)、B(イギリス)、C(中国)、D(オランダ)によって日本は包囲されているので、この包囲網を突破せよという国民世論ができあがった。日清、日露の戦役以後、日本人が血で獲得した満州、中国の権益をアメリカ、イギリスの二大帝国主義国が狙っている。これに対して日本は当然の主張をしているというのが日本政府の立場であり、国民も政府の立場を支持していた。
日本人は開戦時、少なくとも主観的には、中国をアメリカ、イギリスによる植民地化支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義国である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強の植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。従って、中国を期間限定で植民地にするが、それは将来中国を植民地から解放するためである、という言説を日本は展開した。これは中国人からすれば受け入れがたい論理である。
ところで帝国主義時代のイギリスは、アジア・アフリカ諸国の人々を劣等人種と見なしていた。だから、自由、民主主義、市場経済、法の支配などの西欧的価値観を植民地に輸出しようとは考えなかった。


第一次世界大戦後、イギリスの委任統治領となっていたイラク国家は、襲撃者たちが遠征の前と後とに最も近い駐在所に報告し、殺人と略奪とのきちんとした官僚的な記録を義務として残すという条件の下に、部族による襲撃を大目にみていた。(アーネスト・ゲルナー/加藤節監訳『民族とナショナリズム』岩波書店、2000年、6頁)


しかし、日本はイギリスのような二重基準を採らなかった。日本が提唱した「大東亜共栄圏」は一種の棲み分けの理論である。日本人はアジアの諸民族との共存共栄を真摯に追求した。強いて言えば、現在のEU(ヨーロッパ連合)を先取りするような構想だった。しかし、そこに「アジアを植民地から解放する目的のために一時的に植民地にする」という論理が入っていたため、日本人は“民族的自己欺瞞の罠”に落ちてしまった。

第一次世界大戦後、日本を取り巻く国際環境は、帝国主義の嵐の中で大きく変化した。特に太平洋に覇権を樹立し、中国利権に参入しようとするアメリカの対日政策が敵対的な方向へと大きく変化した。アメリカの脅威が増大する中で日本は国家体制を強化するために植民地からの収奪を強める。この過程で日本とアジアの歯車が噛み合わなくなってしまったのだ。1941年12月8日の日米開戦は、この連鎖の中で起きた。この開戦の経緯について、「客観的に見ればアメリカと戦っても絶対に勝つはずがないのに、アジア支配という誇大妄想を抱いた政府・軍閥に国民は騙されて戦争に突入した」という見方が現在では常識になっているが、これは戦後作られた物語である。
あのとき日本がアメリカ、イギリスと戦争をしなくてはならなくなった内在的論理も大義もきちんと存在する。

(つづく)


解説

開戦の経緯について、「客観的に見ればアメリカと戦っても絶対に勝つはずがないのに、アジア支配という誇大妄想を抱いた政府・軍閥に国民は騙されて戦争に突入した」という見方が現在では常識になっているが、これは戦後作られた物語である。
あのとき日本がアメリカ、イギリスと戦争をしなくてはならなくなった内在的論理も大義もきちんと存在する。

なるほど、あの戦争について、「国民は騙されて戦争に突入した」というのはウソで、戦後作られた物語だというのですね。

興味深いです。今後の展開に期待します。


獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その1)

2024-10-28 01:53:07 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

そのため、佐藤氏の著作を読み込んでいますが、その数と量は膨大で、なかなかはかどりません。

さて、最近、氏のこんな著作を読みました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」

歴史に学び、21世紀の日本の道を探る
ポスト冷戦後の世界は、帝国主義時代に近い構造を持っている。
このような世界で日本が生き残っていくには、どうすればいいのだろうか。
北方四島、尖閣諸島問題を見れば、最近、日本外交が「八方塞がり」に陥っていることは新聞や雑誌の論評を読めばよくわかる。日本外交の歯車が狂い始めているのだ。こんなときに、安直な対症療法ではかえって事態を複雑にし、病状をより深刻にする。いまこそ腰を落ち着けて、歴史に学ぶことが重要だ。歴史は繰り返すのである。
1941年当時、日本が対米戦争に踏み切らざるを得なかった。急速に発展するアメリカという帝国主義国と妥協はできなかった。妥協をすれば、日本はアメリカの保護国、準植民地になる運命を免れなかった。
NHKラジオの連続講演をもとに1942年1月に出版された、大川周明の『米英東亜侵略史』は、アメリカの対日政策の分析において、客観的および実証的なものだった。
過去の歴史から学び、現下日本国家そして日本人が抱える外交政策の困難な問題を克服する緒が得られるとの考えから、佐藤優が『米英東亜侵略史』を丁寧に読み解き、21世紀の日本の方向性を示唆している。


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。


日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

■はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
□第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
□あとがき

 


はじめに

今年は極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷60周年にあたる。
1946年5月3日の開廷日から長い年月が経っているにもかかわらず、東京裁判は現在の日本外交にも大きな影響を及ぼしている。例えばここ数年来、日本と中国、韓国との関係は、かつてないほどまでに冷え込んでいるが、その大きな原因になっているのは小泉純一郎首相の靖国神社参拝だ。中国は、東京裁判の結果処刑された(または獄中死した)A級戦犯14名を英霊として祀る靖国神社に、日本国を代表する内閣総理大臣が参拝することはけしからんと言うのである。そもそも東京裁判の当事国ではない中華人民共和国から日本がこの裁判に関係した事案で云々される筋合いはないのだが、ここでは東京裁判という物語が中国による日本という「敵のイメージ」を作る上で現在も大きな役割を果たしていることが重要なのである。東京裁判の亡霊は現在も徘徊し、大きな禍(わざわい)を日本国家と日本人に対してもたらしているのである。
国家指導者が戦争に対して責任を負うのは当然のことだ。特に敗戦の場合、国家指導者が国民からその敗戦責任を厳しく追及されるのは当たり前のことである。しかし、戦勝国がA級戦犯の罪状とした「平和に対する罪」のような、太平洋戦争勃発時に戦争犯罪として国際法に明記されていなかった罪の責任を問われる謂れはない。
仮に「平和に対する罪」が国際法上認められたとしても、東京裁判で日本にこの罪を被せることには無理がある。東京裁判の原告にはソ連が含まれている。1945年8月8日、当時有効だった日ソ中立条約を侵犯してソ連は対日戦争に踏み切った。日ソ戦争に関しては、日本が侵略された側で、「平和に対する罪」を犯したのはソ連である。ちなみにアメリカ、イギリスは中立条約を侵犯してソ連の対日参戦を“教唆”したのであるから、「平和に対する罪」の共犯者だ。つまりソ連、アメリカ、イギリスから日本が「平和に対する罪」で断罪されるような筋合いはないのである。
このようなことを言うと「お前は日本の過去を反省せず、戦前・戦中の時代を美化するつもりか」という非難がなされるであろうが、筆者は、負け戦は絶対にするべきではないという観点から、過去についてもっと反省するべきであるし、それらを美化する必要はさらさらないと考える。ただし、敗戦後にアメリカの謀略工作によって刷り込まれた物語、もっと乱暴な言葉で言うならば深層催眠術から抜け出すことが必要になっていると考える。
東西冷戦構造の下では、アメリカ製の物語の枠組みで行動しても日本国家と日本人が生き残ることは可能だった。もっと言うならばソ連製や中国製の社会主義という物語が浸透するよりは、アメリカ製の物語の方が、理論的完成度は多少低くても日本国家と日本人の生き残りに貢献したと筆者は考える。しかし、冷戦終結から15年が経過し、2001年9月11日の米国同時多発テロ事件後の「ポスト冷戦後」から5年が経とうとしている現状で、冷戦時代の物語にしがみついていてはならない。歴史は繰り返すのである。唯一の超大国であるアメリカも、アル・カーイダに代表されるイスラーム帝国建設の運動も、地域統合を強めるヨーロッパも、急速に国力をつける中国も、アジアとヨーロッパの双方に跨(またが)る地政学的状況を活用しながら帝国復活を目論むロシアも、自己の利益を第一義的に追求している。「ポスト冷戦後」の世界は、帝国主義時代に近い構造をもっていると筆者は見ている。
このような世界で日本国家と日本人が生き残っていくためには、われわれは自分の頭で考え、知恵(インテリジェンス)を巡らしていかなくてはならない。最近、日本外交が「八方塞がり」に陥っていることを危惧する新聞や雑誌の論評をよく目にする。 確かに現在の日本外交は危機的で、周辺諸国のみならずアメリカやヨーロッパの有識者の日本に対する眼も厳しくなり始めている。日本外交の歯車が狂い始めているのだ。こういうときに安直な対症療法をしてもかえって事態を複雑にし、病状をより深刻にしてしまう。いまこそ腰を落ち着けて歴史に学ぶことが重要である。

(つづく)


解説
国家指導者が戦争に対して責任を負うのは当然のことだ。特に敗戦の場合、国家指導者が国民からその敗戦責任を厳しく追及されるのは当たり前のことである。しかし、戦勝国がA級戦犯の罪状とした「平和に対する罪」のような、太平洋戦争勃発時に戦争犯罪として国際法に明記されていなかった罪の責任を問われる謂れはない。
仮に「平和に対する罪」が国際法上認められたとしても、東京裁判で日本にこの罪を被せることには無理がある。

私は小林よしのりが描いた『戦争論』などの書籍を読んで、「自虐史観」から抜けることができました。太平洋戦争には、日本にもいくばくかの大義があったと思います。
東京裁判で日本が戦勝国に裁かれるのもおかしいと思っています。

佐藤優氏は、元外交官なので戦前の軍国主義に反対する立場なのかと思ったら、意外と私と共通する歴史観をお持ちのようで、うれしく思いました。

それでも大川周明については、戦前を代表する思想家であったものの「脳梅毒のため東京裁判のときに東条英機の禿げ頭を叩いて退席させられた奇人」というような印象しかなかったので、佐藤優氏が大川周明を評価しているのが意外でした。

佐藤氏の「内在的論理」を理解するため、この興味深い本を読み進めていきましょう。


獅子風蓮


石橋湛山の生涯(その90)

2024-10-26 01:48:09 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
□終 章
■あとがき


あとがき

石橋湛山ほど異色の政治家はいないだろうと思われる。早稲田大学を卒業後、言論人として社会に出た湛山は、経済評論家であったが、その実践のために戦後は政治の道を歩んだ。
改めて年譜を見て驚かされるのは、昭和22年(1947)4月に静岡県第二区から衆議院選挙に立候補して初当選してから、9年8ヶ月の31年(1956)12月に、内閣総理大臣に就任していることである。
10年足らずの間に初当選から政治家としての最高位にまで上り詰める政治家が、今存在するだろうか。
これは時代と国民とが、石橋湛山という政治家を希求した結果ではなかったか。
歴史に「もしも」は許されないが、敢えて「もしも」があるとしたら、石橋湛山が僅か2ヵ月で政権を投げ出さざるを得なかった病魔に冒されなかったならば、とそう考えたくなる。日本の政治と経済は、もっとニュートラルに変わっていたはずである。
それは吉田茂、岸信介「他力本願」外交とは違う「自らの力」でアジア地域に立脚した外交を展開し、それを軸にして世界平和を求めたに違いないと確信するからである。
湛山は、自由主義と個人主義という人間が生きていく上で一番基本になる考え方を訴え実践した。国家のために国民があるのではなく、国民のために国家があることを主張した。

「小日本主義」とは、反帝国主義、反植民地主義に基づく愛国心を言う。その上に世界平和があるのだと、明治末期から大正という時代に『東洋経済新報』で訴え続けた。
そうした湛山思想の根底には、山梨県立第一中学校(現在の県立甲府一高)で出会った大島正健から薫陶を受けた「ビー・ジェントルマン(君子たれ)」があった。このクラーク博士の言葉を湛山は大島正健を通して「自分の良心に従って行動せよ」と受け取ったのである。また、早稲田大学で田中王堂から得た「プラグマティズム(功利主義)」も、その後の湛山の生き方に寄与している。

湛山の父親・杉田湛誓の生まれた町、幼い湛山が尋常高等小学校に通った同じ町(山梨県増穂町)に生まれ育った筆者は、湛山が総理総裁になった昭和31年の冬、小学2年生であった。町を挙げての堤灯行列に加わって湛誓の実家まで寒風吹きすさぶ中を「万歳」「万歳」と大声を上げながら歩いたことをおぼろげながら覚えている。筆者と湛山との縁があるとすれば、それだけである。

湛山は大正4年(1915)にこう述べている。
「如何なる場合に於いても『最高の支配権』は全人民に在る。代議政治はその発言を便宜にする方法で、現在の処之れに代わるべき手段はない」。
昭和42年(1967)に書いた「政治家にのぞむ」の内容は、現在の政治家に聞かせても十分通用するものである。それほどに現在は政治家が小型になり、国家・国民のためという政治の本質を忘れ去っているのである。
21世紀を見据えた場合、現在の政治家が最も参考にすべき先輩政治家は石橋湛山であることは間違いがない。「湛山の心」、「湛山の目」で国内を見つめ、国際政治・経済を見つめ、考えることこそ現在の政治家に一番必要なことではないか。

もとより、本書は湛山の評伝ではない。
小説である。
湛山に対して尊敬と畏怖の思いがあったからこそ書き上げることが出来た小説である。

平成11年4月25日 
石橋湛山26年目の命日に

江宮隆之 

 


解説

21世紀を見据えた場合、現在の政治家が最も参考にすべき先輩政治家は石橋湛山であることは間違いがない。「湛山の心」、「湛山の目」で国内を見つめ、国際政治・経済を見つめ、考えることこそ現在の政治家に一番必要なことではないか。

著者の意見に、私も賛同します。

 

もとより、本書は湛山の評伝ではない。
小説である。
湛山に対して尊敬と畏怖の思いがあったからこそ書き上げることが出来た小説である。

小説の形を用いたことにより、湛山の心の内面にまでつっこんだ表現ができたのでしょう。

私も、将来池田大作氏のことを書くとき、このような小説の形をとりたいと考えています。

著者(江宮隆之)の作風は、そのときいい参考になることでしょう。

 


獅子風蓮