獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

石橋湛山の生涯(その77)

2024-10-03 01:25:50 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
■第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき


第8章 悲劇の宰相

(つづきです)

12月20日、第三次鳩山内閣が総辞職した。その後、衆参両院で湛山は、内閣首班に指名された。晴れて湛山は、72歳にして日本国の総理大臣になったのである。
「私は、日本のために仕事をしたくてジャーナリストから途中下車して政治家になったのです。肩書きが欲しいわけではありません。私には理想があります。この理想実現のために、多少人に嫌がられるようなことがあっても、断固やりぬくつもりです」
記者会見で、湛山ははっきり意思表示をした。そして、組閣に当たっての人事方針を、
「派閥に捉われない。人心一新のために党役員、閣僚は原則として全員入れ替える。党内融合のために岸・石井両氏の入閣を求める。積極財政推進のため経済閣僚、特に蔵相人選は重視する。幹事長、官房長官は石橋内閣の要であるから石橋の意中の人物を充てる」
そう発表した。だが、具体的な人事は難航した。
「大野副総裁、石井副総理、岸の入閣は駄目、池田蔵相には反対、三木の幹事長はおかしい……。雑音がいろいろありすぎて困ってしまったよ」
湛山は、自分の意志に従ってしっかりした組閣をやりたかったが、自民党内はさまざまな意見で満ちていた。反岸はそれでよかったが、石橋政権に協力した勢力が角突き合わせる状況には、湛山は驚いてしまった。
「岸派は総裁選の得票を盾に、8つもの閣僚ポストを要求してきた。しかし、私は岸さんの外務大臣入閣は要請したが、8ポストは拒否したよ。結果は4ポストだ」
「ところが、石井派が選挙で協力したのに2ポストはおかしいと言ってきているんですよ。大野派は、2ポストで不満のうえに、主要閣僚がないという文句。これじゃあ、石橋派からは1つのポストも割り当てられないじゃあないですか」
「石井光次郎君には、副総理格で文部大臣を要請したんだが、固辞してねえ。灘尾弘吉を入閣させてくれと言うんだ……」
湛山は石田とともに頭を抱えてしまった。
そんなところへ思いもしない人物から電報が来た。
「ナニヲグズグズシテイルカ シタガワヌモノハキッテステロ ヒヲムナシクスルト シンヲコクミンニウシナウゾ ヨシダシゲル」
吉田が大磯から打ってきた電報であった。党内各派の言い分をすべて聞いていたら何も出来ない。総理としての信用を国民から失ってしまうぞ。早く組閣を完了しろ。そういう内容であった。湛山も石田も感銘した。あれほど闘った間柄の吉田からの温かい心遣いであった。
「あの吉田さんが……」
湛山は、そっと目頭を拭った。
こじれにこじれた末に、湛山は23日午前10時、皇居での認証式にただ一人で出席した。湛山が全閣僚を兼任する形での処置であった。本格的な石橋内閣発足は、その日の夕方になった。

(つづく)


解説

組閣に当たっての人事方針を、
「派閥に捉われない。人心一新のために党役員、閣僚は原則として全員入れ替える。党内融合のために岸・石井両氏の入閣を求める。積極財政推進のため経済閣僚、特に蔵相人選は重視する。幹事長、官房長官は石橋内閣の要であるから石橋の意中の人物を充てる」
そう発表した。だが、具体的な人事は難航した。

理想は高くとも、自民党内のさまざまな意向を無視できず、組閣が難航する石橋湛山であった。

現在の、石破さんの組閣の様子にも通じるものがありそうでね。

 

 

獅子風蓮



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。