とにかく左手を硬く握った赤ちゃんだった。
左手だけじゃなく、左半身が硬く冷たい。股関節も硬く、足の親指の蹴りも悪い。
左胸には、大きな痣、蒙古斑も左が大きい。
皮膚と神経系はお腹の中で同時にできるというから、痣が左にばかりあるというのは、なるほどなあ、と思った。
陰陽の知恵で言ったら、左は陰。
この子がお腹にいるとき、上の子がアレルギー児だったので、動物性蛋白質を取るのが怖くて、自己流菜食。
アレで冷えたか。
それとも、もっと前に、なにかあったか、、、。
産まれたばかりの赤ちゃんを見に、元園長が自宅に来てくれて、とにかく丹念に赤ちゃんをマッサージしてくれた。
自由教育じゃないのよ。
自由への教育。
前世のカルマから、いま、自由にするの。
マッサージによって、徐々に開いて来た左手を見て、
ホラ!自由になってきた!
と、元園長は言った。
科学的根拠で説明つかないと人は納得しないから、
と、エネルギーのような話は滅多にしない園長だった。
前世のカルマ、という言葉が出たので、わたしは驚いたと同時に、深く納得した。
大変頭の良い方なので、アッチ系が大好きなわたしに、わざとそんな説明をしたのかもしれないが。
とにかくこの子が、自分の人生を歩めるように、
不自由さを克服させなくては。
エドガーケーシーの治療院では、身体を使った肉体労働をして人々が病気を克服していったと聞いた事がある。
生活の中で全てやろう。
あなたには弱いところがあるから、それを克服する為の訓練、なんて、絶対に、気づかせないようにするんだ。
だって、あなたには、できない、ダメ!なんて新しい不自由さの観念を加えたりしたくない。
そんな新しいカルマを背負わせる必要はないのだから。
文字が入る6歳までしか時間はない。
文字が入った脳は、もう、違う使われ方をしちゃう。
早寝早起き。斜面ハイハイ。たくさんの水で膚を刺激。
言葉かけは、最低限に。
前頭葉を刺激するのはまだまだ早い。
自律神経を司る脳を充分に発達させないと。
そして、風の音や虫の声を聴く力は、大きくなって、心の声を聴く力に、きっとなる。
こんな赤ちゃん時代だった。
一生懸命だった。
あっと言う間の六年間だった。
卒園式で年長さんは、側転だのハイハイだの、いろいろ演技?をする。
式の後、わたしの母が、元園長に、
まるで左半身が麻痺していたような子でした。
ありがとうございました。
と、泣いてたよ、と、上の子から聞いた。
あの頃、わたしは一人で必死だったと思っていたけど、全部わかってくれてた人がいたんだと、驚いた。
それから、更に六年。
六年生になったあの赤ちゃんは、保育園の秋祭りで、秩父屋台囃子という太鼓を叩いた。
弱かった左手も、右手と同じに使っていた。
音の左右差も、リズムの遅れもなかった。
ああ、終わった。
と、思った。
完全発達、と斎藤公子は言う。
自分の人生を歩める段階にまで発達した状態の事かな、とわたしは思う。
完全完璧に間違えないという事ではなくて、間違えてもまた立ち上がって自分で調整して、進む力。
今夜バチを力強く握った左手で、幸福を掴みに進め。
左手だけじゃなく、左半身が硬く冷たい。股関節も硬く、足の親指の蹴りも悪い。
左胸には、大きな痣、蒙古斑も左が大きい。
皮膚と神経系はお腹の中で同時にできるというから、痣が左にばかりあるというのは、なるほどなあ、と思った。
陰陽の知恵で言ったら、左は陰。
この子がお腹にいるとき、上の子がアレルギー児だったので、動物性蛋白質を取るのが怖くて、自己流菜食。
アレで冷えたか。
それとも、もっと前に、なにかあったか、、、。
産まれたばかりの赤ちゃんを見に、元園長が自宅に来てくれて、とにかく丹念に赤ちゃんをマッサージしてくれた。
自由教育じゃないのよ。
自由への教育。
前世のカルマから、いま、自由にするの。
マッサージによって、徐々に開いて来た左手を見て、
ホラ!自由になってきた!
と、元園長は言った。
科学的根拠で説明つかないと人は納得しないから、
と、エネルギーのような話は滅多にしない園長だった。
前世のカルマ、という言葉が出たので、わたしは驚いたと同時に、深く納得した。
大変頭の良い方なので、アッチ系が大好きなわたしに、わざとそんな説明をしたのかもしれないが。
とにかくこの子が、自分の人生を歩めるように、
不自由さを克服させなくては。
エドガーケーシーの治療院では、身体を使った肉体労働をして人々が病気を克服していったと聞いた事がある。
生活の中で全てやろう。
あなたには弱いところがあるから、それを克服する為の訓練、なんて、絶対に、気づかせないようにするんだ。
だって、あなたには、できない、ダメ!なんて新しい不自由さの観念を加えたりしたくない。
そんな新しいカルマを背負わせる必要はないのだから。
文字が入る6歳までしか時間はない。
文字が入った脳は、もう、違う使われ方をしちゃう。
早寝早起き。斜面ハイハイ。たくさんの水で膚を刺激。
言葉かけは、最低限に。
前頭葉を刺激するのはまだまだ早い。
自律神経を司る脳を充分に発達させないと。
そして、風の音や虫の声を聴く力は、大きくなって、心の声を聴く力に、きっとなる。
こんな赤ちゃん時代だった。
一生懸命だった。
あっと言う間の六年間だった。
卒園式で年長さんは、側転だのハイハイだの、いろいろ演技?をする。
式の後、わたしの母が、元園長に、
まるで左半身が麻痺していたような子でした。
ありがとうございました。
と、泣いてたよ、と、上の子から聞いた。
あの頃、わたしは一人で必死だったと思っていたけど、全部わかってくれてた人がいたんだと、驚いた。
それから、更に六年。
六年生になったあの赤ちゃんは、保育園の秋祭りで、秩父屋台囃子という太鼓を叩いた。
弱かった左手も、右手と同じに使っていた。
音の左右差も、リズムの遅れもなかった。
ああ、終わった。
と、思った。
完全発達、と斎藤公子は言う。
自分の人生を歩める段階にまで発達した状態の事かな、とわたしは思う。
完全完璧に間違えないという事ではなくて、間違えてもまた立ち上がって自分で調整して、進む力。
今夜バチを力強く握った左手で、幸福を掴みに進め。