指示命令禁止をしない
保育園時代に親としても、保育園に手伝いに入る時も、学童を引率する時も、元園長にことごとく言われた。
これは、案外家では簡単で、アヒルみたいに大きいモノに小さいモノは連なって行動するから、一番大きいわたしがテキパキやれば、いろいろな制限やコントロールしようという意図なしで、日常生活は組み立てていけた。
ところが、子供が20人くらいなると全然上手くいかない。
子供たちは猿山の猿みたいになって、ボス猿を筆頭にわたしに挑んでくる状況にさえなった。
上の子たちの時に散々そんな目にあった。
どうしたら、個性や生活環境や、やりたい事の違う子供たちをまとめられるのだろう。ましてや、指示命令禁止なしで!!
実は、これを学べるチャンスは、子供が子供に接する場面の中に転がっている。
例えば、この話
も、そうだし。
今回のキャンプでも、夜の就寝前後に行う六年生とのリーダー会議に、一年生の女の子が、
寝るのやあだ!
わたしもリーダー会議でる!!
と、駄々をこねた。
さあ、彼女の班のリーダーは誰だ?どうするのかな?
と、思ったら、
リーダーは、我が息子で、
さあ。◯◯ちゃん!目をつぶって、自分の部屋に帰れるかやってみよう!
と、明るい声で誘った。
で、女の子の気分は切り替わり、次の楽しそうな事へ関心を抱いたのだろう、キャッキャと二人で部屋に戻っていった。
他のリーダーの六年生二人も、
10分でみんなを寝かしつけてくるから。リーダー会議始めるの待って。
と言って出ていった。
本当にすごいなあ。
と、関心。
わたしなんか、寝ろーっ!っと怒鳴って余計に子供たちを興奮させてしまう。
それからよく覚えているのは、
今は22才になった長男が一年生の頃、もう15年も前の事だ。
下の子たちを保育園に迎えに行って、そのうちに残っていた園児たちと一緒にお絵かきが始まった。
斎藤公子保育では、絵で発達の様子を読む事をするので、子の育ちの大切な資料になる。
絵に人工物や文字がでれば、その子の関心がそちらにむいている事になるので、日常生活からそういったモノに感化されないよう注意する。
人類の進化と同じように、子に発達を『獲得』させる為の配慮だ。
でも、長男は、その時、園児に混じって、飛行機の絵を描いた。
なんの気なしに、いつもの自分のノートに描くのと同じ感覚で。
ところが、園児の一人が、
わぁ!すごい!もっと飛行機描いて!
と、声をあげた。
それで、長男は、気が付いて、自分の描いた飛行機の絵をサッと仕舞って、
次は、粘土やろう!
と明るく切り替えた。
長男は、この保育園に通っていなかったけれど、一年生でもう、外側の世界から見たこの保育の大切にしている配慮を理解して、自然に行動してくれたのだった。
こんな賢さが、わたしにあるだろうか。
こう言う場面に遭遇すると、わたしの落ち着きがなくせっかちで、実力もないくせに我を張り、まわりをガチャガチャにする悪い性質を省みる。
成功哲学を語る人なんかは、win winの法則なんて言うけれど、
相手を傷つける事なく自分の意見も主張する。
この本質は、まさに、ヒトが人間たる所以だと思う。
でも、実際は、こんな素敵な事が起こる場面ばかりではない。
一個一個数えてみたら、大変な事のほうが多いかも。
でも、最初から、言う事きかない愚かな奴ら。
と、いう自分のエゴ丸出しで子に対するか、
素敵な何かを発芽させる直前の賢い人たち
と、対するか、
だいぶ、全く、全然違うと思う。
やっぱり、なんと言うか、こう言ってしまうと本当、薄っぺらいんだけど、
根底に、『信頼』があるかどうか、なのだろう。やっぱり。
保育園時代に親としても、保育園に手伝いに入る時も、学童を引率する時も、元園長にことごとく言われた。
これは、案外家では簡単で、アヒルみたいに大きいモノに小さいモノは連なって行動するから、一番大きいわたしがテキパキやれば、いろいろな制限やコントロールしようという意図なしで、日常生活は組み立てていけた。
ところが、子供が20人くらいなると全然上手くいかない。
子供たちは猿山の猿みたいになって、ボス猿を筆頭にわたしに挑んでくる状況にさえなった。
上の子たちの時に散々そんな目にあった。
どうしたら、個性や生活環境や、やりたい事の違う子供たちをまとめられるのだろう。ましてや、指示命令禁止なしで!!
実は、これを学べるチャンスは、子供が子供に接する場面の中に転がっている。
例えば、この話
も、そうだし。
今回のキャンプでも、夜の就寝前後に行う六年生とのリーダー会議に、一年生の女の子が、
寝るのやあだ!
わたしもリーダー会議でる!!
と、駄々をこねた。
さあ、彼女の班のリーダーは誰だ?どうするのかな?
と、思ったら、
リーダーは、我が息子で、
さあ。◯◯ちゃん!目をつぶって、自分の部屋に帰れるかやってみよう!
と、明るい声で誘った。
で、女の子の気分は切り替わり、次の楽しそうな事へ関心を抱いたのだろう、キャッキャと二人で部屋に戻っていった。
他のリーダーの六年生二人も、
10分でみんなを寝かしつけてくるから。リーダー会議始めるの待って。
と言って出ていった。
本当にすごいなあ。
と、関心。
わたしなんか、寝ろーっ!っと怒鳴って余計に子供たちを興奮させてしまう。
それからよく覚えているのは、
今は22才になった長男が一年生の頃、もう15年も前の事だ。
下の子たちを保育園に迎えに行って、そのうちに残っていた園児たちと一緒にお絵かきが始まった。
斎藤公子保育では、絵で発達の様子を読む事をするので、子の育ちの大切な資料になる。
絵に人工物や文字がでれば、その子の関心がそちらにむいている事になるので、日常生活からそういったモノに感化されないよう注意する。
人類の進化と同じように、子に発達を『獲得』させる為の配慮だ。
でも、長男は、その時、園児に混じって、飛行機の絵を描いた。
なんの気なしに、いつもの自分のノートに描くのと同じ感覚で。
ところが、園児の一人が、
わぁ!すごい!もっと飛行機描いて!
と、声をあげた。
それで、長男は、気が付いて、自分の描いた飛行機の絵をサッと仕舞って、
次は、粘土やろう!
と明るく切り替えた。
長男は、この保育園に通っていなかったけれど、一年生でもう、外側の世界から見たこの保育の大切にしている配慮を理解して、自然に行動してくれたのだった。
こんな賢さが、わたしにあるだろうか。
こう言う場面に遭遇すると、わたしの落ち着きがなくせっかちで、実力もないくせに我を張り、まわりをガチャガチャにする悪い性質を省みる。
成功哲学を語る人なんかは、win winの法則なんて言うけれど、
相手を傷つける事なく自分の意見も主張する。
この本質は、まさに、ヒトが人間たる所以だと思う。
でも、実際は、こんな素敵な事が起こる場面ばかりではない。
一個一個数えてみたら、大変な事のほうが多いかも。
でも、最初から、言う事きかない愚かな奴ら。
と、いう自分のエゴ丸出しで子に対するか、
素敵な何かを発芽させる直前の賢い人たち
と、対するか、
だいぶ、全く、全然違うと思う。
やっぱり、なんと言うか、こう言ってしまうと本当、薄っぺらいんだけど、
根底に、『信頼』があるかどうか、なのだろう。やっぱり。