クラブボクシング@ゴールドジム湘南神奈川

普通、湘南辻堂といえばサーフィンなのにボクシングでひたすら汗を流すオッさん達のうだうだ話!

火曜日のジムトレ アセ

2015年11月10日 | トレーニングノート
昨日来れなかったので今日はいつもの20時にジム到着



5R位バッグやって帰ろうと思ったら朴師匠が既にいるではないですか

お互いにミット練習して気持ち良く終わりました

師匠付き合っていただき助かりました

前より疲れなくなった気がします

不機嫌な過日

2015年11月10日 | 日記
ベビーな二日酔いで朝の挨拶を欠きましたコト、お詫び申し上げます。

ジョビジョバ君の同窓会ネタを読んで、ウスボンヤリ思う・・・私ゃ~、『同窓会』ってモノに出席したコトがない!

とにかく断り続けて、それでも20代まではお誘いもあったが、もはや そのお誘いすら来なくなりましたこのみ。


ウチのジムの『気難しキャラ』はジョビ君なんでしょうが、私ゃ~、そんなの比較にならない位でしたよ。
まぁ社会性ってモノを全く欠いていましたね。

20代はリーマンなのに髪伸ばして小泉師匠ばりに結んでましたし。


まぁ今もある意味、世間には迎合してませんが。



ジョビの立ち位置

2015年11月10日 | 日記
今日のあらすじ

中途半端な自分を嘆き、話はボクシングへと展開し、ラストはまさかのB級の時事ネタ!



ウチの中学って、そこそこワルい学校だったんすけど、本当にワルい人って(ケンカ強いとかそういうこと)すげえ良い人なんすよね。
多分、シバノフトレーナーもそうなんじゃないかな。


で、私。
そんな中学でいじめられるでもなく、中途半端にのうのうと生きてきたんで、今も普通。
ま、このまま終わるつもりはないけど、今はすげえ普通。


で、中途半端な立ち位置で問題なのがボクシング。
距離感がどうもね。なんかちょこちょこパンチもらう傾向にあるんすね。
昨日も若い彼にちょこちょこもらっちゃいましたよ。
リーチ差は確かにあったけど、パンチも見えてるんだけど、足が動かないし、体も反応しないし、どうしようもなかったっすね。
朴さんと飲みに行けば良かったっすわ。


こんな中途半端な立ち位置ならね、どうせなら排水溝に潜んで道になって覗いちゃおうかなぁ。

イチルノノゾミ 4

2015年11月10日 | あの頃 朴は若かった
その友人に「クビ」を伝えたのが福岡での演奏から一週間後、2月初旬の底冷えのする金曜日の夜、新橋でした。

「クビ」を告げる役目は私でした。確か都内勤務の他のメンバーは出張や残業でこれなかったのもありますが、メンバー全員で告げるのは余りにも酷だと判断してのことだったように覚えています。

ふたりで飲まないかの連絡は、友人にとっては番組放映後の嬉しい反響を踏まえての今後の活動についての打ち合わせと勘違いしてもしょうがありません。私は機関車の前に重苦しい心持ちで友人を待っていました。

程なくやって来た友人ととりあえず店を探します。賑やかでも話が聞こえるくらいで、座る距離が近く、直ぐにでも出られる店がいいんだろうなあと思いつつ、とある居酒屋に滑り込みます。

どう切り出すか考えも纏まらない中、5分以内でジョッキを2杯上げたころで、私は慎重に言葉を選びながら、ゆっくり優しく、それでいて有無を言わせぬ表情で「クビ」の意をとその理由を伝えました。

友人は腕を組み「う~ん」と唸りながら、ひとつずつに意見反論を試み、私はそれに対しひとつずつできるだけ丁寧に答えます。

どんなに優しく丁寧に話したところでその内容や結論は変わらないのです。

ただ口には出しませんが「オマエ、分かれよ!なんでこうなったのか?」という気持ちで対応したことは事実です。

話が尽きたところで、それでも普通どおりに飲み食い笑い結構な時間をその店で過ごしたので、不本意ながら納得してくれたように見えました。

店を出て、新橋駅で別れる時に私は今までの感謝の気持ち、今のバンドでは別れてしまうけれど、友人として、また違うユニットで一緒にやって行こうと話しかけました。

友人は少し悲しい顔を見せた後、決して後ろを振り向かず歩いて行きました。私は友人の姿が雑踏に消えて行くまでその背中を見送りました。元気な姿を見るのはそれが最後でした。

ドッと疲れた私はメンバーに電話しました。皆んなは労いの言葉をかけてくれ、次に友人の反応や表情を心配していました。そしてメンバーはついさっき別れた友人に電話するよと。

そしてしばし、私の電話が何回も鳴ります。

結局、メンバーが友人に電話をしたのですが、既に着信拒否の設定であったとの連絡です。まさかと思いつつ私もかけてみますが、早々に着信拒否になっていました。やはりメールも届きません。

よほど怒っていたのでしょう。雑踏に消えた背中は悲しみと同じくらいの怒りを載せていたのでしょう。

それにしても着信拒否はもう友人じゃないという意思の表れだったのでしょう。メンバー全員とはもう友人じゃない!という決意だったのでしょう。

私は悲しさとやるせなさで泣きそうになりました。

でも、濃密な時間を一緒に過ごした私たちは、落ち着いたらいつかまた飲んだり遊んだりすることもあるだろうとメンバーと話しました。

まさか、その時は病に倒れるなんて誰も考えもしなかったのですから。








リハビリ日記/サウスポーNN

2015年11月10日 | 日記

久しぶりの書き込みです。

距離:7キロ

路面:コンクリート

5分を「ウォーキング」と「ゆるジョグ」を交互に。

歩き:問題なし

ジョグ:微妙な違和感(痛みではなく・・・ハリ・かな?)

先月中旬のような状態から見れば格段に良くなったかと思います。あの時は常にふくらはぎが攣った状態で過ごしておりましたので。

今日のウォーク&ジョグで気が付いたコト。「能動的刺激(徒歩・スクワット・ストレッチなど)」は大丈夫。「受動的刺激(勢いよく踏み込んだ時・瞬発的にくる刺激)」はまだまだ。

再発防止第一で今月はのんびりやっております。

 


イチルノノゾミ 3

2015年11月10日 | あの頃 朴は若かった
私が17年間所属したそのバンドはメンバー全員大酒飲み。

私も弱くない方ですが、その数倍凄い連中でした。乾杯して5分以内でジョッキ2杯は空いてるのは当たり前。

また、全員営業職ですから、毎回毎回とても明るく楽しくお下劣な酒宴でした。土曜日の夜、3時間練習した後は決まって2時間の打ち上げで、皆ヘロヘロになりながら終電で帰っていました。いつでも飲みたい、いつまでも飲みたいそんな愉快な仲間でした。正しく遅れてきた青春です。

亡くなったベーシストはあまりモテそうな感じじゃありません。かたや他のメンバーは女性の話に事欠きません。ですので、酔って話す女性に纏わる失敗談になかなか入ってこれないのですが、それでも自分だってモテるんだとの見栄からか、錦糸町のロシアンパブのブロンドおねえちゃんの写真(ナターシャ)を頼みもしないのに見せてくれて、付き合ってるんだといつも吠えるのでした。

はいはいって感じで他のメンバーは取り合わないんですね。それで拗ねる可愛い友人でした。

ステージでのメンバー紹介では必ずスパシーバと挨拶する友人、でも、誰も生ナターシャを見たことはありませんでした。

ある日、そのベーシストとふたりで赤坂で飲むことになりました。その友人「朴さん、いいところ見つけたんですよ!何だと思います?コロンビアパブなんですよ~」

はて、フィリピンパブやロシアンパブと言うとイメージが湧くのですがね、コロンビアパブと急に言われても良く分からんです。確かミスユニバースの世界チャンピオンは確か南米出身者が多かったようないなかったような、そんな程度なんですね。

それでも恐る恐る入るとその友人はなかなかの顔だったようで、本当にコロンビア人か分からない黒人ねーちゃん(ナオミ)の方に手を回し、「彼がバンドのボーカルの朴ちゃん、面倒見てあげてね。」とバンマスのように私を扱うんですよ。

そんな友人、実は脳梗塞で倒れた後に聞いたのは、高血圧気味でいつも薬を飲んでいたようなんです。薬をビールで流し込んでいたようなのでした。