その友人に「クビ」を伝えたのが福岡での演奏から一週間後、2月初旬の底冷えのする金曜日の夜、新橋でした。
「クビ」を告げる役目は私でした。確か都内勤務の他のメンバーは出張や残業でこれなかったのもありますが、メンバー全員で告げるのは余りにも酷だと判断してのことだったように覚えています。
ふたりで飲まないかの連絡は、友人にとっては番組放映後の嬉しい反響を踏まえての今後の活動についての打ち合わせと勘違いしてもしょうがありません。私は機関車の前に重苦しい心持ちで友人を待っていました。
程なくやって来た友人ととりあえず店を探します。賑やかでも話が聞こえるくらいで、座る距離が近く、直ぐにでも出られる店がいいんだろうなあと思いつつ、とある居酒屋に滑り込みます。
どう切り出すか考えも纏まらない中、5分以内でジョッキを2杯上げたころで、私は慎重に言葉を選びながら、ゆっくり優しく、それでいて有無を言わせぬ表情で「クビ」の意をとその理由を伝えました。
友人は腕を組み「う~ん」と唸りながら、ひとつずつに意見反論を試み、私はそれに対しひとつずつできるだけ丁寧に答えます。
どんなに優しく丁寧に話したところでその内容や結論は変わらないのです。
ただ口には出しませんが「オマエ、分かれよ!なんでこうなったのか?」という気持ちで対応したことは事実です。
話が尽きたところで、それでも普通どおりに飲み食い笑い結構な時間をその店で過ごしたので、不本意ながら納得してくれたように見えました。
店を出て、新橋駅で別れる時に私は今までの感謝の気持ち、今のバンドでは別れてしまうけれど、友人として、また違うユニットで一緒にやって行こうと話しかけました。
友人は少し悲しい顔を見せた後、決して後ろを振り向かず歩いて行きました。私は友人の姿が雑踏に消えて行くまでその背中を見送りました。元気な姿を見るのはそれが最後でした。
ドッと疲れた私はメンバーに電話しました。皆んなは労いの言葉をかけてくれ、次に友人の反応や表情を心配していました。そしてメンバーはついさっき別れた友人に電話するよと。
そしてしばし、私の電話が何回も鳴ります。
結局、メンバーが友人に電話をしたのですが、既に着信拒否の設定であったとの連絡です。まさかと思いつつ私もかけてみますが、早々に着信拒否になっていました。やはりメールも届きません。
よほど怒っていたのでしょう。雑踏に消えた背中は悲しみと同じくらいの怒りを載せていたのでしょう。
それにしても着信拒否はもう友人じゃないという意思の表れだったのでしょう。メンバー全員とはもう友人じゃない!という決意だったのでしょう。
私は悲しさとやるせなさで泣きそうになりました。
でも、濃密な時間を一緒に過ごした私たちは、落ち着いたらいつかまた飲んだり遊んだりすることもあるだろうとメンバーと話しました。
まさか、その時は病に倒れるなんて誰も考えもしなかったのですから。