遠い昔の証券マンだったころのお客様が昨夜の夢に出てきました。
何故なんだろう?
1980年代バブル後半の頃、「ワラント債」取引というものが活況を呈していました。
誰もが株価はもっと上がると信じていて、「ワラント」の仕組みを理解しておらず、株価の下落とともに日本中で、
「紙くず化」したワラントが山のように発生して、証券会社と個人投資家の間で大きな揉め事になったのでした。
「説明した。聞いていない。」「聞いたけど理解できぬまま無理やり買わされた!」という類のものです。
さて、と或る日、英国駐在を終えて本社に椅子を得た私に池袋支店の営業員から泣きの電話があったのです。
「あ、朴さんですか?池袋支店の篠田(仮名)といいます。あの、昔朴さんが開拓された個人のお客様で平野(仮名)さん覚えていますか?私もそのお客様は先輩から引き継いだんですけど、私が薦めた某企業のワラントが紙くずになってしまいまして・・・」
「ふ~ん・・・ 篠田君だっけ?僕がその先輩に平野さんを引き継いでもらう時に現物株式しか薦めないでくれって言ったんだけど聞いてなかった?」
「いえ、聞いてたんですけど。ノルマがあったんでどうしてもって私が頼んで買ってもらったんです。」
「あ、そんなんだ。じゃあいや納得して買ってもらったんだったらさ。」
「いえ、紙くずになってしまったことを説明したら、俺聞いてねえって言われまして・・」
「きちんと説明してないでしょ?もしかしたら?で、何が問題なの?」
「損は仕方がねえ、おまえを信じた俺がバカだったと。でも預かり証は絶対返さねえし、ハンコも押さねえって。」
「ふ~ん、で?」
「朴さんが日本に帰ってきたら朴に直接渡すっていうんですよ。おめぇには渡さねえって。回収しないとまずいんですよ。管理能力なしって評価せれるし・・・」
「そんなこと知ったこっちゃないよ。自分で何とかしろよ!」
「そこを何とか頼みますよ!お願いします。お願いします。」
「分かったよ、じゃあ一緒にいくからさ。で、何処へ行けばいいの?」
「あのそれが、癌研病院なんです。癌の手術をされて入院してるんです。」
「え~!? 手術後に行くのかよ?大丈夫かよ?平野さん!」
「いやあ、亡くなられたら預かり証も回収できなくなるし・・・」
「お前さあ、いい加減にしろよ!自分のことばっかじゃん。オレ絶対嫌だよ。」
「でも平野さんは朴さんに会いたいって言ってますよ!」
「・・・・分かったよ、じゃあ行くよ。おまえ見舞いの花くらい買っとけよ!」(結局、私が買いましたが)
数日後病院を訪ねると、痩せた平野さんは
「あ~朴さん久しぶり!立派になったね。偉くなったもんだ!まあ、俺が偉くしてやったみたいなもんだけど・・ ははは」
そう、平野さんは私が駆け出しの頃飛び込み営業で掴んだ町工場の社長さん。
駆け出しの私に色々と注文を付けながらも徐々に取引を大きくしてくれた恩人です。
町工場の従業員にも私との取引を薦めてくれたり、
私が帰省する際は「おふくろさんに持っていきな!」と千成最中など持たせてくれたり、
お返しにと母から渡されたお土産に喜んでくれたり、本当に大切なお客様であり御仁でした。
「で、今日は何しに来たの?」
「平野さんが手術されたと聞いてびっくりして・・・」
「そうかそうか、ありがとよ!花まで持ってきてくれて・・ まあオタクの営業員の文句のひとつでも言ってやろうかとお思ったけどさ。 ほらこれだろ?」
と枕の下から署名捺印のある「預かり証」を渡してくれました。
私、情けなくて、悲しくて・・・言葉に詰まってしまいました。面会時間も限られていますので、しばらくして病室を辞しました。
「朴さん、ありがとうございました。助かりました・・・ ちょっと飲んでいきますか?」
「篠田君・・・君は凄いわ。俺はこんなタイミングでこんなことはしないし、飲みたい気分にもならんわ。営業としては立派かもしれんけどね。俺はいいやそんな営業は・・」
バブル崩壊後の悲喜こもごものお話でした。
もう30年くらい前の出来ごとが、2021年の初夢なんて不思議だ。