車両の顔の第40回です。
今回のお顔は・・・
![イメージ 1](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/93/878d436a6d29f8d783253c44a85e95a4.jpg)
クモハ40 067です。
1978年9月28日、宇部線内の何処かの駅での交換待ち中に撮影しました^^;
宇部電車区には2両のクモハ40がいましたが、もう1両の023は平妻。
こちらの067は半流でした。
1936年2月に製造され、東鉄管内に配属されたようです。
宇部電車区へ来るまでの経歴は判りませんが(汗)、
1981年3月20日の宇部・小野田線における旧型電車での最終運行を
クモハ41 022と組んで担当したようです。
大糸線にいた077と違い、幌枠を持たないスッキリとした顔立ちですが、
この辺は、好みが別れるところでしょうか^^;
今回のお顔は・・・
![イメージ 1](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/93/878d436a6d29f8d783253c44a85e95a4.jpg)
クモハ40 067です。
1978年9月28日、宇部線内の何処かの駅での交換待ち中に撮影しました^^;
宇部電車区には2両のクモハ40がいましたが、もう1両の023は平妻。
こちらの067は半流でした。
1936年2月に製造され、東鉄管内に配属されたようです。
宇部電車区へ来るまでの経歴は判りませんが(汗)、
1981年3月20日の宇部・小野田線における旧型電車での最終運行を
クモハ41 022と組んで担当したようです。
大糸線にいた077と違い、幌枠を持たないスッキリとした顔立ちですが、
この辺は、好みが別れるところでしょうか^^;
茶色の旧型国電を一度見たかったです。
自分の周りにはスカ色しかいなかったです。
、、、、、、、、、なかなかの度胸ですねえ。
鶴見線界隈を除くと、当時ブドウ色で残っていたのは、此処だけでしたからねぇ・・
ちょっと遠かったですよね(汗)
自分でも、よく行ったなぁ・・と思います^^;
コメント&ナイス!をありがとうございました♪
コメント&ナイス!ありがとうございます♪
この時は、対向列車待ち中でして、駅本屋への渡り板上で撮ったんだと思います(汗)
たぶん、そうです・・・(汗汗)
両運だから、単行でも増結でも使える便利な車両なので青梅・五日市線で使われて
いましたよね。平妻の写真はあるのですが、半流はありません。自分も正面ドッカン
で撮ってみたかったです。やはりブドウ色はイイですね。
では。
お世話になっております。
車両の顔、味がありますね。
クモハ40はこの路線のみ撮ってません。
遠方ゆえ叶いませんでした。
パンタを上げる時に引っ張る紐がまたいいです。
この紐、引っ張って屋根上のフックを外す時、結構力が要るんですよ。笑。
宇部・小野田線のクモハ40は希少価値でしたね。小生が最初に訪れたときは本山支線に023が入っていました。
宇部・小野田線は首都圏からは遠く、2ドア車も少なく地味でしたが、クモハ41とクハ55は他線を凌駕するほどのバラエティがあったようですね。小生もおいおい発掘してみます。
宇部・小野田線の旧国なつかしいですね。前面の黄色の警戒色嫌う人もいましたが、ローカル色豊かな色が好きな私は好んで撮りました。旧国時代から新性能化後通して四半世紀以上ほとんど毎年のように神奈川県から出かけました。
クモハ40は本山支線の単行や宇部・小野田の本線の増結、またクモハ41の代わりにクハ55と組むなど両運を生かして重宝されていました。
私はクモハ42は勿論ですが平妻前パンタのクモハ41083などがお気に入りでした。
写真の駅は島式のカーブしたホームや周辺の様子から小野田線の目出駅の様に見受けられます。
この時も増結運用だったようでして、この後、宇部電車区へお邪魔して
夢中で見学撮影していた時、ふと気が付くと1両で入庫していました^^;
青梅・五日市線でのクモハ40の姿は残念ながら見られませんでしたが、
それだからこそ、遥々宇部線まで撮影に行ったのかもしれません^^
コメントいただきまして、ありがとうございました♪
この宇部線と大糸線のクモハ40しか撮れていない自分からですと、
L特急さんの方が羨ましいですよぉ^^;
パンタを上げる紐ですが、引っ張られた事がおありですか?(驚)
ガッシャン!と勢いよく上がるのでしょうねぇ。
一度引っ張ってみたかったものです(笑)
コメントいただきまして、ありがとうございました♪