ひと月前になるか、夕方 花に水をやっていると1台のバイクが止まった。3人の子どもがお世話になったあさひ幼児園(交野市は昭和47年から幼保一元化の取り組みがなされているので名称が幼児園となっている)で早朝薄暮のパートで勤められていたIさんであった。
下の娘が卒園してからは会う機会がなかったが、退職してから私の行動パターンが変化したため青年の家、星の里いわふねでのイベントや近所のスーパーなどでお会いすることがあった。その都度Iさんが所属している交野交謡会の練習を見に来ないかと誘われた。重い腰がなかなか持ちあがらなかった私だが、わざわざ家まで夏季謡仕舞大会のプログラムを届けていただいたならば「行かねばならぬ」となるのは当たり前田のクラッカー。
会場は私部会館。
2Fの大広間に入ると40人余りの方々がコの字型に座っておられた。午前中の素謡の演目‹養老›‹三輪›‹杜若›‹隅田川〉の本を借りてにわか勉強をする。Iさんは3番目の‹杜若›でシテを演じられた。
Iさんも先日お会いした時80の大台に乗ったといわれていたが他のメンバーの方たちもほとんどが同じぐらいの年代であった。声に張りがあってとても元気でいらした。
初めて謡の本を読んだが、故事、伊勢物語、方丈記などの文芸作品の引用など時代こそ違え今の演劇の台本と同じだなということを発見した。クライマックスでは掛けことばを巧みに入れて締めていくのが作者の腕かなとも素人考えだが感じた次第。一番小気味よかったのは〈三輪〉のラスト。「思へば・・・」
他にも〈杜若〉では「杜若花菖蒲 梢に鳴くは蝉の唐ころもの袖に・・・」〈隅田川〉では〈いよいよ思ひは眞澄鏡・・・〉などと言葉遊びも一緒に楽しんだ。高尚でお高いものではなく、文楽同様けっこう大衆的だなという思いを強くした。ことば、テンポ、表現方法が現代と異なるだけのことである。底を流れるものは同じである。
下の娘が卒園してからは会う機会がなかったが、退職してから私の行動パターンが変化したため青年の家、星の里いわふねでのイベントや近所のスーパーなどでお会いすることがあった。その都度Iさんが所属している交野交謡会の練習を見に来ないかと誘われた。重い腰がなかなか持ちあがらなかった私だが、わざわざ家まで夏季謡仕舞大会のプログラムを届けていただいたならば「行かねばならぬ」となるのは当たり前田のクラッカー。
会場は私部会館。




