素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

『余録』の書き写しが滞る

2015年05月02日 | 日記
 最近は『余録』の書き写しも習慣化され、いろいろハプニングがあってもどこかで時間をつくり書き残すことはなくなった。この習慣化するまでが大変なのである。

 にもかかわらず、先月28日より5日間、切り抜いて貼ってはいるが書き写しコーナーは空白のままである。原因は隆慶一郎さんの本である。『余録』を書き写すか?本を読むか?の選択になるといつも「隆さんの本を読む」に軍配があがるのである。

 要は、どうしてもしなければいけない用事以外の時間がどんどん読書タイムになっていく。ジムもそう。シーズンオフと勝手に設定したことをいいことに足が遠のいてきた。

 このブログも読書との天秤にかけられる日は近そう。
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『かぶいて候』残り半分一気に読む

2015年05月01日 | 日記
 「わが幻の吉原」というエッセイや縄田さんとの対談を読むと隆慶一郎さんの人となりや経歴がよくわかった。歴史小説において歴史と人物と、どちらが主になるか、従になるかという問題に対しての答えは『人物が魅力的じゃないと、書く気が起きないですね』と明解だった。

 日本武尊に非常に魅力を感じているとも話していた。取り扱う対象としての時代幅についても『魅力的な人間がいる限り、僕の勉強が及ぶ限り(笑)』とブレがなかった。ただ幕末・維新に関しては『維新というのは判らないですねえ。あまりに利害が錯綜していて。僕にはよく判らないんですよ。』『やってる当人は純粋なのかもしれないが、結局はどこかの利害に踊らされているところがあるでしょう。そこが嫌なんです』と言い切っていた。

 そのことを考えると幕末の暗殺事件の中でも謎の多い姉小路卿暗殺に1つの解釈を試みた『異説 猿ヶ辻の変』は貴重である。この対談があってこそこの短編が収録されている意味がわかる。

 間髪おかず『一夢庵風流記』に没入している。
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