素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

日常に潜む危険

2025年01月30日 | 日記
  埼玉県八潮市の県道で、28日に道路が陥没、トラックが転落する事故が発生した。最初にニュースを見た時はすぐにトラック運転手も救出されるだろうと軽く考えていたが、時間が経過するにつれ事態はどんどん深刻化して、3日経った今でも運転手は救出されず、陥没範囲も拡大し住民生活にも支障が生じてきている。

 埼玉県によると最初の陥没は下水道管の破損が原因とみられ、続く陥没は汚水が周囲の土を削って起きた可能性があるということで、周辺でさらに陥没が起きるおそれもあることから下水をできるだけ流さないようにとの呼びかけがなされている。

 また、県は、汚水があふれないよう上流部で、くみ上げて塩素で消毒し川に流す緊急放流を29日夜から始めた。緊急放流は飲み水や農業用水として水が利用されない川で行われ、県は環境への影響は問題ないとしていて、今後、新たに2つの河川でもできないか調整しているということだが影響の長期化は避けられない状況となってきた。

 他にも28日からインターネットなどの回線が利用できなくなっていることも報じられていた。NTT東日本によると、現場周辺では、事故の影響で道路の下に埋められている通信ケーブルが断線したため、光回線を利用したインターネットや電話がおよそ1300回線、固定電話がおよそ400回線、利用できなくなっている。現場では作業員が状況を確認しているが、復旧の見通しは立っていない。

 この3日間、テレビを通じて事故現場の状況を見るにつけ我々の日常に潜む危険というものを否が応でも考えさせられる。「日本の進む道」(毎日新聞出版)で養老孟司さんと藻谷浩介さんは南海トラフ大地震が起きた場合の社会インフラの崩壊について危惧されていたが、決して絵空事ではないと思った。

 上下水道、電気・ガスなどが使えなくなったら社会が機能しなくなることは必至。とても脆い基盤の上で生活していることを自覚して、もしもに備えていく必要があることを改めて思った。

 
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「赤い屋根」の話を掘り進めると金塊にたどり着く

2025年01月27日 | 日記
淡路島からの帰り道、車中で妻は何度も「淡路島へはたくさん行ったけど〈産直市場・赤い屋根〉は知らなかったなあ」と繰り返した。「ひょっとして新しくできたのかもしれない」と言ったら長女は「そんなことないやろ!建物のつくりをみたら今風とはほど遠い、昭和のにおいがプンプンした」と突っ込んだ。「確かにトイレは和式が主で、洋式は後から改修して設置した感じだった。トイレの仕様をみたら建てられた年代が推測できる」と私が補足。「昔からあるのに何でやろ?」と妻は繰り返す。でも、四国へ行くときは淡路南SAで休憩をとったらあとは一気に高松まで神戸淡路鳴門自動車道を走り、津名一宮ICで下りることはないし、地道を走るときは海岸線に沿った国道28号を走るので島の中央部にある「赤い屋根」を通る機会がなかったのは当然だと言った。「それもそうやな」とやっと納得した。

 「でも一度だけ津名ICで下りた記憶がある」と私が言うと「全然覚えていない」と妻。竹下首相が就任した時、地方に1億円をばらまくという施策があり、津名町はその1億円を金塊の導入に使い、「触れる金塊」として町内の「静の里公園」内に展示したのを見るために立ち寄った覚えがある。と言ったが妻は「全く記憶がない」とのこと。もう35,6年前のことだからいたしかたない。長女も中学生の頃だから同行していたと思うが妻同様「記憶にございません」の返事。

 「1億円の金塊」はその後どうなったのかと気になったので帰宅後調べてみた。神戸新聞Next(2022 ・10/10 18:00)の記事『国がバラまいた1億円で金塊を展示した町。あれから約30年、金塊は数奇な運命をたどっていた』が顛末がよくまとめられていて興味深く読んだ。

国がバラまいた1億円で金塊を展示した町。あれから約30年、金塊は数奇な運命をたどっていた

30年ほど前、国から自治体に一律1億円が託される「ふるさと創生事業」が世間をにぎわせました。基金(貯金)などに回す市町が多い中で、淡路島の津名町(現淡路市)が選

神戸新聞NEXT

 


 今度、四国に行くときは淡路南ICで下りて、津名町時代の1989年から2010年5月まで金塊が展示されていた「静(しず)の里公園」に、レプリカの四つの「金塊」が展示されているみたいなので立ち寄ってみたいと思った。

 地方創生ありかたについて改めて考えさせられた「金塊」の顛末であった。
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高松からの帰りは淡路島経由で

2025年01月26日 | 日記
 退職してからは平日に宿泊することが多い。長女の関係で土曜日に泊まったがレオマワールドが併設していることもあり小さな子供や小学生の親子連れでいっぱいだった。朝夕のバイキング会場のにぎやかさは平日のシニア層9割の雰囲気に慣れている身には新鮮に映った。エネルギーが渦巻いているという感じ。大浴場も同じ。ゆったりと湯船につかるというわけにはいかなかった。

 帰りは時間のしばりがないので淡路島経由で買い物をしながらということになった。府中湖スマートICから高松道に入り神戸淡路鳴門自動車道の津名一宮ICまで一気に走った。今までは東浦IC近くの「道の駅 東浦ターミナルパーク」で買い物をすることが多かったが、たまたま出発前に妻に届いた淡路島方面のツアーのはがきに、産直淡路島「赤い屋根」に立ち寄ることが記されていた。津名一宮ICからすぐのところにあり、今まで行ったことがなかったので見聞を広めようということになった次第。

 レオまを出て1時間30分余りで到着。名前の通り「赤い屋根」が目印となり迷うことはなかった。日曜日とあって多くの人が来ていた。
  価格面でも品数でも期待していたほどではなかったようで、玉ねぎスープとみかんを買ったら妻はすぐ隣にある「たこせんべいの里」に向かった。試食コーナーと無料コーヒーにひかれたみたいだ。
  
ここからは地道で淡路南SAに向かい昼食をとることにした。海を右手に海岸線に沿って快適なドライブが楽しめた。淡路南SAは〈下り〉施設はよく入るが、〈上り〉は初めて入った。〈下り〉とは外観も内部も違っていたので少々戸惑った。朝のバイキングと「たこせんべいの里」の試食のおかげで腹は満たされていたので巻きずしを1本買ってみんなで分けて食べた。たまねぎスープが自由に飲めたのがありがたかった。
  
 淡路南SAからは山陽道から新名神に入り高槻ICから島本町の長女の家まではノンストップ。14時40分に到着。明日からの仕事に備えゆとりをもって過ごせる時刻に帰ることができホッとした。責任は果たしたという感じ。 今回はとても効率よくまわることができ、ストレスゼロの旅であった。  
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高松へ義姉を見舞いに

2025年01月25日 | 日記
 妻は5人姉妹の末っ子である。3人の方は他界していて高松で暮らす13歳上のお姉さんだけになってしまった。昨年11月に圧迫骨折のため入院したことを年賀状で知り、見舞いに行くことになった。長女も長く行っていないの一緒に行きたいというので同行した。

 インフルエンザが流行しているため、面会は2人までで15時~17時に15分間という制限があるので、せっかくの機会なので多度津にいる従妹にも会いたいというのでその近辺で昼食を一緒に食べる約束をした。多度津までは4時間余りかかるので約束の12時に間に合うように家を7時45分に出た。

 仕事をしている長女の関係で土曜日出発となったが、仕事車やトラックの数が少なく中国道の吹田ICまで40分ほどであった。平日なら1時間はかかるのでラッキーであった。後は坂出ICまで中国道、山陽道、瀬戸自動車道とひたすら走るだけである。事故渋滞さえなければ予定通り12時に到着できる目途がつきホッと一息つけた。

 宝塚、名塩間で道路改修工事で車線規制があったため渋滞した以外はスムーズに流れた。竜野西SAで一度休憩して12時15分過ぎに待ち合わせ場所に到着して、1時間余りランチをしながら近況を語り合った。

 14時過ぎに「お互いがんばりまた元気に会おう」と暇を告げ義姉の入院する高松日赤病院に向かった。県庁の隣にあり1時間余りで到着できた。妻と長女が面会に行き、その間私はガソリンの補給などをして待機。満タンで出てきたがさすがに高速道路を3時間余り走ると半分以上を使う。

 付き添いをしている姪から物忘れがひどくなっていると聞かされていた妻は「あんた誰?」と言われないかと心配していたが杞憂に終わったようで、15分の予定が倍ほど延びて車に戻ってきた。自分のこともすぐにわかったし、長女のこともちゃんと覚えていて話が弾んだとホッとしたと様子を報告してくれた。「百聞は一見に如かず」である。

 妻の実家の近くの「大江戸温泉物語ホテルレオマの森」に宿泊予約をしていたので向かった。西日を真正面から受けての運転は信号が見えづらく難儀した。17時過ぎに予定通り到着できた。
 7階の部屋からは讃岐富士飯野山をはじめ🍙のような山々が点在する独特の風景が一望できた。




 
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懐かしい風景

2025年01月23日 | 日記
 放課後、小2の孫と寝屋川市民会館3階にある寝屋川市立東図書館に行った。その帰りに隣接する駄菓子屋「ちっちりや」に寄りたいと言った。10円~30円単位で駄菓子を買うことができるので財布に100円玉が入っていればそこそこのおやつが手に入る。今日は500円玉が1枚入っていた。

 買いすぎないようにいつもは店に一緒に入り金額を計算しながらチェックしているが、今日は満員状態だった。私などが入る余地なしである。何度か来ているが入りきれないぐらいの状態は初めてである。

 孫が買い物をしている間外で出入りする小学生の様子を見ていたが、私が小学生の頃に友人とよく通っていた駄菓子屋「東京堂」の風景と同じだと思った。60年以上の隔たりがあるから服装や持ち物は異なるが、自分のささやかな自由にできるお金でやりくりするワクワク感のようなものは同じだ。
 「ちっちりや」以外におやつを買うために行くダイソーやスーパーではセルフレジが多く、機械相手に支払いを済ませることが普通になりつつある。「ちっちりや」のようにおばさんとやりとりしながら支払いを済ます経験は、孫世代には貴重なのかもしれない。
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