素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

読書の秋!三冊並行読みは?

2009年10月29日 | 日記
 「ためらいの倫理学」は残り三分の一になった。内容が難しく、突き当たり突き当たり進んでいる。新しく加わった2冊はいずれも対談本である。2冊に共通している人物が古武術研究者の甲野善紀さん。

 甲野さんの身体論については、スポーツの世界で近年注目を集めていて、サッカーのキックや身のこなしなどでも参考にさせてもらった。4ヶ月ほど前に脳科学者の茂木健一郎さんとの対談本「響きあう脳と身体」を読んでいたので、今回分野の違う二人との対談を読もうと思った。

 一つは、麻雀の元プロで、20年間負けなしの無敗伝説を作り、「雀鬼」の異名をとる桜井章一さんとの対談本『賢い身体・バカな身体』

 もう一つは、今回おなじみの精神科医・名越康文さんとの対談本『薄氷の踏み方』

 もともと、身体については興味があり、自分の体を通して世間でいろいろ言われていることの中で、自分のアンテナにかかったものを試すということをやってきた。30年ほど前に、発達心理学者の河添邦俊さんの講演を聴く機会があった。一番ひかかったのが、つかみで話された「人間は1日に何回大便をするのが正常と思いますか?」という質問だった。正解は「3回」氏に言わせると、ストレスのない犬、猫などは食事をしたら排便していく。だから、人間もストレスがなければ3回食事すれば3回便意をもよおすとのこと。妙に感心した。その後20数年たって、ストレスをうまく処理することができるようになってきたら、河添だんの言っていたことが正しいということがわかってきた。ただし、仕事を進めていく上では、犬、猫なみのストレスのなさでは、すこぶる不便だということも体験した。1日1回の便意に押さえるためにはストレスも必要。

 薄着についても結構自分の体を使って試してみた。20代後半から40歳にかけて、1年中靴下をはかずに過ごしていた。体の冷えと着込むことは必ずしも一致しないことがわかったが、周りの人にはずい分奇異な思いをさせてしまった。

 今も自分なりには体を使って試していることがいくつかある。しかし、他の人からみればとってもくだらないことなので、公表せずひそかにすすめている。なんらかの結論が出たら公表します。

 
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仮想ではありますが、日光街道完歩!

2009年10月28日 | 日記
日本橋から出ている5街道の4つ目、日光街道(日本橋~鉢石 142.8km)を今日完歩した。残りは甲州街道(日本橋~下諏訪219km)である。そもそもこの仮想ウォーキングを始めたのが去年の12月15日だったので、ちょっとがんばると1年間で5街道完歩も可能性がある。

 始めたきっかけは3年生の担任で、2学期の後半からはデスクワークも増え、どうしても運動不足になってしまい、体重の方も86kg、87kgと増加の傾向を示し、ガイドライン90㎏に到達するのも時間の問題となったからだ。一念発起意識的に歩くことにした。おかげで今は79kgあたりをウロウロしている。体脂肪率が17%台に落ち着いているので効果はあったというべきか。油断大敵もほどほどに2009年をしめくくりたいものだ

 
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諏訪哲二著「間違いだらけの教育論」を読み終わる

2009年10月27日 | 日記
 諏訪さんの話は、宝島社から出版された雑誌でよく読んだ。80年代後半から90年代後半にかけてだが、だいたい過激なタイトルがついている。本棚に並んでいるだけでも 子どもが変だ!親を粉砕するやり方ダメ教師殲滅作戦それでもまだ生徒を教育できるのか?教育改革総点検!「日本の教育」改造案プロ教師の学校大論争!プロ教師の管理教育・入門という具合である。

 諏訪さんは熱いものを内に秘めて静かで論理的な語り口という印象があった。久しく氏の書いたものを読む機会がなかったが、KKさんから「過激なとこあるけど面白いですよ」とのコメントがあったので借りることにした。変貌して“カリスマ教育者”たちに喧嘩でも売ってるのかなと興味深く読ませてもらった。

 結論からいえば、諏訪さんは変わっていない。8人の人達をとりあげているが、あれもだめこれもだめ的な荒っぽい話ではなく、教育現場での実践をベースに考えてきた氏の教育観に基づいて検証されている。したがって8人の各氏に対する好感度には差がある。      私の受け取った感じでは、高いほうから並べると苅谷剛彦・西研・内田樹・渡邉美樹・斎藤孝・陰山英男・寺脇研・義家弘介かな

 印象に残った部分(このあたりが諏訪さんの核心?)を抜粋すると

教育を「文化」としての教育(活動)の側だけから眺めると、近代社会がひとに課さざるをえない「啓蒙」としての教育、すなわち、教育そのものの本義を見失うことになる。

教育を考える際に、社会の一単位としての「個人」と、その人それぞれの独自性や個性や内面である「自己」とを区別すべきだと言う。今までの教育においては、「自己」(その内面や独自性)が大切にされてきたが、そのことによって社会に有用な主体的な「個人」や自由な「個人」がつくられてきたわけではないと判断している。

陰山さんはどうやら、子ども(生徒)を「文化伝承の対象としての子ども」としてのみ考え、「主体的人格としての子ども」とはあまり意識していないようである。この「文化伝達の対象としての子ども」と「主体的人格としての子ども」は教育の二律背反とも呼ばれるテーマである。

私は自分が教師だから「先生はえらい」とは言えず。「教師には権威性が必要だ」と言ってきた。指導力や権威性のある人が教師になるべきという合理的な考え方ではなく、すべての教師(公教育の学校の教師)たちに社会は権威性を付与すべきだと主張してきた。

教師は自己の体験を基にしつつ教師になるが、自己を絶対化してモデル化することは避けなければならない。自己の体験を超えた複雑で複合的な人間のイメージをいくつも内面化していなければならない。

教師は生身の個人が生身をさらしてするようなものではない。義家さんの教師認識はあまりにも大雑把すぎて、その語りは教育のリアリティに触れていない。実際の教師の働きは彼の持っているような自分の体験の絶対性や、自己過信に基づく大仰な思い込みによって保証されるのではなく、瞬間瞬間の生徒(子ども、若者)との知的やりとりや情的やりとりや規範的やりとりを通じて、その教師が生徒に何を伝えているか、そして、その生徒が何を受け取っているかによって測られるのである。

「ゆとり教育」には人間はもともと自ら学ぶものだ、そうでなければ人間でないといった強い能天気な確信が前提とされているし、学力中心主義には人間はまず教え込まれないと学ぶ力を持たない、人間は教育によって人間となるのだというある種リアリスティックな認識がある。私自身は後者のほうが前者に先行すべきだと思っているが、かと言って、前者の考えも否定できないという気がする。

理想(理念)と現実とはもともと関係のないものだと言える。理想はとりあえずひとの頭のつくりあげた虚構であり、現実は人間であり、社会であり、歴史であり、生産であり、生活であり、合理も不合理も亡霊もふくまれているような得体の知れない世界の複合的な内実(実体)だからである。

教育者、とりわけ私学の教育者がこういう気高い生き方と産業人としての自立を求めるのはいい。ただし、それは自分の生き方を見せることや、その哲学を語ることによってなされるべきであろう。つまり、教育という営みは総じてそうだが、とりわけ、生き方や倫理にかかわることは、受け取るかどうかは相手(被教育者)の主体性(自由)にまかせるべきであろう。教育者がどんどん提示してもいいと思うが、学習者に受け取るべきことを強制する質のものでない。

 渡邉美樹なる人物は、この本を読むまで知らなかった。すると今日の新聞の広告欄に「勝つまで戦う」(渡邉美樹の超常思考)という本の宣伝が写真入りであるのがパッと目に入った。ああこんな顔の人なんやと思い、キャッチフレーズを見た。今までだったら目に留めずに流していたと思う。また少し自分の世界が広がり、諏訪さんのその後(まだまだ熱いやん)をみたり、世間で耳目を集めている教育者を別の角度から見ることができたりと刺激をもらった。KKさんに感謝。




 
 



 
            
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学校で習った歴史と生に感じた歴史

2009年10月26日 | 日記
 東北の三大半島の旅行では、黒船来航で危機感を持った吉田松陰が下北まで足を運んでいることを知ったし、十三湖で幻の中世都市の話の中でガイドさんが「歴史は勝者の書いたものだけが残る・・・」ということが印象に残った。先の道南の旅では五稜郭の建設も黒船来航とつながっていることを知り、当たり前のことだが、あらためて学校で習った歴史は極めて薄いダイジェスト版だということを思った。

 このことを最初に意識したのは36年前の信州の塩尻である。 

 大学の時、数学科で有志を募って、毎夏信州方面に1週間ほどのキャンプに出かけていた。AKSCCという名前だったと思う。1回生~4回生までが集い、結構規模の大きいイベントとなる。4回生の時先輩から引き継いで世話人になった。

 塩尻の高ボッチ山で1泊目のキャンプを張ったが、その塩尻の町はずれに竪穴住居の遺跡があると聞いたので行ってみた。その時、私の頭の中は“竪穴住居”=“弥生時代”という風になっていた。実際に行って説明板を見ると“平安時代”となっていてビックリ。“平安時代”=“寝殿造り”というステレオタイプの図式が崩れるのを感じた。「平安時代に生活していたのは貴族だけではない。でもそれ以外の人々のイメージが自分の中に浮かんでこない」ということに電気ショックみたいなものを受けた。

 それ以来、民衆の歴史ということも意識するようになったし、いろいろな所に行った時、説明文などをしっかり読み、自分の持っている薄っぺらな歴史の知識に塗り重ねていくようにしている。当然、勝者と敗者それぞれに歴史があるということも考えるようになってきた。

 今、奈良を中心にいろいろまわっているが、知らなかったことが多く、新鮮な刺激を受けている。
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「目覚めよ仏欲!隠れた(宝)寺、教えます。関西の寺」

2009年10月24日 | 日記
 第九の練習に出かけた時、1万円をくずす必要があり、電車の中で読めばいいかと本屋に立ち寄った。平積みコーナーにあった10冊余りの中で、パッと目に入ったのが「目覚めよ・・・」880円と両替えにはちょうど良い値段だし、写真も多く文章も固苦しくなく電車で読むには最適と思い買った。

 ページをめくっていくとこれがなかなかいい。野球でいえば“出会い頭のホームラン”みたいなもの。むずかしい本の合間あいまに楽しんでいる。冒頭のキャッチフレーズ。

 《寺へ行く楽しみはいいろいろ。  
   たとえば、仏像に出合うこと。お堂の中で向き合う空気感や迫力は、
   博物館では決して味わえないもの。

  一歩一歩登る階段の先には、非日常の絶景が待っているし、
  建物や庭を見るときに、くわしい専門知識は不要。
  このカタチ、この角度など、お気に入りを見つけて、あとは好きなだけどうぞ
 
  絵や書はもちろん、調度品もアートだったり、
  まるでテーマパークのように、仕掛けやユーモアある寺も。

  見どころはひとつではなくて、寺の数だけ楽しみ方がある。
  世界遺産もいいけれど、何度も行きたくなるような、
  自分だけの寺、マイ寺を見つけに行こう!》

 私のマイ寺は“新薬師寺”かな、40年ほど前に出合って(当時は今と違って、土壁もくずれかかっていて質素の極みだった。)7年ぐらいのサイクルで行っている。昨日行った安倍文殊院に「大和十三佛霊場国宝・重文の公開と拝観*大和十三佛巡り」のチラシが置いてあり、ちょうど新薬師寺の薬師如来と十二神将のあまりおめにかかれないいい感じの写真が使われていたので嬉しくなって持ち帰った。いろいろな寺を訪れたが、仏像は人間の『心象風景』を表現しているように思えてきた。仏像と対峙しながら、自分自身とも向き合っている感がする。

 あまたの災害、戦火をくぐりぬけ数知れない多くの人をずっと見続けてきたことを思う時、これからも見つづけて行くだろうと思う時、何んともいえない感慨を感じる。特に、明治の初めにあった廃仏毀釈の爪あとを垣間見る時学校の授業では決して感じることはできない歴史の重みを感じる。

 限りある人生という明白な事実。だからどうする?ということを問いかける機会になる。
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