素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「フンコロガシ」はやはりスゴイ!

2013年01月31日 | 日記
 三寒四温ゆゑ人の世の面白し (大橋越央子)  春隣という感じの暖かい日であった。窓を全開にしてフローリングの仕上げの作業ができた。細かいだけに思ったより時間がかかった。電動のこぎりだと10秒で終わる作業が手で切るとなると10分以上かかる。ただ、切っている間に押し入れづくりのアイデアなどが出てきたり、宮大工のひとの話がよみがえったりして能率は悪いが別の良さもある。180cmの長さの切断となると一汗かく。嫌になると昨日『余禄』で読んだフンコロガシの話を思い出しては気をとりもどした。

 フンコロガシのすごさを知ったのは奈良公園の特集番組であった。たくさんの鹿が長きにわたり毎日毎日糞をしているにもかかわらず、観光客などに不快な思いをさせない環境が保たれているのは昼夜を問わずフンコロガシが糞を転がし球状化させつつ運び。地中に埋めて食料にしているということを知った。それまでほとんど無意識であったが、言われてみてハッと気づき。そのすごさに感動した。以来、奈良公園を訪れるたびフンコロガシのことを思い、心の中でエールを送るようになった。

 フンコロガシは和名で正式にはスカラベという。古代エジプト語が語源となっている。『余禄』によれば、古代エジプト人はスカラベという甲虫を崇拝していて、この聖なる虫をかたどったお守りを金や石、陶器でつくり装飾品にしたり、死者の胸に飾り、棺の下に置いて葬るという習慣もあったという。
糞を転がすスカラベ
 王家の谷の壁画に描かれたスカラベ

 また、「昆虫記」で有名なファーブルは40年にわたって観察を続けたことも紹介している。ファーブルは糞の玉を運ぶスカラベが険しい坂で何度転がり落ちてもあきらめず、繰り返しまっすぐ坂を上ろうとする習性に着目した。まっすぐ行くことができるのはスカラベが太陽や月で方向を知るからだということがわかったという。

 それに加えて新発見があったことに『余禄』はふれている。2~3日前に発表されたみたいだが、わたしの目には留まらなかった。ちょっと悔しい。検索してみると確かにありました。

 スウェーデン・ルンド大学(Lund University)などの研究者らと共同研究した南アフリカのウィットウォータースランド大学(University of the Witwatersrand)の生物学研究チームは、地元のプラネタリウムで夜の空を再現し、フンコロガシの行動を観察した。その結果、脳は小さく、視力は弱いフンコロガシが、天の川の星々の光を頼りにまっすぐ進み、ふんを奪い合うライバルのいる場所に円を描いて戻らないように移動していることが分かった。

 フンコロガシは人工の光よりも、太陽、月、銀河の光を好むようだ。天体ははるかかなたにあるためフンコロガシにとっては動いていないように見え、固定された基準点になる。

 アザラシや一部の鳥や人間が星を道しるべにすることは知られているが、天の川を手掛かりにすることが報告されたのはフンコロガシが初めて。同じ研究チームは以前、フンコロガシが方位を知るための光源を探すために、丸めたふんの上に登ってちょっとしたダンスのような動きをすることを発見していた


 月のないまっくらな夜は天の川のあかりを道しるべとしてまっすぐ糞を転がしていることに驚いた。とともに古代エジプトから宇宙まで壮大な時間と空間を生きているということに素直に感動した。

 奈良公園だけでなく砂漠など地球上のあらゆる場所で営々と糞を転がし続けているのである。その環境をコンクリートなどで固めてこわしているのは人間である。そうして犬の散歩でみんなビニール袋を下げないといけなくなっている。昔にもどれとは言わないが、せめてフンコロガシの活躍する場は残すという心配りは必要だと思う。便利さと清潔だけを追い求めていると大切なものを失ってしまう。

 あらためて思い直した次第である。
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一日中、大工仕事でした~フローリングにチャレンジ

2013年01月30日 | 日記
 下の娘が置いていた荷物がやっとすべて新居へと運ばれ、使っていた部屋が空っぽになった。20年余り敷きつめられていたカーペットは色もまだら、しみもたくさんできている。物が無い分汚れが際立つ。

 妻は和室にしたいと前々から言っていた。しかし、もともとウォーキング・クローゼット用のスペースを子供部屋に改装した部屋なので形が長方形すぎて和室には少し苦しい部分がある。そこで、半分くらいをユニット畳にして、のこりを洋間にする和洋折衷を提案した。

 できることなら業者を入れずに自分でやってみたいという希望を言ったが「本当にできるの?」と不安げな様子。それでも諦めず色々な案を話したがもともと妻にとっては関心の薄い世界のことうるさく感じたのか、「そんなに言うのなら任せます」ということで打ち止めになった。

 今日は朝早くから誰もいないのでトンカチするのに好都合。まずカーペットをはがす。ほこりのすごさにはまいる。次にフローリング材を調達にビバホームへ、店員さんに貼り方のポイントと必要な道具を尋ねる。「このごろはネットの動画でけっこうありますからしっかり見てからがんばってください」と心配そうな様子。初歩的な質問ばかりだから当然だろう。帰ってからネットの動画でにわか勉強。イメージとポイントをつかむ。

フローリングDIYしてみた


 実際やってみると結構力がいる。電動工具がないので調整の切断はすべてのこぎり。これが大変。直線で、しかも表面に傷をつけてはいけないので神経を使う。腕がパンパンになった。ジムのトレーニングよりきついかもしれないと思ったぐらいだ。夕方にはほぼ予定していた部分は出来上がった。残ったところにユニット畳が入る。その後微調整をすると完成。ユニット畳の到着は2月中旬の予定なのでそれまでは納戸を押し入れに改造したりカーテンに替わるものを考えなければいけない。

 思ったよりきれいに貼ることができた。苦労した甲斐はあった。

フロア材9960円・ボンド798円・フロアー釘128円・手間賃、日当0円 合計10886円安くつきました。

  
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もう一度「ラジオ体操」を

2013年01月29日 | 日記
 2週間前から、毎週月曜日にジムのスタジオレッスン「はじめまして、ピラティス」に参加している。3か月に一度測定している″Look in Body”で前々から体幹部分の筋肉量が手足と比較すると劣るということを指摘されていたので前回11月の測定後自分なりには体幹エクササイズなども参考に取り組んでみたが、1月の測定でも体幹部分に変化がなかった。トレーナーから「一度、スタジオのピラティスをやってみたらどうですか?」とすすめられたのがきっかけである。

 やはり自己流ではだめである。ということがよくわかった。仙骨で座る(骨盤が立っている)ということがしっくりきてなかったが、だんだんと感覚的にわかってきた。ゆっくりした動きだが体にはじんわりときいてくる。

 そんな時、整形外科医でスポーツドクターでもある中村格子さんが話されているのを偶然テレビで見た。「ラジオ体操は計算し尽された″究極の運動”だった」ということを実演をまじえ、ポイントを押さえながら解説されていた。

 3分余りの短時間に、すべてのスポーツに共通する重要な動きが凝縮されているということがよくわかった。ストレッチとピラティスに加えてラジオ体操も組み込めば効果的やなと思った。中村さんはラジオ体操の効果を高めるポイントを3つあげた。

 ⑴自己流はいけない。必ずポイントを確認してから行う

 ⑵使う筋肉を意識しながら動く
 
 ⑶ダラダラやらず、テキパキと元気よく動く

 特に⑴は私には耳の痛いこと。小学校5,6年の時文部省の体育の研究指定校であったのでラジオ体操もけっこう基本を押さえて鍛えられたが私は隙があれば手抜きをしていた。この際、もう一度13の動きのポイントをしっかり確認して、もう一度ラジオ体操を!とDVD付きの中村さんの本「実はスゴイ!大人のラジオ体操」(講談社)を買ってきた。

 

 
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デジブック 『もう一度清水寺へ』

2013年01月28日 | 日記
 昨夜、届いたばかりの情報カタログ『月刊茶の間・2013・2淡雪号』(宇治田原製茶場)を見ていた。特集は″冬の京都で大人の修学旅行”をテーマに「もう一度、清水寺へ」「一度は泊まりたい憧れの名宿」「大河ドラマのヒロインを知る旅へ・新島八重と明治の京都」であった。

 中でも雪化粧の清水寺の写真とともに京都観光おもてなし大使の小嶋一郎さんの案内を読んでいたら、「清水寺界隈はよく歩いているが中に入ったことは修学旅行以来ないのでは?その記憶はほとんどのこっていない。テレビなどでも季節季節の話題でよく見てはいるが、自分の体を通していないな。」という思いが湧いてきた。

 そんな時、仕事から帰った息子が寒そうにしながら「雪やで」といいながら部屋に入ってきた。夕方から雨戸を閉めているので外の様子はさっぱりわからなかったが、言われて玄関のドアをあけてみると隣の屋根やガレージの屋根は真っ白。「ほんまや、いつのまに降ったんやろ真っ白や」と言うと明日、車で知人と出かける約束のある妻はあせり始めた。雪が降ってるわけでもないし、道路までは白くなっていないから大丈夫やろと答えた。

 外の景色を見ながら「よし明日、清水寺に行こう!」と決めた。

 この辺でもほんのり雪化粧だから京都はもっと白いはずと考えた。これは大外れであった。時折、小雪が舞う程度で『茶の間』にあった雪化粧の清水寺にはお目にかかれなかった。

 自転車で行くというのは自重。京阪電車を使った。七條で降りて正面通りから路地裏を歩いて東山五条に出て茶わん坂を上り清水寺へ、1時間余りかけてじっくり回った。空間を最大限生かした伽藍の配置の巧みさに感服した。ものすごい構想力である。帰りは清水坂を下ったが、八坂の塔がチラリと見えた瞬間、路地裏探訪となった。八坂の塔にはひきつけられる。

デジブック 『もう一度清水寺へ』
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金子兜太著『荒凡夫 一茶』

2013年01月27日 | 日記
 本屋をブラブラしていた時「荒凡夫」という文字が目に飛び込んできた。そしてその下に「一茶」と続く。一茶といえばやれ打つな蠅が手をすり足をする”やせ蛙負けるな一茶これに有り”雀の子そこのけそこのけお馬が通る”などから「弱いものへのいたわりを持つ素朴な好々爺」というイメージを勝手につくっていた。それと「荒凡夫」というものが結びつかなかったのである。どういう意味だろう?ということを知りたくて衝動買いをしてしまった。

 93歳になる金子さん、プロローグで「荒凡夫」についてこう書いている。

 最近私は、あちこちで″生きもの感覚”という言葉を口にしています。これは自分勝手な命名ですが、そう名づけるまでには、かなりの時間がかかりました。どうやらこの言葉は、私の俳句人生を考えるうえでのキーワードになっているようだ、と感じています。

 そういうことになぜ気づいたのか、また自分が″生きもの感覚”と呼び、自分にとってそれが大事な考えだと認め、いたわるようになった経緯はどのようなものだったのか・・・・。″生きもの感覚”という言葉と今の私との関係を語るとき、その存在を抜きにしてはとても語りきれない、そういう存在が、小林一茶です。私が″生きもの感覚”について考えるようになったことと、「荒凡夫」としての一茶を発見したことは、大いに関係しています。


 金子さんがどのようにして「荒凡夫 一茶」に出会い″生きもの感覚”を見出すようになったのかを90歳を超えた現在の心境を織り交ぜながら一茶の言う「荒凡夫」と″生きもの感覚”について書かれたものである。

 金子さん自身の足跡を辿ったうえで一茶の生涯とつくられた句を振り返ることで「荒凡夫」についての吟味をし、最後に現在の金子さんが大事にしている″生きもの感覚”についての話という構成になっている。

 今、半分ほど読み進んできて、私の抱いていた一茶像は音をたてて崩れているところである。既成概念を丹念に調べ上げられた事実、資料で壊されるのは快感である。

 「荒凡夫」という言葉は亡くなる5年前の60歳になった時につくった「まん六の春と成りけり門の雪」という句の添え書きに出てくる。浄土真宗の熱心な門徒であった一茶は阿弥陀如来に向けて「自分を荒凡夫として生かしていただきたい」と頼んでいるのである。さらに同じ添え書きに「自分は俗物だ」「愚である」そして五欲兼備、煩悩具足だと書いている。これを金子さんは、欲の塊である自分は、今までの六十年間、煩悩のままに、愚のうえに愚を重ねて生きてきた。これからも愚を重ねて生きていくしかない、そういう「荒凡夫」でありたい。これ以上の生き方はできない、清く美しい心でという生き方はとても無理だから、この欲のあるがまま生かしてください。と受け止める。ただ一方で金子さんは一茶の中に非常に「美しい」本能の働きも見る。この欲と美の絡みあったところに人間・一茶のおもしろさを感じ魅力があるという。

 そこで一茶は「荒」を「粗野な」「荒っぽい」ぐらいの意味で使ったかもしれないがとことわったうえで、金子さんは「荒」を「自由」という意味に取るのである。したがって「荒凡夫」の金子流の定義は「平凡で自由な男、平凡で自由な人間」となる。

 後半は一茶の句をひもとき、芭蕉とも対比させながら「荒凡夫 一茶」を深めていってくれるとわくわくしている。

 
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