素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

8月が終わった

2024年08月31日 | 日記
 私の中では28日のLook'in Bodyで8月は終わっている。体力、知力、気力の目減りを抑え、現状維持を目標にして3年半。その目安の1つにしているのがほぼ3カ月ごとに行われているジムでの「Look'in Body測定」である。環境の変化に応じて調整していく力はずい分付いたと思っている。

 最後の3日間は迷走台風10号のおかげでいい意味での休養になった。幸い私の住んでいる地域だけはエアポケットみたいに雨も少なくテレビで流れる各地の様子とは乖離していた。不思議な台風だった。月曜日には棚の上に置いていた鉢を降ろして万全の態勢で待ち受けたが肩透かしを食らった。今さらながら、四国山地、紀伊山地、鈴鹿山脈と生駒山の配置による風の流れの妙を感じた。

 台風らしい風雨に見舞われなかった幸運に感謝。

 私が小、中学生の頃は8月の最後の週は長い休みの終わりを感じ何となく憂鬱な気持ちになったが、昨今んは2学期の始業が早まり寂寥感に浸ることも無くなったようだ。孫は26日(月)から登校。台風による休校を期待していたみたいだがこれも肩透かし。

 台風が自力では進めないということがものすごくよくわかった。伊勢湾台風が引き合いに出されるほどの強さを持ちながら迷走、停滞する姿を目の当たりにすると哀れさも感じた。

 とにもかくにも長い8月は終わった。心機一転自力で前に進もうと思った。
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Lookin'Bodyの測定で8月の締め

2024年08月28日 | 日記
 明日から3日間、ジムは休館日。超低速となった台風10号は当初の予想から贈れ週末に近畿に最接近するようなのでジムにとっては好都合。
6月、7月、8月の3ヶ月の締めとしてLookin'Bodyの測定をした。この3ヶ月、自分としてはチョコチョコとこまめに取り組み夏バテを感じないで過ごしたと思っているが、数字ではどう出るか興味のある所である。
 プリントアウトされた結果を見て「夏ヤセ!?」とひと声。たんぱく質の摂取を意識して骨格筋量を増やすことを試みたがやや減となった。上半身の筋トレを増やす必要があるのかと思った。体脂肪量は目標通り減ったので取り組みには手ごたえを感じた。
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出会いと別れ

2024年08月26日 | 日記
 明治17年生まれの山本五十六、東条英機、石橋湛山のような大物ではないが、ジムにも昭和26年生まれ三人衆がいた。ジムではどんな仕事をしてきてどういう暮らしをしているかということは本人が言い出さない限り話題にしないという不文律がある。

 たまたま同じ曜日の同じ時間帯にトレーニングをしているとしだいに顔なじみになってくる。たまたま東京オリンピックの話題になった時に前回1964年の東京オリンピックの思い出話になった。その時に、私を含めて中学生だったのが3人。生年を確かめると3人とも昭和26年生まれとわかる。以来26年3人衆として親しく話をするようになった。

 畑や花づくりに勤しんでいた方が1年前に腰痛の悪化でジムを退所した。時々、犬の散歩をしている姿を見かけるが、ジムに復帰するまでは回復していないみたいだ。

 そして、今日、もう一人の方が「8月で、ジムを退所するわ」とトレーニングルームに入った私を見てすぐに話しかけて来た。大阪市内から星田に移り住んだ方で、前々から終の棲家を今探していると話していたので「見つかったんか?」と尋ねると西宮北口に気に入った物件があったとのこと。

 阪神、JR,、阪急と交通の便が良くて、海も近いということで以前から最後はここで暮らしたいと思っていたと満足気に話していた。引っ越しは9月中旬だそうだ。

 出会いと別れを繰り返すのが人生である。新天地で充実した生活を送ることを祈り別れを告げた。
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明治17年生まれの3人

2024年08月25日 | 日記
 台風10号、誕生した頃は大阪直撃コースの予想が、日を追うごとに西寄りのコースに変わってきている。太平洋高気圧の勢力が予想以上に強いせいかもしれない。その分、暖かい湿った空気が入り込み強い日差しと相まって各地にゲリラ豪雨をもたらしている。これまでは他所ごとのニュースと見ていたが、今朝8時過ぎ雷鳴とともに豪雨に襲われた。

 幸い30分余りで回復したが、この調子で1時間以上降り続いたら道路の低い部分は冠水するだろうなと思った。日射しが戻ると息苦しい暑さとなった。今年の夏は避暑にジムを大いに利用させてもらった。今日も13時過ぎから15時30分までトレーニングで汗を流す。有酸素運動の時Spotifyで気分に合った音楽を聴きながらとなるが、今日は足に疲れを感じたのでゆっくりペースにした。聴くのも音楽ではないものを体が欲した。そこでNHKラジオ「らじる★らじる」の聴き逃し配信から探した。

 目に留まったのが、「カルチャーラジオ 保阪正康が語る昭和人物史」(毎週月曜よる8時半・R2放送)のスペシャル版、「日本の敗戦、そして復興 〜明治17年生まれの功罪〜」であった。8月15日に放送されたもので「まもなく配信終了」とあったのでこれに決めた。

 明治17年生まれの3人とは、戦中戦後に色々な形で名を遺した山本五十六、東条英機、石橋湛山である。個々については知っていたが同じ年に生まれていたことは知らなかった。10歳の時に日清戦争、20歳の時日露戦争がある中で、その出自や教育により歩んだ異なる人生と山本の「ロンドン海軍軍縮会議」、東条の「大詔を拝し奉りて」、初公開となった石橋の「日本再建の方法」の音声記録を通して、日本がいかにして敗戦に至り、再建を果たしたのか、その歩みをあらためて考えた内容は興味深かった。

 
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父と戦争

2024年08月24日 | 日記
 新川和江さんの訃報がきっかけで、父(1924~2017)や母(1929~ )と同時代に生きた4人の女性についてあらためて考えた。青春時代に「戦争」を体験したことがその後の生き方に大きく関係していることを痛感した。多くを語らなかった父であったが、同じように心の底に「戦争」を抱えていた。

 そのことを痛切に思ったのは、2016年秋に実家に帰った時、母から三重県退職校長会の近況報告集『いきがい』 に毎年父が寄稿したものをまとめてくれないかと頼まれて小冊子を作った時だった。

「はじめに」で経緯を書いた。
 【父が退職をした昭和58年に、三重県退職校長会の近況報告集『いきがい』 の発刊が始まった。したがって父は2号からの参加である。応接間の本棚には2号から34号までがきちっと並べられている。几帳面さだけは誰にも負けない。3号だけは近況報告集ではなく各支部活動の報告で2枚の紙を二つ折りにした簡単な新聞だがそれもきちっと保管されている。

近況報告を毎年欠かさずに投稿してきたのも几帳面な父らしい。葉書き1枚で送る200字足らずの文だが30余年継続すると値打ちが出てくる。

『いきがい』を今流行りの生前整理とかで、ひもでくくって片付けてしまうのは惜しいと思い、小冊子にまとめることにした。合わせてその年の出来事も併記してみた。これは私の趣味(=いきがい)である。父の知らなかった側面を垣間見ながらの大変楽しい作業となった。】

 私としては、
        ♦       ♦       ♦
 九十二歳も半ばを過ぎました。歩くのが不自由になり困る事が多くなっ
ています。内科的には異状なく、どうにか毎日が過ぎていく感じです。
 “いきがい”の配布が待ち遠しく、皆様の記事を読むのを楽しみにして
います。                   (平成28年・第34号)

        ♦       ♦       ♦
と近況報告を書いている父を励ましたいという思いが強くあったので「はじめに」を次のように締めくくった。
【平成28年以後に8つの空欄をあえて作っておいた。その心は百歳まで投稿して欲しいという願いである。
 こういうことを言うと、困った様な顔をして「もう今年の冬は越せない」と苦笑いするだろう。

 しかし、日野原重明さんは105歳で『僕は頑固な子どもだった』という自叙伝を著した。「一〇三歳になってわかったこと」という年間大ベストセラーの著者・篠田桃紅さんは雑誌ハルメクに「ほんの無駄話」という連載を始めている。脚力は落ちても思考力、記憶力は負けていないと思う。この続編をつくることを楽しみにしている。  2016年10月】


 私に父の退職後の断片をまとめてくれないかと言ったのは65年余り連れ添ってきた母が虫の知らせのようなものを感じ取ったからかもしれない。その年の12月8日に肺の具合が悪くなり救急車で志摩病院へ入院した。奇しくも太平洋戦争の開戦の日だった。翌年1月10日に退院して「志摩の憩」に入所して2月6日に亡くなった。

 ここ5年ほどは小冊子を開いていなかった。この夏戦争についていろいろ考えさせられたこともあり、もう一度じっくり読んでみた。あらためて父にとって戦争は重いものだったと感じた。

 去る四月、退教互主催の沖縄旅行に参加した。秘境西表島でのマン   ・バルセロナ五輪
グローブの茂る川上り、水牛車に乗っての海峡渡り等、沖縄ならでは   ・「のぞみ」運転開始
の旅を満喫。                            ・山形新幹線開業
 本島では、摩文仁の丘、ひめゆりの塔など、南部戦跡を訪ねたが、   ・ハウステンボス開園
わずかに復元最中の首里城跡に、わが心の中に生き続けていた戦禍を   ・育児休業法施行
偲ぶのみであった。旅を終えて今はただ復帰二十年の沖縄に全基地返
還の日の一日も早からんことを念じている。 (平成4年・第10号)
        ♦       ♦       ♦
師範卒業五十周年という記念すべき年を迎えた。この機会に第一回   ・雅子さん「結婚の儀」
同窓会誌、その名も当時を偲ぶにふさわしい“進軍”をМ君の好意と   ・レインボーブリッジ開通
熱意で再発行していただけた。五十年前の青春、友情を今しみじみと   ・サッカーJリーグ開幕
懐かしく思いおこし、感無量である。若くして国の為散華した友、又、  ・EU発足   
すでに鬼籍に入った友を思うにつけ、今健康でいられる自分の幸せを
感謝し、精一杯生きていきたい。 (平成5年・第11号)
        ♦       ♦       ♦ 
戦後五十年の節目の年に同窓生、森岡清美氏の著書「若き特攻隊員   ・阪神淡路大震災
と太平洋戦争」を読む機会を得た。                  ・地下鉄サリン事件
 若き特攻隊員が出撃を前に、親、兄弟、恋人などへの思いを切々と   ・第一回今年の漢字は震
綴った手記をもとに、特攻の真実の姿を後世に残すべく、彼らの群像   ・公立学校
を描いた本著に深い感銘を受けると共に、同じ決死の世代に生き残っ      第二第四土曜休
た者のひとりとして、日々精一杯生きていこうと思う昨今である。(平成7年・第13号)
        ♦       ♦       ♦
三月上旬、知覧特攻平和会館を尋ねる機会を得た。太平洋戦争末期、 ・シドニー五輪
幾多の若者達が、再び還らざる特攻出撃に飛び立っていった飛行場跡  ・有珠山噴火
に建てられた会館である。館内には、若き隊員の遺影、遺品、生死の  ・新2000円札発行
狭間に揺れながら、切々と綴ったであろう遺書の数々に、深く胸を打  ・金融庁発足
たれた。「完全ナル飛行機ニテ出撃致シ度イ」と書かれた遺書は今も私  ・今年の漢字は「金」
の脳裏から離れない。 (平成12年・第18号)
        ♦       ♦       ♦
昨年秋、かねての念願であった上田市に窪島誠一郎氏によって建てられ ・アテネ五輪
た戦没画学生慰霊美術館「無言館」を訪ねた。ここには、日中、太平洋戦 ・裁判員制度法成立
争で亡くなった画学生約四十名の遺作、遺品が展示されている。志半ばで ・新潟県中越地震
無念の死を遂げた、芸術の若き使徒達のひたむきな情熱が絵を通して切々 ・イチロー最多安打262
と語りかけてくるのを感じ瞼が濡れた。一度は訪ねていただきたい美術館 ・今年の漢字は「災」
である。                   (平成16年・第22号)
        ♦       ♦       ♦
 一月、辺見じゅん原作の映画「男たちの大和」を見ました。生存者の回 ・トリノ冬季五輪
想から始まり、家族との別れ、生死を共にする士官と部下、同僚との絆、 ・しまなみ海道全線開通
壮絶な戦闘シーン、涙なくしては見られない映画でした。私の先輩、坪井 ・男子の皇族41年ぶりに誕生
さんは大和生存者のひとりですが、語り部として平和教育に尽力されてい ・阪急、阪神が経営統合
る記事を教組新聞で拝見し、同じ世代を生きた者として平和への願いを新 ・今年の漢字は「命」
たにしました。                (平成18年・第24号)
        ♦       ♦       ♦
 一年後輩の上出芳照君の死亡叙勲を新聞紙上で知った。彼は豊橋陸軍予 ・オバマ氏米大統領に就任
備士官学校同期生であり、広島原爆被爆者でもある。彼とは原爆投下後の ・裁判員制度スタート
悲惨な現状、生死の境をさ迷った闘病生活の辛さを聞く機会があり、唯一 ・国内46年ぶり皆既日食
残った八時十五分を指す腕時計を拝見した思い出がある。私は七月末広島 ・民主党政権樹立
から鳥取部隊へ復帰し被爆を免れた。今日ある幸せと平和への願いを新た ・今年の漢字は「新」
に、彼の冥福を祈る次第である。       (平成21年・第27号)
       ♦       ♦       ♦
 私は昭和十九年十二月、豊橋陸軍予備士官学校に在校中、東南海地震に ・大相撲八百長問題で
遭遇、激しい揺れに這うようにして舎外に出た。故郷浜島は津波に襲われ、     春場所中止
家族はてんでに高台に避難し一息した直後、中風で寝たきりの祖父を置き ・九州新幹線全線開通
去りにしたことに気付き大慌てで担架で運んだと聞かされた思い出がある。・東京スカイツリー完成
今回の東日本大震災の惨状は目を覆うものであり、自然災害の脅威を再認 ・東日本大震災
識した。                  (平成23年・第29号)・今年の漢字は「絆」          



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