びわ湖湖畔を走るコースでは最後となる第76回びわ湖毎日マラソン大会はハイレベルな面白いレースとなった。
朝刊のテレビ欄の下に過去の名ランナーの走る姿を入れた大きな広告があった。日本で一番古い歴史を持つ大会だと実感する。振り返れば、中学高校生の頃が一番ワクワクしてスポーツをテレビ観戦していた。選手や場面の記憶も鮮明である。当時、全日本実業団駅伝は伊勢神宮と賢島を往復するコースで行なわれていた。実家の下を通る道路がコースになっていたので身近に選手を見ることができた。家から300mほどの磯部駅(現在は上之郷駅)の前が往路の中継点で、そこから一番の難所五知峠を越えて鳥羽、二見、伊勢神宮へと向かっていく。各チームともエースをその区間に置くのでオリンピックなどで活躍した選手が走る。自衛隊体育学校の円谷、八幡製鉄の君原、クラレの寺沢、九電工の佐々木などが目の前を駆け抜けて行った。いまだに耳に残っているのが円谷選手のすぐ後ろにいたチームの選手に伴走車の監督が大声で「円谷にはついて行くな!円谷にはついて行くな!」と連呼していた声だ。当時は変な指示だと思ったが、今思えばオーバーペースになってしまうことを恐れての必死の呼びかけだったのだ。それだけ円谷の走力は図抜けていた。
マラソンは気象条件との闘いでもある。瀬古選手がオリンピック代表をかけて走った時は季節外れの暑さに苦しめられた。曰く付きの選考レースだっただけに好条件で誰もが納得するタイムで優勝したかったと思う。平凡なタイムの優勝で代表に選ばれたがしこりは残った。風もびわ湖マラソンでは選手を苦しめる。今回は、温度、風、日差しともすべて選手に味方した。中身の濃い走力勝のレースを久しぶりに味わった。陸上競技場のトラックに入ってからは4分台が出るかどうか?と久しぶりにハラハラドキドキした。
これまでの記録を33秒縮めて日本人初の4分台でフィニッシュした。33秒差というのは1kmのラップで言えば1秒にも満たない0.8秒弱の違いである。42.195kmという長い距離であるだけ1km、ikmのわずかな差の積み重ねが大切になってくる。今回はペースメーカーの時間設定を1km2分58秒に会議で決めたそうだ。最近はだいたい3分に設定されてきたのではないかと思う。これだと2時間6分35秒でのゴールとなる。2秒縮めることで2時間5分台前半が期待できたのだが、それを上回る成績を出したことは見事の一語に尽きる。
一人だけの快挙ではなく他の選手も好記録続出で底上げされた感のある結果に、今までとは違うなという思いを強くした。
中でも、10位に入った川内選手、やっぱり力はあったんやと失礼ながら再認識した。
完全休養日にしておいて良かった。でなければこれほど余裕を持ってレースを楽しむことはできなかったろう。
朝刊のテレビ欄の下に過去の名ランナーの走る姿を入れた大きな広告があった。日本で一番古い歴史を持つ大会だと実感する。振り返れば、中学高校生の頃が一番ワクワクしてスポーツをテレビ観戦していた。選手や場面の記憶も鮮明である。当時、全日本実業団駅伝は伊勢神宮と賢島を往復するコースで行なわれていた。実家の下を通る道路がコースになっていたので身近に選手を見ることができた。家から300mほどの磯部駅(現在は上之郷駅)の前が往路の中継点で、そこから一番の難所五知峠を越えて鳥羽、二見、伊勢神宮へと向かっていく。各チームともエースをその区間に置くのでオリンピックなどで活躍した選手が走る。自衛隊体育学校の円谷、八幡製鉄の君原、クラレの寺沢、九電工の佐々木などが目の前を駆け抜けて行った。いまだに耳に残っているのが円谷選手のすぐ後ろにいたチームの選手に伴走車の監督が大声で「円谷にはついて行くな!円谷にはついて行くな!」と連呼していた声だ。当時は変な指示だと思ったが、今思えばオーバーペースになってしまうことを恐れての必死の呼びかけだったのだ。それだけ円谷の走力は図抜けていた。
マラソンは気象条件との闘いでもある。瀬古選手がオリンピック代表をかけて走った時は季節外れの暑さに苦しめられた。曰く付きの選考レースだっただけに好条件で誰もが納得するタイムで優勝したかったと思う。平凡なタイムの優勝で代表に選ばれたがしこりは残った。風もびわ湖マラソンでは選手を苦しめる。今回は、温度、風、日差しともすべて選手に味方した。中身の濃い走力勝のレースを久しぶりに味わった。陸上競技場のトラックに入ってからは4分台が出るかどうか?と久しぶりにハラハラドキドキした。
これまでの記録を33秒縮めて日本人初の4分台でフィニッシュした。33秒差というのは1kmのラップで言えば1秒にも満たない0.8秒弱の違いである。42.195kmという長い距離であるだけ1km、ikmのわずかな差の積み重ねが大切になってくる。今回はペースメーカーの時間設定を1km2分58秒に会議で決めたそうだ。最近はだいたい3分に設定されてきたのではないかと思う。これだと2時間6分35秒でのゴールとなる。2秒縮めることで2時間5分台前半が期待できたのだが、それを上回る成績を出したことは見事の一語に尽きる。
一人だけの快挙ではなく他の選手も好記録続出で底上げされた感のある結果に、今までとは違うなという思いを強くした。
中でも、10位に入った川内選手、やっぱり力はあったんやと失礼ながら再認識した。
完全休養日にしておいて良かった。でなければこれほど余裕を持ってレースを楽しむことはできなかったろう。