先日、銀行めぐりをした結果、少しばかり余裕があることがはっきりしたのでR銀行の外回り担当であるNさんにNISAのことなど投資信託のことを相談に行った。今年のゴールデンウィークは後半の3日からの4連休がメインであることからATMは結構混んでいた。
ブラジル、トルコなど勢いのあった新興国はアメリカの金融政策の転換で先行き不透明感が増して来た。特にブラジルはワールドカップを前に時々流れてくるニュースでも不安定さを感じる。3年ほど前には想定できなかったことである。やはり、なんだかんだ言ってもドルが強いということとリート市場は注目で落ち着いた。ドル建ての商品を購入することになり事務手続きをするかたわら、突然Nさんが「先生していたんですね?小、中、高のどこですか?」と尋ねてきた。「中学ですよ」と答えると「中3の娘に手をやいているんですよ」と話し始めた。
姉はなんの苦労もなくスーッと高校生になったが、妹の方は中学に入ってからドンドン反抗的になってきて戸惑っているというのが正直なところだという。元々は「ママ、ママ」とお母さんっ子だっただけに「なぜ?」という思いも強く悩んでしまう。最近は何か言うと「うるさい」「うざい」しか返ってこないし、先日は家の壁に穴をあけていて唖然としたという。「家の壁って薄いねんな、ちょっとけったら穴があいてしまった」と本人はケロリとしている。学校からは毎日、「授業を抜けた」などと良からぬ行状の報告が電話で入るのでまいってしまう。と一気に吐き出した。
担当になって2年近くになるが、私生活のことを口にすることはなかったので余程ストレスが溜まっているのだなと思った。チャキチャキとした方などで高校生と中学生を持つ母という感じはなかった。最近、左手の薬指の指輪に気づき「ああ結婚したのだな」と思っていたぐらいだ。近頃の私の周りはご年配のご婦人が多いので40代ぐらいの人はとっても若く見えるという時差ボケならぬ年齢ボケであることはまちがいない。冷静にジムの中高生の母であるスタッフの方達と比べてみるとNさんが中3の娘のことで悩んでいるということも意外なことではない。
「何かいい方法はありますかね?」という質問には答えを窮する。どこの学校で、どんな友達がいて、どんな性格で、何が好きで、小学時代はどう過ごし、夫婦関係はどんなんで、姉はどんな感じで、通っている中学校の雰囲気や担任はどんな感じであるかななど何も情報がない中では考えることもできないし、Nさんも答を求めているわけではないだろう。誰かに心の内をぶちまけて聞いてほしかったというところだと思った。傾聴ボランティアという言葉を思い浮かべた。
それでも、何も言わないと場がおさまらないので、姉との比較はしない。なぜ?を追求しない。そして自分の育て方が悪かったと結論づけない。つかず離れずの関係を保ち時を待つ。のようなことを一般論として話した。Nさんは最後に「因果応報やおもてます。私も親にとっては良い子じゃなかったから」と明るく笑って、元の銀行員にもどった。
みんな何かをかかえながら、それでもどっこい生きているのだと、現場にいた頃は日々感じていたことを久しぶりに思い出しながら自転車を走らせた。しんどいと言われる子の保護者と接する時は、自分が「共感性の高い想像力」を持っているかどうかが試されていると思い、心して接していかなければいけない。言うは易し、行うは難しであるが。イマジネーションを高める努力は怠ってはいけないだろう。自戒を込めて。
ブラジル、トルコなど勢いのあった新興国はアメリカの金融政策の転換で先行き不透明感が増して来た。特にブラジルはワールドカップを前に時々流れてくるニュースでも不安定さを感じる。3年ほど前には想定できなかったことである。やはり、なんだかんだ言ってもドルが強いということとリート市場は注目で落ち着いた。ドル建ての商品を購入することになり事務手続きをするかたわら、突然Nさんが「先生していたんですね?小、中、高のどこですか?」と尋ねてきた。「中学ですよ」と答えると「中3の娘に手をやいているんですよ」と話し始めた。
姉はなんの苦労もなくスーッと高校生になったが、妹の方は中学に入ってからドンドン反抗的になってきて戸惑っているというのが正直なところだという。元々は「ママ、ママ」とお母さんっ子だっただけに「なぜ?」という思いも強く悩んでしまう。最近は何か言うと「うるさい」「うざい」しか返ってこないし、先日は家の壁に穴をあけていて唖然としたという。「家の壁って薄いねんな、ちょっとけったら穴があいてしまった」と本人はケロリとしている。学校からは毎日、「授業を抜けた」などと良からぬ行状の報告が電話で入るのでまいってしまう。と一気に吐き出した。
担当になって2年近くになるが、私生活のことを口にすることはなかったので余程ストレスが溜まっているのだなと思った。チャキチャキとした方などで高校生と中学生を持つ母という感じはなかった。最近、左手の薬指の指輪に気づき「ああ結婚したのだな」と思っていたぐらいだ。近頃の私の周りはご年配のご婦人が多いので40代ぐらいの人はとっても若く見えるという時差ボケならぬ年齢ボケであることはまちがいない。冷静にジムの中高生の母であるスタッフの方達と比べてみるとNさんが中3の娘のことで悩んでいるということも意外なことではない。
「何かいい方法はありますかね?」という質問には答えを窮する。どこの学校で、どんな友達がいて、どんな性格で、何が好きで、小学時代はどう過ごし、夫婦関係はどんなんで、姉はどんな感じで、通っている中学校の雰囲気や担任はどんな感じであるかななど何も情報がない中では考えることもできないし、Nさんも答を求めているわけではないだろう。誰かに心の内をぶちまけて聞いてほしかったというところだと思った。傾聴ボランティアという言葉を思い浮かべた。
それでも、何も言わないと場がおさまらないので、姉との比較はしない。なぜ?を追求しない。そして自分の育て方が悪かったと結論づけない。つかず離れずの関係を保ち時を待つ。のようなことを一般論として話した。Nさんは最後に「因果応報やおもてます。私も親にとっては良い子じゃなかったから」と明るく笑って、元の銀行員にもどった。
みんな何かをかかえながら、それでもどっこい生きているのだと、現場にいた頃は日々感じていたことを久しぶりに思い出しながら自転車を走らせた。しんどいと言われる子の保護者と接する時は、自分が「共感性の高い想像力」を持っているかどうかが試されていると思い、心して接していかなければいけない。言うは易し、行うは難しであるが。イマジネーションを高める努力は怠ってはいけないだろう。自戒を込めて。