素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

アサガオの花が咲き始めた

2024年07月31日 | 日記
 知人からシソの苗と一緒にもらったアサガオの苗、順調に育ち2輪の花をつけた。朝カーテンを開けた時目に飛び込んで来た。涼やかな色合いに熱帯夜でウンザリした気分が少し晴れる。
  それにつけてもこの猛暑、日暮らしが大変。しばらくはアサガオの花を毎朝楽しむことができる。
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ゴーヤの実がなった!

2024年07月30日 | 日記
 葉ばかりが茂って心配していたゴーヤだが、ようやく実をつけてくれた。苗を提供してくれた交野みどりネットに、出来具合を報告する写真を撮ることができホッとしている。
 指南書に忠実にやったが子ツルの伸ばし方に関しては課題が残った。最大の失敗は、フウセンカズラの苗をゴーヤと勘違いして隣に植えてしまったことだ。そのためゴーヤとフウセンカズラのつるが混然一体となってしまったことだ。ゴーヤの実とフウセンカズラの実の共存もまた一興。
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「広報かたの・8月号」に夫婦で登場

2024年07月29日 | 日記
 「広報かたの・8月号」がポストに入っていた。特集は「おりひめバス 9/2(月)実証運行開始」である。この特集記事の写真(3ページ)に夫婦で登場している。👉【広報かたの 2024年8月号

 今日から3日間はジムの休館日でジム仲間と会うことはないが、休み明けに行けば何人かには「どうして?」と尋ねられること必至である。「広報かたの」は全戸配布、ゆうゆうバスが前市長の時に廃止されて以来車のない高齢者の足確保は大きな課題となって来ただけに関心も高い。

 私自身こんな形で大きく載るとは思っていなかった。発端は広報レポーターを長年やってきた妻が、6月の月初めにあった定例のレポーター会議で、コミュニティバスが9月から実証運行するのに先立って紹介記事にバスに乗る人の写真が必要なので協力してほしいと依頼されたからである。できれば高齢者夫婦がいいということで私もとなったようだ。会議から帰って来た妻に「コミュニティバスの試乗があるみたいで、写真を撮るのに乗客がいるので一緒に乗ってくれないか」と言われた。その程度なら断る理由もないので引き受けた。

 指定された日に市役所に行くと、広報の担当以外にいろいろな課の職員がいて打ち合わせウィしていて妙に仰々しい雰囲気だった。乗客の乗っているコミュニティバスを撮影するだけだと思っていた私は少々戸惑った。

 断片的な話をつなぎ合わせると、「バスには法律上まだ試乗できない」「交野女学院と交野病院の2カ所で、コミュニティバスを使用しているシーンの撮影をする」「私たちの他に子育て世代の4人家族と私たちよりひと回り年齢を重ねた方々も2人参加する」ということがわかってきた。こうなれば流れに身を任せていくしかないと覚悟を決めた。

 広報担当の方の車で交野女学院の駐車場へ、ほどなく他のメンバーの方も合流し「バスを待つ」「バスに乗る」「座席に座る」「料金を支払う」などの各シーンの撮影。体の向き、目線、顔の表情など細かな注文がありカメラマンや担当者が満足できるまで何枚も撮影するので時間もかかりけっこう大変だった。道行く人は何をしているのだろうと不思議そうな顔をしていた。
   
 子育て世代の4人家族はここまで。高齢者4人は交野病院前に移動して、同じように各シーンの撮影。最後はバスを見送るシーン。カメラマンの「ハイOKです!」という声に一息つく。集合したのが9時30分、すべてが終わったのが12時30分過ぎ。モデル気分を味わった想定外の展開にエネルギーを消耗した。
   撮影されている時は「これがどうなるんやろ」と?マークだったが、出来上がった紙面を見ると「うまく作るものだと」感心した。


 
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哀れシソの葉

2024年07月28日 | 日記
 知人からシソの苗をいただき4個のプランターで育てている。スーパーで買い求めれば10枚入りで98円だから馬鹿にならない。無くてもいいものだが、冷奴や刺し身など和食には欠かせない脇役である。

 重宝していたがここ最近網の目状の哀れな姿になってきた。
  犯人は小さなバッタ。毎年被害にあうので「またか!そのうちおさまるだろう」と鷹揚に構えていたが、今年はとどまること知らずという感じで例年とは違う。朝の水やりをすると体長2~3cmのバッタがピョンピョンと葉陰から飛び出してくる。殺虫剤で退治するわけにもいかず手の打ちようがない。
  野生動物による食害のニュースをよく見聞きするが、この程度のものでも度重なれば慈悲の心が消えていく。撃退の妙案も浮かばずなされるがままの毎日。天敵はいないのか。

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ツアーの土産は、ひまわり畑の写真

2024年07月27日 | 日記
 妻と長女がたびパルの日帰りバスツアーに出かけた。佐用町の南光ひまわり園を見て、岡山で白桃狩りをして帰るというものだ。南光町のひまわり園には一度訪れたことがある。私の磯部の実家の周りでもそうだが40年ほど前から休耕田が目立ち始めた。減反は国の農業施策の柱であった。休耕田を有効活用しようという取り組みが各地で始まったが、南光町のひまわりもその先駆け的存在だった。

 1990年に第1回ひまわり祭が開催され、メディアでも取り上げられるようになり認知度は高まっていった。私が訪れたのは2009(平成21)年だった。8月9日に台風9号の影響で豪雨に襲われ千種川の氾濫で佐用町一帯に甚大な被害がもたらされたが、ちょうどその1週間前に行った。ニュースで濁流の流れる国道179号線など様変わりした様子を見て衝撃を受け記憶に刻まれた。

 当時の新聞は次のように伝えている。
 
 ▼兵庫県佐用町内の24時間雨量は、観測史上最多(当時)の326・5ミリを記録した。住民は「バケツをひっくり返したような雨だった」と後に振り返った。  ▼河川からあふれた濁流は山あいのまちをのみ込み、約1800戸の家屋が浸水。町内だけで死者18人、行方不明者2人(ともに特別失踪宣告が認められ、法律上は死亡)に上った。  ▼濁流は、高齢化や人口減少など地域がもともと抱えていた課題を浮かび上がらせた。人口わずか2万人足らずの町では、財源や人材の確保は思うに任せず、復興は困難を極めた。  ▼さらに町が発令した避難勧告のタイミングを巡り、遺族は町長らを提訴した。避難所へ向かう途中、2家族5人が増水した用水路に流され犠牲になったことに対し、遺族らは町の責任を厳しく追及した。   ▼避難勧告の遅れについて、町が設置した災害検証委員会は「発令の基準があったにもかかわらず、過去の経験則や現場からの報告を重視した」と指摘した。  ▼一方で訴訟では、町による勧告のタイミングと遭難との因果関係は認められないとして、遺族らの請求を棄却した判決が確定した。
(神戸新聞)
 
 今年は山形県をはじめ東北地方で大きな被害が出ているが、梅雨末期の豪雨災害はこの兵庫県佐用町での豪雨災害以降増大してきたように感じる。

 「土産はひまわり畑の写真で充分」という私の希望通りに写真を送って来た。15年前のことに思いを馳せながら感慨深いものがあった。
 
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