素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

何事もなく1日が終わるはずが

2022年01月31日 | 日記
 朝、機嫌よく孫は保育園に出かけたと娘からメールが入った。ほぼ1週間休んだので保育園生活のリズムに戻るか心配していたみたいだ。5歳となれば年寄りが相手の生活よりも友達との交流のほうが楽しいに決まっている。娘も在宅勤務から職場復帰になり嬉しいと言っていたが、それと同じだろう。

 午前中は家の用事や「余録」の書き写し、読書などで過ごし、午後はジムという普通の月曜日の過ごし方となった。今日はウォークとジョギングを混ぜながら60分間、ランニングマシーンに乗ってみようと思った。ここ2年間は30分~40分でやめていたので体がどう反応するのか試したくなった。

 時速6.2kmから始めてウォークマンの曲が変わるたびに6.3、6.4と速度をあげていって4曲目に時速8kmでジョギングに入る。5曲目は再び時速6.4kmでの歩きという風に気持ちや体の具合に合わせながら歩きと走りを繰り返した。45分から55分の10分間は我慢がいるところ。「無理しなくていいやん」「かなり足にきているよ」などなど「悪魔のささやき」が聞こえるのである。

 ラスト5分になると元気が復活してくる。体の方はほど良い疲れ、心は満足して貸し切り状態の湯船につかった。こういう日の夕食は格別美味しい。

 いつもより早く、17時30分頃に夕食となった。一口、二口食べて、さあ飲もうかと思った時、携帯が鳴った。娘からである。今度は自分の職場で感染者が出たと今わかり、上司が確認作業と検査キットの手配などしていて、上司の報告があるまでは職場待機となるので保育園の迎えに行ってほしいとのこと。娘の慌てぶりが伝わってくる。こういう時は事務的に対応するにかぎる。

 すぐに頭を切り替えて保育園に向かった。18時少し前に到着。孫は突然の私の出現に「なぜ?」という顔になった。「ママが良かったのに」と不機嫌。こういう時はごちゃごちゃ説明しても無駄である。淡々と帰りの支度をして車に乗せる。その間ブツブツと「ママが良かった」を連発。

 家に着くころには自分の中で状況を消化できたのか、いつものペースに戻ってきた。またまたにぎやかな夜となった。娘は20時前に帰ってきた。久しぶりの出勤でいきなりパンチを喰らい「疲れた」が第一声。

 先週在宅だった娘は、濃厚接触者でないので勤務には支障がないようで一安心。食べたか食べないかわからないような慌ただしい夕食になろうとは。オミクロン侮ってはいけない。と肝に銘じる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆっくりした日曜日を過ごす

2022年01月30日 | 日記
 孫の保育園、25日(火)から休園となり5歳児クラスの検査結果待ち状態で結局週末まで休みが続いた。26日と28日は泊まったので普段と違い夜もにぎやかで気忙しかった。28日の10時から14時30分までは娘が2階の部屋で会社のリモート会議をしていたので何かと気遣った。好奇心旺盛な孫が見に行こうとするのを止めるのは至難の業であった。

 オミクロン株の感染拡大は未だピークが見えないところに、その派生株の「ステルスオミクロン」と呼ばれているものも欧州やアジアで拡大し、日本にも上陸しているという報道もあった。妻は予定に入れていたイベントや会議が中止になりがっくり。第5波の時と同様、空いた時間をどう過ごすかということに頭を悩ます羽目になった。

 この1週間は孫のお世話という用事が入ったので結構忙しかった。久々に仕事をしていた時のような日曜日らしい日曜日を迎えたという感じがした。孫の相手をしていると「余録」の書き写しが落ち着いてできない。3日分は書くことができなかった。

 家の掃除や片づけを終えた後に「余録」の書き写しに集中した。静かに時が流れることを実感できた。手休めには読書。知らぬ間にウトウト。目覚ましに体操をしてまた書き写しと至福のローテーションに入っていたら娘から電話が入った。

 「ひょっとして、休園が続くのか?」と覚悟したが、該当していた5歳児クラスの全員の陰性が確認されたので明日から登園できるとのこと。ただ、0歳児クラスで感染者が出たのでそのクラスだけは閉鎖するらしい。油断はできないと改めて思った。

 4/28の「余録」によれば、ステルスはスチール(盗む)と語源が同じで中世からある言葉だが、米軍が開発したステルス爆撃機F117がレーダーで探知されにくい「見えない爆撃機」として脚光を浴びた1980年代に広く使われるようになった。「ステルスオミクロン」はPCR検査で発見しづらいオミクロンだけにやっかいである。

 来週は、毎日が日曜日という生活であってほしいと願う。

 

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「芭蕉の風景」ワクワクする本だ!

2022年01月29日 | 日記
 上巻は【第1章/伊賀上野から江戸へ・第2章/野ざらし紀行・第3章/笈の小文・第4章/更科紀行】
 下巻が【第5章/おくのほそ道・第6章/上方漂白の頃・第7章/晩年の世界・索引】と芭蕉俳句の製作順に並べてくれているので通読すれば芭蕉の人生を句を通して感じ取れるのではないかと期待している。また、もともとは雑誌の連載原稿なので一句についての文章は3ページに収まっているので読みやすく、しかも完結しているので興味ある句を拾い読みすることもできる。フルコースとつまみ食いの2つが楽しめる構成になっている。

 各章の最初にある解説や索引も充実しているのでありがたいかぎり。

 約200句が収録されているので、1日1句のペースで寄り道もしながら「芭蕉の風景」を味わう旅をしていこうと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「芭蕉の風景」上・下(小澤實著・ウエッジ)が届く

2022年01月28日 | 日記
 注文していた本が近くのコンビニに届いたので受け取りに行った。「芭蕉の風景」上・下(小澤實著・ウエッジ)の他にもう1冊「大正天皇」(原武史著・朝日文庫)も注文していた。

 1年ぐらい前運転しながら聞いていたラジオで、高橋源一郎さんが大正天皇についての話をされていた。氏によると、明治天皇、昭和天皇に比べて大正天皇に対して我々は非常に貧困なイメージしかもっていない。病弱であった、脳を患い奇行が目立ち、在位期間が極めて短い。ぐらいである。しかし、高橋さんは実像とはずいぶん違い、政治的な意図で作り出された部分もあるのではと疑問を呈していた。

 私も交野市の星田周辺に住み始めてからひとつモヤモヤとした思いを持つものがあった。それは星田駅から住宅地に通じる道沿いに建立されている『大正天皇行幸記念碑』である。初めて見た時、私が持っていた(持たされていた?)大正天皇のイメージと行幸とがピッタリこなかったのである。
 

 でも、20代から30代前半の大正天皇は幼少時の病弱さから脱却して、沖縄を除くすべての道府県と大韓帝国を精力的に回り、とても快活で気さくであったという高橋さんの話を聞いて、大阪府の外れの星田の地にも来られたことが腑に落ちた。同時に、大正天皇についてもっと知る必要があると思った。近代日本における大正という時代は?が私の中に欠落していたと痛感した。

 思いながらもグズグズしていた私の背中を押したのが「毎日新聞1月19日の古賀 攻さんの《水説》祐天寺の墓が物語る」の一文。

 東急東横線の駅名にもなっている祐天寺(浄土宗、東京・目黒)の墓地に、生け垣に囲まれた立派なお墓がある。

 墓石には「従一位(じゅいちい)勲一等柳原愛子(やなぎわらなるこ)墓」。大正天皇の生母、つまり明治天皇の側室だった人の墓だ。従一位という女性への最高位は天皇を産んだ功績による。

 今では想像しにくいが、かつての皇室には公然とした側室制度があった。明治天皇と美子(はるこ)皇后の間には子どもがなく、5人の側室女性が計15人(男5人、女10人)を産んでいる。ただ多くは幼くして亡くなり、無事に成人した男子は後の大正天皇ただ一人だった。

 愛子さんは幕末の朝廷高官の家に生まれた。兄の柳原前光(さきみつ)は、伊藤博文とともに旧皇室典範の制定に関わっている。それなりの家系ではあるが、大正天皇以降は側室を持たなくなっている。

 その理由は「複数の女子を所有することの『野蛮性』を克服することが欧米など先進的な国家との外交上のより重要な課題となっていたから」(小田部雄次著「皇族」)とされる。

 すなわち愛子さんは「庶出」で天皇の生母となった最後の女性ということになる。誰かがきちんと管理しているのだろう。お墓には新しい花が生けてあった。


 令和以降の皇室のあり方を考えるためにも、原さんの本をしっかり読み、大正という時代を明治と昭和の間にしっかり位置づけたいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふくら雀

2022年01月27日 | 日記
 18時15分からの「ニュースほっと関西」で気象担当をしている坂下さん、天気予報のまくらに季節の話題に関するものをクイズ仕立てで紹介してくれる。自分で撮ってきた大阪城公園の梅林に咲く早咲きのウメと臘梅の写真を使ってのクイズ。当然ながら臘梅が正解だが加えて「雪中の四友」にもふれていた。

 私も同じものを近所で撮影していたので嬉しくなった。もう1枚、ふっくらと愛嬌のある雀を正面から撮った写真を見せて、何と呼ばれているでしょうか?という4択問題を出した。正解は「ふくら雀」。初耳だったので興味が湧いていろいろ調べてみた。

 寒くなってくると、羽をふくらませてまるまるとした姿になるすずめ、その姿はとても愛らしく膨ら雀、脹ら雀という漢字がもともとだろうが、「福」に通じるものとして、「福良雀(ふくらすずめ)」と書いて縁起の良いものとして古くから着物の帯結びや髪型の名前・俳句の季語・紋や模様にもなってきたことを知った。


 今もそうだが雀は四季を問わず見かける一番身近な鳥である。しかし、家紋に使われているとは思ってもいなかった。調べると16種類の雀紋の画像があり驚いた。「福良雀」デザイン化したものもいくつかあった。
  こうなると実際に見てみたいと思うのは自然のなりゆき。雀のさえずりをたよりに集まっていそうな場所を自転車で巡る。花は動かないが雀は集団で目まぐるしく動くので観察が難しい。野鳥の会の人が近隣にいて時々双眼鏡で粘り強く観察している姿を見かけていたが、根気のいる仕事だなとつくづく思った。せっかく見つけてもカメラを向けてねらいを定めている間にパッ!と飛び立ってしまう。

 さえずる声はにぎやかだが用心しているのか姿が隠れるような枝にとまっていることも観察を続けているうちにわかってきた。坂下さんが撮ったような写真は無理だなとあきらめていたら大池の近くで人通りの少ない住宅地の中の家の庭の木に雀が群がっているのを見つけた。意外な場所だったが雀ものんびりとしていた。おかげで「福良雀」を撮ることができた。


「福雀」とも書くという、オミクロン株急拡大という禍を吹き飛ばして、福が来てほしいものだ。  


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする