10時に家を出て志摩に向かった。木津、伊賀を抜ける最もよく使うコースである。ちょうど12時過ぎに関に着いたので初めて関ドライブインに寄り昼食を取った。いつもの安濃よりもいろんな店があり面白いと思った。そこからおよそ1時間20分走り14時少し前に実家に着く。
約4時間のドライブ中、つれづれなるままに色々なことを思うのだが、一番長く考えたのが内申書に絶対評価を取り入れるという話が現実味を帯びてきたことに関してだった。
相対評価か絶対評価かという二者択一的な発想は卒業しないといけないのに。
どちらにも良い点、悪い点がある。改革と称して、その評価の持っている欠点を上げ評価方法を変更する。しかし、その評価にも問題点があるので何年かすると前のことを忘れたようにして欠点を上げつらい変更する。
小学校入学以来、生徒して、教師として50年余り評価方法に付き合ってきたがその場しのぎの安易な変更の繰り返しだったという思いが強い。
具体的には何度もブログにも書いてきたが、それらを思い出しながらまたかとうんざりした。
校内だけの評価であればまだ問題は大きくならないが、内申書となるとレベルが違う。もっと慎重に検討すべきだと思う。
過去のさまざまな入試改革、きちっと検証されていないように思う。何か変更すれば良くなるという『変更神話』だけで進んできた。だから堂々巡りにも平気なのだ。このことにストップをかけることが必要。
完璧な評価方法はないということをしっかり踏まえること。
選抜試験はどのような方法を取ろうが理不尽な部分は残る。
テストの結果についての分析や評価の議論は多いが、元になっているテストそのものの内容の妥当性についての検証はなされていない。
そのこともしっかりすべきである。欠陥のある測定器具で出されたものを元に検討しても正しい方向は選べない。
過去、絶対評価を広い範囲で実施しようと試みた時にぶつかった壁がこれであった。
それらを踏まえないと混乱のみに終わる。泣かされるのは、いつも現場。
約4時間のドライブ中、つれづれなるままに色々なことを思うのだが、一番長く考えたのが内申書に絶対評価を取り入れるという話が現実味を帯びてきたことに関してだった。
相対評価か絶対評価かという二者択一的な発想は卒業しないといけないのに。
どちらにも良い点、悪い点がある。改革と称して、その評価の持っている欠点を上げ評価方法を変更する。しかし、その評価にも問題点があるので何年かすると前のことを忘れたようにして欠点を上げつらい変更する。
小学校入学以来、生徒して、教師として50年余り評価方法に付き合ってきたがその場しのぎの安易な変更の繰り返しだったという思いが強い。
具体的には何度もブログにも書いてきたが、それらを思い出しながらまたかとうんざりした。
校内だけの評価であればまだ問題は大きくならないが、内申書となるとレベルが違う。もっと慎重に検討すべきだと思う。
過去のさまざまな入試改革、きちっと検証されていないように思う。何か変更すれば良くなるという『変更神話』だけで進んできた。だから堂々巡りにも平気なのだ。このことにストップをかけることが必要。
完璧な評価方法はないということをしっかり踏まえること。
選抜試験はどのような方法を取ろうが理不尽な部分は残る。
テストの結果についての分析や評価の議論は多いが、元になっているテストそのものの内容の妥当性についての検証はなされていない。
そのこともしっかりすべきである。欠陥のある測定器具で出されたものを元に検討しても正しい方向は選べない。
過去、絶対評価を広い範囲で実施しようと試みた時にぶつかった壁がこれであった。
それらを踏まえないと混乱のみに終わる。泣かされるのは、いつも現場。