私の初めての『道徳』の授業は教育実習であった。昭和48年10月1日~27日の4週間、付属中学校で教育実習を行った。『道徳』の授業は最後の週の10月24日に2年C組ですることは予告されていた。題材は3週間で授業、学活、クラブなどを通して見た生徒の実態を踏まえ自分がやりたいと思ったものである。
私は基本的には「~あるべきだ」とか「~しましょう」みたいな徳目主義の道徳には抵抗感があった。自分が不道徳であるがため恥ずかしくて言えないというのが根底にある。実習の中で一番悩んだのがこの授業であった。「~は嫌だ」とは思っても「じゃ具体的にどうする?」となるとなかなか前に進まない。
考えたあげく決まった主題が『話し合い』であった。指導案にはこうなっている
1.主題 話し合い
2.主題について
⑴我々は、それぞれ異なった意見を持つ人々と社会生活を営んでいる。そして、それらを支えているものは話し合いということである。この主題は社会生活に不可欠な話し合いというものに目を向けさせ、一人一人が社会の運営に参加するといった生活態度の育成をねらうものである。
⑵生徒の日常生活において何か提案がなされた時、それを地道に話し合い、修正し、煮つめていくことをせず、安易に多数決できめてしまうことをよく見かける。多数決の大前提として充分な話し合いが必要であることに気づかせたい。
⑶実際の事例を問題化し、話し合う中で話し合いにおけるルールといったものに気づかせたい。
3.ねらい
話し合いの意義を理解し、集団の成員としての自覚に立ち、お互いに信頼し、尊重し合って、自分達で話し合いを通じて問題を解決していく態度を育てる。
4.指導計画
1時間完了 ・話し合い
5.本時のの指導
⑴目標
他人の意見をよく聞き、分析し、合理的に批判し、また相手が正しいと思ったならば、いさぎよく相手の是を認めるという態度が話し合いを支えているものであることを理解させる。
⑵準備
プリント
あえて40年前の教育実習記録綴を引っ張り出したかというと、これが教師としての私の原点であるからである。今日ジムのマシーンでランニングしながら村井さんの言葉を借りて「道徳」について書いたが、自分の原点もさらけ出さないと駄目だろうという声が聞こえたのである。
そして、授業のために自作の資料を作った。無謀な試みを広い心で受けとめてくれた指導教官の飯田先生には感謝している。資料はわら半紙2枚。
道徳資料№1 2年C組( )番( )
私はMr.M。今、F中学に教育実習生として来ている。ある日の昼食後、私は芝生の上に寝ころんで澄みきった秋空に、しばし、物思いに耽っていた。3人の生徒が、何か話しながらやって来た。聞き覚えのある声に、枝の間からのぞくと2年C組のA夫とB子とC太郎であった。3人とも私のいることに気づかず、私に背を向けて腰をかけた。
B子「教生のM先生って素敵だわね」 A夫「見かけだけだよ。ウドの大木柱にならずっていうだろう」
C太郎「そうそう、大男総身に知恵が回りかねっていうのもある。」 B子「そうね馬鹿の大足ともいうわ」
私は「大は小を兼ねる」と言ってやりたいのをぐっとがまんしてしばらく3人の話に耳を傾けていた。・・・話はぐっと真面目になった。
A夫「ところで美化委員会から清掃時の個別評価をするという話は知ってる?」 B子「具体的には知らないわ」
A夫 「簡単にいえば、各清掃班の班長が清掃時の一人一人の態度を点数によって評価し、これを長期にわたって続け優秀者、高得点者に賞 状を与えようというものさ」
C太郎「ぼくは反対だな。班長が評価するといっても、どうしても個人的感情が入ってしまうだろう」
A夫「まず、現在の状態をみたら、個別評価ぐらいしないと、まじめに清掃なんかやらないんじゃないか」
B子「私もあまり賛成できないわ。点数をつけてもやらない人はやらないんじゃない。」
C太郎「だいたい清掃自体なぜやらなければならないかわからないよ」
B子「それは、自分達のところは自分達で美しくしようと思うからじゃない」
C太郎「でも、さぼる人が多いだろう。それは別に自分達の所は美しくしなくってもいいと思う人が多い証拠さ。だから美しくしたいと思う 人が清掃やればいいのさ」
B子「でも、きまりで決められているのだから、皆でやらなければいけないと思うわ」
A夫「C太郎くんの意見は利己的だと思う。みんなのものはやはり力を合わせて美しくしていく必要があると思う」
B子「私も、その点はA夫君に賛成。でも個別評価は反対だわ。だって真面目にやって当たり前でしょう。当たり前のことをやって賞状を与え るなんておかしいわ」
C太郎「ぼくは、清掃を真面目にやって当たり前というのがおかしいと思う。だって、そうじのきらいな人もいるのだから無理矢理やらせる 必要はないと思う」
A夫「個別評価は欠点もあると思うが、今の現状をなんとかする具体策としては一度やってみる価値があると思う」
B子「私はやはり個別評価をやめて、さぼっている人を見かけたら注意すればいいと思う。」
A夫「それじゃ今までとあまり違わないね」 B子「今のままでも何とかうまくいっているのだから、このままでもいいと思うは」
C太郎「一度清掃をやめればいいんだよ。そうすれば当然きたなくなるだろう。それで平気だったらそのままでいいし、いやだったら今度は 真面目にやるのじゃないか」
A夫「そんなことしなくても、きたないよりきれいなほうがいいのはわかっているから、現状をどう変えていくかが大切じゃないのか。個別 評価でもやって強制的にやらせて、皆に、そうじの習慣が身につけばいいじゃないか」
B子「いつも監視されてるなんていやだわ」・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
私はいつの間にか寝てしまったようだ。ふと目が覚めた時3人はもういなくなっていた。時計を見ると5時限がもう始まっている。大変だとばかり飛び起きて、私は指導教官の渋い顔を思い浮かべつつ教室にかけて行った。(江戸時代の愛知県西部)
№2
問1
さて、3人の人物が清掃時の個別評価を中心に清掃に関してそれぞれ意見を述べていますが、あなたはこの3人の中で誰の意見を支持しますか?考えて下さい。(尚、多少修正したいとか補足したいとかあると思うが大きく考えて下さい。)そして下に記入。
多少の意見の相違はあるが、私は3人の中で( )さんを支持する。
〈それぞれの支持派の意見交流を記録させる〉
問2
今、あなたはA夫支持派ですか、B子支持派ですか、C太郎支持派ですか下の( )に記入して下さい。
( )
誰が正しいのかという話にはしないで、№2を提出させて終わりという授業であった。
「道徳」の授業を突きつけられた時、必死に考えたこのスタイルは自分のベースになった。キーワードは「徳目を押しつけない」「気づきを大切にする」「内省する目を持つ」かな?
私は基本的には「~あるべきだ」とか「~しましょう」みたいな徳目主義の道徳には抵抗感があった。自分が不道徳であるがため恥ずかしくて言えないというのが根底にある。実習の中で一番悩んだのがこの授業であった。「~は嫌だ」とは思っても「じゃ具体的にどうする?」となるとなかなか前に進まない。
考えたあげく決まった主題が『話し合い』であった。指導案にはこうなっている
1.主題 話し合い
2.主題について
⑴我々は、それぞれ異なった意見を持つ人々と社会生活を営んでいる。そして、それらを支えているものは話し合いということである。この主題は社会生活に不可欠な話し合いというものに目を向けさせ、一人一人が社会の運営に参加するといった生活態度の育成をねらうものである。
⑵生徒の日常生活において何か提案がなされた時、それを地道に話し合い、修正し、煮つめていくことをせず、安易に多数決できめてしまうことをよく見かける。多数決の大前提として充分な話し合いが必要であることに気づかせたい。
⑶実際の事例を問題化し、話し合う中で話し合いにおけるルールといったものに気づかせたい。
3.ねらい
話し合いの意義を理解し、集団の成員としての自覚に立ち、お互いに信頼し、尊重し合って、自分達で話し合いを通じて問題を解決していく態度を育てる。
4.指導計画
1時間完了 ・話し合い
5.本時のの指導
⑴目標
他人の意見をよく聞き、分析し、合理的に批判し、また相手が正しいと思ったならば、いさぎよく相手の是を認めるという態度が話し合いを支えているものであることを理解させる。
⑵準備
プリント
あえて40年前の教育実習記録綴を引っ張り出したかというと、これが教師としての私の原点であるからである。今日ジムのマシーンでランニングしながら村井さんの言葉を借りて「道徳」について書いたが、自分の原点もさらけ出さないと駄目だろうという声が聞こえたのである。
そして、授業のために自作の資料を作った。無謀な試みを広い心で受けとめてくれた指導教官の飯田先生には感謝している。資料はわら半紙2枚。
道徳資料№1 2年C組( )番( )
私はMr.M。今、F中学に教育実習生として来ている。ある日の昼食後、私は芝生の上に寝ころんで澄みきった秋空に、しばし、物思いに耽っていた。3人の生徒が、何か話しながらやって来た。聞き覚えのある声に、枝の間からのぞくと2年C組のA夫とB子とC太郎であった。3人とも私のいることに気づかず、私に背を向けて腰をかけた。
B子「教生のM先生って素敵だわね」 A夫「見かけだけだよ。ウドの大木柱にならずっていうだろう」
C太郎「そうそう、大男総身に知恵が回りかねっていうのもある。」 B子「そうね馬鹿の大足ともいうわ」
私は「大は小を兼ねる」と言ってやりたいのをぐっとがまんしてしばらく3人の話に耳を傾けていた。・・・話はぐっと真面目になった。
A夫「ところで美化委員会から清掃時の個別評価をするという話は知ってる?」 B子「具体的には知らないわ」
A夫 「簡単にいえば、各清掃班の班長が清掃時の一人一人の態度を点数によって評価し、これを長期にわたって続け優秀者、高得点者に賞 状を与えようというものさ」
C太郎「ぼくは反対だな。班長が評価するといっても、どうしても個人的感情が入ってしまうだろう」
A夫「まず、現在の状態をみたら、個別評価ぐらいしないと、まじめに清掃なんかやらないんじゃないか」
B子「私もあまり賛成できないわ。点数をつけてもやらない人はやらないんじゃない。」
C太郎「だいたい清掃自体なぜやらなければならないかわからないよ」
B子「それは、自分達のところは自分達で美しくしようと思うからじゃない」
C太郎「でも、さぼる人が多いだろう。それは別に自分達の所は美しくしなくってもいいと思う人が多い証拠さ。だから美しくしたいと思う 人が清掃やればいいのさ」
B子「でも、きまりで決められているのだから、皆でやらなければいけないと思うわ」
A夫「C太郎くんの意見は利己的だと思う。みんなのものはやはり力を合わせて美しくしていく必要があると思う」
B子「私も、その点はA夫君に賛成。でも個別評価は反対だわ。だって真面目にやって当たり前でしょう。当たり前のことをやって賞状を与え るなんておかしいわ」
C太郎「ぼくは、清掃を真面目にやって当たり前というのがおかしいと思う。だって、そうじのきらいな人もいるのだから無理矢理やらせる 必要はないと思う」
A夫「個別評価は欠点もあると思うが、今の現状をなんとかする具体策としては一度やってみる価値があると思う」
B子「私はやはり個別評価をやめて、さぼっている人を見かけたら注意すればいいと思う。」
A夫「それじゃ今までとあまり違わないね」 B子「今のままでも何とかうまくいっているのだから、このままでもいいと思うは」
C太郎「一度清掃をやめればいいんだよ。そうすれば当然きたなくなるだろう。それで平気だったらそのままでいいし、いやだったら今度は 真面目にやるのじゃないか」
A夫「そんなことしなくても、きたないよりきれいなほうがいいのはわかっているから、現状をどう変えていくかが大切じゃないのか。個別 評価でもやって強制的にやらせて、皆に、そうじの習慣が身につけばいいじゃないか」
B子「いつも監視されてるなんていやだわ」・・・・・・・・・・・・
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私はいつの間にか寝てしまったようだ。ふと目が覚めた時3人はもういなくなっていた。時計を見ると5時限がもう始まっている。大変だとばかり飛び起きて、私は指導教官の渋い顔を思い浮かべつつ教室にかけて行った。(江戸時代の愛知県西部)
№2
問1
さて、3人の人物が清掃時の個別評価を中心に清掃に関してそれぞれ意見を述べていますが、あなたはこの3人の中で誰の意見を支持しますか?考えて下さい。(尚、多少修正したいとか補足したいとかあると思うが大きく考えて下さい。)そして下に記入。
多少の意見の相違はあるが、私は3人の中で( )さんを支持する。
〈それぞれの支持派の意見交流を記録させる〉
問2
今、あなたはA夫支持派ですか、B子支持派ですか、C太郎支持派ですか下の( )に記入して下さい。
( )
誰が正しいのかという話にはしないで、№2を提出させて終わりという授業であった。
「道徳」の授業を突きつけられた時、必死に考えたこのスタイルは自分のベースになった。キーワードは「徳目を押しつけない」「気づきを大切にする」「内省する目を持つ」かな?