子どもが小さい時夜店でミドリガメ釣りをして、家で飼ったことがある。最初の頃は可愛いものだが半年もするとグングン成長を始め次の年には家の水槽では窮屈になるほど大きくなった。幸い長女の通っていた小学校の大水槽に引き取ってもらったので助かったが、今日本各地で、ペットとして飼われていたミドリガメが大繁殖していて生態系や農業に影響を与えるほど深刻な事態になっていることを「ニュースウォッチ9」で特集していた。大きくなって手に余った飼い主が河川、池に捨てることが大きな要因である。
ひょんないきさつから「亀蔵」を世話しているが、基本的にはペットを飼うのは嫌いである。幼稚園のころカナリアを蛇に食べられたことと転居のため犬と強制的に別れさせられたことが大きい。
ペットを飼うということは育てる責任はもちろん、別れを覚悟することを引き受けるということである。あえて積極的に引き受けようとは思わないが縁というものがある以上かかわらざるを得ないこともある。
縁日のヒヨコ釣りもそうだった。大きくなって簡易温室がニワトリ小屋になった。オスなので卵の楽しみもなく、目覚まし代りのコケコッコーの鳴き声にへきえきした。近所の方が寛容であったことが救いだった。今の家に引っ越す時に妻の勤務していた小学校の飼育小屋に引き取ってもらったが、捕まえて箱に入れての移動が大変であった。
ペットとして飼っていた外来生物を遺棄する問題はミドリガメ以外にも数多く報告されている。ゴミ問題と同じ。売らんかなの入口だけではなく、出口までのことまでしっかり見据えたシステムが必要になってきていることを痛切に感じた。
自分の子どもまでペット化しているのでは?と思える事例も多々見受けられる。ペットは嫌いだと言いつつ亀蔵に関わっている毎日。
ひょんないきさつから「亀蔵」を世話しているが、基本的にはペットを飼うのは嫌いである。幼稚園のころカナリアを蛇に食べられたことと転居のため犬と強制的に別れさせられたことが大きい。
ペットを飼うということは育てる責任はもちろん、別れを覚悟することを引き受けるということである。あえて積極的に引き受けようとは思わないが縁というものがある以上かかわらざるを得ないこともある。
縁日のヒヨコ釣りもそうだった。大きくなって簡易温室がニワトリ小屋になった。オスなので卵の楽しみもなく、目覚まし代りのコケコッコーの鳴き声にへきえきした。近所の方が寛容であったことが救いだった。今の家に引っ越す時に妻の勤務していた小学校の飼育小屋に引き取ってもらったが、捕まえて箱に入れての移動が大変であった。
ペットとして飼っていた外来生物を遺棄する問題はミドリガメ以外にも数多く報告されている。ゴミ問題と同じ。売らんかなの入口だけではなく、出口までのことまでしっかり見据えたシステムが必要になってきていることを痛切に感じた。
自分の子どもまでペット化しているのでは?と思える事例も多々見受けられる。ペットは嫌いだと言いつつ亀蔵に関わっている毎日。