文鮮明先生御言葉選集3-14 クリスマスを天に代って祝おう
1957年12月25日(水)、韓国総本部教会
ルカによる福音書 2:1-
イエス・キリストの誕生によって、神はアダム以降4千年間、定められた計画を遂行されたと言えます。また、アダムの堕落以降、回帰・遂行の歴史の中に生きてきた我々の先祖たちの望みも、イエス・キリストの誕生によって達成されたと言えます。神の意志が遂行される同時に、人間の意志が遂行される時がキリストが生まれたその一時であったことを、皆さんは再び考えてみるべきです。
キリストの誕生から今日までの2千年という長い歴史を経てきましたが、私たちは今、2千年前のイエスが誕生した当時と同じように、神の意志が遂行され、人間の意志が遂行される、歴史的かつ宇宙的な緊張のある時間に立っていることを感じます。
イエス・キリストは小さな幼子として生まれましたが、神の意志を代わり得る実体であり、彼の泣き声、彼の動きは、神の4千年の悲しみを代わり得るだけでなく、神がこの地上に新たな歴史を築き進められるすべてのことを典型的に表現し、また、人間の罪を贖う4千年の歴史の悲しみを表現した姿でした。ですから、彼の誕生によって新たな善の歴史が始まる喜びの場面を迎えることができたのです。
このように、イエス様一人のために神の懸念と、歴史を経てきた人間の歴史的な懸念と当時の時代的な懸念が取り除かれ得たことを考えると、イエス様は本当に偉大な方であり、大いなる方でした。しかし当時、心を込めて父の心情を代わり、万民の心情を代わり、多くの預言者たちの心情を代わった者はありません。皆さんはこれを深く考えるべきです。
それでは、イエス様の誕生日を祝うために集まった私たちはどのような心構えを持つべきでしょうか。私たちは神の心情を代わり、歴史の中に行ったり来たりした多くの預言者たちの心情を代わり得るべきです。また、当時のイスラエルの選民が約束の日を待ち望み、メシアを待ち望んで祈った心情を代わり、赤ん坊イエスの前に贈り物を捧げる心を持たなければなりません。そうすれば歴史は進んでいきますが、その当時の神の心情を慰め、当時天にいた聖徒たちの心情を慰め、イスラエルの民を代わって選民の資格で父の栄光に参加できる価値を皆さんは持つことができることを知らなければなりません。
そして、イエス・キリスト一人の誕生日は、天地万物が喜びを示すことのできる日であり、神の計画の一日でありながら、同時に万民の願いが達成される日であることを感じ、感謝を捧げなければなりません。そして、緊張した心で、これまで信仰生活を通して準備してきた贈り物を捧げ、父の心と歴史的な心情、時代的な心情を代わって持ち、イエス・キリストに礼拝し、祝福を捧げるべきだと思います。
そして、今、イエス・キリストの誕生のために誰がどれほど労力を費やしたかを見てみましょう。まず第一に、神様が4千年間労力されました。神だけでなく、数千年にわたって神に従ってきた私たちの先祖たちである多くの預言者、聖賢、先祖たちも同様に労力されました。そして、選ばれたイスラエル民族を代表するユダヤ教徒たちも生涯をささげて労力されました。こうして、イエス様が誕生するまでには直接的な関係がないように見える歴史的な労力が潜んでいるのです。
ただそれだけではありません。イエス様がこの地においでになって30年余りの生涯を過ごされ、その後現在まで2千年の間に天倫の意志を為すための計画的な歴史が過ぎ去ったことを考えると、ここには過去のイエス様以前の歴史的な悲しみと、イエス様以後の2千年の歴史が重なっていることが分かります。
歴史的な解援、または時代的な解援、または未来的な解援のために生まれられたイエスの願いは、その当時の人々の誤りのために2千年が経過した今日この時代にもまだ成就されていません。ですから、イエス様がおいでになるまでの4千年の歴史の悲しみに加えて、イエス様がおいでになって労力された後の2千年の歴史の悲しみが加わっているのです。
今日、私たちはどのような使命を背負っているでしょうか。私たちはイエス様がおいでになった後も希望として残っている神の怨を解決していく使命を背負っています。このようにして、私たちは創世以来最後の神の救済計画の意志を迎える緊張した時間を迎えています。
そして、クリスマスを迎えるこの時、私たちが祝福の意志を持たなければならず、祝福の贈り物を天に差し出さなければならない責任を持っているとすれば、私たちはイエス様がこの世のために心配された心情と、6千年間労力しながら心配された神の心情を代わって抱き、救世の意志のために現実の栄光の誕生を祝福の祭壇に供えることができる一つの姿にならなければなりません。そうでなければ、天が今までイエス・キリストの誕生日を祝福してきたその栄光の意志を地上に成就させた人間としての価値を実現することができないのです。
また、父の祭壇の前に伏している私たち自身は、2千年前、マリアが天にイエスの誕生を祝福していた心情を代わることのできる存在でありながら、さらには神がイエス様を誕生させて喜ばれた心情を代わることのできる存在であり、イエス様が誕生されるまで数千年間労力された預言者たちの願いの心情を代わって、彼らが願っていたことを成就させてくれる存在にならなければなりません。
こうして、歴史的な全体の意向を実現しようとする心を持った一存在として、イエス・キリストがこの地に誕生される時、この一瞬を通じて神が悲しまれた心情、マリアとヨセフが悲しんだ心情、また路傍の羊飼いたちが悲しんだ心情を感じ、イエス・キリストが飼い葉桶に横たわられたことを心痛く思いながら、新たな決意で再び来られるイエス様を迎える準備を整え、天が喜ぶ栄光の先駆者として立たねばなりません。そうしなければ、天が我々にクリスマスを祝わせる意図を完成させることはできないことを皆さんは理解すべきです。
これまでこの地には数多くの人々がいましたが、神が遂行される全体的な意図を達成するために使命を帯びておられたイエス・キリストの誕生を真に祝った人は一人もいなかったと断言しても過言ではないでしょう。
それでは、今、私たちはどのような心を持たなければならないでしょうか。私たちは神の心情を代わり得るべきです。そして天上にいる無数の聖徒や天使たちの心情を代わり得るべきです。さらには、来られたイエス様の心情を代わり、神のすべての憎しみを私たちを通じて解消していく覚悟と責任感を持たねばなりません。このようにして将来に現れる希望の日に向けて準備する心を持ち、祝福の礼拝を捧げない限り、神の希望は我々にやって来て終わってしまい、我々の子孫に伝わらなくなることになります。皆さんはこれを確実に理解すべきです。
イエス様の時代でも、すべての人々がキリストを見つめましたが、キリストの後に現れる遂行の意志については考えませんでした。彼らがイエス様の誕生を見守りましたが、誕生後になされる神の意志については考えませんでした。
したがって、皆さんはイスラエルの立場からイエス様の誕生を祝うこともよいですが、イエス様が来られた後の遂行の意志を含め、言い換えればイエス様を全体的な価値の実体として知り、彼の誕生を祝わなければなりません。
2千年前に来られたイエス・キリストの誕生がユダヤ民族の不信によって悲しみと憎しみを加える結果となったのに、終わりの時である今日、私たちが6千年の歴史を代わってこれを解消しようとすれば、どのようにすべきでしょうか。私たちは歴史的なすべての悲しみを解消する準備が整った実体とならねばなりません。さらには再び来られるキリストの心情まで通じなければなりません。そうすれば、私たちがイエス様の誕生を祝うこの意義が、私たちを超えて私たちの子孫の永遠の歴史的な理念に結びつけられることができるのです。
こうして、神はキリストの誕生を祝福されるだけでなく、現在の一瞬だけで祝福されることを望まれるのではなく、過去と現在と未来を通じた理念を持つ人が神の心情を代わり得る心を持って祝福してくれることを望んでおられるのです。
では、皆さんはどのような人間になるべきでしょうか?キリストの誕生を実現するために労苦された神の心情を代わり得る人々となるべきです。また、イエスの前に来た先知先駆たちが天国で働き、その心情を代わり得るべきです。
では、イエス様の誕生を見守った神の心情はどのようなものだったでしょうか。天使たちは羊飼いたちにキリストの誕生を告げましたが、地上でもキリストの誕生を告げる人はいませんでした。これが天国の悲しみでした。こうしたことを考えると、当時、イエスの誕生を見て天使の代わりにメシアの到来を宣言した存在があったとしても、天がイエスの誕生を祝福したように地上でも同じように祝福できたはずですが、イスラエル民族を代表したユダヤ教徒がこの使命を果たせず、イエス・キリストが十字架に掛かられたことを我々は知ることができます。
ですから、皆さんはこうした先祖たちの不信の条件を反省し、皆さん自身がこの意志を負担し、実践できる人々になったかを反省しなければなりません。また、私たちはこのような行動を実践してもなお、その意志を後世にまで引き継げる自分がなったかを考えると、今日この一瞬がどれほど緊張した時であるかを知り、自分を反省し、新たな決意をしなければなりません。
当時のイスラエル民族が天使の心情や天が喜ばれた心情を代わり、天使たちを送り、死が来ることにもそれ以上のことが来ることにも、聖徒として果たすべき責任を果たし、イエス様の十字架を代わりに担おうとしましたが、イエス様は決して十字架に掛かることはありませんでした。当時の聖徒たちは羊飼いたちの告げられた言葉を聞き、東方の賢者たちの証言の言葉を聞き、他の人々からの証言も聞いたため、人類が古くから望んでいた歴史的なメシアが誕生したその日から喜びと栄光の心情を持ち、不信する民族を代わり戦わなければなりませんでした。そうした聖徒たちがいれば、イエス様を失った悲しみは私たちにまで伝わらなかったでしょう。
天は2千年前、その一日その一瞬にそのように働いてくださいましたが、地上の人々は2千年が経過してもなお、そのような心情を持ち、天の前に出ることができていません。これが、天が我々にクリスマスを祝福して欲しいという意味を持つことを集まった皆さんは確実に知らなければなりません。
クリスマスを祝福するこの時、神はただ一つの望みであるキリストの誕生を喜んでいる一方で、今日の一瞬でキリストの誕生を喜ぶことを抑えられず、天使や羊飼いを通じて告げたような熱心な心が皆さん一人一人にもあるかどうかを見極められるでしょう。
もし私たちがこのような心を持ってこの日を迎えることができれば、たとえ私たちが直接イエスの誕生を見ていないし、2千年という長い歴史を経ても、そのような私たちの心情は歴史的な障壁を超えて神の心情、そして天使たちの心情と結びつくものです。皆さんは今、この瞬間が歴史的な瞬間であることを理解する必要があります。本当にそのような心情に至った場合、悲しみが幸福に変わることを感じるでしょう。
私たちは喜びに溢れ、栄光のメシアを証言する者になれず、十字架にかけられたその方の悲しい物語を証言しなければならない悲しい者たちです。皆さんは今、それを感じるでしょう。
こうしたことを考えると、今日、皆さんはこれまでの2千年の歴史を経て多くの聖徒たちがこの日を祝ったが、本当に天の心情を代わって祝福した者は極めて少ないことを知るべきです。また、2千年の歴史を代わりにこの日を迎えるために、2千年前の聖徒たちが天使や東方の賢者、または牧者の声を聞いてキリストの死と悲しみを証言しなければなりません。これらのことをしなければ、歴史的な誕生をされたイエス様の前に立つことができる資格がないことを皆さんは理解しなければなりません。
今日、新たな意志を持って集まった皆さん!皆さんはイエス様の立場を考え、イエス様の心の中にあなたが誕生するまでの4千年の歴史の悲しみが満ちていたことを知る必要があります。また、誕生された後の30年以上の生涯の悲しみがこの日にあることを知る必要がありますし、再び来られると約束された後の2000年の悲しみがこの日にあることを知る必要があります。
それでは、今日、私たちはどのような使命を果たすべきでしょうか。皆さんはまず、イエス様の悲しい事情を代わり得る立場に立って、神がイエス様をどのように悲しまれていたかについて思いやるべきです。その後、皆さんは自分たちを通じて歴史上行き来したすべての聖人たちから慰めを受ける存在にならなければならず、天使の加護と証言を受ける存在にならなければなりません。
そして、イエス様が再び来られる時、天が一瞬にして全ての天使を動員されたその価値を代わってやるべきであり、イエス様の誕生時に数多くの聖人たちが心配したことを代わって癒やし、慰める心を持つ存在にならなければなりません。このような準備と決意がなければ、イエス様の誕生の日を中心に過去と現在と未来の神の計画と思想を引き継ぐことができず、継承することができないことを皆さんは理解しなければなりません。
また、イエス・キリストが去られることによって、4千年間にわたって備えて来られた神の計画の目的を完了しようとされたイエス・キリストの御心が2千年延長され、6千年の復帰の歴史となったこと、また、イエス・キリストによって成し遂げられるべき先祖たちの希望が2千年延長されて降りてきたこと、そして、神の憂いによって無数の使徒や聖人、あるいは何千万もの天使たちの憂いが込められ、2千年間延長されて降りてきたことを考えると、私たちはイエス・キリストを十字架に掲げられた神の悲しみ以上の悲しみを感じなければならず、イエス・キリストが十字架に行かれた時のイエス・キリスト以上の悲しみを感じなければならず、イエス・キリストが十字架に戻られた時、天上で何千万もの聖人や天使たちが悲しんでいたこと以上の悲しみを感じなければなりません。
したがって、歴史を振り返りながら、天地が悲しんでいた怨念の気持ちを解消するために、一人で全てを代わりに準備できる人間となるべきです。このようにして再臨の日を待ちながら、準備が整った資格者となり、おいでになるメシアの理念が何であるかを知り尽くし、その御心が現れる時に証する天使たちの使命まで負う覚悟を持つ皆さんが、天が望まれるようにクリスマスを祝うことができることを、皆さんは知っておかなければなりません。
今日、キリストの誕生を祝う礼拝に集まった皆さん、皆さんは神とイエス・キリスト、そして何千万もの天使の悲しみを清算し、天の御心を引き継いでその御心をこの地に実現させる資格者とならなければならず、神がようやく永遠の祝福の日を見つめ、安息されることができると気づかなければなりません。
このようにして、今日、皆さんは重要な歴史的な焦点に立っているということです。ですから、キリストが再臨される希望の日のために準備しなければならないこの時に置かれた皆さんは、歴史的な証人としてまたは神の計画を引き継ぐ者として、キリストの誕生を振り返りながら祝福する人々とならなければなりません。そうすれば神が皆さんを見て、今までに構築された全ての怨念を解消されることができます。また、キリストの御心を代わりに達成する喜びを感じると同時に、イエス・キリストも皆さんを通じて自身の栄光を神に還元することができるということです。
文鮮明先生御言葉選集 3-15 三位基台の意義
1958年1月3日(金)夜、前本部教会
三位基台を組織しましたが、皆さんはその天的な価値をよく知らないでしょう。皆さんは原理を通じて帰還という言葉の意味を知っています。では、何を帰還するのでしょうか?イエス・キリストはこの地上で何を帰還すべきでしたか?帰還の任務において、イエス・キリストの中心的な責任は何でしたか?それはアダム家庭で失われたその数を見つけることです。これを帰還すべき使命を持ってイエス・キリストはこの地に来られたのです。
そのため、アダム家族にはアダムを中心にし、三人の息子と彼らの妻を合わせた八人の家族がいましたが、この八人の家族を帰還するために神は1600年間の間、計画されました。また、120年間、計画の意味を理解するためにノアを選ばれ、ノアの八人の家族を立てられたのです。
アダムから10代を経てノアを立て、ハムの過ちにより継続して計画を理解できなくなり、さらに10代を延長してアブラハムまで降りてきました。しかし、アブラハムが犠牲を捧げる際にもまた過ちにより2代をもっと延長することとなりました。そしてヤコブの時にようやく2千年の計画の段階を完了したのです。これを皆さんはご存知のはずです。
では、ヤコブの十二人の息子は何を象徴するでしょうか?それはアダムからノアまでを象徴し、これを帰還する数を象徴し、縦の歴史を横に帰還する数を象徴するのです。ヤコブはこのような意味を持つ十二人の息子を立てなければならなかったのです。
如何にも、皆さんが知っているように、6千年の計画の終わりには6千年間神が計画された内容が横に現れることになります。聖書66巻が6千年の帰還計画の記録であるならば、聖書66巻の事実が横にこの地上に一斉に展開されるのです。そのため、ある場所では創世記1章を担当する人がいて、また別の場所では2章を担当する人もいるのです。そしてこのように、多くの人々が聖書66巻の部分部分を担当しています。
では、終わりはいつですか?終末の歴史過程に現れた全体の計画を一時に地上で完成させなければならない時です。なぜなら神の帰還の計画は地上で完結されなければならないからです。それゆえ、終末の計画は横に世界中で現れなければならないということです。
それでは、これは何を表しているのでしょうか? 全体的に見れば、アダム家族のカインとアベルの争いを表しており、また歴史的に見れば、全体の争いの歴史を表しています。この中で計画の意味を終結させ、勝利者となった自己を見つけるためには、どのような存在になる必要がありますか?イエスはこの地に来て望んでいたその中心基準を、あなた自身が見つけて確立しなければなりません。そうでなければ、終わりには勝利の花婿としてイエスの前に立つことができないでしょう。
イエスは33年の生涯を過ごされましたが、イエスは30年の準備期間、3年の実践期間、3日の完成期間を経て、3つの段階の歴史過程を解決しておられます。また、3年の共生命の期間を置いて、意志を受け入れて出発される際に3つの試練を経験し、最後の十字架が目前に迫ったゲツセマネの園で3度の祈りをされました。3度の祈りを捧げられる際には、一人ではなくペテロ、ヤコブ、ヨハネ、すなわち3人の弟子を連れて行かれたのです。
イエスが最後に命を賭けて懇願の祈りを捧げる場面で、三人の弟子もイエスと同じ心で夜を明け方まで祈り続けなければならなかったにもかかわらず、三人の弟子は眠ってしまいました。それゆえにイエスとの関係が断たれることとなり、そこに敵意が残ることとなりました。これを理解する必要があるでしょう。それでは、今日の帰還の運命を挽回するためには、私たち一人ひとりの使命は何であり、私たちはどのようにすればよいでしょうか? 私たちはゲツセマネの園のペテロ、ヤコブ、ヨハネとなり、一人の責任を担わなければなりません。この責任を果たさないといけない立場に置かれていることを覚えておかなければなりません。
イエスの悲しみは十二人の弟子がイエスの意志を受け入れなかったことであり、十二人の弟子を代わって三人の弟子がイエスの心情を理解してくれなかったことです。死の直前にイエスの悲しい心情が今日までの一つの恨みとして残っていることを理解する必要があります。
では、今日のあなたたちはどのようになるべきでしょうか? あなたたち自身がペテロ、ヤコブ、ヨハネとなり、三人が一つとなって主の前に誰も引き離すことのできない一つの模範を備えておかなければなりません。そうすることで、ゲツセマネの園で祈っていたイエス・キリストの悲しみの心情の前にやっと立つ資格者となるのです。
この意志を帰還するために探しに出た私たちだからこそ、このような三位基台の組織をしなければならないのです。それでは、イエスはどうして三人の弟子を連れて行ったのでしょうか? アダム家族においてアダムを代表した方がイエスであり、アダムの三人の息子を代表したのがイエスの三人の弟子でした。このように、イエスはアダムとして来られたのです。
ペテロ、ヤコブ、ヨハネはカイン、アベル、セトを代表する弟子たちです。イエスはこの地において三人の弟子を立て、相手を見つけて八つの家族を形成し、アダムとノアの八つの家族形を回復する使命をなさったが、その意志を果たせずに独身のまま去られました。
それゆえ、花婿と花嫁の名を残して2千年間労苦されました。その後今日までこの原則的な基準、すなわちアダム家族でアダムを中心とした三人の息子の基準をこの地に見つけて立てることが最後の計画の意志としてこの地に残されていることです。
今日の私たちの教会において、男性三人、女性三人、このように三位基台を創りました。なぜこのようにしたかというと、今後主を奉仕する私たちにとっては、アダム家族のアダム夫妻とその三人の息子と三人の婿を代表できる模範を持たなければならないからです。
そのため、これらの三人が一つにならないと再び破壊される恐れがあります。特に三人の男性が一つにならなければなりません。肉体的にも、精神的にも一つになり、一つの体となることができなければなりません。それゆえに、時間的な限界ではなく、時間を超越した一つの形を持たなければなりません。そうしなければ、再び来られる主の前に立つ資格がないことをあなたがたは理解しなければなりません。
もし三人が一つになり意志を代表できる原則的な足場を築くならば、もう一度言いますが、天が変わるかもしれませんが、私たちは変わらない三位基台であり、天はこのような期待の上に意志を達成されるでしょう。
このような内容を持つために、あなた方を中心にして三位基台を組織しました。そして三位基台を構成するにあたり、あなた方は三位基台を中心にし、十人が団結しなければなりません。なぜなら、三位基台は主を中心にし、ゲツセマネの園で祈っていた三人の弟子を代表すると同時に、アダムを中心とした三人の息子の形を探して立てる形態でもあるからです。
また、三位基台を中心にし、班を作る意味があるとして、結局はアダムからノアまで十代を代表するものであり、班長は二人の責任があるため、十二人の形を持ったものと見ることができます。
これはまたノアからヤコブまで十二代を代表するものであり、歴史的な側面、すなわち終末の側面においては、十代と十二代を代表するものです。そして終末の2千年の歴史を代表できる横の十二の形を持っているため、ヤコブの十二の子供を代表した数の人が一つになれば、2千年の神の計画の目的であったノアの家族を回復すると同時に、ヤコブ家の形を回復することになります。こうして三組が一つになり、一組は36数36人を代表することになります。これはヤコブにおいては十二の子、モーセにおいては十二の部族、イエスの十二使徒を示すものであり、6千年の歴史的代表を合わせたものを象徴する数が36数であるということです。
したがって、男性36人(36数)が一つになると、6千年の神の計画の過程で求めていた中心メンバーを終末の形でも持つことができ、横の面でも持つことができます。このような重大な責任と使命が36人にあるのですが、ここには重大な意味があります。男性36人と女性36人が合わせると72人になります。
ですから、イエスを中心にして70人の長老がいましたし、モーセを中心にして70人の長老、ヤコブの70家族がいました。そのため、イエス様と70人の長老、そしてイエス様の花嫁と合わせると72人になるのです。今日、天地の度数を合わせなければならない使命が私たちにありますので、私たちはこの山を越えなければなりません。
あなた方が三位基台に所属する三人が互いに心を合わせるべきではありません。そのような人は天国に行けません。統一の理念はここから始まります。三人の心を合わせなければ、天国に入ることはできません。入門もできません。天国の景色も見られません。また、三人が一つになってこれを単位として十二人の心を合わせて一つになれなければなりません。逆に、三組が合わさって一つのチームになり、この一チームの36人が団結すれば、サタンは何もできません。誰も壊すことはできません。世界でも3人が合わされば何もできないのです。
私たちの教会は八つの家族が動かなければなりません。どんなに大きな迫害を受ける教会であっても、指導者とその妻、そしてそこに三人の男性と三人の女性が結ばれた八つの家族が一つになれば、誰も壊せません。これが原則です。このような回復形を各自が持たなければならない使命があるという理由で、三位基台を組織しました。
天国の歴史もこのようになります。一人を立てて歴史をするのではなく、三人以上を立てて二人を打つのです。終末の時代に恩寵の歴史が始まる時にも、この原則で行われます。
天国は必ず三人を立てて一人を選びます。韓国の現実もこのようになっていますよね? 終末には必ず天が立ててくださるペテロ的存在、ヤコブ的存在、ヨハネ的存在、このように三人の使命をする人が現れます。その中で一人でもない二人は壊れやすいのです。しかし、三人が一つになれば壊れません。今日の霊的な人々が進む途中で壊れる大部分の原因がここにあります。
私たちがサタンを打ち負かし、神の怒りを解放するためには、末端の家族まで一つにならなければなりません。そうすればサタンは耐えられません。これが歴史的な形においても天地の運行度数にも当てはまるのです。一点を中心にして四方性があるように、東西南北があり、春夏秋冬の四季があります。四方を再び12方に分けると、東にも三人、南にも三人、北にも三人、西にも三人になります。このようにイエスを中心にして12数が立てられると、東西南北と春夏秋冬の完全な四方形を持つことができるのです。
イエスを中心に考えると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネは春の季節の形、つまり正月、2月、3月を象徴しています。彼らが12か月を通してイエスを中心にし、同じ距離で円を描いていれば、イエス様は帰られなかったでしょう。春の季節の形である三人の弟子の後ろには10月、11月、12月がありますが、これはサタンが侵入できるスペースがあることを意味しています。三大試練の根拠もここにあります。
10人が一つになろうとすると、そこには必ず三人の邪魔者がいます。理由もなく嫌い、攻撃する群れがいるということです。ですから、あなた方は三回以上試練を受けなければならないのです。この現象は終末に起こるため、個人の信仰にもそのような試練と苦難があり、個人から家庭単位へと発展していく際にもそのような試練があり、社会から国家、国家から世界へと移行する際にもそのような三大試練が生じることになります。
ですから、今日の世界的な終末時代において、世界人類は三度の天の試練とサタンの試練を超えなければなりません。これが第一次、第二次、第三次世界大戦なのです。個々の存在においても同じです。
今日の私たちにはこのような中心的な形に合わせて、それぞれの基準を持つ責任があるのです。霊界を見ると、12使徒を中心とした24長老があり、四元素があり、多くの霊がいるということです。地上の季節の運行を見ると、一年には四季があり、十二か月があり、また24節気があります。
そして、一つの季節には三か月があります。このように天と地は、その運行法に従って順理的に回る中で、人間だけがこれとは反対に回っているのです。これが堕落であるということです。これを正す責任があるため、イエス様はその使命を果たすためにこの地に降臨されたのです。そして今日の信者たちもこのような使命を果たさなければなりません。
信者たちにこのような使命があるために、全体のキリスト教の歴史を見ると、三段階の形を経なければならなかったということです。例えば、古教会にも新教会が生まれましたが、新教会からまた新しい宗教が生まれなければなりません。
そして、教派の分裂を見ると、新しい教派が12教派に分かれ、再び36教派や360教派になることを意味します。そうなると終末が来ることを知らなければなりません。また、国家的に見ると、三大国家を中心に世界は三つのブロックに分かれており、これが歴史の終わりを経て超えていくということです。そして、民主陣営だけでなく共産陣営でも三つのブロックに分かれているのです。
したがって、今年の天の命令は、皆さんを死に至らしめるために訓練することだということです。今年は修練の年、試練の年として、どんな苦痛も堂々と乗り越えることのできる年にしなければならず、12人以上の心を合わせる人を早急に作り上げなければなりません。
それでは、これからは天敵的なイデオロギーを代わって天の家族として立つことができる数が相当数いるでしょう。霊界には数億の霊が住んでいます。その霊たち全員が手を挙げて歓迎できるそのイデオロギーが、私たちが守るべき本来のイデオロギーであり、今日の地上で10人が一つになれなければ天国に行けないということなのです。
それでは、私たちは今度は他人の心を合わせる歴史的な代表者となりましょう。これまで神様は皆さんの心を合わせてくださる神様であり、神様には皆さんの市場を聞かねばならない責任があったということです。
このような原則があることを知り、特に今日は1月3日ですが、皆さんはしっかりと決心しなければなりません。3か月ごとに三位一体を変更するときには、皆さんが誰と会うことになろうとも一つにならなければなりません。皆さんは三位一体で結ばれた相手に「あなたは長い6千年の世界の歴史を辿って、なぜ私と出会ったのか?」と尋ねながら、歴史的な運命の出会いを感じなければなりません。そして、三人が一つになり、十人が一つになり、36、70人が一つにならなければならないのです。
したがって、このような組織は原理原則を離れてはならず、原則は組織を離れてはあり得ません。これが組織の生命です。このような形で天地の度数に合わせて、天地の中心と私の心の中心が一つになって回らなければならず、自分が万物の世界の運行法もに従って回らなければならないということです。
一日一日、私の心は天輪を中心にして回り、一年中、一生中も天倫を中心にして回らなければなりません。そうしなければ永遠に生きることはできないのです。
それでは、朝起きて、今日は誰のために回るのか、天倫のために回るのか?また、行く時には、今日は誰のために回ったのか、天倫のために回ったのかを自問自答しなければなりません。
その道は三位一体であり、班(バン)というものです。これを離れては生命の足場が存在しないのです。したがって、今回新たに三位一体を組織しました。ここで問題になるのは、どの程度まで天の意志を考え、それを生命にして動くかです。私たちの教会信者は皆平等で一つの家族です。
したがって、原則的な条件を設けて、法度に従って一つになればよいということです。今年からは、新たな覚悟のもとに新たな動きを展開しなければなりません。攻撃を開始しなければなりません。その意味で、天倫の前に実生活を通じてこのような原則的な足場を整え、宇宙的な一つの単位形態が自らを中心に据えて始まる驚くべき事実を、皆さんの喜びとして知り、進んでいかなければなりません。
6千年の歴史の中で意志の道を歩んでいる私は、最大の悲劇役者だと思ってください。これは他の人ができないことをしようということです。他人が辿れない一歩を踏み出そうということです。ここで、サタンは耐えられないということです。
1958年1月3日(金)夜、前本部教会
三位基台を組織しましたが、皆さんはその天的な価値をよく知らないでしょう。皆さんは原理を通じて帰還という言葉の意味を知っています。では、何を帰還するのでしょうか?イエス・キリストはこの地上で何を帰還すべきでしたか?帰還の任務において、イエス・キリストの中心的な責任は何でしたか?それはアダム家庭で失われたその数を見つけることです。これを帰還すべき使命を持ってイエス・キリストはこの地に来られたのです。
そのため、アダム家族にはアダムを中心にし、三人の息子と彼らの妻を合わせた八人の家族がいましたが、この八人の家族を帰還するために神は1600年間の間、計画されました。また、120年間、計画の意味を理解するためにノアを選ばれ、ノアの八人の家族を立てられたのです。
アダムから10代を経てノアを立て、ハムの過ちにより継続して計画を理解できなくなり、さらに10代を延長してアブラハムまで降りてきました。しかし、アブラハムが犠牲を捧げる際にもまた過ちにより2代をもっと延長することとなりました。そしてヤコブの時にようやく2千年の計画の段階を完了したのです。これを皆さんはご存知のはずです。
では、ヤコブの十二人の息子は何を象徴するでしょうか?それはアダムからノアまでを象徴し、これを帰還する数を象徴し、縦の歴史を横に帰還する数を象徴するのです。ヤコブはこのような意味を持つ十二人の息子を立てなければならなかったのです。
如何にも、皆さんが知っているように、6千年の計画の終わりには6千年間神が計画された内容が横に現れることになります。聖書66巻が6千年の帰還計画の記録であるならば、聖書66巻の事実が横にこの地上に一斉に展開されるのです。そのため、ある場所では創世記1章を担当する人がいて、また別の場所では2章を担当する人もいるのです。そしてこのように、多くの人々が聖書66巻の部分部分を担当しています。
では、終わりはいつですか?終末の歴史過程に現れた全体の計画を一時に地上で完成させなければならない時です。なぜなら神の帰還の計画は地上で完結されなければならないからです。それゆえ、終末の計画は横に世界中で現れなければならないということです。
それでは、これは何を表しているのでしょうか? 全体的に見れば、アダム家族のカインとアベルの争いを表しており、また歴史的に見れば、全体の争いの歴史を表しています。この中で計画の意味を終結させ、勝利者となった自己を見つけるためには、どのような存在になる必要がありますか?イエスはこの地に来て望んでいたその中心基準を、あなた自身が見つけて確立しなければなりません。そうでなければ、終わりには勝利の花婿としてイエスの前に立つことができないでしょう。
イエスは33年の生涯を過ごされましたが、イエスは30年の準備期間、3年の実践期間、3日の完成期間を経て、3つの段階の歴史過程を解決しておられます。また、3年の共生命の期間を置いて、意志を受け入れて出発される際に3つの試練を経験し、最後の十字架が目前に迫ったゲツセマネの園で3度の祈りをされました。3度の祈りを捧げられる際には、一人ではなくペテロ、ヤコブ、ヨハネ、すなわち3人の弟子を連れて行かれたのです。
イエスが最後に命を賭けて懇願の祈りを捧げる場面で、三人の弟子もイエスと同じ心で夜を明け方まで祈り続けなければならなかったにもかかわらず、三人の弟子は眠ってしまいました。それゆえにイエスとの関係が断たれることとなり、そこに敵意が残ることとなりました。これを理解する必要があるでしょう。それでは、今日の帰還の運命を挽回するためには、私たち一人ひとりの使命は何であり、私たちはどのようにすればよいでしょうか? 私たちはゲツセマネの園のペテロ、ヤコブ、ヨハネとなり、一人の責任を担わなければなりません。この責任を果たさないといけない立場に置かれていることを覚えておかなければなりません。
イエスの悲しみは十二人の弟子がイエスの意志を受け入れなかったことであり、十二人の弟子を代わって三人の弟子がイエスの心情を理解してくれなかったことです。死の直前にイエスの悲しい心情が今日までの一つの恨みとして残っていることを理解する必要があります。
では、今日のあなたたちはどのようになるべきでしょうか? あなたたち自身がペテロ、ヤコブ、ヨハネとなり、三人が一つとなって主の前に誰も引き離すことのできない一つの模範を備えておかなければなりません。そうすることで、ゲツセマネの園で祈っていたイエス・キリストの悲しみの心情の前にやっと立つ資格者となるのです。
この意志を帰還するために探しに出た私たちだからこそ、このような三位基台の組織をしなければならないのです。それでは、イエスはどうして三人の弟子を連れて行ったのでしょうか? アダム家族においてアダムを代表した方がイエスであり、アダムの三人の息子を代表したのがイエスの三人の弟子でした。このように、イエスはアダムとして来られたのです。
ペテロ、ヤコブ、ヨハネはカイン、アベル、セトを代表する弟子たちです。イエスはこの地において三人の弟子を立て、相手を見つけて八つの家族を形成し、アダムとノアの八つの家族形を回復する使命をなさったが、その意志を果たせずに独身のまま去られました。
それゆえ、花婿と花嫁の名を残して2千年間労苦されました。その後今日までこの原則的な基準、すなわちアダム家族でアダムを中心とした三人の息子の基準をこの地に見つけて立てることが最後の計画の意志としてこの地に残されていることです。
今日の私たちの教会において、男性三人、女性三人、このように三位基台を創りました。なぜこのようにしたかというと、今後主を奉仕する私たちにとっては、アダム家族のアダム夫妻とその三人の息子と三人の婿を代表できる模範を持たなければならないからです。
そのため、これらの三人が一つにならないと再び破壊される恐れがあります。特に三人の男性が一つにならなければなりません。肉体的にも、精神的にも一つになり、一つの体となることができなければなりません。それゆえに、時間的な限界ではなく、時間を超越した一つの形を持たなければなりません。そうしなければ、再び来られる主の前に立つ資格がないことをあなたがたは理解しなければなりません。
もし三人が一つになり意志を代表できる原則的な足場を築くならば、もう一度言いますが、天が変わるかもしれませんが、私たちは変わらない三位基台であり、天はこのような期待の上に意志を達成されるでしょう。
このような内容を持つために、あなた方を中心にして三位基台を組織しました。そして三位基台を構成するにあたり、あなた方は三位基台を中心にし、十人が団結しなければなりません。なぜなら、三位基台は主を中心にし、ゲツセマネの園で祈っていた三人の弟子を代表すると同時に、アダムを中心とした三人の息子の形を探して立てる形態でもあるからです。
また、三位基台を中心にし、班を作る意味があるとして、結局はアダムからノアまで十代を代表するものであり、班長は二人の責任があるため、十二人の形を持ったものと見ることができます。
これはまたノアからヤコブまで十二代を代表するものであり、歴史的な側面、すなわち終末の側面においては、十代と十二代を代表するものです。そして終末の2千年の歴史を代表できる横の十二の形を持っているため、ヤコブの十二の子供を代表した数の人が一つになれば、2千年の神の計画の目的であったノアの家族を回復すると同時に、ヤコブ家の形を回復することになります。こうして三組が一つになり、一組は36数36人を代表することになります。これはヤコブにおいては十二の子、モーセにおいては十二の部族、イエスの十二使徒を示すものであり、6千年の歴史的代表を合わせたものを象徴する数が36数であるということです。
したがって、男性36人(36数)が一つになると、6千年の神の計画の過程で求めていた中心メンバーを終末の形でも持つことができ、横の面でも持つことができます。このような重大な責任と使命が36人にあるのですが、ここには重大な意味があります。男性36人と女性36人が合わせると72人になります。
ですから、イエスを中心にして70人の長老がいましたし、モーセを中心にして70人の長老、ヤコブの70家族がいました。そのため、イエス様と70人の長老、そしてイエス様の花嫁と合わせると72人になるのです。今日、天地の度数を合わせなければならない使命が私たちにありますので、私たちはこの山を越えなければなりません。
あなた方が三位基台に所属する三人が互いに心を合わせるべきではありません。そのような人は天国に行けません。統一の理念はここから始まります。三人の心を合わせなければ、天国に入ることはできません。入門もできません。天国の景色も見られません。また、三人が一つになってこれを単位として十二人の心を合わせて一つになれなければなりません。逆に、三組が合わさって一つのチームになり、この一チームの36人が団結すれば、サタンは何もできません。誰も壊すことはできません。世界でも3人が合わされば何もできないのです。
私たちの教会は八つの家族が動かなければなりません。どんなに大きな迫害を受ける教会であっても、指導者とその妻、そしてそこに三人の男性と三人の女性が結ばれた八つの家族が一つになれば、誰も壊せません。これが原則です。このような回復形を各自が持たなければならない使命があるという理由で、三位基台を組織しました。
天国の歴史もこのようになります。一人を立てて歴史をするのではなく、三人以上を立てて二人を打つのです。終末の時代に恩寵の歴史が始まる時にも、この原則で行われます。
天国は必ず三人を立てて一人を選びます。韓国の現実もこのようになっていますよね? 終末には必ず天が立ててくださるペテロ的存在、ヤコブ的存在、ヨハネ的存在、このように三人の使命をする人が現れます。その中で一人でもない二人は壊れやすいのです。しかし、三人が一つになれば壊れません。今日の霊的な人々が進む途中で壊れる大部分の原因がここにあります。
私たちがサタンを打ち負かし、神の怒りを解放するためには、末端の家族まで一つにならなければなりません。そうすればサタンは耐えられません。これが歴史的な形においても天地の運行度数にも当てはまるのです。一点を中心にして四方性があるように、東西南北があり、春夏秋冬の四季があります。四方を再び12方に分けると、東にも三人、南にも三人、北にも三人、西にも三人になります。このようにイエスを中心にして12数が立てられると、東西南北と春夏秋冬の完全な四方形を持つことができるのです。
イエスを中心に考えると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネは春の季節の形、つまり正月、2月、3月を象徴しています。彼らが12か月を通してイエスを中心にし、同じ距離で円を描いていれば、イエス様は帰られなかったでしょう。春の季節の形である三人の弟子の後ろには10月、11月、12月がありますが、これはサタンが侵入できるスペースがあることを意味しています。三大試練の根拠もここにあります。
10人が一つになろうとすると、そこには必ず三人の邪魔者がいます。理由もなく嫌い、攻撃する群れがいるということです。ですから、あなた方は三回以上試練を受けなければならないのです。この現象は終末に起こるため、個人の信仰にもそのような試練と苦難があり、個人から家庭単位へと発展していく際にもそのような試練があり、社会から国家、国家から世界へと移行する際にもそのような三大試練が生じることになります。
ですから、今日の世界的な終末時代において、世界人類は三度の天の試練とサタンの試練を超えなければなりません。これが第一次、第二次、第三次世界大戦なのです。個々の存在においても同じです。
今日の私たちにはこのような中心的な形に合わせて、それぞれの基準を持つ責任があるのです。霊界を見ると、12使徒を中心とした24長老があり、四元素があり、多くの霊がいるということです。地上の季節の運行を見ると、一年には四季があり、十二か月があり、また24節気があります。
そして、一つの季節には三か月があります。このように天と地は、その運行法に従って順理的に回る中で、人間だけがこれとは反対に回っているのです。これが堕落であるということです。これを正す責任があるため、イエス様はその使命を果たすためにこの地に降臨されたのです。そして今日の信者たちもこのような使命を果たさなければなりません。
信者たちにこのような使命があるために、全体のキリスト教の歴史を見ると、三段階の形を経なければならなかったということです。例えば、古教会にも新教会が生まれましたが、新教会からまた新しい宗教が生まれなければなりません。
そして、教派の分裂を見ると、新しい教派が12教派に分かれ、再び36教派や360教派になることを意味します。そうなると終末が来ることを知らなければなりません。また、国家的に見ると、三大国家を中心に世界は三つのブロックに分かれており、これが歴史の終わりを経て超えていくということです。そして、民主陣営だけでなく共産陣営でも三つのブロックに分かれているのです。
したがって、今年の天の命令は、皆さんを死に至らしめるために訓練することだということです。今年は修練の年、試練の年として、どんな苦痛も堂々と乗り越えることのできる年にしなければならず、12人以上の心を合わせる人を早急に作り上げなければなりません。
それでは、これからは天敵的なイデオロギーを代わって天の家族として立つことができる数が相当数いるでしょう。霊界には数億の霊が住んでいます。その霊たち全員が手を挙げて歓迎できるそのイデオロギーが、私たちが守るべき本来のイデオロギーであり、今日の地上で10人が一つになれなければ天国に行けないということなのです。
それでは、私たちは今度は他人の心を合わせる歴史的な代表者となりましょう。これまで神様は皆さんの心を合わせてくださる神様であり、神様には皆さんの市場を聞かねばならない責任があったということです。
このような原則があることを知り、特に今日は1月3日ですが、皆さんはしっかりと決心しなければなりません。3か月ごとに三位一体を変更するときには、皆さんが誰と会うことになろうとも一つにならなければなりません。皆さんは三位一体で結ばれた相手に「あなたは長い6千年の世界の歴史を辿って、なぜ私と出会ったのか?」と尋ねながら、歴史的な運命の出会いを感じなければなりません。そして、三人が一つになり、十人が一つになり、36、70人が一つにならなければならないのです。
したがって、このような組織は原理原則を離れてはならず、原則は組織を離れてはあり得ません。これが組織の生命です。このような形で天地の度数に合わせて、天地の中心と私の心の中心が一つになって回らなければならず、自分が万物の世界の運行法もに従って回らなければならないということです。
一日一日、私の心は天輪を中心にして回り、一年中、一生中も天倫を中心にして回らなければなりません。そうしなければ永遠に生きることはできないのです。
それでは、朝起きて、今日は誰のために回るのか、天倫のために回るのか?また、行く時には、今日は誰のために回ったのか、天倫のために回ったのかを自問自答しなければなりません。
その道は三位一体であり、班(バン)というものです。これを離れては生命の足場が存在しないのです。したがって、今回新たに三位一体を組織しました。ここで問題になるのは、どの程度まで天の意志を考え、それを生命にして動くかです。私たちの教会信者は皆平等で一つの家族です。
したがって、原則的な条件を設けて、法度に従って一つになればよいということです。今年からは、新たな覚悟のもとに新たな動きを展開しなければなりません。攻撃を開始しなければなりません。その意味で、天倫の前に実生活を通じてこのような原則的な足場を整え、宇宙的な一つの単位形態が自らを中心に据えて始まる驚くべき事実を、皆さんの喜びとして知り、進んでいかなければなりません。
6千年の歴史の中で意志の道を歩んでいる私は、最大の悲劇役者だと思ってください。これは他の人ができないことをしようということです。他人が辿れない一歩を踏み出そうということです。ここで、サタンは耐えられないということです。