できた時間に、TVを消して
過去を振り返る。
発しつづけてきた、問い。
僕は何者なのか、
どこから来て、どこへ行くのか。
どこかに僕を必要としている人がいるのではないのか。
人生に何かやるべき使命があるのではないのか。
だけど、ふと思う。
逆なのではないのか、と。
人間は問うものではなく、問われているのもではないのかと。
自然発生的に起きる、毎日の出来事。
それについてどう振舞おうが、それはその人の自由。
最後の瞬間まで、舵は自分自身の手に握られている。
それをその手から離す自由さえも与えられている。
しかし、毎日この瞬間にも僕らは試されているのではないのだろうか。
人からしてもらったことの大きさを測る暇があるのならば、
人にしてあげたことの小ささを感じるほうが先ではないのか。
現状に不満を言うのならば、自分が周囲に対してできることを考えることのほうが
重要だ。
「人生」というものにも僕は考え違いをしていたのかもしれない。
いかに自分の思うように生きていくのか追求していても
真の幸せには届かないのかもしれない。
問題は、与えられている課題をどのように解くのか。
自分が問題を発するのではなく、
人生そのものが問題を発しているのかもしれない。
僕は自分の人生に回答を出さなければならない。
最良の方法は知らないが、最悪の回答は知っている。
それは、「逃避」
過去を振り返る。
発しつづけてきた、問い。
僕は何者なのか、
どこから来て、どこへ行くのか。
どこかに僕を必要としている人がいるのではないのか。
人生に何かやるべき使命があるのではないのか。
だけど、ふと思う。
逆なのではないのか、と。
人間は問うものではなく、問われているのもではないのかと。
自然発生的に起きる、毎日の出来事。
それについてどう振舞おうが、それはその人の自由。
最後の瞬間まで、舵は自分自身の手に握られている。
それをその手から離す自由さえも与えられている。
しかし、毎日この瞬間にも僕らは試されているのではないのだろうか。
人からしてもらったことの大きさを測る暇があるのならば、
人にしてあげたことの小ささを感じるほうが先ではないのか。
現状に不満を言うのならば、自分が周囲に対してできることを考えることのほうが
重要だ。
「人生」というものにも僕は考え違いをしていたのかもしれない。
いかに自分の思うように生きていくのか追求していても
真の幸せには届かないのかもしれない。
問題は、与えられている課題をどのように解くのか。
自分が問題を発するのではなく、
人生そのものが問題を発しているのかもしれない。
僕は自分の人生に回答を出さなければならない。
最良の方法は知らないが、最悪の回答は知っている。
それは、「逃避」