献立日報

二人の息子は自立して家を出て、子育て終了感満載な私。
食事を作る気が失せてしまいました。

あきらめない生き物

2015-05-21 20:32:59 | エッセイ
今日から次男が初めてのテスト期間に入った
どうも授業中に聞いたことは まったく覚えていない彼は 明日のテスト範囲のワーク(学校指定の問題集)をしようとしても わからなくて全然すすまない
シンドイ事に明日は理科と社会
覚える事が主流の教科二つだ・・

全くしていないワークを教科書を広げながら ひとつひとつ説明しながら進めていく
覚えていない上に 問題文の表現もイマイチ理解できていない
「『いずれか』って何??」
そういえば小学生対象の問題って 「どっちがどれでしょう」という表現だったかも

教科書と便覧と図鑑を広げて水の中の小さな生き物からはじまり 被子植物 裸子植物に終わる
顕微鏡の使い方もテスト範囲だ
「高倍率って何??」
簡単に 高倍率になる程細かく観察でき 範囲が狭まると書かれても 彼には何のことかさっぱりわからない
小さな子供に噛んで含めるように レンズの倍率の数字が大きくなるほど 細かく小さなものが見えるという事を説明する

このあたりから 「こんなの覚えても意味がない」と言い出す
一般常識だと言っても「生活するのに 特に必要のない知識だ」とごたくを並べ始める

だんだん私はイライラしてくるのだが かなり我慢して テスト範囲をなんとか夕食までに済ませることができた
「もうあきらめてよ」と次男
とっさに
「お母さんという生き物は 子供の事をあきらめない生き物だから」と反論していた

自分にできる事は全部してやりたいと思う
子供のためじゃない 自分の為だ
「あのとき こうすればよかった こうしてあげればよかった」と思うのが嫌なのだ
特に勉強は させる習慣をつけさせないとかなり後悔しそうだ

私の母親はもう70代後半なのだが 私が受験を失敗したことをかなり悔やんでいる
今だに 大学の進路を決める時に 共通一次を受けさせればよかった、先生が薦めてくれた大学を受験させればよかった
と くどくどと言われるのだ
私も歳をとると こうなるのかな、と思いつつ聞いているのだが こんな風に後悔するくらいなら 思いっきり子供の勉強で苦労して それでも駄目なら不可抗力だったと結論づけようと思うようになった

だから親の責任下にある義務教育の間はあきらめない
「次回のテストの時は ワークは早めに済ませて テストの前日は覚えていないところの暗記にしよう。 その為に毎日すこしづつ覚えていこうね。お母さんと一緒にしようね」
と次男に話すと 次男はやっぱり「もうあきらめて」と言わんばかりのイヤな顔をしていた









 

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