老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

東日本大震災から13年 ~改めて問われる想像力~

2024年03月11日 19時41分52秒 | 原発関係

 ついこの前のような気もするのですが、もう13年も経ったのですね。

 福島第一原発も大きな被害を受け、保管能力を超えてしまった汚染水は、トリチュームの除去はできないままでも一応処理されたということで、漁業関係者や近隣諸国の反対の声を押し切って海洋投棄されていますし、デブリの撤去についてはまだ具体的な方法も確定できていないだけでなく、13年経過してもまだ除染が進まないために元の居住地に帰還できない人が沢山おられます。
その上に使用済み核燃料の処分方法についてはまだ殆ど見通しがついていないというのが実情です。

 また、あの当時は世論としてほぼ定着しかけていた『やはり、原発は危険なものなので、脱原発を目指すべき』という声は、最近のロシアに拠るウクライナ侵攻などに拠るエネルギー源の見直しなどもあり殆ど聞かれなくなり、世界的にも原発回帰の方向に進んでいるように思えまし、この動向に乗って、地元住民の安全は二の次ぎにして、「原発は安全だ!」と主張する政府や関係者の神経は疑わざるを得ません。
今一度、日本に於ける原発の恐ろしさを考えてみるべきではないでしょうか。

(1)原発は産業にはなりえない
他のエネルギー源と比べて発電コスト的が安くて安定している電源とされていますが、

・福島第一だけでなくチェルノブイリ/スリーマイル島原発でも同様ですが、万一の場合には簡単に修復できない事故となる。

・また、その場合の付近住民やなどに与える莫大な被害への対応などを考慮すれば莫大なコストがかかり、発電コストの有利性などは吹っ飛んでしまう。

 とすれば、原発というものが国民に貢献する、ましてや安全な産業だなどとはとても言えないでしょう。

(2)安全性の保障/地震対策
 今年発生した北陸大地震でも、震源地に近い志賀原発では外部から電気を受けるために使われる変圧器の配管が壊れて、絶縁や冷却のための油が漏れ出してまだ復旧の目途が付いていないとのことですし、また万一大地震発生時の避難路断絶問題も大きくクローズアップされるなど地震頻発国の日本に於ける原発の危険性は更に明確になったようにも思えます。

何よりも専門家と称する人たちが安全性の基盤としている大地震の発生可能性については、今回の北陸大地震でも判ったように、地質学者がまだ把握できていない地震の要因となる断層があちこちにあるわけで、既知の断層だけを判断材料とする危険性が明らかになりました。

・専門家や推進を望むたちが良く口にする言葉に「科学的データ」というのがありますが、この場合の「科学的データ」というのは、いわば<過去に起こった事象の内で、現時点で把握できているもの>ということでしょう。

 地球上では最も後輩である人類が、把握できている過去の事象などは本当に極々一部分だけで、原発に及ぼす危険性を把握できているなどとの思い上がりは傲慢そのものでしょう。

・更に、本来安全だという以上は、万一に備えての避難路などは必要ないのでしょうが、辻褄合わせに作成された避難計画なるもののいい加減さが今回の北陸地震でも明らかになりました。
原発に重大事故が起こるような地震災害や自然災害時には、机上で作られた避難経路など全く役立たないことが明らかなのです。


 このように、「科学的データ」に基づく安全性とか、辻褄合わせに机上で作られた避難経路などは、手持ちのデータを超える実際の自然災害発生時には全く役立たないものであり、本当の安全性を論じる場合は、科学的な想像力ではないでしょうか。


(3)人間を尊重する対策を
 もう一つ、原発問題に関しては、私にはどうしても忘れられない場面があります。
少し前に、ドキュメンタリー番組の再放送だったと思うのですが、福島県に住むある若い男性の物語でした。


 彼がまだ小学生のころ、福島は原発立地に湧いていて、この小学生は町が募集していた原発推進の標語に応募し『原子力 明るい未来のエネルギー』という標語を書き、見事に当選しました。

 これは大々的に報じられただけでなく、町のメインストリートの上に横断幕として掲げられ、彼も鼻高々だったようです。

 しかし、その後に起こったのが東日本大震災。
彼はまだ残っているその横断幕を見る度に、まるで自分が加害者のような気持になり、後悔と苦悩に苛まれたようです。

また、原発を推進した町は、その後その横断幕を何事もなかったように(勿論、彼にも相談せずに・・・)撤去。まるで自分たちは関わっていないような様子だったと言います。

 以上のような粗筋でしたが、もし自分がこの青年の立場だったらと思うと本当にゾッとします。

 このような立場になった多くの人が<まだ子供で何も判らなかった>ということで済ますことだと思いますが、彼はそうではなかったのです。

 当時の大人たちの言い分に何の疑問を抱かずにしたことが大きな間違いどころか、或いは他の人も犠牲者に巻き込んでしまうことになったと気付いた時に、自分もそれに加担したと思い悩むのですが、それを相談できる相手がいないどころか、自分は関係ないよと戸を閉めてしまう場面に出会ったら、本当に自分の居場所などないような悔しい気持ちだったでしょう。実に過酷なことだったと思います。

 「賛成」の声を上げる人にも、それぞれの持論があるでしょうが、何か事があった時にこの青年のように自分がしてきたことに正直に向き合えるかが人間としての根本だと思います。

 上記の標語の募集担当をされた担当者の対応は聞いていませんが、一般的には「自分は職責として担当しただけ」ということで、この応募した子供の気持ちなどは全く考慮する余地などなかったのではないかと推測します。(もし、そうでなかったとしたら尊敬をするとともに深くお詫びします)


 今の日本の政治家や公務員にその様に自分が担当して推進したことに対しては、責任を持って向き合うという気概が感じ取れない以上は、危険なことは推進すべきではないというのが私の気持ちですし、万一の場合に原発推進に関わったために受ける心的な影響に対する対策や覚悟などに対する想像力も絶対に必要でしょう。

 要するに原発に関しては現在の科学水準では地震多発国で絶対に安全な原発はないでしょうし、ましてや推進者が最悪の場合に自分の責任を感じて真に向き合う覚悟がないのなら推進すべきでないという気持ちです。(まさ)

※ このドキュメンタリー番組の内容については、当時メモしたものを参考にしましたが、もし大きく違っている所があればお知らせください。





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