老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
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福島第一原発の汚染水の海洋投棄  ~続~ 

2021年04月18日 19時03分58秒 | 原発関係

 一昨日このブログで「福島第一原発の汚染処理水の海洋投棄」というテーマで書き込みをしましたが、自分の気持ちを伝えねばということで急いで書き込んだので、後から見直すとおかしなところがありましたので、下記訂正並びに追加書き込みをします。

1)先ず「汚染処理水」という呼び方ですが、これは明らかにおかしいので「汚染水」に変更します。

◆処理水というと、何か“処理されて、安全になったもの”というようなイメージを抱きますが、どう処理しようと汚染物質が完全になくならない以上はあくまで「汚染水」ということになるでしょう。

単なる言葉の綾というよりは、投棄される水質が安全なものというイメージを持たせる政府の巧みな言葉遣いに騙されるところでした。

◆それともう一つ、廃棄される汚染水の水質が一見安全なように、「排水基準の40分の1に希釈」という表現ですが、

・いかに希釈しようと、廃棄される汚染物質の総量が減るわけではなく、原発事故という人為的に発生した汚染物質がそのまま世界中の共通財産である海洋に投棄されることになるのです。

・また希釈する水は、河川水や地下水或いは海水にせよ、いずれも自然界に存在するもので、新たに人工的に作られる水でない以上は、投棄される汚染物質の総量が希釈されるものではないでしょう。

 

2)日本人の自然と向き合い方を覆す暴挙
 日本人は今まで我々を取り巻く自然に敬意を払い、共存を大切にしてきたおかげで、自然環境を大切にし、それと向き合う繊細な感性を培ってきました。

 このような積み重ねが、「美しい日本」とか「素晴らしい日本人」とか呼ばれる基盤になっていると思うのですが、この我々を取り巻く自然の代表とでもいえる「海」をこのような原発事故による汚染水の海洋投棄で汚すということに簡単に踏み込めるという判断は、単なる暴挙というよりは、今までの日本人の在り方を否定することを意味します。

 何時まで続くか判らない現在の政権がご都合主義で簡単に決められる事柄ではないでしょう。


 このような汚染水の海洋投棄を行えば、日本並びに日本人は今まで築き上げてきた世界の人からの尊敬を一挙に失ってしまい、経済性だけを最優先する正にEconomic Animalと呼ばれても仕方がない存在になってしまうでしょう。(まさ)


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