3月は、様々な卒業の季節・・・。
高校がいち早く行われ、次いで中学、そして小学校、幼保ですね。
コロナ禍の中、今までのようには行かない面もあるけれど、気持ちは変わらず込めて行われると良いですね。
思い出に残っている卒業の日は3つあって、どれが一番、とは本当はランク付けたくはないのですが、
何よりも直球に響いたのが中学校での卒業式でした。
全体の卒業式で、通常クラス(息子はそこに交流としている)での生徒の名前を呼ぶときの担任の先生の声が涙声になったり、
その後の支援級での卒業のお祝いを行ったときも、
1~3年の時の思い出の画像が映像で流れてきたり、上4役の先生がそれぞれそっと見に来て下さったり、
3年生の3人それぞれに先生方が1通づつお手紙を下さったり、
講師として見えていたことのある先生も駆けつけてギター演奏して下さったり、
最後の見送りも含めて、今こう書いているだけでもじ~んとなってしまいます。
その前の「卒業の日」の時があまり良くなかったこともあって、それだけにここまで暖かいお祝いに何とも言えなくて、もの凄く私が泣けてしまったのは今も忘れられず。
その後、丁度中学の近くを歩いていて、卒業の日の見送りの音楽を聴いてでさえ、まるでパブロフの犬ではないですが反射的に涙が出てしまうくらい。
涙、と言えば保育園での事も。
役員をしていて、上の級の子たちの卒園後の謝恩会を手伝ったときは、親は涙でも園児達は和気藹々、だったのに、
息子達の番の時はなんと先生や親は勿論、園児達も別れを惜しんで号泣でした!
息子はご本人さんならではで、今ひとつ共感のチャンネルがその時は合わなかったからか泣かなかったけれど;
でもそれだけ良い先生達で、別れたくなかったんだよね。
この時も去ってしまうのが名残惜しかったのでした。
*中学の時も、息子は泣かなかったけれど(天敵で争っていたG君はもの凄く泣いていたようだけど)、この時はやはり名残惜しさを感じていたようでしたよ。
そして高校。
まだ学校が続くような感覚でいて、卒業なんて信じられなかったけれど来てしまった、という感じ。
でも泣けてしまう、というよりは、確かに涙も出たけどそれよりも、次への旅立ちへ、という感じの方が強い卒業の日でした。
でも、担任の先生、副担任の先生共に涙ぐんでいた、、特に副担任の厳しかった先生(でも変な厳しさではなくて、私は好きだった)が泣きはらしていて驚いたのでした。
この時、式に、当時の支援級担当ではなく、その時は交流級のあの涙声で生徒名を読んでいた先生だったけど、その頃支援級にいた先生が、行けない主任の先生の代わりに来てくださったことも、しかも遠隔地域からは唯一来てくださったことにも感謝です。
教室では、クラスのみんなでお世話になった担任・副担任の先生へサプライズのお手紙と歌が。またそれぞれの生徒達の学校への思いも話してくれました。
一杯同級生や先生達との息子の写真を撮ったなぁ。
高校の卒業は、直球にこそは中学や保育園のようには響かなかったけれど、後からじわじわやってきた、という感じでした。
卒業翌日にすぐ自動車学校入校という(在学時には運転免許は取れない校則だった)忙しい日々が一旦落ち着いた頃に、親の私は「燃え尽き」を起こしました。
(その前に多分は予兆はあったのですが)
当時の教室に似た学校風景のし~んとした映像見て、「今の3年生の教室は、こんな感じなのかな?」と思えて涙が出てきたり。
*以上、心に残った卒業の日々でした。
残念な日となったのは小学校で・・・。
式後の支援級教室でのお祝い場面に上役はどなたも顔を出されず、
見送りも6年生の担任の先生以外はあっさりとその場を離れ、見送ったり名残惜しむ様子がなかったのは、今思っても残念な感じで。
当時は色々揉めた親の私の影響なのかと思ったのですが、6年生全体となるとそうばかりでも無かったのかも知れない・・・。
思うに、小学校の日々での先生方の対応は、肝心要な時にことごとく「はずしてくれる」対応でした・・・。
(学校側として誤ってはくれたときでも、仕方なく言った感が強かったり、以下略すけど、担任、周りの先生の不備は色々!!沢山!!!良い先生との出会いもあっても短い期間だったりで。)
→多少の不備はあったとしても、肝心要なポイントには絶対外さなかった中学の時ともの凄い対照的です!!!!!
卒業の日、、先生方の、その時担当した生徒(と親かな、)への想いが、ダイレクトに現れてしまう日でもあり、そこは或る意味怖くもあります。
暖かく、名残惜しく見送ってくださるのか、、
ああ、やっと終わった、出て行ってくれる、あの親とも会わなくて済む、という思いが露わになってあっさりしたものになってしまうのか。
(できれば、せめてお別れの挨拶はあって欲しかった。その後影でああやっと、と本音を言うのはかまわないから、卒業、学校如何に関わらず、別れ方は結構重要な気がする。)
先生達にとっては繰り返される行事でも、その子と親にとってはそれぞれ一度限りの日。
卒業を向かえるご家庭の皆様へ、
それぞれのその日が、素敵な、心に残る日でありますように。次へのステップに向けて、希望ある日になりますように。
もし、そうでなかった日になったとしても、、
マーヤの地下放送ではないけれど、それが明日への出会いをより美しくするための前触れの日、になることを願っています。
高校がいち早く行われ、次いで中学、そして小学校、幼保ですね。
コロナ禍の中、今までのようには行かない面もあるけれど、気持ちは変わらず込めて行われると良いですね。
思い出に残っている卒業の日は3つあって、どれが一番、とは本当はランク付けたくはないのですが、
何よりも直球に響いたのが中学校での卒業式でした。
全体の卒業式で、通常クラス(息子はそこに交流としている)での生徒の名前を呼ぶときの担任の先生の声が涙声になったり、
その後の支援級での卒業のお祝いを行ったときも、
1~3年の時の思い出の画像が映像で流れてきたり、上4役の先生がそれぞれそっと見に来て下さったり、
3年生の3人それぞれに先生方が1通づつお手紙を下さったり、
講師として見えていたことのある先生も駆けつけてギター演奏して下さったり、
最後の見送りも含めて、今こう書いているだけでもじ~んとなってしまいます。
その前の「卒業の日」の時があまり良くなかったこともあって、それだけにここまで暖かいお祝いに何とも言えなくて、もの凄く私が泣けてしまったのは今も忘れられず。
その後、丁度中学の近くを歩いていて、卒業の日の見送りの音楽を聴いてでさえ、まるでパブロフの犬ではないですが反射的に涙が出てしまうくらい。
涙、と言えば保育園での事も。
役員をしていて、上の級の子たちの卒園後の謝恩会を手伝ったときは、親は涙でも園児達は和気藹々、だったのに、
息子達の番の時はなんと先生や親は勿論、園児達も別れを惜しんで号泣でした!
息子はご本人さんならではで、今ひとつ共感のチャンネルがその時は合わなかったからか泣かなかったけれど;
でもそれだけ良い先生達で、別れたくなかったんだよね。
この時も去ってしまうのが名残惜しかったのでした。
*中学の時も、息子は泣かなかったけれど(天敵で争っていたG君はもの凄く泣いていたようだけど)、この時はやはり名残惜しさを感じていたようでしたよ。
そして高校。
まだ学校が続くような感覚でいて、卒業なんて信じられなかったけれど来てしまった、という感じ。
でも泣けてしまう、というよりは、確かに涙も出たけどそれよりも、次への旅立ちへ、という感じの方が強い卒業の日でした。
でも、担任の先生、副担任の先生共に涙ぐんでいた、、特に副担任の厳しかった先生(でも変な厳しさではなくて、私は好きだった)が泣きはらしていて驚いたのでした。
この時、式に、当時の支援級担当ではなく、その時は交流級のあの涙声で生徒名を読んでいた先生だったけど、その頃支援級にいた先生が、行けない主任の先生の代わりに来てくださったことも、しかも遠隔地域からは唯一来てくださったことにも感謝です。
教室では、クラスのみんなでお世話になった担任・副担任の先生へサプライズのお手紙と歌が。またそれぞれの生徒達の学校への思いも話してくれました。
一杯同級生や先生達との息子の写真を撮ったなぁ。
高校の卒業は、直球にこそは中学や保育園のようには響かなかったけれど、後からじわじわやってきた、という感じでした。
卒業翌日にすぐ自動車学校入校という(在学時には運転免許は取れない校則だった)忙しい日々が一旦落ち着いた頃に、親の私は「燃え尽き」を起こしました。
(その前に多分は予兆はあったのですが)
当時の教室に似た学校風景のし~んとした映像見て、「今の3年生の教室は、こんな感じなのかな?」と思えて涙が出てきたり。
*以上、心に残った卒業の日々でした。
残念な日となったのは小学校で・・・。
式後の支援級教室でのお祝い場面に上役はどなたも顔を出されず、
見送りも6年生の担任の先生以外はあっさりとその場を離れ、見送ったり名残惜しむ様子がなかったのは、今思っても残念な感じで。
当時は色々揉めた親の私の影響なのかと思ったのですが、6年生全体となるとそうばかりでも無かったのかも知れない・・・。
思うに、小学校の日々での先生方の対応は、肝心要な時にことごとく「はずしてくれる」対応でした・・・。
(学校側として誤ってはくれたときでも、仕方なく言った感が強かったり、以下略すけど、担任、周りの先生の不備は色々!!沢山!!!良い先生との出会いもあっても短い期間だったりで。)
→多少の不備はあったとしても、肝心要なポイントには絶対外さなかった中学の時ともの凄い対照的です!!!!!
卒業の日、、先生方の、その時担当した生徒(と親かな、)への想いが、ダイレクトに現れてしまう日でもあり、そこは或る意味怖くもあります。
暖かく、名残惜しく見送ってくださるのか、、
ああ、やっと終わった、出て行ってくれる、あの親とも会わなくて済む、という思いが露わになってあっさりしたものになってしまうのか。
(できれば、せめてお別れの挨拶はあって欲しかった。その後影でああやっと、と本音を言うのはかまわないから、卒業、学校如何に関わらず、別れ方は結構重要な気がする。)
先生達にとっては繰り返される行事でも、その子と親にとってはそれぞれ一度限りの日。
卒業を向かえるご家庭の皆様へ、
それぞれのその日が、素敵な、心に残る日でありますように。次へのステップに向けて、希望ある日になりますように。
もし、そうでなかった日になったとしても、、
マーヤの地下放送ではないけれど、それが明日への出会いをより美しくするための前触れの日、になることを願っています。
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