マガジン連載漫画「なれの果ての僕ら」の感想ですけど。
久々に書きます。
今回は色々思うところがあったので。
命を失うリスクが多大にある「実験」を強制する、イカレクラスメイトの用意した毒薬を盗んだのは、一人は主人公の恋人で。
もう一人は、あまりパッとしない女の子。
主人公の恋人が毒薬を盗んだのは、この狂った実験の主催者であるイカレクラスメイトを隙を見て毒殺するため。
つまり、この狂った状況を抜け出すために知恵を絞った結果だったんですけど。
もう一人の女の子が盗んだのは、小学校時代に精神的なイジメを受けた恨みを晴らすためで。
彼女曰く
「ある日突然無視されるようになり、毎日嫌なことを書かれた手紙を机の中に入れられるようになった。当時はそれがとても苦しくて、今でもそれが続いている。それでも今日の同窓会に参加したのは、イジメの首謀者たちが少しでもバツの悪そうな顔をするかどうか知りたかったから。もしそうであれば私は救われたのに、あいつらは普通に話しかけてきた。許せなかった」
だから盗んだ毒を飲ませて首謀者の一人の女の子を殺した。
動機を知った元クラスメイトたちは口々に
「そんなことで殺したのか!?」「この人殺し!」
一切誰も同情せず、罵る罵る。
胸糞悪いねぇw
そんなことってさ。
彼女の当時の苦しみの程度が何でキミらに分かるわけ?
彼女の苦しみが、人を殺す動機になり得ないと、どうして言えるわけ?
「アンタの殺した彼女は、サッカー頑張ってて、やっとレギュラーになれたと喜んでて、好きな人も出来てこれからの人生だったんだ!!土下座して謝って!!」(泣きながら、毒殺された女子の友人)
お笑い種なんですけど。
響くわけないじゃんよ。
呪って、呪って、憎み抜いて、その末に殺すことを決断した相手に。
幸せだの、夢だの、それがあったから、何?
全く意味のない抗議。
土下座なんてしねぇよ。
私が彼女の立場なら
「ハ?私を小学校の時散々苦しめたことをすっかり忘れ去って、人生謳歌してたんだ?そりゃ殺して正解だったね。今頃針の山でも登ってんじゃない?」
って言うかな。
で、逆上したその友人に殺されるように仕向けるかね。
そうすれば、相手を恨みで殺した殺人者という属性で同じにしてやれるので、2重の意味がある。
ちょうど彼女、人を殺すことで自分の人生の終焉も自覚してたしね。もう私は人間じゃ無いんだ、鬼なんだ、的な。
色々願ったりかなったりでしょ。
……と、あまり気持ちの良くない話はこれくらいにしておいて。
思うところ、って言うのはですね。
この毒殺系女子、どうするべきだったのかなぁ、と。
イジメの記憶を払拭するために、首謀者たちが今どうなのかを確かめに行った。
それが間違いだったんじゃ無いのかね。
私はそう思うんですけど。
人は変わるものだけど、良い方向に変わるとは限らないし。
望むように変わってるとも限らない。
知らなきゃトドメを刺されることも無かったのに。
この「確かめ」
言うなれば、競馬で全財産を馬券につぎ込んで、1レースに全てを賭けたようなもんでは無いですか?
狙いから外れれば、取り返しのつかないことになるよ?
でも、確かめないと苦しみから逃れられない。
考えなければ良いのでは?
それをすれば、負けたみたいで悔しい。
負けることがそんなに悪い事?
それに、勝ち負けって人生の1シーンで決定されるものなのかね?
毒を飲ませて殺した子は、サッカー頑張ってて芽が出そうで、恋もしてて殺されなければ順風満帆だったみたいに見えるけどさ。
それはこれからの人生が全て上手くいくということの保証では無いよ?
小学校時代の腐った性根がそのまんまだったら、それが原因で将来破滅するかもしれないし。
そうならなくても、もしかしたら、自分のときのように根性の腐った子供に本人ではなく彼女の子供が苦しめられる未来が来たかもしれない。
もしそうなったとしたら、果たしてそれは勝ってるの?
こういうのを仏教では業って言うんですかね。
業を積んでおいて、何かしら不幸が来たとき「何で私がこんな目に!?」って果たして言えるのかな?
これはとんでもない人生の負債だと思うんですが私は。
まぁ、同じことは、毒を飲ませた側の毒殺系女子にも言えるんだけど。
私は他人にやられたことをよく覚えているけど、他人にやらかしたこともわりと覚えているので。
いきなり階段から突き落とされるとか、電車のホームで突き飛ばされるとか。
もしそういうことが起きても、なんというか「そこまで業を積んでしまったか」的な諦めがあるんですよね。
「なんで俺がこんな目に!?」なんて、言えるほど思い上がっていないというか。
そう思えば、負けたように感じたとしてもそれほど重要には思えないと思うんですけど。
あぁ、何かしらの業でこうなったのかな、的な。
でも、だから許せって言ってるわけでも無いのよ。
許さなくてもいいの。
ただ、問題を考えるのを止めた方が楽よと。そう言ってるの。
TRPG「ソードワールド(無印)」に、暗黒神ミゴリっていう邪神が居るんですけどね。
不和と復讐を全肯定する邪神で、ソードワールドの世界の創世神話で「世界を完成させるために力を合わせていた光の神々と闇の神々の間で、両者の思惑の違いを煽りたて対立を促し、最後には世界の完成前に神々の戦争勃発という災厄をもたらした」と言われている存在。
ゲームの設定の話だけどさ、このミゴリみたいなことはしちゃいかんと思うのよ。多分ミゴリ的には「本音を晒しあえば手を取り合うことなんてできないはずなのに、力を合わせて世界完成なんて間違ってる。決着をつけてから取り組むべきだ」って思ったのかもしれんけど。
必ずしも決着や解決を目指さずに、放り出した方が良い問題もあるというか。
正面から取り組むと災厄しかもたらさなさそうな事案の場合、場合によっては放り出すことも悪い事では無いと思うのよね。
久々に書きます。
今回は色々思うところがあったので。
命を失うリスクが多大にある「実験」を強制する、イカレクラスメイトの用意した毒薬を盗んだのは、一人は主人公の恋人で。
もう一人は、あまりパッとしない女の子。
主人公の恋人が毒薬を盗んだのは、この狂った実験の主催者であるイカレクラスメイトを隙を見て毒殺するため。
つまり、この狂った状況を抜け出すために知恵を絞った結果だったんですけど。
もう一人の女の子が盗んだのは、小学校時代に精神的なイジメを受けた恨みを晴らすためで。
彼女曰く
「ある日突然無視されるようになり、毎日嫌なことを書かれた手紙を机の中に入れられるようになった。当時はそれがとても苦しくて、今でもそれが続いている。それでも今日の同窓会に参加したのは、イジメの首謀者たちが少しでもバツの悪そうな顔をするかどうか知りたかったから。もしそうであれば私は救われたのに、あいつらは普通に話しかけてきた。許せなかった」
だから盗んだ毒を飲ませて首謀者の一人の女の子を殺した。
動機を知った元クラスメイトたちは口々に
「そんなことで殺したのか!?」「この人殺し!」
一切誰も同情せず、罵る罵る。
胸糞悪いねぇw
そんなことってさ。
彼女の当時の苦しみの程度が何でキミらに分かるわけ?
彼女の苦しみが、人を殺す動機になり得ないと、どうして言えるわけ?
「アンタの殺した彼女は、サッカー頑張ってて、やっとレギュラーになれたと喜んでて、好きな人も出来てこれからの人生だったんだ!!土下座して謝って!!」(泣きながら、毒殺された女子の友人)
お笑い種なんですけど。
響くわけないじゃんよ。
呪って、呪って、憎み抜いて、その末に殺すことを決断した相手に。
幸せだの、夢だの、それがあったから、何?
全く意味のない抗議。
土下座なんてしねぇよ。
私が彼女の立場なら
「ハ?私を小学校の時散々苦しめたことをすっかり忘れ去って、人生謳歌してたんだ?そりゃ殺して正解だったね。今頃針の山でも登ってんじゃない?」
って言うかな。
で、逆上したその友人に殺されるように仕向けるかね。
そうすれば、相手を恨みで殺した殺人者という属性で同じにしてやれるので、2重の意味がある。
ちょうど彼女、人を殺すことで自分の人生の終焉も自覚してたしね。もう私は人間じゃ無いんだ、鬼なんだ、的な。
色々願ったりかなったりでしょ。
……と、あまり気持ちの良くない話はこれくらいにしておいて。
思うところ、って言うのはですね。
この毒殺系女子、どうするべきだったのかなぁ、と。
イジメの記憶を払拭するために、首謀者たちが今どうなのかを確かめに行った。
それが間違いだったんじゃ無いのかね。
私はそう思うんですけど。
人は変わるものだけど、良い方向に変わるとは限らないし。
望むように変わってるとも限らない。
知らなきゃトドメを刺されることも無かったのに。
この「確かめ」
言うなれば、競馬で全財産を馬券につぎ込んで、1レースに全てを賭けたようなもんでは無いですか?
狙いから外れれば、取り返しのつかないことになるよ?
でも、確かめないと苦しみから逃れられない。
考えなければ良いのでは?
それをすれば、負けたみたいで悔しい。
負けることがそんなに悪い事?
それに、勝ち負けって人生の1シーンで決定されるものなのかね?
毒を飲ませて殺した子は、サッカー頑張ってて芽が出そうで、恋もしてて殺されなければ順風満帆だったみたいに見えるけどさ。
それはこれからの人生が全て上手くいくということの保証では無いよ?
小学校時代の腐った性根がそのまんまだったら、それが原因で将来破滅するかもしれないし。
そうならなくても、もしかしたら、自分のときのように根性の腐った子供に本人ではなく彼女の子供が苦しめられる未来が来たかもしれない。
もしそうなったとしたら、果たしてそれは勝ってるの?
こういうのを仏教では業って言うんですかね。
業を積んでおいて、何かしら不幸が来たとき「何で私がこんな目に!?」って果たして言えるのかな?
これはとんでもない人生の負債だと思うんですが私は。
まぁ、同じことは、毒を飲ませた側の毒殺系女子にも言えるんだけど。
私は他人にやられたことをよく覚えているけど、他人にやらかしたこともわりと覚えているので。
いきなり階段から突き落とされるとか、電車のホームで突き飛ばされるとか。
もしそういうことが起きても、なんというか「そこまで業を積んでしまったか」的な諦めがあるんですよね。
「なんで俺がこんな目に!?」なんて、言えるほど思い上がっていないというか。
そう思えば、負けたように感じたとしてもそれほど重要には思えないと思うんですけど。
あぁ、何かしらの業でこうなったのかな、的な。
でも、だから許せって言ってるわけでも無いのよ。
許さなくてもいいの。
ただ、問題を考えるのを止めた方が楽よと。そう言ってるの。
TRPG「ソードワールド(無印)」に、暗黒神ミゴリっていう邪神が居るんですけどね。
不和と復讐を全肯定する邪神で、ソードワールドの世界の創世神話で「世界を完成させるために力を合わせていた光の神々と闇の神々の間で、両者の思惑の違いを煽りたて対立を促し、最後には世界の完成前に神々の戦争勃発という災厄をもたらした」と言われている存在。
ゲームの設定の話だけどさ、このミゴリみたいなことはしちゃいかんと思うのよ。多分ミゴリ的には「本音を晒しあえば手を取り合うことなんてできないはずなのに、力を合わせて世界完成なんて間違ってる。決着をつけてから取り組むべきだ」って思ったのかもしれんけど。
必ずしも決着や解決を目指さずに、放り出した方が良い問題もあるというか。
正面から取り組むと災厄しかもたらさなさそうな事案の場合、場合によっては放り出すことも悪い事では無いと思うのよね。