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「「ぼくのマンガ人生: ぼくの戦争体験」手塚治虫」
手塚治虫:
私にはただひとつ、これだけは断じて殺されても翻せない主義がある。
それは戦争はごめんだ、ということだ
戦争というのは、兵隊が戦って死んでゆく、という単純なものではありません
歴史の上で何回も戦争は繰り返され、そのたびに多くの子どもたちが犠牲になってきました。
いまも世界中で沢山の子どもたちが、大人たちの争いの中で傷つき、手足を奪われ、両親や兄弟と引き離され、命も未来も踏みにじられています
その現実から目を逸らさないこと。
「関係ないじゃん」とそっぽを向かないこと。
平和な世界を望むなら、まずそこからはじめなければなりません
焼夷弾は、ばらまくときには一つの大きな束で、落ちていく途中でパッと傘のように開きます。
すると30ぐらいの小さな焼夷弾がそこからバッと飛び出して、地上に降りそそぐのです。
遠くのほうから聞いていると、ザッという夕立が来ているような音がします
そんな音が聞こえるときはまだ距離が離れていいるからいいのです。
これがすぐ頭の上になると、キューンというガラスを引っかいたような音に変わるのです。
その音がしたとたんに、下で聞いている人間は焼夷弾にやられるのです
その日は「ああ、B29が来たな」と思ったとたんに、「キューン」という音がしました。
ぼくは、「おれはもうおしまいだ!」と思って、監視哨の上で頭をかかえてうずくまりました
すると、ぼくのすぐ横を焼夷弾が落ちていき、ぼくがうずくまっている横の屋根に大穴があいて、焼夷弾が突き抜けていったのです。
下はたちまち火の海です
当時は防空演習といって、焼夷弾が落ちて来たら、隣組と言いますか、近所の人たちでバケツリレーをして、火を消す訓練をしていました。
ほんとうにばかばかしい訓練です。
しかし、そんなものはまったく用をなさない。
とにかく瞬間的にあたりは火の海になりました
焼夷弾はひじょうに小さな筒ですが、何百メートルも上から落とされますから、その加速度たるやたいへんなもので、防空壕の屋根を突き抜けて下に落ちてしまいます。
そこで爆発するのです人の頭の上から足まで突き抜けてしまうぐらいのすさまじい勢いです。
あたりにぼくの仲間とか、工員の人たちが死んでいます。
ぼくは逆上して、火を消すことも忘れ、一散に工場を駆け抜けて淀川の堤防へ出ました
淀川の堤防は避難所になっていて、空襲警報があるとその陰に隠れるということになっていました。
それで、多くの人が淀川の堤防に避難してきていました。
ところが、その堤防をめがけて無差別の何トン爆弾というやつが落ちたのです。
避難した人たちはひとたまりもありません。
ぼくが堤防に駆けあがると、死体の山です。
ウシもたくさん死んでいました。
淀川の堤防で食糧増産のために、牧場の代わりに、ウシを飼っていたのです
上流のほうにある淀川大橋にも直撃弾が当たりました。
だから、大橋の下に逃げこんだ人たちがひとたまりもなくやられてしまった
大阪の方向や、阪神沿線を見ると、まっ暗の雲の下が赤く光っています。
それもふつうの赤ではありません。
ちょっと形容しがたい赤なのです。
赤いイルミネーションのようです
それを見ているうちに、現実の世界ではないのではないか、もしかしたら夢を見ているのではないか、あるいはぼくはもう死んでしまって、地獄なのではないかという気が一瞬したのです。
そのくらい恐ろしい光景でした
「ぼくのマンガ人生: ぼくの戦争体験」手塚治虫・著/岩波書店http://bit.ly/Qk6Uhg より