こういう例もあるので、慎重に。
赤ちゃんのうなじにむくみ…「大きな病気があるかもしれません」
ところが、総合病院の産科で超音波検査を受けているとき、超音波の探触子(プローブ)を持つ産科医の手がピタリと止まりました。その産科医は、少し離れたところでパソコンに向かっていたもう一人の産科医を呼びました。二人の医師は「これ、そうだよね」などと言い合いながら、時間をかけて超音波検査を続けました。
女性は非常に強い不安感にとらわれました。この時、妊娠12週でした。
検査が終わって、医師は難しい顔で説明を始めました。
「赤ちゃんのうなじにむくみがあるんです。これを医学用語で『NT』と言うんです。赤ちゃんに何か大きな病気があるかもしれません」
「病気ってなんですか?」
不安はますます強くなりました。
「1週後にもう一度、ご主人と一緒に来てください。再検査をした上で、病気のことも説明します」
再受診で「妊娠を諦めるのも一つの選択です」
翌週、不安を抱えた夫婦は病院を再受診しました。今度も同じ医師二人が超音波検査を行いました。医師がつぶやきます。
「やはりむくみがあるね。5ミリかな、6ミリかな……」
検査が終わると、夫婦は医師と面談室で向き合いました。
「赤ちゃんのうなじにむくみがあると、重い病気を合併している可能性を考えなければいけないのです」
夫が恐る恐る質問しました。
「どんな病気でしょうか?」
「ダウン症とか、無脳症とか、臍帯(さいたい)ヘルニアとか……命に関わったり、障害が残ったりする病気です。あるいは、出産までに至らないかもしれません。妊娠を諦めるのも一つの選択です」
夫婦はびっくり仰天し、その説明に打ちのめされました。帰宅すると、夫婦はインターネットでNTについて調べました。確かに、心奇形とか口唇口蓋裂とか染色体異常とか、いろいろな言葉が出てきます。しかし、「妊娠を諦めるべきだ」という記載はありませんでした。
検査に定評のある病院では「このまま妊娠を続けて大丈夫」
夜になって夫婦は私に電話をかけてきました。そしてこれまでの経緯をすべて教えてくれました。
私が最初に感じたことは、産科医の説明が少しおかしいということでした。無脳症や臍帯ヘルニアの可能性があると言うのであれば、それは超音波検査で一目で分かるはずです。産科の先生たちは、目の前の画像検査の結果よりも、医学書に書かれている内容にとらわれているように私には感じられました。
「まずは落ち着いて。まだ赤ちゃんに異常があると決まったわけではありませんよ。妊娠中絶なんて、とんでもありません。赤ちゃんの超音波検査を別の産院でやり直しましょうよ。それも一日でも早い方がいいです。NTは時間がたつと消えてしまうことがあるんです」
私は、夫婦に胎児超音波検査に定評のある別の病院を紹介しました。
翌日、夫婦はその病院に電話を入れ、事情を話し、その日のうちに赤ちゃんの超音波検査を受けることに決まりました。
今度の先生は比較的若い医師でした。時間をかけて超音波検査の画面をじっと見つめています。あまりにもその時間が長いので、夫婦はまたも不安でいっぱいになりました。医師がおもむろに口を開きます。
「まず、脳にも心臓にも臍帯にも異常はありません。見える限り、内臓の異常は一切ありません。それからうなじのむくみですが……ほぼ問題にならない程度です」
「え? 先生、と言うことは……」
「ダウン症などの染色体異常を積極的に疑う必要はありません」
「では、なぜ前の病院でうなじがむくんでいると言われたのでしょうか?」
「うなじの浮腫を観察するのはとても難しいんです。時間をかけて、赤ちゃんが完全に真横を向くまで待たないといけないのです。体の軸がずれた状態で測定しても、正しい厚さはわかりません」
その言葉に夫婦は心底ほっとしました。女性はその夜、喜びの報告を私に電話で伝えてくれました。もちろん、すべての病気、すべての障害が超音波検査で分かるわけではありません。しかし医師から「このまま妊娠を続けて大丈夫」と告げられ、自分と赤ちゃんが人から認められたような気がして、とても安堵(あんど)したそうです。結局、赤ちゃんは40週になり、満期で健常な子として誕生しました。
「うなじの厚さを計測しません」…これも一つの見識
なぜこうした胎児エコーの間違いが起きたのでしょうか? それは、超音波装置の進歩に医師の腕が追いついていない部分があるからでしょう。胎児のうなじの浮腫がダウン症に関係があると学会で報告されると、医師は患者の希望とは関係なく、うなじの厚さのチェックをせざるを得なくなります。検査器機の精度が高いと、誰が検査をやっても「ある程度は」見えてしまうのです。
しかしながら、医師が1ミリ単位のNTを測定できるようになるためには、1回の検査に長い時間をかけて経験を多く積み重ねなければなりません。そうしたステップを踏んでいない医師が赤ちゃんのうなじを観察すると、こうした間違いが起こるのだと思われます。
本当に、すべての赤ちゃんに対してうなじの厚さを計測しなくてはいけないのでしょうか? 私の知っている千葉県のある総合病院の産科には張り紙がしてあって、「当科では胎児のうなじの厚みを計測しません」と書かれています。これも一つの見識だと思います。