散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

私の日常が別世界に変わった日々。3  20240925

2024年10月22日 23時09分43秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
救急車から運び込まれたジムに持ち込んだ私のリュックに入れた荷物の中から、ジムに行くときにはいていた普段着の短パンを出し、そのポケットから腕時計を取り出した。それまで救急車の中にも、雑然と機器やストレッチャーが置かれた作業場のようなパーテイションだけで区切られた救急の診察室?にも、時計はなく、時間が分からなかった。腕時計をして、そのときが夜の7時過ぎだと初めて分かった。ジムを出たのは、たぶん5時前後と思っている。ずいぶん時間がかかった。足の痺れはベッドに寝かされている間に多少よくなった。

確か救急車で運ばれ病院のベッド(ストレッチャー)に移し替えられたときにも、医師が来て病状を質問され、患部の範囲や痛みの有無や触診や、簡単な左足の動作確認をしていたようなきがする。その後医師は、どこかに行きその間、私はベッドの上で寝かされたまま待っていた。
やがて再び二人の医師が現れた。病状を聞かれ、多少痺れは、ましになったといった。左足に力が入らないのも多少力が入るようになっていた。それから、ベッドに寝たままその場で、左右の足首の血圧の同時測定や、心電図やエックス線等の検査を受け、医師たちは再び元に戻っていった。
しばらく、時間が過ぎ8時過ぎになっていた。時間を持て余しているときに、看護師が書類を持ちながら近づき、「このまま何もなければ、湿布薬を処方してもらい自分で、帰宅してもらうことになります。」と告げられた。その話を聞き、私はどのように帰宅するか考えをめぐらし、夕食はどこかで外食することを考えた。自宅から乗ってきた自転車はスポーツセンターに置いてあるので、地下鉄でスポーツセンターまで戻ることにした。しかし足の痺れがかなり良くなっているとはいえ、病院から地下鉄までの距離や、地下鉄の階段や最寄りの地下鉄からスポーツセンターまで、かなりの距離があるのが不安だった。
そんなことを思案していると、突然近くで作業していた看護師が、「白髪のジムの人があちらの部屋でずっと待っておられますよ。」、と言った。白髪のジムの人に心当たりはなかったが、この時間までわざわざ来て付き添ってくれたのかと思い、驚いて呼び込んでもらった。
 やはり、名前を名乗られたがその方は初対面の人だった。私は、8時過ぎまで待っていただいたことにお礼を述べた。そのうえで、看護師から伝えられた話を伝え、帰宅後数日休養してからまたジムに行くと伝えた。そして、ジムでお世話になった人たちによろしくお伝えくださいと伝えた。ジム白髪の人は、私が次にジムに行くときは、お世話になった人たちに先ずお礼を伝えてください、と言われた。私は改めて来ていただいたことに感謝のお礼を述べ、お帰りいただいた。
 しばらくして再び二人の医師(以後先生)があらわれた。すぐに病状を聞かれ、私は「痺れはかなり収まり、足にも多少力が入る感じがします。」と答えた。先生は、「一応念のためにエックス線CTを撮る」と告げられた。
ああ、これで帰りが遅くなると思った。ひょっとすると地下鉄がなくなりタクシーでスポーツセンターまで帰らねば、と思った。その前に外来診療の診察検査費用も支払わねばならず、月7-8万円で生活する貧困の独居老人にとって、とりあえず今日の支払いが不安だった。とにかく、ジム行くときの財布には、常にスーパーで食材を購入するクレジットカードと現金2千円しか入っていない。タクシーにしろ、病院代にしても、全てクレジット決済するしかないと思った。それ以前に、救急車で運ばれたときに聞かれた健康保険証も持ってきていないので請求金額は、大きくなると思った。こうなれば、成り行き任せと腹をくくった。

 先生がCT検査すると言われて、すぐにストレッチャーは、病院内に運ばれCTの部屋に連れていかれ、初めてCT撮影を受け、再び外来の部屋に戻った。
 先生は、なかなか現れなかった。10時半ごろ?2人の先生が現れた。CTの写真を見せてくれた。「ここに瘤がある。」動脈瘤と告げられた。左右に約4センチ前後の動脈瘤があるという。確かに写真を見ると、左側の腸骨動脈と右側の腸骨動脈に1つずつ瘤が見える。その大きさ左が4センチ余りで右側は3.5センチ程度に見えるという。先生は通常動脈瘤は2センチ前後になる処置をするといい、こんな大きさでは、いつ破裂してもおかしくないと言う。痺れの原因は腸骨動脈瘤から来たものではないかと告げられた。
 それを聞いた途端、泣きそうになった。腸骨動脈のことは知らなかったが、骨盤近くにあり脊椎あたりから動脈は、骨盤付近で左右に分岐し、左右の脚に伸びる主要な動脈であることは画像を見て分かった。これが破裂すれば、大出血を起こし命に係わる事態になるであろうことは素人の私でもわかる。先生は、これを処置する時、開腹手術は極めて困難な場所で、ステント手術になると告げられた。
 このとき、入院は不可避で、数週間単位の入院の可能性があると悟った。私は先生に、「今ジムから着の身着のまま来ているので、とりあえずタクシーで、自宅まで戻り必要なものを取りに戻りたい」と訴えたが、無駄だった。外来のストレッチャーからベッドに移し替えられ、そのまま緊急病棟(ICU病棟?)に運び込まれ、様々な書類にサインをさせられた。スポーツシャツに短パン姿のジムの服装のまま、点滴や心電計が体に繋がれた。ベッドから降りることは許されず、小便は毎回看護師を呼んで、尿瓶にすることになった。
 ベッドは多少V字型に角度がついていて、しかも、マットがふかふかで寝返りが打ちにくく寝苦しかった。夜中に頻繁に部屋への出入りがあり各種機器のアラームがあちこちで鳴り響き寝られなかった。さらに病院近くを通る中央大通りでは暴走族が騒音をまき散らしていた。

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私の日常が別世界に変わった日々。2

2024年10月20日 23時12分40秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
予想通り、5分間待っても救急車は来なかった。今問題になっている救急車の安易な使用による混雑の影響なのだろう。それからしばらくして救急車が来た。車いすを救急車のそばに持って行った。その時、車いすの周囲にいて、私をサポートしていただいたスポーツセンター関係者にお礼を言った。
私は、車いすからストレッチャーに乗り替えてから、そのまま救急車の社内に入れられ、後ろの扉が閉められた。
救急車は、長い時間停止したままだった。その間、先ず救急隊員から、詳しいそれまでのいきさつと病状の説明を求められ、それに答えた。左側の大臀部からハムストリングにかけての強烈な経験したことのない足の痺れと力が入らない状況は、全く改善しておらずいなかった。痛みはなく、左足ふくらはぎの下肢や足首には麻痺はなく、右足は、全く異変はなかった。

救急隊員は、救急車停止期間中に市内の多くの救急病院とやり取りしているようだった。「法円坂もダメだった」と、がっかりした会話が聞こえた。法円坂に病院があったのかなと思った。その後もしばらくいろんな病院とやり取りしているようだが、話の内容は聞こえてこないので、車内で不安な時間だけが過ぎた。やっと、国立医療センターが、外来診療だけなら診察すると言っているが、入院できず帰りは自分で帰宅することになるが、どうかと聞かれた。私には選択の余地はなく、「それで結構です」と返事した。診察を受けた後は、タクシーで自宅に戻るしかないと思った。
 救急車は動き出すと、すぐに止まった。多分中央大通りを法円坂方向に向かって走り出したのだろうが、「5・10日」と夕方の渋滞に巻き込まれていたようだ。かなり長い時間がたって、やっと国立大阪医療センターの救命救急室に入り、ストレッチャーのまま診察室に入り、病院のストレッチャーに移し替えられた。そこで、しばらく救急隊員から病院に引継ぎが行われ、救急車は帰った。
 すぐに、担当の看護師により症状を聞かれ検温や血圧測定が行われ、診察後は、帰宅してもらいますというようなことを念押しされたような記憶がある。(思い込みかもしれないが)それから診察を受けるまで長い時間待った。
 その間、帰りはどうしようかと考えていた。外の景色は、全くわからず、法円坂のどの辺にいるのもわからなかった。ただ昔の谷町4丁目にある国立大阪病院らしいことは、分かったので、帰りは地下鉄でジムまで帰り、そこから自転車で家に戻ろうと思っていた。
 病院のストレッチャーに乗せられている間も、ジムで運動している衣服のままだった。(半袖のスポーツシャツに短パン姿。)待っている間に、靴だけは運動靴をリュックに収め、家からジムに行くときの外出用の靴に履き替えていた。
 左足の状態に、回復の兆しはなかった。
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私の日常が別世界に変わった日々。1

2024年10月19日 22時22分39秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
2024年9月25日水曜日、いつものようにジムでの30分間のストレッチのレッスンのあと、ジムの受付横にある長椅子で一息ついてから、トレッドミル(ランニングマシン)に向かった。
最近ランニングができなくなっていたので、先ず競歩のように時速6kmで30分歩ける筋肉と持久力をつけて、時速7kmから8kmのランニングができる体力をつけようとしていて、この日のウオーキングもそのトレーニングのひとつと考えていた。

それまで、5月6月は、トレッドミルのハンドル(脈拍測定バー)を持ったり離したりしながら時速6kmから9kmの範囲で30分間休まず歩いたり走ったりしていて、時速8kmなら1分間は、ハンドルを持たずに走ることができた。しかし7月8月は無冷暖房の我が家の環境を考え、オーバーワークによる過労(早朝でも常時31℃以上の室温のため、暑さで疲労回復できない。)防止のため、時速5.5kmから6.2kmで2-30分間歩くようにしていた。この夏9月も猛暑が続いていたが下旬になり、気温も下がり、我が家の室温も30℃を切るようになったのでので、歩くスピードを上げ、ランニングできるようにしたいと考えていた。

この日も、トレッドミルで時速5.5km~6.5kmのインタバルのウオーキングを行って5-6分過ぎたころ、急に左足に異変を感じ、ウオーキングを止め受付横のベンチに座った。左臀部からハムストリングにかけて、しびれだしその痺れは、時間とともに強くなった。いたたまれずエレベーターホール横のマットを置いてあるスペースに移動することにした。しかし左足に力が入らない。壁伝いに壁に寄りかかりながら歩きエレベーターホール横のマットにうつ伏せになりながら倒れこんだ。不気味な足の痺れは強くなった。
 30分ほどたったころ尿意を催した。立とうとしたが、左足に力が入らないことに愕然とした。何か体内で大変なことが起きているのかもしれないと考えた。とにかく壁につかまりながら動きにくい左足を引きずりながらトイレまで行った。途中2mほどの廊下を横切れるか不安だったが、右足を軸にして廊下を渡った。小用を済ませ再びマットの上にうつ伏せになった。
 それから10分たっても良くなることは無く、激しい痺れは続いた。今私の体の中でただならぬことが起きている事を改めて認識した。必死に立ち上がり、意を決して壁伝いに受付に行って状況を説明しイ、ンストラクターのk氏に救急車の手配を依頼した。
K氏は事務所と連絡おとり、救急車が来ることになった。スポーツセンターの車いすが運ばれてきて載せられた。更衣室のロッカーから私の持ち物をすべて出し、私の膝に乗せられた。その後スポーツセンターの玄関で救急車を待った。その間膝の上の私の荷物をすべてリュックの中に詰め込んだ。救急車が到着するまで少し待った。運動時の半袖短パンのトレーニング姿のまま救急車を待った。足の痺れは変わらなかった。

着の身着のままの状態で、持ち物は食材買い出しのための財布だけで、スマホもない。これを考えた時に、今自分が置かれている状況が、貧困の独居老人で頼る人がいない現実の中で、突然の身体の大きな異変に遭遇して日常生活に大きな影響がありそうなことが自分の身に起きていることの意味を改めてかみしめた。
こうなれば、まな板の上の鯉でしかない。自分では、何もできない。すべて成行きに任せるしかないので心配しないことにした。連絡先は、警察(交番の地域住民調査)の巡回の時に話してあるが、連絡先は高齢なので動けないだろうし、とても頼れないと考えているので、通常の場合緊急連絡先はなしにしている。とにかくすべて自分で処理するしかない。
続く
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20240922 日 中国のSNSによる各国への世論操作分断工作に注意

2024年09月22日 23時08分50秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
秋雨前線の南下で涼しくなった。
数日前まで、たまに台風や低気圧の影響で数日30℃以下になることはあったが室温は寝る前でも32℃程度で朝でも30度以下になることはほとんどなかった。
そのため無気力になりがちで、だらだらと成行きの日々を送っていた。
この間世間では、いろいろなことが起きた。(時間があれば後日記載)
能登半島は、今、大雨により大規模な水害の被害を受けているようだが、全貌は不明だ。
正月の震災に加えての大水害。
被害が、少なくなることぉ祈るのみだ。

先ほど、NHKスペシャル中国のSNSによる世界の世論調査に関する調査報道をみた。
SNS上の世論の中には、中国からの操作で操られていることもあるらしい。
これは陰謀論ではなく、NHKが各国の情報専門家やセキュリティー企業とともに、中国からの膨大な流出文書をもとに、解明したものだ。
結論から言うとネット上では中国により大量のボットが作られ、そこで中国に都合の良い偽情報や中国寄りの意見が拡散されるというのだ。
現実に、台湾ではインド人労働者増員反対集会が多く開かれ、社会問題になった。
その集会の起点になったのは、SNS情報だった。
SNS情報の発信元から多くのボットを中継し拡散された、
その文面の言葉遣には、台湾で使用されない言葉があり、中国が関係する疑いが浮上した。
彼らは多くのボットを作り、それを使い大量に拡散し、若い女に不安を与え多くの集会が行われ、社旗問題になったという。
この番組では客観的なデーターが提示され、中国による戦略的世論操作の実態が明らかになった。
日本でも同様のことが行われているという。
福島第一原発の処理水放出問題で偽情報を投稿しSNS上で2000件近くのリポストがあったが、NHK他日本のマスコミの正確な情報による指摘があり、世論工作失敗した。
こうした状況を見ると、中国は常に情報戦を行い、戦略的に関係国の世論の分断対立や混乱を狙っているようだ。
数十年前は、中国は侵略しない国で自衛隊を強化する意味がないと信じていた。
しかし、尖閣問題や南シナ海の中国の武力侵略の実態を目の当たりにし、そうした考えは吹っ飛んだ。

我々は、ネット情報の真偽を疑い、陰謀論に惑わされないようにしたい。
少なくとも、NHKや有力紙の報道は、幾重にも事実の検証がおこなわれ、おおむね信用してよいと思う。
それでも、まれに誤報道が見つかることもあるので、常に批判的にニュースを見ることが必要だ。

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むらぶろ20070831 0901 0901

2024年07月07日 17時50分29秒 | 村ぶろ散歩者アーカイブ
今日(20240707)も暑かった。大阪の最高気温は34..8℃
今朝は我が家の室温が31℃から下がらず、夜中に何度も起きた。
土曜日にプールで泳いで体に熱が籠ったのかもしれない。
毎年寝るときの室温が30℃以上の時は、裏庭で水シャワーを浴びて体を冷やしてから寝る。
今日から水シャワー復活させよう。
午前3時ごろ縁側に排気している扇風機の設定を強にすると、部屋に風が通りはじめ朝の8時まで寝ることができた。
この先が思いやられる。
以下「むらぶろ 散歩者」



コーヒー
テーマ:ブログ
2007/08/31 01:06
コーヒーは好きで1日2-3杯飲む。
家に居るときはペーパーフィルターをセットしドリップを入れる。
以前は、豆やさんで、ブラジルやモカやコロンビアとか買って適当にブレンドして飲んだ。
(おいしいコーヒーは豆の種類と割合 挽き方 鮮度 が大切)

実は40歳で脱サラした後、1年ほど大阪のJR玉造駅から西へ上町台地を上る途中で
喫茶店を開いたことがある。
「陽の当たる坂道」という喫茶店が廃業するということでそこを引き継ぎ名前を変えて
開店したが、利益はでず1年で廃業した。(その場所は再開発され、マンションになっている。)
サラリーマン時代はコーヒマシンの設計研究開発にも絡んだ(開発責任者として基本構想・設計もまとめた。輸入品のまねでない独自技術を使用し、初の国産化をした。退職後に大阪駅前から阪急へ渡る横断歩道から旧ガード下の通路入口で、新鮮なドリップコーヒーが大量に販売されているのを見たときはうれしかった。エスプレッソの加圧は、水温コントロールにより飽和蒸気圧を精密制御する方式を初めて開発した。)こともあり、コーヒーの味も分るので喫茶店ぐらいという安易な考えではじめたのが失敗だった。
ほろ苦い思い出だ。

今にして思えば早く切り上げてよかった。
昔タイプの喫茶店は立地のいいところは別にして斜陽産業でどんどん消えている。
ビジネス街や繁華街ではスターバックスのようなマーケッティングをしシステム化して多く店舗展開し
価格も安く回転率の高いところが増えている。
ドトールは席数が少なくこじんまりしているせいか、旧型の雰囲気を少し残している。
コーヒーの味も程ほどで価格と比べるとこんなものかとも思う。
マクドナルドが新規カフェに展開するというがたのしみである。

コーヒーには、カフェインが多く含まれ、興奮作用があり、疲れたり眠気覚ましに良い。
血行促進作用もある。 運動前に飲むと代謝促進作用がありダイエットにつながるそうだ。
特保をの認可を受けたコーヒーもこのごろよく宣伝している。
最近のニュースではコーヒーが女性の大腸がん予防に効果があるということが
厚生労働省研究班から発表されたと報道されていた。
健康もいいがおいしい薫り高いコーヒーをのみたい。
1. みにっち
2007/09/02 15:22
こんにちわ みにっちです。
きょうはコメントありがとうございました。
私もコーヒーが好きでよく飲みますが、健康にもいいんですね。よかった(笑い)



大阪クラシック
テーマ:音楽
2007/09/01 01:47
今日といっても8/31チケットピアから電子チケット準備催促のメールが届いた。
早速近くのコンビニを廻ったが、ファミリーマートと思っていたのはすべて違っていた。
人間の記憶て当てにならないと思いつつ、家に帰りパソコンで検索。
一度も行ったことのないところにファミマはあった。自転車で10分程度

実はチケットピアのチケット発券手続きは初めてで、機械の操作手順をプリントし持っていった。
恐る恐るIDと暗証番号を入力しその後操作を重ねると長いレシートのような物が
出てきたので、それをレジに持っていき手数料を支払うと、簡単にチケットが入手できた。

チケットは大阪クラシックの演奏会のものだ。
昨年まで大阪クラシックを知らなかった。
昨年の9月、裁判所北の北区西天満界隈通称老松通りの画廊めぐりをした後淀屋橋の
喫茶店で一休みしようと、御堂筋を自転車で走っていた。
中ノ島の大阪市役所の前に行列が出来ている。
市役所で講演会でもあるのかと思って行列の横を通過途中大阪クラシックの看板が目に入った。
なんと市役所でコンサートがあったのだ。
しかも超低料金で。当然チケットは完売していた。

堂島川と御堂筋に面した淀屋橋のカフェでコーヒーをすすりながら
川向いの市役所を見て貴重な情報を見落としていた自分に腹が立った。
市役所の天井の高い大理石のロビーでのオーケストラの響きはきっとすばらしいに
違いないと思った。

家に帰り即パソコンで「大阪クラシック」を調べた。
大植英次指揮の大フィルは、一度生を聴いてみたいと以前から思っていた。
「大阪クラシック」は世界各国で活躍し高い評価を得ている指揮者大植英次氏
(大フィル音楽監督)が企画し、大阪フィルハーモニーを率いて約1週間にわたり御堂筋
を中心に演奏会(オーケストラから数名の小編成まで)を開き、多くが無料で、
有料のものでも超低価格である。
東京に比べ文化芸術に無関心な大阪の文化振興の刺激になるいい企画だ。
大阪クラシックの全体像が分ったとき、来年は絶対行ってやると思った。
今日やっとそのチケットが手に入った
演奏会が楽しみだ。

地蔵盆
テーマ:ブログ
2007/09/01 13:51
今朝何気なくTVを見ていると、NHKで西日本の旅「お地蔵さん見守る路地の街~大阪・福島区」で野田の地蔵盆を取り上げていた。 偶然私が初回に取り上げた地蔵盆の記述の行事が今もしっかりと残っているのをみて懐かしく思った。(NHKは地蔵盆の前からしっかりと企画取材していたであろう。)
今でも私が幼かった頃の風習が残っているのはうらやましい。
うちの町内の子安地蔵では。子供もほとんどいなくなり、お地蔵様の提灯も数個下げられるだけだ。

私の住んでいる地域も空襲をまぬかれた為、地域社会が残っていたが、少子化と高齢化で世代交代が進み、長屋もほとんど新しい一戸建ての家に置き換わり、幼馴染や小中学校の同級生達も転勤や結婚で近所からいなくなり近所の馴染みのおっちゃん、おばちゃんも息子娘の元に引っ越した。
地域社会の崩壊であるが、それでも町内会があり、年末の夜回り当番もある。
町内に5軒以上あった家内工業も今は2軒の町工場となり、残っている工場主の住居は引っ越した。
昔は、田舎同様少し離れたお家の家族構成や仕事もみんなが知っていたが、今は町内の住人の正確な名前や家族構成もよく知らないし町内会に入っていない家さえある。
人の繋がりもほとんど無くなり、顔を合わしても挨拶すらしない人もいて寂しくなった。
今では狭い路地で肩ふれあいながら盆踊りをしていたことを知る人もほとんどいなくなった。

ところが少しはなれたところに30年前に工場跡地に分譲マンションが建った。
そこの分譲マンションの住人には元々この地域の住民が多く入居し、中学時代の同級生もはいっている。
あるときそのマンションの駐車場の端にお地蔵さんが建立された。
今では地蔵盆になると盛大におまつりをし、駐車場でパーティーをしている。
地域社会は人と人のつながりが作る物であることを実感している。
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黄色くなったブロッコリーは食べられる、梅雨の中の猛暑 20240706 土

2024年07月06日 23時13分22秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
今日は、プチ断食を実施した。

断食も終わり、夕食を作ろうとブロッコリーを出すと、1日で黄色くなっていた。
ブロッコリーの開花だ。
念のため、AIに尋ねた、
予想通り開花なので問題はないが、多少甘みが増しわずかながら栄養価が減るらしい。
食べて全く問題はないという。
以前は、黄色くなったブロッコリーを捨てていたが、これから、食べることにする。

それにしても梅雨の時期なのに暑い。
ここ数日、梅雨前線が北上し、真夏の気圧配置になり、日本全国記録的高温が続出し、最高で39℃台を記録。
無冷房の我が家の今朝5時ごろの室温は32℃。
パジャマも汗でべたべただ。
それでもよく寝ている。
口呼吸で口が乾き、夜中に起き上がらずに寝たまま枕元に置いたペットボトルの水を飲んで、そのまま即寝るが、尿意を催し4~5時頃トイレに起きることが多い。
数日に1回は夜中にトイレに一度も行かない日があるが、それには条件がある。
日中にある程度運動していないと、夜中に目覚めるのだ。
そういう意味でも運動不足は体に良くないと思っている。
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古いブログシリーズ むらぶろ 20240706

2024年07月06日 18時01分13秒 | 村ぶろ散歩者アーカイブ
以前にも同じ内容を投稿しましたが、三日坊主でお終わりました。
私の生きた痕跡を残すため、改めていちから始めます。
無論昨日記は継続します。

本格的にブログを始めたのは、この「むらぶろ」が最初でした。
「むらぶろ」は和歌山県の飛び地である下北山村?の村営ブログで、朝日新聞の記事でその存在を知り参加しました。
このサイトは、経費節減のため閉鎖され、今は存在しません。
現実の村民や、全国の人が参加者で、オフ会が年一回盛大に開かれ、全国から北山村にメンバーが集まったようです。
まだ熊野古道が世界遺産になる前の話で、熊野川下りや特産品の柑橘類の「ジャバラ」の話もよく出てました。
多くのメンバーが顔見知りのため、コメントのやり取りが多く。私も毎日2-5時間ぐらいブログを読み、投稿したりコメントしました。
投稿すると必ずコメントや「いいね」がついていました。
「いいね」には、アカウント表示機能が付いていて、投稿先にお礼のコメントや追加質問をしたりしていたので、多くの参加者が古い友人のように見えました。

ブログを始めた時は、書くことは非常に苦手で、投稿するのに4-5時間かかったこともありました。
それ以前に、タイピングすらうまくいかなかったのです。
さらに数年ぐらいは、テーマ探しにも苦労しました。
恥ずかしくない文章を書こうと努力していました。
しかし数年後には慣れて、1時間に600字以上打てるようになり、時短して早く投稿することに重点が移り、タイプミス、変換ミスによる誤字脱字のオンパレードでした。
推敲や読み返しはせず、そのまま投稿した結果です。
その傾向は今も変わっていません。

前置きがずいぶん長くなりましたが、以下「むらぶろ」への投稿です。
最初は「散歩道」で投稿していましたが同じ名前が多数あり途中から「散歩者」に変更し、さらに「gooブログ」に移ってからは複数の同名サイトと区別するため「散歩者goo」になりました。
1回数日分まとめて投稿します。

散歩道070828
テーマ:ブログ
2007/08/28 22:19
はじめまして。散歩道 の タダオです。
大阪市内の古い長屋の一人住まい。生まれて以来同じ場所で
生活しています。

クーラーの無い今年の夏は暑い。ここ数日室温は34度から下
がらない。
今日も暑くて4時ごろ目が醒めた。朝から体に纏わり付くような
蒸し暑さである。 ほぼ無風でたまに表から裏方向に
風が吹くとき台所の冷蔵庫の熱が加わって室内の気温が下が
らないようだ。無論扇風機は24時間回りっぱなしである。 
例年地蔵盆のころになると、朝晩涼しくなる。 今年は本当に暑い。

ところで地蔵盆というと大阪市内には昔から地蔵様が各路地に
祀られていて、地蔵盆が盛んであった。
私が幼い頃、地蔵盆になると地蔵様の前にテントを貼り台を作り
お供え物を山のように飾り(終了後子供に配られる。)、子供の
名前を書いた提灯をテントの下に吊り下げ夜になると灯をいれる。
各家の玄関先には四角い箱型の行灯が取り付けられ行灯には
和紙に様々な絵が描かれていて、夜にはローソクで灯をともす。
うちの町内にプロの絵描きが住んでいたので箱行灯が美しいの
が自慢だった。
子供は夕方になると浴衣に着替える。夕方には近所のおばあちゃん達が
集まりご詠歌をとなえる。 子供たちは「アーアーチン」とはやし怒られていた。 
夜になると、町内ののど自慢が酒を飲み江州音頭をうなり盆踊りが始まる。 
「あー、皆様たのみます。」「あーさてはこの場の皆様よー」 
 「それからどした」 「・・・そらーよいとよいよまっかどっこいさのせー」といった
音頭とりと踊り子が延々と本題+アドリブと掛け合いをしながらながら盛り
上がる。(大阪市内の盆踊りは江州音頭が中心であった。船場の商人に
近江出身の近江商人が多かった為ともいわれている。 河内音頭は
当時新興のラジオ大阪が鉄砲節を取り上げた影響で広まった可能性がある。)  
各路地こうした踊りの輪が出来、大きささや華やかさを競い合った。
子供達もよその町内の踊りを偵察に行ったりして楽しんだ。  
昭和復興期から高度成長期の懐かしい思い出である。
1. ハイジ
2007/10/25 14:24
はじめまして♪こんにちは^^
足あとたどってここまで来ました。
生まれたときからずっとクーラーのない家の住人です。
ようやくの本格的な秋に、ほーーーっとしています。

お地蔵さんのお祭り、この辺でも子供がいないどころか
お世話する方々も高齢となり、年ごとに寂れていくような感覚に胸がいたみます。
2. ただお
2007/10/25 21:44
ハイジさんコメントありがとうございます。 うちの長屋の周辺は新しい家に建て替えられ、新住民のお子さんが何人かいます。
昔と違い、ほとんど交流はありません。



ほっと一息
テーマ:経済・ビジネス・経営
2007/08/30 01:07
昨日初めてのブログを発行してしばらくすると、雨が降り出した。
地面がぬれる程度の雨でしばらく少し降ってやんだ。
それで少し涼しくなった。(といっても1から2度程度)
大阪は今日は曇り空で夕方には、晴れた。
現在の室温33度。 しのぎやすく感じる。

昨夜も良く寝られることが出来たが、この分だと
今夜も問題なさそうである。

夕方スーパーに行き食材を買った。
私はいつも自転車で行く。
いつも行く店はスーパーMとSとTである。
スーパーMは家から歩いても5分もかからない。
自転車だと1分程度。
スーパーSは最近外資の傘下にはいった。
自転車で5分程度
スーパーTは規模も大きく人も良く集まる
自転車で10分以上かかる。

この3つのスーパーは個性が違う。
Sは元々大資本系列の会社で質は悪くないが高い。
従って最も集客力が無い。
たまに時間限定で数個のクズバナナ等を叩き売る。
私がそこで買うのは食パンと牛乳で野菜が安いときは買う。
Mは価格に波がある。
給料日から数日は露骨にすべてが高くなる。
消費者を馬鹿にしているのではないかと思う。
老人も多く来ているが、お年寄りには体力的に安いものを選択する余裕が無い。
その代わり給料日前は特価・大特価が多くなる。
Mは最近コンプライアンスや省エネや品質に気配りをしている。
会社が成長し管理が行き届き始めた証しだ。
それでも価格はイオングループよりずっと安い。
ママの店ダイエーも低価格路線でのし上がった。
創業期の頃千林のダイエイは安いという噂があったのを知っている。
Tは四六時中どこよりも安い店と店内放送でがなりたてている。
昔の商店街の雰囲気である。
価格はSやMより安く飲食店の人も仕入れに来ているようだ。
レジ係りは中国の人が多い。
Mのように価格に時期的な差はない。
SもMもレジ袋問題に取り組み始め自家製の買い物袋を販売している。
(ほとんど普及していない。  大阪の特徴が現れているのか)
その点スーパーTは全くその気配が無い。
買い物をすると、レジで大小何枚ものビニル袋をくれる。
Tはいつも混んでいる。
野菜なんかはばら売りでかなり安い、傷物や不ぞろいな物も半値
で出したりする。
飲食店向けの高級魚も置いている。
米でも5kg1200円台の物も売っている。当然古米くず米のブレンドだが。
私も常食しているが、問題ない。
卵は特に安いが、たまに古いのが混じっていたこともある。
まさに薄利多売である。
薄利多売は回転が止まると一気に経営は傾く。
昔の大阪商人が使った手法で家電等の工業製品につながる。
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近況 20240630 日

2024年06月29日 15時32分33秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
以下の一文はFBに投稿したものの一部ですが、近況や交友関係も記載していて、公開しても支障がないので、私の日常の記録の一部の記録として投稿しています。私の記憶の掘り起こしの手掛りにもなります。


以下三宅忠夫(ギャラリーくるせを経営していたが後に倒産)のお詫びと谷口氏との関係
谷口氏とは、堀尾さんの主宰する旧「ぼんくら」(震災前)の会合で知り合いになりました。
その後、「ギャラリーくるせ」で谷口新展を行い、中谷氏も紹介され、お二人の展覧会や個展も行いました。

参考 :中谷氏のFB投稿より一部抜粋:
(昨年10月27日に突然別れも告げず逝ってしまった友人、谷口新に捧げる追悼展覧会、『谷口新とその友人達』(仮題)を開催したいと考えています。    谷口の作品をお持ちの方、また展覧会に参加していただける方を、ご存知でしたら是非お知らせ下さい。
7月末までにご連絡を頂けましたら幸いです。
コンテンポラリーアートギャラリーZone ディレクター 中谷 徹
メール:nakatanitoru46@gmail.com(中谷徹)
電話:080-3106-3177(コンテンポラリーアートギャラリーZone)

私事ですが、生活保護保護以下の年金暮らし(無冷暖房・・)をする独居老人の日々を送る私は、生鮮食料品高騰の影響で、日常生活・自炊等に追われ生活に余裕がなくなり、加齢の影響もありFBを見たりブログやSNSへの投稿も激減しました。さらに数週間前の大雨の日の深夜に2度停電があり、同時にOSの更新が重なり、それ以後メインで使っていた10年前に購入したPCが動かなくなりました。多くのデーターや文書が使用できなくなりました。現在までいろいろ対応したが回復しません。(起動しなくなったPCはウイドウズ.8.1からのバージョンアップしW10ではうまく使用していたがハード面でW11に全く対応できない)昨年末には、ウインドウズ11対応に危機を感じ、2020年?モデルのノートパソコンW11に対応してあるものを購入し、現在これを使用して投稿しています。しかし、大容量のエクセルのデータ処理動きには不安定なところも見受けられます。旧PC内に保存してあった画像データは、外付けHDにコピーしていましたが、そのHDからワードやエクセル文書は取り出せましたが画像は未確認です。
そんなことも重なり投稿が遅れましたことを改めたお詫びします。
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20240606 木 昨日記 近況

2024年06月06日 13時06分15秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
日々惰性に流され、何となく生きている生き方を改めようと、ここ数年考えていた。
日々の生活パターンは決まっている。
午前中は、朝食後に昼寝と株をチェックし新聞を読みTVを見ること。
新聞は、とりあえずすべての紙面に目を通し、気になった記事や投稿を読んでいる。
1ページ文字で埋められた、特集テーマをもとにした投稿記事を読むことも多い。
政治、経済と科学文化芸術や読書関連の記事を読むことが多い。
いわゆる三面記事やスポーツは、TVのワイドショーもよく見るので、そちらのほうが情報も早く、情報量も多いので、新聞ではタイトルを見てパスをする。
午後になると、食材の買い出しを兼ねて、スポーツセンターで汗を流し、その帰りにスーパーに寄ることが多い。

ジムでは、自分で運動メニューを作っているが、いつも体力の限界にチャレンジするメニューを入れているので、2日間連続して通うと疲労が蓄積して休むことが多い。
例えば、70歳前半(5年以上前)では、時速9kmで30分間(約4.5km)走れたが、コロナ等の休みが続き、さらに加齢の影響で、時速7kmで5分間も走れない。(なにも補助がない状態)
そのため、トレッドミル(ランニングマシン)のバーを交互に1分間交代で持ったり離したりしながら、30分間走ったりしている。
別の日には、時速7km・8km各1分 9km・10km各30秒(トレッドミルのバーにつかまって走る。)、これを1から3回行うといった多少無理な運動もする。
こうした運動をすると、帰宅後は疲労のため1-2時間TVを見たり、居眠りして過ごしているて、翌日も体が重く眠気を催している。
疲労が回復していないのだ。
それ以外にも、ジャンプや台の上り下り(約20cmの台に上り向こうに下り、そのままバックで上り下りして往復する運動を前後左右計60往復したりするかこれも非常にきつく、初めの頃は尻や腹筋や足の筋肉痛に見舞われ、回数を短くして始めたが、多少無理を感じつつ今もスケジュールを組んで行っている。

最近、生活スタイルを分析して、スポーツセンターでの運動がオーバーワークで、その結果翌日に疲労を残し、帰宅後と翌日の午前中は何となく無気力にぶらぶら過ごしたり、昼寝をしたりする結果となっていると考え始めた。
今、そうしたことを見直そうと試行錯誤を始めた。
オーバーワーク気味の運動は、年寄りの冷や水的な要素もあるが、運動能力の向上も実感している。
今も翌日まで疲労を残し、オーバーワークになっているが、同時に体力筋力の向上も実感している。
例えば、敏捷性や左右のバランスを強化するため、昨年から反復横跳びを始めた。
初回は、10往復するだけでオーバーワーク状態となり、足はふらつき息が上がり運動継続ができない状態になり、翌日には腹筋や足や尻の筋肉群のひどい筋肉痛に悩まされ、強い疲労感もあった。
それが、現在では、反復横跳び15往復1セットで2セット実行してもオーバーワークは感じなくなった。

日常生活の中で、運動能力維持のためのスポーツセンター通いは、主な柱の一つに間違いないし、ある意味生きがいの一つでもある。
それと同時にもうひとつの生きがいがある。
読書である。
特にいまは考古学関連と哲学関連の本を読んでいる。

キエルケゴールの話は以前の「昨日記」で触れたままになっている。
先月その本は読了した。
そもそも、キエルケゴールの本を読み始めたのは、実存主義への疑問からだったが、その本を中心にウイトゲンシュタインから分析哲学へと視点が移っている。
今まで、高校時代に読んだ河合栄次郎の「学生にあたう」を手始めに、弁証法やギリシャ哲学やデカルトやカント関連の哲学や、精神分析論、記号論・構造主義等様々な本を読み漁った。
哲学以外、アメリカ語学留学時に取り上げたマックス・ウェーバーの社会学や構造主義にも関連する文化人類学にも興味があり、関連する本も読んだ。
それ以外、若い時の本業だった技術・科学関連には強い興味があり、関連したTV科学番組は欠かさず見ている。
また健康や運動に関連するTV番組や新聞ネット情報もよく見ている。

長くなるので、キエルケゴールとウイトゲンシュタイン関連の話は、次回に。



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20240518 土 カムイエロキ (追記)

2024年05月18日 15時20分36秒 | 読書・考察・思索録
昼食をとりながら、NHK Eテレの心の時代の再放送「カムイエロキ」を見た。
2度目である。
以前からアイヌの宗教と日本の神道の類似性が気になっていた。
国立民族学博物館のアイヌに関連した講演会にも参加したことがある。
常設展示されているアイヌの展示物も見た。
日本の神道もアイヌの宗教も万物に霊が存在するという考えだ。
事実、ヤマト(日本)では、人形に限らず何々の神(火 水 風 木 土地 山 川 道祖神 かまど 家 車 船 針 酒 米 漁 ・・・)として祀ることが多い。
アイヌも、ヤマト(日本)以上にすべてのものを精霊として祀っている。
依り代に霊が取りつくとか霊を送るといった考えも同じだ。(日本では磐座<いわくら>や依り代・神木・御神体<山・滝>  神社は浮遊する霊=神を社<やしろ>閉じ込めて、みんなを守護してもらうための施設という言説もある。)
更に驚いたのは、祭祀儀礼で、神聖な場所に皆集合して神とともに共飲共食を行うことだ。
その際参加者は、高坏(器台)にお椀に酒を入れて、飲んでいる。
このスタイルは、日本の前方後円墳やその他古墳の墳丘上で多く発見されている祭祀遺跡の状態と似ている。
ただし、1500年以上前の古墳の祭祀遺跡と、現在の地域も時代も全く違うアイヌの祭祀を比較しても、学問的根拠はなく意味はないと考えられる、というより科学的には危険な比較に見える。(アイヌの祭祀が1500年以上前の祭祀と同じとは言えない。)
祭祀文化の共通性を考える場合、北海道にも日本の縄文時代から古墳時代に該当する年代の遺跡があるので、そうした遺跡の祭祀と比較すべきだろう。
それでも、哲学者の梅原猛氏の唱える、アイヌ文化と日本文化の関わりの研究には注目している。
機会があれば彼の本を読んでみたいと思う。

参考追記
日本は地理的に極東の吹き溜まりに位置し、旧石器人、縄文人、アイヌ等の先住民に加え、弥生時代以降(それ以前からも交流し渡来していた)大陸や韓半島や南方からのいろんな民族が渡来混血し今の日本人が形成されたといわれている。
平安時代、東北の蝦夷阿弖流為(アテルイ)の反乱に対し、798年に官軍が対応し敗退したが、801年に征夷大将軍坂上田村麻呂が4万の官軍を率い岩手県の胆振沢の戦いで勝利し、蝦夷の族長アテルイを捕虜とし、都へ連行した。
その後アテルイは処刑された。
大阪府の枚方市にアテルイの首塚なるものがあるが、それは官民一体で作った虚構の伝承という指摘もある。
『伝 阿弖流為 母禮之塚』-由緒不詳の首塚に生まれた虚構の伝承(https://note.com/ksmt_el/n/nf79503a9b1c6)

アテルイの住んでいた地域(青森 岩手 秋田)は、アイヌ語の地名が多くあるという。
蝦夷とアイヌの関係については、強い関係性はあるようだが、明らかにはなっていない。



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20240514 火 再び風邪ひき寝込む

2024年05月14日 13時17分00秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
5月9日木から気管に異変を感じ咳もではじめた。
本格的な感染性の風邪(病原菌ウイルスは、インフル RSウイルス アデノウイルス 肺炎球菌・・・等無数にある)を感じた。
翌日からは、終日体調不良で夜中には咳き込んで再三目が覚めることも数日あった。
日中も体調が悪く、1日の多くを安静にして過ごした。
前回の3月19日頃から始まった風邪を思い出した。
今回も、ほぼ完治するまで10日間を覚悟していた。
幸い、現在たまに痰が出るが、咳やくしゃみもなく、鼻や気管の違和感もほぼなくなり、体調も良くほぼ完治だろう。
詳細は次回に。

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近況と 飲み屋の思い出話 20240504土 追

2024年05月04日 18時18分08秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最近ブログを書かなくなって気になっていた。
何時も使うブログの下書き原稿の終わり、書きかけの文章が残っていたので、何となくそれに加筆修正を加えた一文を載せておく。

近況
健康状態問題なし、日課として、ジム通いは継続中。
ここ数年は、副食製造がずれ込み深夜1―2時が、常態化している。
副食製造の生産性は向上しているのだが、ジムでの運動疲れの影響か、午前中昼寝をすることが多くなりそのため副食製造が夜中にずれ込んでいる。
その原因としてジムでのオーバーワークによる疲労回復に時間を取られ、さらにトータルの睡眠時間を増やす行動を始めたことが関係している。
また哲学関連のノート取作業にも、多くの時間を取られている。
さらにこのブログ書きが加われば、改善不能になる。
こうした事態を改善することが急務だ。 

今、図書館で借りている本、キエルケゴールと実存哲学の系譜の返却期限が迫っていて、この本のノート取りに懸命である。
実存主義は、分かったつもりでいたが、その系譜をたどると非常に面白いし、同じ実存哲学でも各人で方向性が違っている。
ハイデガーやサルトルがキエルケゴールを宗教的著作者とみなしたことも理解できる。
同時に哲学者には「けったいな人」も多いと思っている。
ノートを取りつつ、世の中の思想のながれ(構造主義 実存 人権 自由 政治 ジェンダー 価値 多様性 宗教・・・)を作ったのはギリシャ時代から続く哲学であることを再認識した。
現在の日本や民主主義諸国では、普段全く意識していない民主主義や人権や自由も、思想家・哲学者の築い多様な思想の流れの上に、多くの市民が共感し、彼らの犠牲の上で実現したものであることを忘れてはならない。。
事実、数百年前まで市民に自由はなく様々な制限を加えられていたし、現在も多くの権威主義国や独裁国では自由はなく人権も無視されている。

現在ウイトゲンシュタインとキエルケゴールや実存との関わりを読み進めている。
キエルケゴールはキリストとの関係で、自由と不安とその結果認識される実存を見出した。
それ以後のハイデガーやヤスパースやサルトルは、キリスト教の要素を骨抜きにした実存を打ち出した。
ウイトゲンシュタインは、構造主義的考えを持ち言語について考えたが、第一次世界大戦従軍前後から友人との関係で、キエルケゴールに関心を持つ。
その後の展開を今読んでいるところだ。


さて、10年近く前の話だが、FBを見ていてFB友達の友達であるギター演奏家の名前が気になった。
聞き覚えのある名前である。
FBで友達申請すると、やはりその人物A氏で、教室も開き今はプロのギタリストになっていた。

5~10年まで北区の阪急東通り商店街の端の雑居ビルに、クラシックギター専門のスナックグラナダ(今はない)があり、その店は十数人で満員となる小さな店で、クラシックギター愛好家のたまり場だった。
その店の居心地がよかったので、40代のころ、その店に毎週通っていて、マスターや店員も含め、店に来る客はほとんどがお互い顔なじみで、話も弾んだ。
そこで当時A氏は一時期演奏者兼店員をしていた。
この店は、クラシックギタリスト志望の若者が、数か月から1年程度店員になり、小さなステージで演奏もしていて、それ以外に審査に通過した地方からの演奏希望者や学生が演奏していた。
グラナダのオーナーはラテン音楽の弾き語りでステージに立ち、またアーチェリーの選手で、話し上手で人気を集めていた。
この店を知るきっかけになったのは、確か40代の頃、アメリカから帰国後、一時期北区のYWCAスペイン語の教室に数か月通ったことがあり、その教室で知り合った男性に1軒の飲み屋を紹介してもらったのがグラナダで、それ以降月に数回一人で通うようになった。

グラナダに通ううちに、グラナダと親しいラテンアメリカ系の居酒屋の店の話を聞くようになり、そこにもたまに行くようになった。
国境の南という酒場で、南米のフォルクローレの楽団(プカソンコ・・)が生演奏していることが多かった。
客席は数十人程度収容でき、ステージ兼踊れるスペースもあった。
そこでは、大フィルのメンバー達が、打ち上げで来ていて、話をしたこともあった。
コロナ前には国境の南の入っていたビルは取り壊されて更地になっていた。
しかし、偶然ジムに通っている顔見知りのイラストレーターが、国境の南のオーナーG氏と懇意にしていて、家にも行ったという話をしていた。

その近くに、もう一軒行きつけの飲み屋があった。
その店は、30代の頃扇町プールに泳ぎに行った帰り、疲れたので何か飲みたいと思い、偶然見つけた炉端焼きの店で、その店は20代の頃会社帰りに同僚たちがよく集まって飲んだ炉端焼きの店に似ていたので、試しに入ってみると、おなじオーナーが店名を変えて営業していた。
(阪急東通り商店街の端に、母娘で営業している小さな炉端焼きの店があり、その店は20代の頃に、10年間勤めていた会社の同僚達のたまり場で、私は週に1-2回程度だったが、他の同僚は週に数回はその店に飲みに行っていた。その店は、母親と一緒に店を手伝っていた長女が、結婚してからその店は閉店したが、何年か後に再開したらしい。)
その時は、次女が看板娘となっていた。
早速、20代に勤めた会社の元同僚や、当時勤めていた会社の同僚たちにその店を紹介した。
その後、私はその店に行かなかったが、しばらくたってから再びその店を訪れると、いつの間にか、私の古くからの友人や当時勤めていた会社(30代の頃)の同僚のたまり場になっていて、店が休みの日や休日でもみんなでハイキングに行ったり、花見に行ったりしていた。
その店の行き返りには、JRの天満駅を使用することが多かった。
JR天満駅と天神橋筋商店街は、20代の頃に10年間勤めた南同心町(天神橋筋3丁目の東)にある当時はまだ小企業だった会社(環境試験装置 現在東証1部)への通勤経路でもあり、懐かしい地域だ。
20代の頃は、残業を終えて同僚たちと共に天神橋筋から西に扇町公園を抜けて、阪急東通り商店街の行きつけの、スナックや炉端焼きに飲みに行くのが楽しみの一つだった。
上記のYWCAは、馴染みの居酒屋と環状線JR天満駅との途中にあり、アメリカ・中南米から帰国後、友人たちがたむろしているなじみの炉端焼きに行く途中で、YWCAにスペイン語教室の案内があったのを見て教室参加した。
アメリカでの英語留学後、アメリカ人のルームメイトの紹介でメキシコのクエルナバカにあるスペイン語学校に数か月間入り習ったが、片言の会話しか出来ず、その後中南米の首都を回り、民芸雑貨を買いまわったが、スペイン語が片言しか話せず大変苦労した。(当時中南米では英語はほとんど通じなかった。)
そのため、再チャレンジのつもりでYWCAのスペイン語教室に通ったが、数か月で挫折した。

それ以外に、もう一軒阪急東通りの1本北側の辻に行きつけの飲み屋があった。
そこは、40代になってギャラリーを始めた時に、木版画家から紹介されて通い始めた家庭料理の店だった。
その店は、十数人入るといっぱいになるスタンド型の店で、客層は新聞や出版会社の編集者、学者、芸術家といった人が多かった。
年4回文集も出していた。
たまたま隣り合わせた客と話ししていると、スイスで別荘の留守番を頼まれたというような大きな話をするので、酔っぱらいのほら話だろうと話を聞きながら疑っていると、女将が、この人は某大学の有名な数学教授だと言い出したので納得した。
(同じ数学仲間の親しい外人教授の別荘とのことだった。)
先代のママや今のママとも気軽に話していた。
その店は今も営業中で価格帯も普通の店と同じだが、生活保護以下の生活をする私には、外食する余裕はない。

サラリーマン時代(40歳以前)は同僚たちとたまに行くカラオケスナックが、東通り周辺に2軒あったことを思い出したが、今はない。


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20230331 日 風邪ほぼ完治 フレイルとジムと現在の体調

2024年03月31日 16時09分49秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
主要ニュース
小林製薬 紅麹問題 死者5名 影響企業多数社会問題化 政府も動く 工場立ち入り調査
ミャンマー内戦国軍劣勢か 国軍式典に戦車ミサイルなし
昨日大阪も桜開花 以上高温で全国的にかなり遅い開花始まっている。同時にひどい黄砂襲来

風邪、ほぼ治癒した様子。
3月19日の鼻かぜ自覚から風邪症状が今日なくなるまで10日余りかかった。
昨日まで粘性の強い鼻汁が大量にでたが、今日はそれがなくなった。
26日 (火)家の中では数時間に一度大量の鼻水と痰
27日 (水)プールへ プールではくしゃみや咳はなし。家の中では、数時間に一度大量の鼻水と痰。 前日より頻度少 気管支からのボコボコ音なし
28日(木)夕方ジムに行き軽く運動をした。ジムではくしゃみ咳なし 家の中では数時間に一度大量の鼻水と痰 前日より頻度少
29日(金)ジムに行き、ストレッチのレッスンを受けた。ジムではくしゃみ咳なし 鼻腔の鼻汁前日より強い粘性絡み
30日(土)は、株の研究と、副菜製造をおこなった。

来月(明日)からスポーツセンターの管理者が替わり、レッスンのプログラムも一部変更になるが、インストラクター等のスタッフは管理職を除きそれほど変化ないようだ。
もともと、スポーツセンターは、数年契約の運営委託で、企業連合体で運営しているので、スタッフはほぼ非正規で、一部の人が企業連合体の親会社に雇用されることもあるようだ。
そのためスタッフには学生や子育て中の母親が多いようだ。
人手不足の今、スタッフの募集も大変だろう。
当然のことながら、スタッフの待遇の改善と教育も必要だろう。
新聞広告で、民営のスポーツジムが区内や近隣の区にいくつも開業し、競争も激化しているが、市立スポーツセンターの人気は高いようで、ジムも午前中は中高年の人であふれている。

公園や路地では、自力で歩行運動に励む老人を多く見かける。
その中には手押し車を押す人も多いし、どのコミュニティーにも属さない孤独な独居・孤立老人も多いのではないかと推察する。
そういう人こそ、ジムで科学的に運動管理をして肉体状況を改善しつつ、ある意味社会的なコミュニティーへの接点を持ち孤立状態を改善するべきだろう。
同時に、手押し車を使う前の段階で、ジムに行って適切な運動をすることでフレイルの予防をし、QOLを高めるべきだろう。
こうしたフレイル予防は、国の医療費や福祉予算軽減にも大きくかかわる話で、国や自治体はもっとフレイル予防政策に予算をつぎ込み、フレイル予防のための啓発運動や仕組みづくりを進めるべきだと思う。

そもそも私がジムやプールに通いだしたのは、60歳になったのがきっかけだった。
当時、画廊回りに疲れを感じるようになり、御堂筋を歩いていると、ほとんどの人に追い抜かれるようになった。
このままの状態では、70歳になると杖が必需品になるのではないかと思った。
また、当時から生活保護以下の生活をしていたので、病気になってもこのままでは医療費を支払えないと思った。
当時確かジムの定期は、5-6千円ほどしたが、病気になり医療費がかかったり、歩けなくなって活動範囲が狭くなることを考えれば、ジムに行って体力をつけ肉体を鍛え健康になるほうが、ジムへの経済的費用を節約するよりはるかにメリットが大きいと考え、ジムに通うようになった。
その予想は的中した。

もうすぐ80歳になるが、先日の健康診査も肝機能を除きすべて異常なしだった。
ただ、肝機はAST50 ALTが44で、コロナでジムが休みの時は正常で、それ以外の時は今回と同じような値で要観察だった。(要指導や要医療ではない)
ASTは骨格筋の状態でも変化するので、ジムでランニング等の激しい運動をすると上がりやすいので、気にしていない。
事実、最近息の上がる激しい運動や筋肉痛になりかけの激しい運動は頻繁に行っている。
ジムで行った肉体年齢は60代だったし、たぶん同年代では筋力等は平均以上ではないかと思っている。
医療面では、歯科には通うが内科や外科には通ったことがない。(耳鼻科はあり)
たまに、今回のように風邪をうつされることもあるが、熱を出して医者に通ったり寝込まないで済んだのも、スポーツセンターで運動をして、免疫力が強化されている効果だと推測している。



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20240327 水 馴らし運動・プール  (紅麹 円安)

2024年03月27日 21時29分23秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
主要ニュース
小林製薬 紅麹 死者2名 問題拡大 政府も対策に乗り出す。
円安 1ドル152円直前 政府日銀強い関心 大模介入の可能性

今日、くしゃみも出なくなり、数時間に一度程度咳き込み痰が出るが、体調は全く問題ないので、日常生活に順応するため、手始めにプールに行った。
クロール・平泳ぎ・背泳ぎ・(バタフライ練習)で2-300m泳いだ。
体自体の疲労はないが、筋肉の持久力が衰えていた。
プールの帰りにスーパーに寄り、5kg程度の食材を買い入れた。
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20240326 火 風邪回復進むが、まだ咳と鼻づまり

2024年03月26日 20時00分16秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
今朝も4時ごろ目が覚めた。
鼻呼吸しているが、鼻の内部で粘度の高い鼻汁がからんで、呼吸の障害になった。
起きて鼻をかんだが、鼻腔の奥に絡んで出てこなかった。
仕方なくそのまま再び寝たが、マスクをして口呼吸をして寝た。

起床後は、午前中咳もあったが、午後は咳も鼻水も激減した。
体調面でも、昨日より良くなっているので、明日は普段通りの生活に近い生活をする予定だ。
今回の風邪は、19日夜に始まり今日まで1週間近く経過している。
気になって過去の風邪の事例を調べた。
以下にそのデータを掲載する。


コロナ期間中風邪をひかなかったのは、マスク使用の効果だったのだろう。
(コロナ期間中は多くの人がマスクをした結果、風邪やインフルエンザそのものが流行していなかった。)
コロナ後早い段階でマスクを外したが、面倒だが冬はできるだけマスクをするようにしたい。(風邪をひかないために、自己防衛を徹底するしかない)

昨日記180407土(風邪さらに改善 西天満行断念 ジム・ランニング)
風邪をひき始めて以来、静養生活をして生活のリズムはズタズタになった。
先月も同じことが起きたが、今月は症状が軽いようだ。
この数日前から、ほぼ完治していると思うも、たまに起きる強い咳込みと痰は完治していないことを物語っていた
昨日記180406金(風邪回復中 ジム・筋トレ・軽くラン)
昨日記180405木(麦門冬湯で症状改善か ジム・筋トレ)
昨日記180404水(激しい咳込みと痰に悩まされ麦門冬湯購入)
昨日記180403火(風邪状況に変化なく不安)追
昨日記180402月(風邪一進一退)
昨日記180401日(風邪悪化? 冷凍ご飯)
昨日記180331土(風邪悪化 図書館行)
体温36.2℃(舌下法)風邪その後と肝炎の経験 20180403:1330
体温36.4℃(舌下法)風邪は、ほぼ回復? 20180402:1350
昨日記180330金(風邪悪化の原因)
風邪こじらす20180330:0930 (ジムでランニング疲労深夜まで作業)
咳 痰 かなり減少 完治までもう一息 20180305:2210
風邪を引いた(20180209)追 (20180210から20180214までの経過)

参考
2017年4月の風邪についての経過の関連リンク。(以下はすべてブログタイトルです。タイトルをコピーし、右の検索欄にコピペして検索すれば、該当ブログが表示されます)
昨日記170331金(風邪の初期?)
36.9℃ 20170404
昨日記170404火(食材買い出し 風邪)
36.8℃(追) 20170405
昨日記170405水(風邪)
36.5℃ 20170406
昨日記170406木(風邪)
36.7℃  20170407
気管支炎? 20170408(追)
昨日記170410月(読書習慣)
昨日記170411火(ジム・筋とトレランニング)


昨日記170105木(風邪少し回復 支出抑制の効果)
昨日記170104水(風邪多少回復 寒さ対策 体力と病気)
昨日記170103火(風邪わずかに回復 筋疲労?)
昨日記170102月(風邪のため休養 )
昨日記170101日(正月行事 神道 再び徒歩で遠出)


夏風邪進行中20150705
昨日記150706月(ツイッターリスト整理 風邪でダウン)
昨日記150707火(風邪でダウン)
昨日記150708水(風邪回復傾向 扁桃腺 副食製造11食 )
昨日記150709木(熟睡 風邪完治? ジム・筋トレ・ランニング )

昨日記150221土(扁桃腺の痛み・風邪?と対策 西天満 散髪)

昨日記131204水(ジム 筋トレ 風邪と免疫 秘密保護法反対)

昨日記130122火(11/6曇 風邪気味)

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