散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

皆様あけましておめでとうございます。(友達 格差 新自由主義 野党・民主党)

2016年01月02日 13時04分09秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
今年も読者の皆さまが、健康で活躍されますように。


さてこの昨日記を含むブログは、私的なことや、考えや思いを思いつくままに書いています。
よく社会問題や政治的なことや芸術・考古学・古代史や自然・科学に関しても適当なことを書いておりますが、特に政治宗教の問題では意見が違う方も多いと思いますが、お許しください。
私は、極右・ネトウヨや極左やカルトや迷信に関しての意見は無視しています。
そうしたもの以外は、できるだけ右から左までの意見は、しっかり聞くようにしたいと思っています。
しかし、個人的友情や友達関係については、個人の持っている思想信条宗教と関係ありません。
私の友人には、右も左も維新もいます。
ただFB等のSNSでは、例えば「いいね」やコメントのお返しをすると、きりがなくそうしたことに振り回されるので適当(気まぐれ)に思った時だけ行います。

話を戻しますが、権威といわれる人の話でも、うのみにせず事実に照らし疑って聞いています。
考古学に限らず、医療健康面でも権威といわれた人たちの話が、新しい事実の発見で完全に否定されたり、逆の事が正しかったりすることを、多数経験しているからです。
(例えば、数十年前までは、「運動中は水を飲むな)が常識だったが、今は激しい運動中はみずを飲めという。肝炎の時はタンパク質を避けるというのが医療の常識だったが、現在はタンパク質を食べて肝臓の修復を早めるというのが常識。)

私の立ち位置は中道リベラルです。
しかし、同じリベラルでもまた保守でも、最近はそれぞれの問題で個別に意見が分かれています。
例えば、昔であれば、革新系であれば反戦、安保反対、反原発、反合理化と意見が同じでしたが、最近はリベラルでも保守でも、そのグループ内でも各問題で意見は多様化しています。

その中には、事実を確かめないで、教条的に信じ込んでいる人も多いようです。
例えば、20年前の話ですが、「具体美術協会はアメリカの手先や」という発言を大真面目に語っていた人を知りました。
どうしてそんな話になるのか、まったく理解できませんでした。
又低レベル放射線問題は非常に微妙な問題ですが、分からないことはわからないとし、学会が認める正確な事実はこれだけあるという事実を基に議論すべきと思い、疑わしきは結論が出るまでは、運転を中止することが必要と思います。

別の問題では、以前私は大企業の開発研究費の優遇に反対という意見に対し、開発研究費は企業業績を伸ばし、従業員の賃金を増やすためにも必要という意見をツイッターに投稿したところ、私を新自由主義者と誤解し雇用の規制緩和を推進することが必要という人が、私の意見をリツイートしました。
現在の格差の一因は、まさに雇用の規制緩和に起因し、大量の非正規社員を生み一気に格差を拡大しました。
私は無秩序な雇用の規制緩和に反対です。
企業の競争力確保は大切ですが、大企業による下請け中小企業からの収奪構造こそが問題です。
合理化による中小企業の収益増すら大企業により余分に収奪され、その結果大企業には過剰な利益が蓄積され、大企業の正社員の待遇は業績に応じ更に向上し、逆に中小企業に働く人の賃金や労働条件は、大企業に収奪された分引き下げられ、大企業と比べて大きな格差を生んでいます。
更にそのしわ寄せを、身分の不安定な非正規社員に持ち込み、収奪の標的にして企業利益を上げ、そうした構造が成果を上げたため、非可逆的な中小企業の正社員から非正規社員へ流れが定着しています。

こうした不公正を是正するには、大企業や中小企業にかかわらず、同一労働同一賃金を実現すべきです。
そのうえで新製品開発や改善で合理化を図る企業努力により利益増を図るべきで、適正な労賃やその他待遇を削るのは間違っているし、その結果、働く人たちの可処分所得を縮小し消費の減少を招くことで、企業は自分自身の首を絞めていると思います。
野党、特に第一党の民主党は、新自由主義・格差の問題を正面に据えて積極的に日常活動を展開し戦うべきだと思います。
(弱肉強食を許す新自由主義自体国民に理解されていないし、ピケティー教授の示した資本主義の資産格差の実態の理解も国民に浸透していない。多数の国民を味方につけ政権奪取するには、本質的な格差問題や新自由主義の問題点の理解の浸透が不可欠で、それに対応した政策宣伝をすると国民にわかりやすいと思います。)


話を元に戻しますが、間違ったデータや、誤解しやすいトリッキーなデータ(例えばグラフのメモリの幅を途中から変える)を使って人を説得しようとしたり、繰り返し発言して信じ込ませようとする人たちは、信用しません。
ことほど左様に、できる限り対立する意見では、両方の意見を聞きどちらが事実なのか、又論理的に正しいのか、いつも考えることにしています。
私と違う反対の意見も、聞いて考え私の考えに問題や間違いがあれば、こだわらず改めます。

ただ、価値観・信仰の問題や美醜やセンスの問題は、その人の環境(風土・時代・民族・風習・家族・宗教・言語・経済・教育)や生まれつきの個性で決定され、論理で解決できる問題ではないので、お互い違いを認め尊重するしかありません。
ただし個人や社会の価値観は、時間とともにどんどん変化します。
例えば、若い時に嫌いだったものが、中高年になる良さがわかるという経験は誰でもしています。


改めて、個人の話に戻りますが、まだ昨日記の記載も積み残し、新年2日に新年の挨拶とは、なっとらんという叱責も聞こえそうですが、今年は、できるだけ、メリハリつけて生きようと思っています。
具体的には、目標立ててやるときや仕事の時は緊張してバリバリやり、それ以外の時は適当に、ダラダラと過ごそうと思っています。
無論、対人関係や仕事で約束したことは、ダラダラすることなくできる限り守ります。
さて昨日記やブログの記載は私にとって重荷ですが、個人的なことなのか、社会的約束なのかわからないこともありますが、このブログで毎日書くといっていたので今後も遅れることはあっても昨日記は毎日続けようと思います。
ただし何も書くことがないことも多いですが、その時は、気が向かない限り適当事務的短文で終わりますが悪しからずお許しください。


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FBの友達関係

2015年12月25日 07時52分35秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
何か月前からFBのタイムラインに、日本人のローマ字表記KTの「いいね」の記事が頻繁に多く乗るようになりました。初めはKTと名前は同じだが苗字が違う「友達」の「いいね」の記事がと思っていました。そのままにしていましたが、大量に記事が掲載されるので念のためKTのプロフィールを見ると、私の該当する友人と生年月日が全く離れていました。
FB登録して間もないころに有名人に友達申請した人が数人いましたが、それ以降、実際に会ってお話しした人以外しか友達になっていません。FBに登録された友達は1-2度しかあったことのない人も含め、だいたい覚えています。
1-2週間に一度は友達リストを見て登録した状況を思い出しているので、一度しかお話ししたことのない人でも、おおよそ、どの場面で会ったか覚えています。
しかしKTなる人物とここ1年の間に会った覚えはありません。しかも私の友達リストには載っておらず、KT側のプロフィールの友達の分類では知人になっていました。
そういうことがわかったので、KTのプロフィール上でフォローや友達をやめる操作をしました。

FBの友達には、「親しい友達」「友達」「知り合い」の区別があり閲覧できる範囲も違うようです。プラバシー保護の観点から、友達に迷惑が及ばないように、親しい友達や友人であっても、友人が数百人以上と多い人については、親しい友人人でも友達の区分を「知り合い」にしていることが多いです。その理由は、友達の友達が、友達リストを見て、まったく見ず知らずの人に、ビジネスや勧誘目的で友達申請する可能性があるからです。

実際に、私の親しい外国人の友人が、多分彼の情報(機関)関連?の仕事として、手あたり次第私の友達に友達リストを見て友達申請を行ったことがありました。
たまたま親しい外国人の友達Lの友達リストを見ていて、知り合う可能性が全くありえないのに、私の友人が私の親しい外国人の「友達」になっているのを発見して、そのことがわかりました。
また別の友人とパーティーで会ったときに、FBで全く知らない外国人から友達申請が来ているが、承認しようか迷っているとの話があったので、その外人の名前を確かめると、私の親しい外国人の友人Lでした。
それ以降、私の親しい外国人の友人は知人扱いにしていますが、彼が来日した時は会い一緒に飲むこともあります。

また、私のよく知る友達であっても、「いいね」を大量にクリックしている人は、私のタイムラインがその人の「いいね」の記事で埋め尽くされるので、「フォロー」を外しています。
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8月6日の奇遇?

2015年08月08日 00時58分55秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
以下の一文は8月6日深夜(8月7日1時頃)書き上げ、そのまま投稿していなかったものです。

先程までTBSのニュース23の原爆特集番組を見ていた。
その時2つの内容で、もしやという思いに駆られた。
一つは、爆心地から数百メーターの地点で無傷で生き残った男性の話だ。
もう一つは、広島県立福山工業高校という学校である。

私には、2人の兄がいた。
一人は長男で、私が1-2歳の頃白血病で亡くなった。
当時旧制中学校の工業専門学校に通っていて、笠岡から福山へ通学していたという。
長男は、私をよくかわいがってくれたというが、私にはまったく記憶がない。
私は、大阪市の現住所で生まれ、すぐに両親の実家に疎開したという。
だから、小学生の頃、両親の生家に帰省すると、「大きくなった」と言って大歓迎された。
その時、母方の家では、長男が私をかわいがっていたという話を、繰り返し聞かされたが、私にはまったく実感がないので、そういうことなのだろうと思っていた。
私が社会人になって、いろんなことが理解できるようになり、長男が白血病により亡くなったのは、原爆の影響ではないかと思うようになった。
その長男は、漁師町の瀬戸内の海を見下ろす風光明媚な墓地で一人眠っている。

ところで、福山と広島がどれだけ離れているか知らないが、少なくとも現在で言う工業高校生であれば勤労奉仕で原爆投下後、広島に行ったかもしれないと想像したりした。
何らかの形で、長男が二次被ばくしている可能性も無くはないと思うようになった。
しかも、当時旧制中学の工業専門学校がどれだけの数福山に存在したのだろう。
大阪でも、戦前から続く工業高校は府・市合わせても指折り数えるほどしかなく、非常に少ない。
もし、福山で戦前から続く工業高校が一つしかなければ、その学校は、長男の通っていた学校であり、その学校がが、TVのドキュメントに登場していたということになる。
その意味で、長男と福山の工業高校という縁に、親しみを感じた。
番組では、広島県立福山工業高等学校が、原爆被爆時のCG復元動画を作る様子をドキュメントにまとめていた。

もう一人の兄である次男は、私より9歳年上であったが、10年近く前にパーキンソン病でなくなった。
次男は東海銀行に勤務していたが、先輩に広島の爆心地から数百メーター離れたビルの地下室で被爆した人がいて、全く無傷で助かったと、私に話したことがあった。
私はその話を聞いた時に、半信半疑だった。
次男が、その人から聞いた話では、地下室から出て表に出たときは、物音は無くシーンとしていたという話が印象に残っていた。
その人は、今も毎年検査を受けていると言っていた。
ひょっとすると、TVで取り上げられていた男性が、兄の先輩ではないかと思った。

ただ、その人が被爆したビルは第百生命と言っていたが、兄の勤務先は東海銀行(初めは大阪支店<兄は拳銃強盗(犯人はゴンゼンゴ)の現場に居合わした。>で勤務し、その後名古屋にも転勤した。)で、東海銀行は名古屋が中心ということなので、広島とは関係がなさそうに思えるのだが。

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訪問者数56人  150711

2015年07月11日 12時54分14秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
このブログの昨日の訪問者数が56人となった。
多分ここ1-2年では最低の訪問者数のように思う。
昨年夏以降、ブログへの訪問者数に疑問を持つとともに、このブログは、別に多くの人に読んでもらうことを期待していないという意味のことを、何度か昨日記で書いて以降、ある時期から突然訪問者数が50人から100人単位で減少した。
その考え方は、今も変わっていない。

同様に、以前にも何度も触れたことだが、このブログは個人的日記であるが、しかし、友人・知人・親戚・趣味や仕事関係・その他ご縁の合った人やブログやSNSで知り合った人達や偶然このブログを知った人達に読んでいただくのは嬉しいし、このネット上で繋がっている人達を意識してブログを書いているのも事実である。
ただ、八方美人的に気を配り立場を鮮明にせずいろいろ書くと、書いていても解説を書くような感じになるので、自分の主張ははっきり書きたいと思う。

また、以前からそうであるが、自分の意見は持っているが、価値観の違う様々な考えや思想や宗教を理解しようとするが、完全否定はせず、私はこう思うという書き方をしたい。(最近、マスコミでこうした考え<あなたとは考え違うが、その意見を主張する自由は命を懸けて守る、といった意味の言葉。>の原点ともいえる、昔の思想家の考えが良く紹介されている。)

しかし、過去に書いたものを見ると、結構上から目線で断定的に書いているものも多いようだ。
できる限り広い視野で、客観的に物事を見るようにしたい。

訪問者数の低下に因んで、繰り言のようなことを書いたが、もっと訪問者数が減るかもしれないが、自分のペースで書いていきたい。
(以前にも述べたが、確実に訪問者数を増やす方法は、いろいろあるし、そうしたノウハウはネット上でもいろいろ公表されている。)
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2011年10月に書いたブログの自選ブログ

2015年04月07日 11時35分57秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
ブログの末尾に、gooブログのサイトが作成したブログの人気記事が掲載されていますが、私にとって、ちょっと違うと感じるところがあるので、これから随時自選ブログを掲載します。 

2011年10月の期間中に書いたブログの自選ブログ(2011年10月11日よりgooブログ開始)

歯周病予防20111028  http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/2dffdce725cead7d0e15c1f304d57905
  (歯周病に対しては、現在もっと的確なケアをしていて、現在治療中。)
バランスボールに乗れない!20111026  http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/6b07f7867bd5a11f05b0867b6f46a78a
(今は、バランスボールニ数十秒乗ることができる。)
体力づくり20111012  http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/70db536b4481053a6aefc21f436e7a7e
  (私の体力づくりの、履歴の断片的概要)
日本の呼称の始まり、そして趣味の古代史・考古学の流れ(改)20111029  http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/eff9e8173fdc97e5fa0dd4e880f02cf5
  (私の、考古学とのかかわりも断片的に振り返った。)
私の海外旅行歴(追)20111031  http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/32cc24e77f269d626cd7324dd29aba5a
(私の海外旅行の概要の一部参考資料。時間があれば断片的な思い出をブログにする予定。)


以下はお役立ち情報や参考情報
簡単な筋トレでアンチエイジング?(大股歩き)20111020  http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/14c293ee78052ad851cb4d93c611c38a
邪馬台国の位置20111027  http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/b54f32de7fc1ed089a1939465c728aad
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ほろ酔いのため昨日記は明日に

2015年01月02日 23時39分55秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
今日1月2かは昨日記を書くつもりでいたのだが、先日ルイジからもらった720mlの賀茂鶴の一般の迎春マーク入りの酒を、元日の朝夕で半分弱飲んでいたが、夕食をとった時に、なんとなく残りを一気に飲んでしまい今いい気分になっている。
普段は、家では酒を置いておらず、正月だけ毎年、2L入りの紙パックの酒を買ったりして飲んでいて、7草のころまで晩酌が続くが、今年は貰い物の酒で打ち止めとする。
無論買う金がないわけではないが、必要性を感じないだけである。
ただ、夕食後にでも昨日記を書くつもりであったが、ほろ酔いなのと、副食作りが残っているので、明日昨日記を書く予定。
そもそも、自分が決めたこととはいえ、どうでもいいことに縛られていることはよくないと思うが、さりとて、縛りをかけないと、ひどくグータラな自分になるのがわかる。
この自己矛盾は、解決できない。
結論や決断がが出なければ、基本的に破滅型にならないストイックな生き方を選択するしかないだろう。
大げさに言えば、万人共通の、欲望と理性のせめぎあいだ。
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日常の交流がなければ以心伝心は、単なる思い込み

2014年12月04日 00時12分54秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
夜遅く(先程)副食作りをしながらEテレの100分で名著のハムレットの一回目の番組の画像をチラチラと観ながら話を聞いていた。
そこで、突然なぜかオフィーリアの名前が浮かんだ。
番組中には、オフィーリアの話は出ていなかった。
確か、今年の夏ごろ?ラジオの話を聞いて、オフィーリアのことをブログに書いた覚えがある。
美術の方では、ラファエル前派で有名な水に浮かぶオフィーリアの絵(ジョン・エヴァエレッ・ミレー)のことが頭にあったが、当時ハムレットとの関係とは知らなかったので、そのことをブログに書いていたのだ。
先程、そうしたことを忘れて、オフィーリアのこと突然頭に浮かび、ハムレットと関係があったのではと思っていて、すぐにネットを開いて調べたら、間違ってなかった。
それと同時に、すぐに初めに書いたように、ブログに書いたことがよみがえった。

更に、その関連でその後、後日ネットでオフィーリアを取り上げたブログを読んで、え!と感じたことも思い出した。
その時、ひょっとすると私のブログに触発されて書いたのではと思った。
なんとなく、以前から他のことでも、そんな気配は感じていたが確証は何もなかった。
しかも、私の記事やSNSへの反応は過去一度もなかったので、そのままにしていた。
下手にそうした、具体的な根拠のない気配を信じて積極的に対応すると、もしそうでない場合は、自分勝手な思い込みの行動と誤解を受けることになる。
現にそうしたストーカーの例は多い。
気になっているなら、お互い直接コメントとかいいねを発信しないと相手に伝わらない。
以心伝心といった信頼は、いつも対面していて、相手を信頼できる親族とか親友とかの場合や、文やコメントを頻繁にやり取りして相手の考え方がよくわかる場合のみに起きるもので、それ以外の場合は自分の勝手な思い込みであり、もし結果的にそれが当たっていても、それは二分の一の確率の一つに過ぎないのだと思う。



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散歩者は以前の記事も、頻繁に修正追加更新しています。
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番茶から思い出したお茶とのかかわり。

2014年11月10日 17時10分20秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
母親が元気だったころは、我が家のお茶は、1-2リットル程度の大きなやかんに緑茶か、番茶の葉を適当に入れ、熱湯を注ぐという適当なもので、それを冷えてもそのまま1日中置いておいて飲んでいた。
従って、おいしいお茶を淹れる習慣はなかった。
ある時、家に来た近くに住む会社の後輩の友達が、家のやかんを見て驚いたらしく、その後ローハイド(昔大人気だったTVの西部劇)のやかんといって、よく冷かしていた。

私が社会人になって、お茶をおいしく淹れるという習慣が分かって、私が急須や茶葉を買い、家でたまに暖かいお茶を飲むようになったが、父母は変わらず、やかんのお茶を飲んでいた。
よく考えると、親父は、元は漁師だが叔父さんの口利きで、梅田の百貨店の守衛になり、その後御堂筋にある大手銀行の守衛をしていて、窓口でそれなりのお客さんとも馴染みになり言葉を交わしたりするので、接待のことは心得ていたはずだ。
経済的にも、勤め先が銀行なので、守衛ではあっても経済的余裕はなくとも、貧しくもなかったはずで、急須でお茶を飲むということは出来たはずだし、それ以前に、急須で飲むことにお金がかかる話でもない。
それでも、やかんで沸かして、そこに茶葉を入れてお茶を飲むという、田舎式のお茶の飲み方の習慣を捨てなかったのは、どうしてだろうと、疑問に思う。

そういえば、今は亡き9歳年上の兄も、大企業に入って結婚するまで家から通っていたが、お茶に関しての苦情を聞いたことがなかった。
彼は、一時期会社のクラブで日本画や謡の教室に参加していたようで(多分上司の指示で社交上の必要性から・船場近辺でのおつきあい?そういえば私が最初に勤めた会社<工場>の専務も地の人で、謡をしていて、社員に一緒にやらんかといっていた。)、帰宅後短冊や色紙に描いたり、絹を枠に張り膠を塗って、胡粉を塗り、山水や鯉なんかを描いたりしていた。(応挙の流れをくむといっていたので、四条派系統?)
描くときは、台所にこもって絵を描くが、そんなときもお茶に関しての苦情は聞いたことがなかった。
日本の趣味なので、その教室では、いいお茶も出ていたと思うのだが。

私が、成長し社会人になって、最初の会社では、技術部で設計をしていたが、技術の部屋には熱湯サーバが置かれ乗せて熱湯を注いで茶葉を浸し、少し待ってから、茶こしを引き上げ、お湯を切って所定の置場(空の湯呑)に置いてから、自分の湯呑のお茶を飲んだ。
茶こしの茶は、出がらしになるまで使うことが原則で、お茶の葉が広がってお茶の出が薄くなると捨てて新しい葉を入れることになっていて、みんなそれを守っていた。
そうしたときに、先輩たちから茶こしを使った時のおいしいお茶の入れ方のコツを聞いたりした。
このようなことを通して、おいしいお茶の飲み方に多少興味を持った。

それ以前に、お茶に関係したことで言うと、20歳になった時に教育委員会が主導して、成人式の時に出席者を集めて青年団体を作り毎月親睦活動を行ったが、その時の行事の一つで、茶の湯を体験したこともあったが、詳しいことはすべて忘れた。
また、何時のころか(多分社員旅行?)忘れたが、煎茶道も体験したことがあるが忘れた。(宇治の黄檗山周辺?)
その後、興味を持って、丁度日本再発見ブームの時期があった頃だと思うが、岡倉天心の「お茶の本」も読んで感動した覚えはあるが、今は中身を覚えていない。(多分九鬼周造の『「いき」の構造』やルース・ベネディクトの「菊と刀」を読んでいたころ?)
中年になって、サラリーマン当時、社交常識として接待を受けたり、する場合にも茶の湯関連の知識が必要ということで、NHKの教育TV等で見たり、テキストを購入して読んだこともあった。(上からも言われた。)

このように、一応過去にお茶に関する知識を持ったことはあるが、近年一度お点前を受ける機会があったが、過去に読んだことをすべて忘れ、3回ともわざとずるずる音を立ててお茶を飲んだ。
後で間違っていたように思い調べると、大間違いだった。
お茶の飲み方や、作法は日ごろから習熟していないとだめだということが、よく分かった。

私が親しかった知人の物故作家は、当時貧しいながらも阿倍野近くの、お茶の教室に通っていた。
彼はよく私に、一度安物のお茶の道具を揃えたら、抹茶代は大したことがないし、家でお茶をたてるだけで落ち着き静かな気分が味わえると、盛んに、茶道を私に薦めたのを思い出す。

コーヒーに関しては、仕事で抽出方法をいろいろ研究したが、お茶の場合は、抽出方法にたどり着くまで作法や道具も含まれて、更に抹茶と煎茶でも文化体系が違うが、奥が深く文化的要素も絡むので面白そうだ。
自己流でネットや本やTVで機会があるごとに、折に触れ少しずつ調べてその精神を吸収し、既存の流派や作法や道具にこだわらず、素朴で簡素なお茶をたしなむのもよいと思っている。
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私的経済状況の確認・認識(私的メモ:考えの整理)

2014年10月06日 13時20分48秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
ここ数年、いつもつけている自家製の複式簿記の家計簿が、PCの切り替えと会計ソフトの切り替えで、正確な状況がいまだつかめない状況になり、現在の私的経済状況が正確に分からなくなった。
今は、預金通帳の残高で凡その傾向を把握しているので、赤字で借金しなければという状況ではない。
それに、今は新しい会計ソフトを使って日々入出金を記録しているので、未記入のレシートは大量にあるが、どこかで線を引いて、現金有り高を精算すれば、その時点から正確に私の財務状況を把握できる。
それまで、少し時間がかかりそうで、その間、現状なんとなく赤字の垂れ流しで、現在余裕がなくなっていると感じているが、それがどの程度なのか概要を把握したいので、私自身自分の経済状況を認識整理するために、懐具合を精査してみたいと思う。

因みに、年金収入は、月10万円余りで、それ以外の収入は年末年始のアルバイト収入の5-6万円だけである。
そのうち長屋の家賃や食費(自炊)で月約5万円、かかり、水道光熱費(クーラーは無く、ストーブは使わない。)や通信費やNHK等で約1万5千円から2万円かかる。
銭湯は毎日行くと、1か月に1万3千円近くかかるが、実際にはジムに行くときは、シャワーを浴びる<シャワーでは、お湯で汗を流すだけで、石鹸シャンプー等は使わない>ので、風呂には、行かない。
健康維持のための、ジムの定期に3000円。サプリメント類に月2-6000円使うが、今年は一度も医者に掛かっていないし、今まで医療機関に行くのは、年に0―2回程程度だ。
ジム通いもサプリメントの使用も、60代になってからで、予防医療と健康増と筋力・体力の維持増進のため始めだが、効果ははっきり出ていて、体感している。<プロテイン・ビタミン・養命酒・グルコサミン・その他>

残りの数万円で、すべての活動費を賄う。
次に具体的に、書き出してみよう。
毎日ファストフードでお茶すると約3000円かかるが、毎日は行かない。
これは、読書の動機づけと、引きこもり防止のためであり、同時に家にいると、TVを見てしまうので、読書環境を作るものと考え必要と思っているが、経済状況により、行く回数をコントロールしている。
それ以外に、書籍の購入、交通費、各種会費(町会費含む)、入場料(講演会・勉強会・美術館・博物館)、靴や衣類の購入(靴や衣料は、原則擦り切れたり、ほころびたり、ローテーション不足<夏の汗で毎日着替、一日2枚着替えることもある。>になると買い替えるが、ファッションの目的のためだけで買うことはない。)、外食費、散髪、医療費(歯も含む病気や、腰痛等)、雑費といったものがある。
従って同窓会や飲み会で、5千円から1万円の出費となると、かなり慎重に考えるが、大体清水の舞台から飛び降りるつもりで参加し、後で日常費用の食費等を切り詰め収支を合わせることがほとんどである。
そうした時期は、衣料品が擦り切れていても、ファッションセンスがひどいと分かっていても、ある物を着て出かけている。
ここ半年、様々な催し物に出かけ、京都や奈良にも足を延ばしたし、何よりPCの買い替えで、付帯費用も含め十数万円の出費が重なった。
そのことは、以前から予定していたので、ここ数年の年末年始のアルバイトの貯蓄と、節約して貯めた成果があってPCと付帯するものを購入できた。
購入予定額より、かなり抑えることが出来たので、ここ半年はその余裕で、あちらこちらに出かけ、催し物にも積極的に参加できた。
しかし最近はその余裕も底をついたので、徐々に参加する催し物を絞る必要がある。
その意味で飲み会は、まず除去するべきだろう。

とにかく活動を抑え外見を考えなければ、衣食住には問題はなく、7年前の自己破産前から比べると生活の質はよくなり、雲泥の差がある。
まず、分相応の生活をすることが最優先だ。
それでも、より活動範囲を広げたいので、アルバイトを探し増収を図ることを考え、今後とも積極的に社会にかかわっていきたいが、活動(例:美術館博物館・講演会・勉強会・山歩き・探鳥会・映画・・)は余裕のある範囲で、絞りこんで参加するしかないだろう。
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1時間以内の大雨を「高解像度降水ナウキャスト」で知る

2014年08月24日 14時58分37秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
先程から、ラジオの番組を中断して頻繁に、福知山で1時間に90mmの雨が降っている、といった大雨情報や避難情報を放送している。

今のところ、我が家の近辺では、雨は全く降っていない。
気になったので、気象庁の「高解像度降水ナウキャスト」(http://www.jma.go.jp/jp/highresorad/)を見た。

上にある「動画方法」で「動画開始」をクリックしてレーダーの雨雲の推移を見ると、偶然我が家の近辺だけ雨雲が通過していないことが分かった。
今、これを打っている間に急に降り出してきた。
なるほど、雨雲レーダーによる予測に近い。
大阪市の周辺は、1時間に30mmから80mmの雨雲に囲まれていて、大阪市の周辺を通過している。
そうした雨雲は、四国や淡路島で突然湧き出したりして、発達したり消滅したりしながら西北西に移動している。

生駒山で発生して急速に発達して大雨を降らしながら西北西に流れている雨雲もある。
レーダー画像では、500m以下の範囲マス目の地域で雨量が表示されるが、いくつかの地域では1時間に80mmを超える強さの雨が降っているらしい。
雨雲の移動を見ると、その場所の強い雨は5分から20分程度のようだ。

最近は、天気が怪しいと「高解像度降水ナウキャスト」の画面を見ることが多い。
初めのころは、雨雲がないのに、数分間地面を濡らす雨が降ったことがあり、信頼性を疑ったこともあったその時は、飴を降らす雨雲が丁度住んでいる場所に到達する前に10km手前で消滅していた。
その雨雲が、500m以下の大きさに徐々に小さくなりながらも、雨を降らせながら今住んでいるところに雨を降らせて通過したようだ。

この「高解像度降水ナウキャスト」は、外出するときには、非常に便利だ。
慣れれば、10分から20分先の雨を自分なりに予測できそうだ。
天気のぐずついた日で作業する場合は、役立ちそうだ。

因みに、私の場合、下にあるツールクリックして、表示されたツールを使って、予め河川や鉄道や道路を地図に表示させて、自分の家の位置を割り出した。
その後、同心円のマークをクリックし同心円の中心を自分の住所に移動(ドロー)して、保存した。
それ以降、「高解像度降水ナウキャスト」を開くと自宅を中心にした雨雲の流れが表示されている。

これを使うときには、天気雲が湧いたり消滅したりして時々刻々変化するので、画面を10分単位で最新に更新しないと、古いレーダー画像の違った予報になるので、注意が必要だ。

この地図は拡大縮小ができるので、潮岬や若狭湾が見える範囲まで縮小して見ると雨雲の動きが把握しやすいので、自分なりの予報に役立ちそうだ。
ところで、今日は枚方の京阪樟葉駅前のハナノモール3Fの「くずはアートギャラリー」で行われている、「アール・ブリュットinひらかた 表現の欲望展」を観に行く予定だったが、レーダー画像で見ると、大雨が降っているので、他の日に行くことにした。

KUZUHA ART GALLERY blog(http://kuzuhaartgallery.blogspot.jp/)
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天神祭りの陸渡御と宮入

2014年07月25日 16時46分10秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
今日は天神祭りの船渡御の日である。
天神祭りの船渡御はよく知られるが陸渡御を知る人は、船渡御ほど多くない。
1995年から2000年まで、大阪市北区の西天満にある老松通りに面した雑居ビルの2階でギャラリーをしていた。
この時期、ギャラリーは休みになるところが多かったが、この日もギャラリーを開けていると表が騒がしくなった。
ギャラリーの窓から下を見ると、陸渡御が通るところであった。
この時初めて天神祭りの陸渡御を見た。
だんじりや各種神輿や車や催し太鼓、獅子舞と子供や女子の踊りと囃子といった長い行列が続く。
陸渡御が終わると、大川で船に乗り込み船渡御になるようだ。
詳細天神祭りナビ陸渡御列出発(http://www.tenjinmatsuri.com/tenjinmatsuri_navi/honmiya_shinji_r/)

ある時、船渡御を見てから、天満宮にお参りした。
その帰りに門の前に人が集まっているので、見ていると船渡御が終わった一行が、宮入りするところであった。
その行列はとぎれとぎれに、長く続いた。
しかし、宮入の直前、それぞれ力のこもった最後のパーフォーマンスをする。
すごい迫力のあるものが多い。
祭りは人のエネルギーが爆発することで、盛り上がる。
天神祭りの宮入はまさに、そんな感じと思えた。
しかし宮入を見るには、時間的に遅くなるし、時間も長くなるので、普通の催し物のつもりで見ていると、冗長すぎて耐えられないだろう。
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いろんな仕事を経験しすぎ?

2014年07月03日 10時42分37秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
今、職務経歴書を書いていて、約1年間大阪城公園の掃除をしたころの記録が、日記等の資料が空白になっていて、すっぽりと抜け落ちているのに気付いた。
ここ4-5年は、予定日報表が充実してきたので、プライベート上の大きな出来事は、追うことができる。
それ以外の事は、ブログに書いてある。
しかし、2008年以前になると、予定日報表はまだ誕生せず、2008年から12年ころまでは、極めて不完全で未記載の部分がほとんどである。
従って、それ以前の行動を知ろうとすると、手帳や日記を頼るかビザの記録とか会計簿の出費で確認するほかない。
手帳や日記にはむらがあって、思い出したように書き連ねていることが多く、当時何をしていたか不明なことが多い。
ただ幸いなことに、2007年8月からブログを始めたので、当時の日常生活については、かすかな手掛かりが残されている可能性がある。

そこで念のため、当時のブログを調べてみた。
当時は、実際の村が運営している「村ぶろ」に初めてブログを投稿し、そのまま継続していた。
その中で、2008年平成20年5月4日のブログに、「仕事始め」という題で、下記の文章が掲載されていた。
懐かしいので掲載しておく。大阪城公園の仕事は、翌年4月11日まで行っていた。

なお先週末以来、就職関連書類作成に関連して、ウインドウズXPから8.1へ変更したことによる、画像機器の対応問題や、自分の写真撮影とその画像の取り込みや、古い書類の調査等に手間取ったり、また、あまりにも多い職務経歴(ギャラリー閉店後数多くの職業を経験し、自営業の時は、多くの企業との販売契約と顧客開拓で走り回っていた)のまとめ方に苦心し、ほぼ終日家に閉じこもり作業をしていたため、昨日記は全く手つかずのままです。



村ぶろ 散歩者  2008/5/4
「仕事始め」
収入確保にの為、4月社団法人某ンターに入会した。
切羽詰っていたので、仕事を催促すると運よく空きがあった。
運がいいという。 通常半年待ちもよくあるというのだ。
仕事の準備の為、なけなしのお金を出して、作業ズボンや道具、
長靴その他を買い揃えた。

某ンターの仕事は、個人事業者の請負の形なので、給料とか
の形ではない。 したがって簡単な道具は個人持だ。
月収は、月80時間程度の労働なので、報酬を時給とみなすと一般
パート等の時給より低いかもしれない。
月収は一般の人から見ればほんの小遣い程度だが、無収入や
国民年金しか収入源の無い人にとっては、非常に貴重な収入源
であり本当に生存をも左右しかねない。
病気にでもなれば絶望的だ。 腰痛も要注意で致命的かもしれない。

清掃は一定の人数で一組になり、数組がローテーションを組んで
清掃に当たる。
一つの組のメンバーは固定で、就業年限があり欠員を随時補充する。
体調不良による欠員も良くあるという。

5月1日に初出勤だった。
清掃業務だが大変だ。
実は、以前にも清掃作業の仕事をしたことがある。
ギャラリー経営時、来場者はあるが、貸しギャラリーの借り手
が無くなり、高額の家賃が払えなくなり経営不振の為生活費
も無くなり、3ヶ月以上早朝のビル清掃をした。(震災の時)
そのときは、御堂筋のオフィスビルで、この清掃とは全く違う。

トイレだけでも何箇所もある。
汚れている。 汚物が外に出ているのは当たり前、詰まっている
のもある。
すべて手作業で取っ手付きのナイロンたわしを使ってこすり、
水で流す。 
固まって取れないのは、根気よく直接金属たわしでこする。

トイへの移動は、道のごみを拾いつつ、トイレ間を移動する。
ゴム長をはいたままの歩行は違った筋肉を使い大変疲れる。
タバコの吸殻、ビニル袋、空き缶、弁当のカラ、雑誌等
いくらでもある。
先輩たちはごみをはさみで取るのも早い。
新米の清掃作業員、としてとにかく頑張るしかないのだ。
歩いていて気が付いたが、結構外人観光客も多いようだ。
中国・韓国系の人が多いように見える。

規定で仕事の内容詳細は公表しないようなっているので、
これに関連しての話題は、今回限りにする。


参考
村ぶろ  散歩者 http://blog.murablo.jp/sksya/


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ブログの閲覧数

2014年06月29日 15時02分46秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
ここ数日ブログの訪問者は100名程度の少ない状態で推移しているが、閲覧数が、10以上の様々なタイトルでまんべんなく上昇していた。
ページごとの閲覧数を分析すると、どうもあるグループが、(多分10名余り)組織的に私のことを分析している可能性があるようだ。

私のブログは、よそからの引用を明記しているもの以外にコピペしたものはなく、すべてオリジナルである。
営業や業務や宣伝目的の無断流用は著作権の侵害になる。

昨日記やブログ、その他SNSは一般公開しているので、様々な人に見られることは覚悟して書いている。
それでも筆が走りすぎたことがあると思うこともある。
当然のことながら、苦手な人に見られることも覚悟している。(今のところ、苦手とする人は、すぐには思いつかないが。)
同時に、私の記事を悪用される可能性も、あり得ると思っている。
そのため、閲覧数が急に多くなった記事には、再度目を通し、以前書いたことを思い出し身の回りで進行していることに関係ないかチェックしている。

再読時には、いろいろ誤字やミスタイプや変換ミスに気付き修正することも多い。
そもそも、多くの昨日記やブログは、推敲なしにそのままUPすることが多く、再読するとほとんどのブログや昨日記でミスが発見される。

ところで、これだけ毎日ブログを書いていれば、私のブログを読めば自然に人間像が浮かび上がる。
このブログに記載されていることから浮かび上がる私の人物像は、それ以上でもそれ以下でもない。
きちっと対話したときには、人の意見をよく聞くつもりだが、単に私のブログが読まれていることに関して、相手が何を考えているのか分からないので、取り繕ったり格好をつけたり、弁明するつもりもない。
そうしたことをいちいち気にかけていれば、生きていけないだろう。
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山歩きにも必要な国土地理院の地図で活断層チェック

2014年06月06日 12時25分46秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
新聞で富士山頂の住所が消えたことが話題になっていた
今まで国土地理院の地図富士山頂が静岡県富士宮市としていたものを廃止したという。
山梨県との県境問題があるためだ。

そこで国土地理院の地図に興味を持った。
若いころは初めのころは5万分の1を使いその後は2万5千分の1の地図を購入してハイキングに出かけたので、結構地図には親しんでいる。
ハイキングがブームになりだして詳しいハイキング地図が出版されるようになってからは、出版社の山歩き用の地図を利用するようになった。
今まで地図は、書店の地図売り場で買うものと思っていた。

今この記事を見て、さらに過去のニュース報道を思い出すと、国土地理院の地図が記号追加や、災害の地形変化で何度か変更になったり、防災マップのことが出ていたことを思い出した。
ということは、日本全土の地図がネット上で国土地理院から公開されているかもしれないと思い検索すると、実際に公開されていた。

地理空間情報ライブラリー(http://geolib.gsi.go.jp/)
電子国土基本図(http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/index.html#zoom=13&lat=35.1495&lon=135.72657&layers=BTTT)
を開くと地図があった。
縮尺も自由に使え2500分の1まである。
自宅の周辺や市内の地図を見、さらに若いころ幾度となく通った北山の雲ケ畑・桟敷岳や比良山や二ノ瀬のハイキングコースをチェック、そして、暇つぶしに歩いた六甲山、50回以上登っている金剛山・紀見峠や軽く足慣らしで登る葛城山のハイキングコースも見た。
懐かしかった。

地図の左には様々な機能も付いているようなので、都市圏活断層図にチェックを入れると、10万分の一のような大きな縮尺では表示されなかったが、2万5千分の1にすると表示された。
大阪にある、上町断層もはっきりと表示されている。
明治前期の低湿地で表示してみると、両親が言っていたように、昭和10年ごろ、両親が今の長屋に引っ越してきた時は、周囲がまだ田圃だったという言葉を裏付けるように、その地図の表示では大今里の奈良街道は高くなっていて、その北に数か所ある古くから存続する集落の周辺以外は湿地となっている。

奈良街道に近い熊野神社やその隣の妙法寺については、妙法寺が国学の発展に寄与した契沖ゆかりの寺であることから、江戸時代も妙法寺が存在し、奈良街道周辺の熊野神社や妙法寺周辺が湿地でなかったことがわかる。

今回閲覧した国土地理院の電子国土基本図は、かなり利用価値がありそうだ。
スマートフォンに、関係先の地図をコピーしておけば、電波の届かないところでもコピーした地図を頼りに歩くことができる。(スマートフォンは持っていないが。)


余談
契沖に関しては、中学校の時に歴史の先生が、「東成には何もないと思っていたが、妙法寺が契沖と関係があることが分かった」と言っていたのが頭に残っていた。
古代史考古学を学ぶまでは、契沖の業績の意味について全く無知であった。
しかし、多少歴史的なことに詳しくなった今、契沖の業績もウイキの解説を読んでやっと理解できた。
また、円珠庵(大阪市天王寺区空清町)と源氏物語のつながりも理解できる。
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FBの催し物情報のメモり方

2014年05月06日 12時52分25秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
フェースブック(FB)は展覧会や催し物のチェックによくつかう。
展覧会の案内では、案内はがきの来ているを優先し、その次にFBの招待が来ているものを、余裕があれば、出来るだけ優先的に行くことにしている。
しかし、展覧会の数も多く交通費もかさむので、出かける展覧会は限られ、案内状をもらっても行かないことも多い。

それ以外に、FBの記事で展覧会が紹介されていて、是非見に行きたいと思う展覧会もたまにある。

そうした記事を、そのままFBでシェアすると内容はDMと同じなので、正確な情報がすべて入っているメモ代わりになるので非常に便利だ。

だが、そのままシェアすると、関係の無い情報を友達にも通知することになり、友達にとって迷惑な話かもしれない。
そこで、以前FBで誰かが紹介していたシェアのやり方で、シェアする時に友達の公開範囲を「自分のみ」を選択すると、他の人に送信されないということを思い出した。

そこで早速試してみた。
これで問題なければ、この方法で自分が行きたいと思う催し物をどんどんシェアし、公開範囲を「自分のみ」にすると、他の人への迷惑を気にせずシェアできる。
後で、自分のFBのボードを見ながらスケジュールを考えることが出来、情報忘れによる見落としもなくなるので、スケジュールがかなり組みやすくなる。
無論他の友達にもシェアした記事に賛同してアピールしたければ「友達」を選べばよい。

私は、まだスマホやタブレットを持っていないが、将来そうしたものを持つことが出来れば、FBやTW情報を頼りに、どんな辺鄙な画廊でも道に迷わず行くことができるし、そのときにはさらにFBのシェア情報は自分のボードから簡単に引き出せるのでかなり役に立つだろう。
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