散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

ファストフードでの小さなハプニング130627

2013年06月29日 12時50分00秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
先日、いつも行くファストフードで、いつもと違ったことがおきたが、事件というわけではない。

そのファストフードは、駅構内の真ん中に線路に沿って通路が通り、その両側に店が並んでいて、その一つである。

私が良く利用するファストフードのブースは、駅中を通る通路に面している。
そのブースは、通路に面してカウンター席があり、その後ろにブースの通路を挟んで一人用の約10席ほどのテーブルと長いシートが置いてあり、シートに座るとカウンター席と通路や、通路の向かいのお店が見渡せる。

私は、お気に入りの席近くに行こうとそのブースの席の列を見ると、満員に近い状態だった。
そのブースのシート席には入口から奥まで、中高年や若者の男女がシートに座って本を読んだりスマホを触っていたりしていて、奥のカウンター席にも、学生やOLが数人いた。

そのブースのの入口のカウンターには、たまに見かける小中学生ぐらいの、サッカー練習帰りかと思われる少年達が6―7人たむろしていた。
そのグループの中に小学生か中学生ぐらいの女の子が真ん中で独り座っていた。
そのグループで女の子を見たのは初めてだった。
女の子は一言も発せず、カウンターに寝そべったりして、なんとなく時間を過ごしている感じだった。

いつものことだが、彼らは、行儀が悪く携帯で友達とやり取りしたり、大声を上げたり、数人で固まって外へ走り出て、又戻ってきたりと落ち着きがない。
いわゆるヤンキー予備軍の感じだが、まだ悪という感じはなく、子供の悪ふざけのような感じであった。

以前私は、彼らに「うるさいと」注意したこともあった。
今回も、うるさかったが、他のブースの専門学校生もうるさく、以前から近くの進学校高校や有名校の高校の生徒達のいろんなグループでも、同じぐらいうるさいことが多いので、最近はとりたて注意する気はなくなった。

振り返ると、私の小中学生の頃は、いつも親から大声出すなと注意されたし、高校になっても大声で話していたように思う。
会社に入ってから、大きな声での会話を注意され、社会に合わせるようになったことを思い出す。

私の席は、カウンター席の後ろのシートなので、カウンター席に居る少年達が目の前で大騒ぎしでいるという感じが良く分かる。
同じシートには、大人の客も入れ替わり数人座って飲食し、新聞を読んだりしていたが、だれも文句は言わない。
私同様、これが当たり前と思っているのだろう。

しばらくして、通路に立っていた若い男性がしきりに、フースを覗き込むようにして、カウンター席の少年達の様子を伺っていた。
そのうち、制服の警官が来て、その若い男性と合流し一緒に店内に入ってきて、真っ直ぐ足早にブース内の少年達の後ろに来た。
私の目の前だ。
警官は一人の少年の肩を叩き、そのまま肩を組むようにして静かに少年と話をしていた。
彼らはお互い顔見知りのようであった。
周囲の少年も、怖がる風でもなく彼らの方を見ていた。
若い男性は、落ち着かない様子でその横で、少年達を見ながら立っていた。

少年達は、何も違法行為をしていないので警官はしばらく話をして、若い男と一緒に店を出て、警官は自転車に乗って帰り、若い男は一旦姿を消した。
その後、少年達も店を出ようとした。
その時若い男性が店に戻ってきて少年達の散らかしカウンターのゴミを片付けた。
少年達はそれを見ながら、若い男性の片付け行為に「すみません」といって頭を下げた。

若い男は、学校の先生か、私服警官か青少年指導員か分からなかったが、オタオタした対応からすると、学校の先生かもしれないと思った。

そうした一連の光景を見ながら、少年達は皆孤独で行き場のない状態なのかもしれないと思った。
彼らは、素直で少しはめをはずし、行儀も悪いが、グレてはいないと感じた。
それは、少しふざけて他人に体が当たると、すぐに「すみません」と向こうから謝ってくることからも、伺える。
親や学校の組織的なフォローが必要なのかもしれない。
そのような組織的受け皿づくりが、青少年の転落への道を防止する早道かも知れない。

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「大阪らしく薄汚れたところ」:田舎と都会

2013年04月20日 19時48分29秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
先ほどファストフードで、コーヒーを飲んでいると、隣の若い男女のペアにもう一人のグループの青年が来て、夜の予定を話していた。
3人は東京弁で話していて、後から加わった青年は、今大阪に住んでいるようだった。

渡しは彼らの横に居るたので、いやおうなく話が耳に入ってくる。
その中で、気になった話があった。
どこへ行くかという話の中で、女性が「通天閣あたりの、大阪らしい薄汚れた串カツ屋に行きたい。」というのである。

この話を聞いて、私は嫌な感じがした。
大阪以外の人たちが、大阪に持っているイメージは予想がつくし、大げさに伝えられてきた。
神戸や京都の人達でさえ、大阪のことを低く見ている人が多い。
ましてや、関東の人たちのイメージは、それをもっと増幅したものであることは想像がつく。

大阪人のキャラクターについては、いろんなことが揶揄されたりする。
そうした指摘が当たっていることも多い。
大阪の人の多くが、金儲けには非常に熱心であるが、文化芸術に無関心であることは、大阪の政治を動かしている、維新の会=橋下氏の過去の言動や、例え府市の美術館に対する扱いや、大阪の誇る伝統芸能文楽の扱いを見れば一目瞭然である。
しかし大阪人は、文化的に無関心の人が多いことも事実であるが、程度が低いといった感じでバカさが強調されたりお笑いのイメージとも重なって、必要以上に歪曲強調されている面も多いようだ。

先ほど紹介した関東の人の言葉には、大阪を見下したステレオタイプ的イメージが強くあることは明白である。
大阪の下町には、そうした側面が残されていることは否定しない。
だが、最近東京に行っていないので、はっきりしたことは言えないが、昔東京の下町を見た印象では、東京の下町も大阪と良く似たものだと思っている。
そういう意味で東京の人が上から目線で地方を見下すのは、鼻持ちならない気がする。

ところで、昔は関西を上方といい、今でも使われる「下らぬものですが」は、そうした意味が含まれている。
文化の差は確かにあり、昔からそうしたものを人々は認めてきたが、今は東西文化の力関係は逆転している。

それと同じ構図で、大阪を含む大都市に住む人が、地方を見下す構図も存在するのも事実である。
現地の実情を知ろうが、無知であろうが、見下されることは、誰にとっても不愉快である。
見下すということと差別とは、同じ構造でもある。
そういう見方を変えるには、文化人類学的思考を持つことが必要だろう。
それぞれの、文化社会をよく理解し尊重することが大切であろう。
一皮向けば、文明人も未開の社会も、都会も田舎も人間的な基本構造や社会構造は、それほど変わらないものだ。


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サイドビジネス失敗記(背取りの巻)

2013年04月12日 15時54分29秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
自営業時代に、確実にできるサイドビジネスという言葉につられて、サイドビジネスをやったことがある。
趣味と実益を兼ねて、古本のサイドビジネス(背取り)をしようと、わざわざ産創館の講習を受けて、チャレンジしたのだ。
その手法は、古本屋を回り価値ありそうな古本を見つけて購入し、アマゾン等のネットで販売するのだ。
これで月に数万円から数十万円の収入が得られるという。

そこで、実際1ヶ月余り本格的に古本屋通いをした。
そして講習会で習ったとおり、ネットで販売した。
確かに少し売れたし、コツも見えてきた。
だが、もっと売るには関連した本も揃える必要があり、分野を決めてその分野に読者と同じ程度の専門知識がないと、いい仕事にならない。
その上、古本屋の店内を見回すと、同業者らしいやからが、携帯やメモ片手にうろついて、本をパラパラめくって中身を確かめているのに頻繁に出くわす。
競争が激しいようで、多分いい本はライバルらしき人にすぐに買いとられる。
2ヶ月近くやった結果、古本の在庫がかなり増え、置き場所もコンテナに入れて数個分になり、狭い家で置き場所にも困るようになった。

更に、買ってきた古本の値札をはがし、紙やすりやベンゼンで汚れを落とし、本が傷まないよう、そしてすぐに出荷できるよう一冊ずつラッピングするので、かなり手間がかかる。
その割りに、利益は一冊売ってせいぜい数百円で、数を売らなければ商売にならない。
そんなことをするなら、アルバイトをした方がよほどましである。
そういうわけで、背取りビジネスは2ヶ月ほどで失敗に終わった。

ただし、背取りをする人が、その分野の専門家とかオタクで、本人がそうした文献や本を大量に所有たり読む場合は、その分野での目利きが出来るので、貴重な本とか専門的な人やオタクが欲しがりそうな本がたまに売れずに捨て値で出ている場合がよくあり、付加価値の高い本を見つけやすく、サイドビジネスとして成立する可能性があるようだ。

因みに、産創館での「背取り」の講習の講師の人は、IT技術のプロで、業界の本とそれ以外の趣味のことに精通していて、最低でも毎月10万円以上の収入を上げていて、通帳も見せてくれた。(4-5年以上前の話です。)


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ケアレスミスと物忘れ、その対策・

2013年04月09日 14時31分21秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
昨日記はいつも、昨日のことを思い出すために翌朝書いているが、実際には数時間おきに記載している予定日報表を参考にしながら、昨日のことを思い起こしている。
記憶忘れによるミスをなくし、記憶力の強化のためだ。
だが、昨日問題に気づいていても、そこには、今日ご飯を炊かなければといったようなことは書いていない。
予定日報表にメモ欄を作り書くようにすべきか、検討中だ。

私の場合、小さいときから物忘れとケアレスミスが多かった。
勉強も、暗記が必要な英語や歴史や国語は避けるようになり、その意味で理工科系が好きにもなった。(それが現在では、科学系は相変わらず好きであるが、文科系も英語にチャレンジしたり、歴史や思想哲学や経済や美術といった覚えなければならない名詞・固有名詞が多い芸術文科系も好きになっているのは皮肉なことである。)

工業高校の後半になってから、理科系でもいやおうなく覚えなければならないことが多いことに気づき、文化系理科系関係なく無条件で暗記か必要なことが多いことを悟り、公式や単語や用語と定義等を仕方なく覚える努力をしたりした。(もっと早く分かって、覚えるこつをつかめば、成績はずいぶん違ったと悔やんでいる。)

それでも、ケアレスミス的な物忘れの癖は、治っていない。
これは、加齢と共に進んだものではなく、若い頃と状態は変わっていない。
例えば、若い頃から傘の置き忘れは数え切れないが、最近はましになったように思う。
小学校の時は、習字や絵の道具を忘れ、ほぼ毎週ぐらい学校から家に取りに帰っていた。
そのような生徒が、もう1-2名いた。
従って習字の授業を時間の初めから受けた記憶は少ない。
宿題も良く忘れて立たされた。
年に数回、財布を持たずに外出することもあるが、若いときもたまにあった。
無論認知症ではないと信じている。(認知症の人は、本人には自覚がないことが多い。)
私の場合、忘れたことに気づいた瞬間に、忘物をした場面(財布をポケットに入れず服を着た等)や、約束した瞬間とか予定を言われた瞬間の場面や目にしたはがき等の文書を、パット思い出すことが多い。

ただ、経験的に、数学に親しむと、与えられた条件を初めから確認する癖がつき、注意深くなってケアレスミスが減少することが、経験的に分かってきた。

ケアレスミスは、次のような場合に起きることが多いように思う。
思い込み。(重要なことについては、改めて思い込みがないかという視点で、再度確認しておく)
勘違い。(あいまいなことをそのままにしたりや、思い違いが勘違いやがないか意識しながら読む。)
同時並行で仕事をしていて、片方の仕事に熱中しているときに、他方を忘れる。
ある仕事をしていて、その仕事の重要さをはるかに上回る緊急事態や重大事件が発生したときに、他方を忘れる。(途中で仕事を中断するときは、メモを残しておく。)
仕事とは別に、本人にとって非常に重要と思っていることに意識がとられている場合。
(人間関係、トラブル、借金返済、人事、恋愛・・)
仕事を急いでいる場合、別のことを忘れる。(急ぎの仕事に気をとられる)
眠気等体調不良の場合。
リラックスしてそれに浸りきっている場合、ほかの事を忘れる。(メモやアラームでやるべき記憶を呼び覚ます。) 
性格的に、細かなことを気にしないとか大雑把な場合等、初めから注意力や集中力が散漫な場合。
調子に乗って必要以上に早く仕事をしている場合。(慣れ、安心・油断 徒然草の高名の木登り)

ケアレスミス=ポカミスは意識の問題だと思っているが、前にも言ったように、私の癖は多分治らないだろうが、できる限り意識を強くして少なくしたいと思っている。
同時に、ケアレスミスを起こす可能性に気づいたとき、ミスを起こさないようメモで貼り出す等の工夫をするようにしたい。

仕事上のミスの場合は業績にも影響し、非常に重要なのでミスゼロに近づける努力が必要だ。
方法としては、先ず不注意によるミスの考えられる原因と要素をすべて抽出する。
次に、一つずつミスの原因や要素に対する対策を具体的に立て、原因をすべて除去することが必要だ。
その際、物理的に間違った動きや操作をしても、最悪の状態が起こらない構造やシステムにすることが必要だ。
更に、今後発生すると予想されるミスの可能性のある場所や工程を推測し、ミスを起こしようのない構造や方法に改善変更することも必要だ。
最終的には、写真またはイラスト入りのマニアルを作り、仕事を誰でも間違いなく出来るように標準化する。
その際各場面での注意事項を書き入れる。


参考
運動しながら頭を使うと記憶力が増す? (Nスペのアルツハイマー関係番組より)
http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/28e8f108efc8eb0f79000f8504bfb453

適正な運動が、記憶を司る海馬の発達に良い影響を与えることが、最近の研究で明らかになっている。(文武両道は正しいのかもしれない。)2017年7月追記。関係学術論文はネット検索で可能?



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テープを使ったネズミ等の小動物撃退法

2013年04月07日 15時41分22秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
昨日記130404に書いたように、4月4日の朝は、ネズミや猫の騒動で6時に目覚ましで起きたが、眠くて二度寝をしたため起きたのが7時半過ぎであった。
その後、ネズミ対策を色々考えた。

しかしできることといえば、ネズミ駆除用の餌を置いた程度であった。
更に考えて、以前に何度か成功した事例を思い出した。

その方法とは、ネズミの通路を思われるところすべてに、特製テープを貼ることで、数回実行したことがある。
この方法を実施した結果、その後しばらくの間ネズミは来なくなった。
その意味で手間ではあるが、成功する確率の高いやり方だ。
無論、強力粘着板形式のネズミ捕は、市販されていて原理的には同じだ。
ただテープでやる方法は、ネズミを捕獲は出来ないが、ネズミは危険を察知してこなくなるようだ。
元々、猫や鳥その他小動物は、粘着性のものを嫌うようだ。

ここで言う特製テープについて説明しておこう。
特製テープとは、普通のテープを接着面を表にしたもので、完成形が内側が普通の面で、外面が接着面の、短いチューブの形になる。

それをネズミの通路に貼るのである。
夜中は暗いので、ネズミは知らずに通りなれたネズミ道を走るが、その時に粘着テープに張り付いて驚き、危険を感じて来なくなると想像している。

最初にそれをやったときの効果を、はっきり覚えている。
その時は、太い梁の上がネズミの通路であることが分かっていたし、私がいるのに平気で梁の上を走っているのを何度も目撃していた。
そこで、寝る前にガムテープで作った特性テープを、太い梁の上に置いて寝た。

床に就いてしばらくすると、ドスンというネズミが落下する音が聞こえ、バタバタと走る音がして、それ以降静かになりネズミが来なくなった。
ネズミが落ちたときは、ネズミが今まで体験したことのない粘着物に遭遇し、驚いて梁から落下したに違いない。
その時の痛さと、そこで何が起きたのか分からず、慌てふためいて逃げていることを想像して、布団の中で笑ったことを思い出す。

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FBやブログの使い方について考えました。

2013年04月07日 11時53分19秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
FB(フェイスブック)の友達が、いつの間にか110名になりました。
ここで、改めてFBの使い方を考えてみました。

外国人や有名人を含む数名のかた以外は、すべて一度は直接お話したことのある人たちですが、50名を越えた頃から、友達を積極的に増やそうという意識はなかったのですが・・。

毎日数回ニュースフィードのタイムラインを読み、1-2日に一度は自分で作成した友達リストのフォルダー(例 ギャラリー関係、古い友達、美術家、同窓生・・・)を開いて友達リストのタイムラインを読んでいます。
(左列の友達をクリックし上の欄のリストを作成を使い、リストを色々作っていて異なる)リストに重複記載もしてます。
ニュースフィードのタイムラインでは、一部の友達の情報しか掲載されていませんが、各リストのタイムラインを読めば、リストに登録した友達の投稿やコメントがすべて読めるので、重宝しています。
(FBを使い始めた頃はニュースフィードしか知らず、友達の情報が少ないと思っていました。)

110人の友達の発信を見ると、発信している人は、限られているようです。
ブログやFB・twも同じですが、多くの人に発信するのは、誰でも恥ずかしいものです。
相手にどう思われるかといった、目に見えない向こうの人達を気にしていたら、何も発信できません。
しかし、何でも発信していい訳ではなく、ネット上に発信する場合は、敵対する人や利害関係者や不都合な人(上司、悪意の人、ストーカー)も見ていることは、いつも認識しておくべきですし、他人の個人情報や企業秘密や誹謗中傷や名誉毀損等の暴露は刑事事件にもなりかねません。

よく発信している人のメッセージを見ると、日常茶飯のことや趣味や感想を、そのまま気楽に世間話として書いているようです。(長続きするコツ?敵対する人等にも問題なく、親しくしたい人には好感や親しみを持たれる。)
又、発信している内容に応じて、それに見合ったお友達が集まり、お互い親しくなるようです。

四六時中、政治批判やプロパガンダまたは、企業や組織の宣伝をしていると、それに興味を持つ特定の人しか、読者はいなくなり、その考えを広めたいという思いとは逆効果になるでしょうし、一般の読者からは飽きら敬遠されます。(本人は気づかない場合がほとんど。
ひょっとすると、私にも当てはまるかも・・・。)

発信を続けたり、タイムラインを読んだりしていると、今まで余り話をしていなかった人に対しても、実際によく会っている友達のような感覚で打ち解けて会話できるようになるのは、不思議な感覚です。
メッセージを投稿して、いいねとか、コメント等がなくても、見ている人はある程度いるようです。
継続こそ大切なのかもしれません。

FBを使っての、友達からのイベント情報は、大変役に立っています。
作家の方は、もっと自分の情報を積極的に発信すべきだと思います。
うまく使えば、DMより余程効果があると思います。

その他、FBを使うとわざわざメールを送ると大変に思うことでも、個人宛のメッセージ機能やチャットを使って、日常会話感覚で「飲みに行きませんか」といった様なやり取りを気楽に出来ます。

最近は、FBでも使える文章の長さが長くなりましたが、自分の考えを細かく伝えようとすると、字数に制限のないブログがよいようです。
FBは、ちょっとした感想を知っている人たちに言ったり、おしゃべり感覚で使うのに適しているようです。
ブログは自費出版の本のようなもので、知人友人だけでなく不特定多数の人に、本を手にとってもらって、気に入れば読んでくださいといっている感じのように見えます。
その本が、気に入れば愛読者になり、そのうちの一定数の人は、リピーターやファンや友達になるでしょう。
私が前に投稿していた地方のブログでは、そのような関係を更に加速して、ブログ運営者(自治体)と関係のあるサポーターのような人たちが、盛んに複数のブログに積極的にコメントを投稿して、面識のない人達とも網の目のように重層的にかなり濃密な家族的な人間関係を築いていたようで、多くの人がブログを通して小さな集落のように個人的話題も共有していたようです。
ブログの話題も、学校や運動会、子供、料理、地域の催し物、悩み事といった多くの話題を元に、コメントの形で井戸端会議のように話が行き来していました。
更に、たまにオフ会を開き、地場産業振興も兼ねて、営業抜きの人の交流もしていたようで、オフ会には泊りがけで、全国から人が来ていたようです。

FBでは、初めから知っている人が多いので、身内とか同じグループ内の会話のように見えます。
その意味でSNSの中では、FBは最もお互いの友人意識が強いと思われます。
ただし、古くからの顔見知りといっても、その人のことを会社の人や同級生のように、多くのことを知っているわけではないので、注意が必要です。
特に、悪意の人は、全体の中に必ずいる(可能性として一割ぐらい??)と思っておいたほうがいいと思います。
例えば、反社会的な人たちは、善人や紳士を装って近づき、親しくなってから牙をむき出します。(実際にそういう例を何度か身近に見たことがある。)
経験的に、調子のいい話をする人や、急速に親しげに近寄ってくる人や、小さな嘘の多い人や嘘をごまかす人は、要注意です。(相手を取り込もうと計算して巧妙に近づく)

そのような友人意識を更に深める方法としては、FBの地域交流会のパーティーとは別に、個々のFBの投稿者がそれぞれのお友達を集めて、交流パーティーや飲食物持ちよりのホームパーティーを、開くことも可能でしょう。
例えば、普段からパーティーをすることの多い、企業経営者とかギャラリーとか演奏家や趣味のサークル・教室等のグループでは、簡単に実行できると思います。
現実に、ギャラリーのオープニングパーティー等では、FBを使った通知で効果を挙げている例も良く見ますが、FBの友達交流会を兼ねて持ち寄りという形にすれば、もっと多くの人が参加しやすくなるかもしれません。


参考
SNSで、知らない間に企業の広告塔にされる? 情報の捏造では!!http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/11d4d192b0a73015f91a0b0074ddee02

SNSやブログの使用上の疑問や問題点と、私の対応策-1 (http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/e81b491dad15076bcb99ced2e5f30db4)

SNSやブログの使用上の疑問や問題点と、私の対応策-2 (http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/5cd77410dc5c06125428fe922c61dad3)

SNSやブログの使用上の疑問や問題点と、私の対応策-3 (http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/82de78e76c6f2112cd3ba3e8f23fa03e)

SNSやブログの使用上の疑問や問題点と、私の対応策-4 (http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/35efcf3efb25a5b54bf63b3d0f7c0aa0)





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大阪城公園梅林20130311

2013年03月11日 21時58分02秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
大阪城公園梅林20130311


今日大阪城公園の梅林に行き、スナップ写真を撮ったので掲載します。
フォトアルバム(フォトチャンネル?)を始めて使用するので、どんな形で表示されるのか不安です。

梅林の早咲きの梅は、散っていました。
その他の梅も散り始めから少し散ったぐらいでしょうか。
梅の香りを期待したのですが、遅かったのでしょう、香りを楽しむことは出来ませんでした。
(裏庭の、梅は満開で、よく香っています。)

桃や桜はまだ蕾ですが、桃園で早咲きの桃は一部ほころびていました。
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きれいな黄色い米が混じっているぞ!(追)

2013年03月01日 21時11分26秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
先日、米を研ごうと電気炊飯器に米を入れたところ、黄色い米粒が点々と混じっていた。
米は10kgの袋入りのもので、既に半分程度使っていたが、今回初めて黄色い粒が出たのか、初めからそうだったのか分からない。

黄色い米を見て、私が20代以前の頃に、外米か何か忘れたが、黄変米で騒ぎがあったことを思い出した。
黄変米の単語だけが、何の事件か分からないが、事件として記憶にあった。
そこで、調べてみた。
確かに、黄変米はあった。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E5%A4%89%E7%B1%B3)

どうやら、黄色く変色したものは、カビらしく毒があるという。
保管している米をすべて捨てようかとも思ったが、変色した米は多分0.5%より少ないと思ったので、一粒ずつより分けて取り除いた。
米を選別している途中で、選別の効率化のアイデアが、次々と浮かび改良を重ねて、流れ作業に近いバッチシステムで、小さなスプーンを使い、かなり速く多くの量を正確に選別できるようになった。
残りの米がなくなるまで、毎回米の選別に時間をとられそうだ。
先にすべて選別しておいたほうが、カビの伝染リスクがなくなるので、手間でも先に選別したほうが、後の手間を少なく出来るかも知れない。

この米はスーパーで特価で売っていた10kg入りのブランド米だ。
黄変米が初めから、混入していたのか、開封後の保管が悪くてかびたのか不明だ。
ただ、米の袋を取り出して、炊飯器の容器に米を移すとき、米袋の下が湿気ていたような感じがしたので、保管に問題があったかもしれない。
米そのものには、濡れや湿気は全くなかった。

この米は2袋買ってあり、もう一袋は未開封なので、開封時にしっかりチェックしようと思う。

追記2013/5/16
もう一袋、同じときに購入した米袋を開くと、異常ありませんでした。
黄変米=カビが発生した原因は、炊飯前に米を計量し、その時余分な米を元の米袋に戻しましたが、戻した米に外部のカビが付着して米袋内でのカビの発生につながったようです。

追記 20210919
このブログ「きれいな黄色い米が混じっているぞ!」だけ、いつまでたっても、月に数回は複数の人に読み返されています。
多分どこかのおまとめサイトかランキングに出ているのかもしれません。

私は、自分の記録としてこの昨日記を書き公開しています。
多くの人の賛同を得たいとか注目を浴びたいとかで、このブログを書いているわけではありません。
それでも、まったく注目されないよりは、多少読んでいただける方がうれしいです。
しかし、私は週に何本か(目標は毎日書くこと)ブログを書いていて、たまに自分の意見や考えをみんなに知ってほしいと思って、ブログを書くこともあります。
また、普段日記のつもりで書いていて、書いた内容から、思い出や考えが浮かび、長文の主張や思い出を書くこともあります。
そういった長文のブログは、誰かに読んでもらい、理解してもらえたり、議論出来たらいいなと思っています。
時には時事問題やその他のことを、「昨日記」でなく単独のブログとして自分の考えを書くこともあります。
そういう場合は、多くの人に読んでもらえたらいいと思っています。

冒頭に書いたように、この黄色い米のブログは多くの人に読んでもらいたいと思って書いたわけではありませんが、いまだに月に数回思い出したように読まれているのは、だれかそういうことを仕組んでいる人や組織の関与がなければできません。
私のブログを読んでいただくのはありがたいのですが、そういうことを仕組んでいる人や組織に踊らされて読んでいることを、自覚していただければ幸いです。

私自身は、5年以上前からこうした事態に気づき、自選ブログという形で、私自身気に入ったもので、ほかの人にも読んでいただいたらうれしいブログをリスト化しています。
自選リストを下記に表示します。
なおこのブログ「きれいな黄色い米が混じっているぞ!」は自選ブログ「エッセイ」に入れてなかったので20210919に追加しました。

エッセイ(このブログは左記リンクのカテゴリー別「エッセイ」ホルダーに収納しています。)
過去の注目ブログは、自選ブログ集・カテゴリー別(分野別)ホルダーに保存しています。
散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo


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デザインと売り上げ

2013年02月28日 11時50分07秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
(TWやFBからご覧の方は「最新情報に更新」をクリックしてご覧ください。)


あるTV番組で牛乳石鹸の会社見学をしていた。
その話の中で、牛乳石鹸の赤箱と青箱で石鹸の容量・重さや香りの違いがあると言っていたが、今まで同じと思っていた。
調べてみると、赤箱が100g青箱が85gで、香りも確かに違う。
関東では青箱、関西では赤箱が良く売れるらしい。
先日スーパーの特価で、そんなことを知らずに青箱を購入したが、今なんとなく損をした感じをしている。

もう一つ興味深い話があった。
石鹸の箱のパッケージは、今まで10回変更しているという。
ところが、5回目の変更のときに、赤箱の色をピンク色に変えたという。
そのとたん、売り上げがかなり落ちたという。
2年後に、元の赤色に戻すと、売り上げが回復したという。
この話は、デザインの影響力を物語る実証実験的な話だ。


昨日記(http://blog.goo.ne.jp/sksoo)も毎日更新していますので、自由にご覧ください。
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恋愛関係・人間関係、私の場合

2013年02月18日 23時59分09秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
先日、私にとってわずらわしいバレンタインデーが終わり、ほっとしている。
半月以上前から、様々なチョコレートやバレンタイン関連の宣伝が始まり、スパーでも大量のチョコレートが店頭に並ぶ。
TVでも、その日が近づくと、関連したテーマの恋愛や男と女の関係についての番組が多くなる。
私も、仕方なく時には面白いのでそうした番組をしっかり見るが、独身で彼女もいない私にとっては、どうでもいいことであり、ある意味、世間からの恋愛せよとの脅迫のようにも感じる。
しかし、この歳では彼女も出来るはずもなく、女友達のいない身にはどうしようもない。
また、今のところ、女友達はあるに越したことはないが、かといってどうしてもほしいとも思わない。

68年間、結婚したこともなく、彼女や内縁の妻を持ったり、同棲したことがない私にとって、そのありがたみは分からない。

この事実を言うと、会う人から奇異の目で見られるし、世間でも奇異の目で見られているに違いない。
私に、犯罪歴があったり、慢性病やその他病気や、将来発生する確率の高い病気を持っているわけでもなく、性格的に異常な性癖を持っているわけでもなく、自分では心身ともに健康な男と思っている。

一番疑われるのは、男色であったり両刀遣いではないかという疑いだが、そうした傾向は100%ない。
(ギャラリー時代に、同性愛者の作家の個展をしたのと、いつまでも結婚しないので誤解を生んでいるようだ。)
アメリカで英語留学していたときとか、ギャラリーをしていたときに、何人かの男性が勘違いして、それとなく接近してきたが、こちらもそのようなものを感じて直ぐに逃げた。
(同性愛者に対する偏見は持っていませんが、同性愛の対象にされると嫌悪感を感じます。)

又、女嫌いとか、女性が不浄といった偏見を持っているのではないかといわれたこともあるが、そんなことは全くない。
恋愛の前提となる恋愛感情がないのでは、という疑問もあるかも知れないが、これでも若い頃は片思いや失恋に近いことは何度も経験している。
映画でも、ミュージカルは恋愛ものが多いが、経済的に余裕のあったころは、古いミュージカル映画は沢山見ているし、お気に入りであった。
私は、40歳以前の会社員の時代には、もっと積極的に行けば彼女が出来るチャンスは何度かあったと思っているが、踏み切れなかった。(仕事には果敢で、チャレンジ精神もあったが、女性に対しては優柔不断で引っ込み思案だった。)
その当時は、お見合いパーティーにも足しげく通ったこともあるが、今から考えると、そんなことをしなくても彼女を得るチャンスはあったと思っている。
そして、40歳以降も、そのような機会は、あったのかも知れない。

経済的にかなり余裕のあった、40歳ぐらいまでは、結婚のチャンスは何度もあったと思っているが、30代後半は技術の管理職をしていて仕事が忙しすぎて(土日出勤のことも多かった。)そんなことを考える余裕がなかった。
40代以降は、経済的にも仕事の面でも不安定で、それどころではなかった。
結婚できなかったのは、縁とお金がなかったからだ思っている。

ただ、経済的に貧しくても恋愛や結婚している人たちを、何人も知っているので、経済的なことは理由にならないのかもしれない。
だが、縁がなかったと言ったことは、間違いだったかもしれない。
人間関係=縁は、お互いが築きあげるものだ。
男女関係の場合は、通常男が積極的に行うものと、相場が決まっている。
実は、縁を作ることに関しては、私はまめではなく、どちらかというと、めんどくさがりである。

40代になって、脱サラをし、アメリカのシカゴに英語留学をしたが、その時、身近に非常に良くもてる白人男性がいた。
彼とは、懇意であったので、女性との付き合い方を学ぼうと、彼の行動や話の持って生き方をしっかり観察した。
彼は、ラテン系ということもあって、女性の扱いが非常にうまかった。
当然、目の前の彼女に対しては、適当な嘘もついていたであろう。
今考えると、彼は女性に対し、非常にまめであり、平行して二人の女性と付き合うことも出来る才能を持っていた。
帰国後、彼の女性に対するこまめな気配りと、声掛けや、やさしさを実践しようとしたが、彼のようにはうまく出来なかった。
私が女性と接する態度に、何か問題があったのだろう。

その意味で、思い当たることがある。
60才近くまで、男女同権を原則に、公私とも女性の扱い方も男性の扱い方もほぼ同様に扱っていた。
本音と建前では、いつも建前や論理的思考を優先し、個人の都合より、社会的約束とか仕事や組織が最優先の傾向が強かった。(今もそうかも知れない。)
私的な場面でも、女性と対話するときも、男と話す時のように論理的な話だけをしていた。

今まで対人関係は、男女を問わず、「去るものは追わず」を基本に考えていた。
相手が、私から距離を置けば、それは相手の意思を尊重すべきと考えている。
同じことになるが、相手の発言や態度は、男女問わずそのまま額面どおり受け取るようにしている。
(技術者の習性かもしれないが、話はそのまま額面どおり受け取らなければ、仕事は進まないし、基本的にしっかりした技術者はほとんど嘘をつかない。間違ったことを前提に話を進めると、間違った結果や製品しか出てこない。)
例えば、映画や歌劇やドラマとかバラエティーで言われる恋愛関係で、相手に嫉妬させて逆に相手の気を引こうとするような場面は、多分私なら、ご自由にしてください、当て馬の方と仲良くしてください、と思うだろう。(恋愛経験もないので、そんな経験はないが)
所詮、相手が二股掛ける様なら、その後も同様のことが起きる可能性が強いと思っていて、そんなわずらわしいことに振り回されるのはごめんだ、という気持ちが強い。
また、私のことを信用できない人や、嘘をつく人や自己中の人とは、適当に距離を置くようにしている。
これらの、対人関係の基本行動が、結果的に生まれてから今まで彼女歴なしの偉業を成し遂げた原因なのかもしれない。

しかし、上記の基本行動を修正したところで、この歳になって、私は枯れてはいないが、貧困の独居老人では、(バレンタインに象徴される恋愛面では、)だれも接近しないであろうし、逆に私から接近すれば女性にとって大迷惑になるに違いないので、こちらからは接近しない。
ただ恋愛面を除いた、単なる趣味上の友人知人としての交流は、相手が許容したり友好的な場合は、問題ないだろうと思っている。
当然のことながら、相手がいつも私から距離を置き、私のことを快く思ってないと推察出来る人には、私からは、近づかないようにしている。

幸いなことに、私には、お金のかからない趣味(現代美術のみならず)もいろいろあり、それに付随して関係する友人知人達との交流もあるし、さらに昔の同級生や会社の同僚といった友人との交流もある。
これからも今までどおり、趣味やその他人間の交流を楽しみながら、心豊かに体も鍛えながら暮らして行こうと思う。

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私は何者?

2013年02月16日 02時26分58秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
夕食後、午後に書き残したバレンタインデーのむなしい感想の残りを書こうとPCを開き、ついでにFBを見ると、お友達からFBに掲載した下記の文に関して質問が入っていた。(一部削除、変更)

「アメリカ人のLからの先ほど突然の電話、以前電話番号を教えろという奇妙な電話をしてきた男だ。私にとってシカゴにいたときの親しい友人の一人に違いなく、彼の母国の実家にも2週間ほどお世話になった。ご両親は、社会的にも地位のある人だ。今、彼はビジネスマンとして世界中を飛び回っているというが・・。正式の肩書きも送ってきた。ただビジネスマンの活動に疑問が多い。その地域は紛争地の隣国だ。しかも彼は私を取っ掛かりに、FBで人脈を築いた。私がいた英語学校は、以前アメリカの国務省の管轄下にあった学校で、彼は同級生だった。アメリカの情報機関の目はあらゆるところに張り巡らされている。その彼と2月にギャラリーで会う予定。これを公にするのも危険を感じ躊躇したのだが。1月のグループ展にも出展している。とりあえず、日曜に会いたいというのは断った。無論私の居所は知っているはずだ。何が狙いなのか?(シカゴ時代に住所電話番号は教えている。)」

この文章に対するお友達からの質問は、
Mさん(私のこと)て何者なんですか。
美術と政治は色々かかわり合いがあるということですね。
今後はその道を歩かれるのですか。
というものだった。

これに返信するには、FBのコメント欄では、長くなるし、十数年交流のある方からこのような質問をいただくということは、普通のお友達の場合は、もっと疑問に思っておられるのだろうと思い、ブログで返事をすることにしました。

私自身経歴のことは、私のブログ「散歩者goo」(http://blog.goo.ne.jp/sksoo)に色々書いていますし、概略は自己紹介にも載せています。
簡単に言うと、私の両親は岡山県出身で、父方には江戸時代(確か文化・文政や天保時代)の先祖の墓も残っています。
私は現住所(大阪市)で生まれ育った長屋に住む、68歳の独居老人です。
現在は、無職で収入は年金のみですが、経済的理由で去年から今年の年末年始に物流関係の短期アルバイトをしました。
何年か前に自己破産(ギャラリー経営のため、個人のローン借り入れによる負債)しましたので、公私の負債等はありません。
衣食住は、生活保護同様の年金収入で問題ありませんが、小遣い等はほとんど余裕がありません。
これで分かるように、私は経済力や資産も、名誉も社会的地位も賞罰も何もありません。
現在、社会的活動もしていませんが、趣味は、ブログやSNSや美術鑑賞や考古学や読書他、ジムや水泳等、お金のかからない楽しみは色々持っています。

先頭FB掲載の文章を見ると、なにやら私が国の情報機関と何かコンタクトでもありそうに見えますが、「昨日記130131」に記載している通り、今後とも外国人の古い親しい友人との交流は、(万一某国の情報機関関係者であった場合でも、)単なる友人や趣味やビジネスの関係であれば続けますが、某国の情報機関としての諜報活動等に関して協力要請があっても、組したり協力することはしません。(そのようなことがあれば関係機関に通知します。)
私は、国粋主義や右翼ではありませんが、愛国者です。
(一般的にビジネスに関しては、お金に目がくらみ情報機関の協力者になる可能性も考えられますが、私が今までやってきたように、情報公開することにより防げます。
情報機関で私を利用しようとするのであれば、最初から物事は、すべて秘密裏に進めるでしょう。
私のように色々暴露するようでは情報機関から見れば、使い物にならない存在ではないでしょうか。)


二つ目の、美術と政治の関係については、私は分かりません。
一般論や美術史から言えば、政治のみならず、宗教や商業(販促)に芸術は利用されています。
今でもどんどん利用されています。
TVのCM、広告、デザイン、BGM・・・・・・すべて商業の販促目的に芸術が利用されています。
政治、宗教にもどんどん使われています。
過去の宗教音楽や宗教画(すべての宗教)のみならず現在も、新興宗教含め積極的に使われています。
政治的にも過去の社会主義や、全体主義のプロパガンダのみならず、反戦文学、反原発文学(詩を含む)もそうです。
イデオロギー流布のため、多くの詩や音楽や美術もプロパガンダの道具として使っています。
現実の政治問題は、白か黒かはっきりしているものは、ありません。
必ず矛盾を抱えています。
ところが、詩や文学で欠点を隠し長所のみを賛美し、誤った情報を流している場合が多いようです。
全体主義や社会主義賛美には、多く利用されたと思っていますし、現在の時事問題でも、一部勢力ではそういう手法がまかり通っている場合もありますが、大衆はしっかりと見抜いています。
政治問題は、弁論で論理的に解決すべき物と思っています。


三つ目の、今後その道を歩かれるのですか? という質問は意味がよく分かりません。

私の今後は、つつましく年金生活を続け、無職の状態でいろんな趣味を楽しみ、お金に困ればアルバイトを探すことになるでしょう。
ボランティアやNPOの社会貢献でも出来れば良いですが、可能かもしれませんがまだその糸口は見えません。

外国人の古い友人がパリで共同で画廊を開くかもしれない件に関しては、彼から日本の現代美術への問い合わせ等あれば、それなりに日本の美術関係者の評価や私の感想やを伝えるでしょう。(現実にそのようなことは言ってきている。)

無論、関西の作家をフランスで紹介することができればいいと思っています。
しかし、現実には、先ずパリで正式な彼等のギャラリーが完成してからの話になります。(器も実績もないのにそんな話をしても無駄だと思います。器が出来るまでは一切期待しないほうがよいと思っています。先ずギャラリーの完成することを期待する話からです。)

それに、現在ヨーロッパで既に具体関係はじめ現代美術家で有名な方々が活躍していますし、いくつかのギャラリーや美術館が日本の作家を取り上げていますので、たとえ彼等がギャラリーを作ったところで、私が彼に作家を紹介しても大作家を紹介できるわけではないので、ほとんど意味がないと思っています。

更に、彼は既に東京で世界的に有名な写真家およびその事務所を中心に、写真・美術関係者と親交を深めていて、それ以外に大阪にも複数のチャンネルを持っているようです。
多分、彼等がギャラリーを完成させると、東京の有力写真家の事務所からの紹介を中心に、企画展を組む可能性が強いと予想していて、実質的には、私が彼から作家紹介を求められることはまず無いと思っています。
とにかくすべては、ギャラリーが現実に出来上がってからの話です。

従って、私は今後も今までどおりの生活をする道を、歩んでいると思っています。
ただし、より積極的に有益なことをする模索は続けますが。
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小児麻痺幼少時の思い出と、うろ覚えの知識・プロパガンダ(追)

2013年01月27日 22時31分04秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
両親から聞いた話では、私は、2歳ぐらいの頃小児麻痺にかかったという。
当然のことであるが、小学校の体育の成績はいつも1であった。
今の私からすると想像できない。

体操が出来ないからといって、いじめられたことはなかった。
1-2年生の頃は、同じクラスに車椅子で通う小児麻痺にかかった友達がいたのを覚えている。
小学校5-6年生のとき、男子は数組が集まっての合同体操があり、跳び箱や鉄棒やマットをすべてのクラスが合同でしていた。
そのときは、5-10人の班単位で各種目の運動に取り組み、一人でも出来ない班は全員残され、できるまでやらされた。
このような状態で、私は口では「小児麻痺のため運動神経が鈍いんや」といいながら、内心悲しくもなく、皆から発達が遅れて当たり前と思っていたし、皆も居残りにつき合わされても、文句を言わないどころか、跳び箱を飛ぶときのコツとか、アドバイスしてくれた。
当然私も皆に迷惑かけないよう必死でやり、目標をクリアした。
すると、次回には、目標を全員目標を引き上げられるという調子で、いつも皆に迷惑をかける体操が嫌だった。
私の班は、他の班といつも居残りのラストを競い合っていたが、私は皆にいつもお詫びを言っていたが、友達は「出来たやん」とほめてくれた。
しかし結果的には、それが私の体力の向上に大きく役立ったようだ。

中学生以降は、徐々に体力も人並みになったが、短距離や球技は人並みにはなれなかったが、腕相撲は強かった。
小学生以前のときは、余り覚えていないが、子供達で近所の少し年上のお姉さんに連れられ、皆で近くの田んぼ(幼児時代<1950年前後>は、まだ我が家の少し北側は一面の田んぼで、人糞を使っていて土壷もあり、はまったこともあった。)に行くときは、私が遅いので、いつも待ってくれたのを思い出す。
いつの頃かは分からないが、隣の一歳年下の子が長屋の前の20センチ足らずの排水溝を渡ってくるのに、私は這って渡ったのを覚えている。
治療のため、家から500m程のところにあった、市立の小児医療センターに通っていたという。
私が治療を受けるとき、脊髄に針を刺すらしいのだが、母親も子供が泣き叫ぶので、その場を追い出されるが、近所のおばさんが私のわめき声を聞いていたという話を聞いたことがある。
父母からいつも聴かされていたのは、堺の出島海岸に海水浴に行っていると、私が急に震えだし風邪のようになり、家に戻って数日後ダランとして全身動かなくなったという。
その後、診断が確定してからも、病院以外、針やあんま等いろいろ治療を受けたという。
長い間寝たきりであったが、徐々に回復し、私が物心付いたころには、不十分ながら立ったり歩けたりするようになったらしい。
その意味で、亡くなった父母や叔父さんには、今も強く感謝している。
これが、私の小児麻痺の思い出である。(これはうろおぼえの話ではありません。)


ところで、ある飲会でそんな話の断片をすると、ある人が「その頃は小児麻痺はやったんや、そのときに開発されたんが、ポリオワクチンや。あんたそれ使うて治ったんや。」とその人はのたまう。
一瞬、「ポリオワクチンって最近じゃないですか。」と聞き返すと、「そのとき開発されたんや」と自信ありげにいうので、そうかなと矛を収めた。
しかし、調べてみると、私が思っていたとおり、ポリオワクチンは1960年代の話だった。
一旦発症するとポリオの治療法は現在も無いと言う。
厄介なことに、治ってからもポストポリオ症候群になる可能性もたまにあるという。
一時期、筋肉痛をPPSではないかと疑って心配したことがあるが、その心配は取り越し苦労であった。

ここで、飲んだ上での話とはいえ、よく考えると当たり前であるが、人の話をすべて信じていい人と、悪気は無いが往々にして早とちりしやすい人がいることに気が付いた。
人をしっかりと見分ける能力も必要なことを感じた。
人を見分けるには、時間がかかる。
ある程度の時間、その人の言う事や書いていることを取り込み、その内容が正確かどうか検証することが必要である。
仲がいいと信じやすいが、仲のいい人で、悪意を隠している場合も多い。
実際、今までに、その人のいるところや関係者の前では、その人にとっていいことをいい、別の人たちには、散々悪口や非難している人を何人も見てきた。
無論勘違いやうろ覚えで、誤ったことを堂々と述べる人もいる。
そういう場合はすぐにわかるし、話の内容は利害は関係していないことがほとんどだ。
利害関係のある話で、誤った内容を話す場合は、勘違いやうろ覚えでなく、確信犯的な場合が多い。
間違った話をして、冗談やったという人は要注意だ。
プロパガンダが目的で、逆の事実や不利なことを隠して、いいことだけを話す人も要注意だ。
政治的プロパガンダ(政治も含むあらゆる広告宣伝)を言う人は、いつも一貫して同じことを言うので、周りの人は気付き飽きられるが、誰も面と向かって、その話前にも聞いたとは言わないので、本人は気付いていないことが多い。
それに、プロパガンダには、嘘でも多くの人が同調したり、繰り返し言っていると本当の話のようになるという事実は多く経験していて、政治や営業や、人をだますしたり貶める場合に使用されている。(誇大宣伝、政策、誹謗中傷・・)
同様のことは、報道でもあり、マスコミですら無罪の人を、極悪人のように書き立てたことも何度もある。
正確でない話を真実らしく話したり書いたりすることが積み重なると、人でも組織でも信頼を失う。




うろ覚えの話の前置きで私的小児麻痺の話が長くなり、後半に、肝心のうろ覚えや不正確な話についても書きましたが、本来分けて書くべきだったのかもしれないけれど、このままにします。
私自身、過去に人に話するときに、何度もうろ覚えの知識を語ったり書いた事もあり、後で後悔したことがあります。
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年賀状から見える人生の浮き沈み

2012年12月14日 12時04分54秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
年賀状を出す頃になると、いつも悩ませられる。
紋切り型にはしたくないし、かといっていいスタイルも思い浮かばない。
本当は、年賀状は、手間がかかるので出したくないのだ。
でも逆に、もらうとうれしい。
サラリーマン時代や、ギャラリーをしていたときは、年賀状のために何日も無駄な時間をとられた。
本文の作成も毎年悩んだが、これは10代の頃から変化がない。
芋版を作ったり、文を沢山書いたり、毛筆だったり、いろいろ変わったが、これといって満足するものはない。
現在では、私の日常はブログに書いていているし、年賀状にもブログのアドレスを掲載しているので、年賀状に近況をつらつら書くのも、余り意味が無いかもしれない。

15年以上前は、今のようなパソコンやプリンターを自由に駆使してというわけにはいかなかった。
宛名を手書きして間違い何度も没にしたこともあった。
パソコン以前は、プリントゴッコ全盛の時代で、年賀状をプリントして乾かしていた。

年賀状の枚数も大きく変化した。
20-30代のサラリーマン時代やギャラリーをしていた頃は、公私あわせると50枚から100枚以上の年賀状になり、その制作に手間取り大変だった。
その後ギャラリーや会社を辞めた翌年には、枚数が激減し世間の現実を感じた。
多分、多くの企業や団体で活躍していた人たちは、社会の第一線を退いたあとの、年賀状や年末年始の迎え方に寂しい思いを経験しただろうし、誰もが必ず経験することである。

自分の社会的経済的地位と、自分の実力や人望を混同している人が、非常に多い。
政治家や、経済人や企業幹部に年賀状の束を自慢する人がいると聞くが、そういう人たちにとっては、年賀状も権勢の象徴なのだろう。

年賀状には、も一つ厄介なことがあって、出していないところから来たり、出したところから来なかったりすることが多い。
毎年そのような状態を繰り返す人もいる。
喪中の後の翌年の年賀状で、相手には失礼な話なのだが、全員ださずに、来たものだけに返信したこともあった。
最近では、ややこしいので、こちらから賀状を出しても2年続けて返信の無かったものについては、その翌年から出さないようにしている。

両親が生きていた間は、親と私の連名のあて先で、親戚からも年賀状が来ていたが、両親が亡くなると来なくなった。
私の名前で親戚に出したことはないので当然だが、近い親族からも途切れたのは、私の不徳のいたすところだろう。
客観的に見れば、周囲からは経済力も何もない貧困の独居老人には、かかわらないほうが良いと、冷たい目でみられているのだろうし、それは相手を非難すべきことでもないし、当然だろう。

実はこれに近い事例で、親族であっても疎遠な多くの例を、私は直接見聞きしている。
兄の入院中、病院で知り合った老人達の中には、社会で成功したり、企業や公務員の管理職で高収入の彼らの子供達が、見舞いに来ないといった扱いを受けている人が何人もいたし、そういう話も聞いた。
ヘルパーの実習で行った養護老人ホームでも、余り面会に来ない家族が多いという。

私は独居老人であるし家族もいないが、これからも人に頼ろうとも思っていないし、少なくとも今は50代の体力を維持していると思っているので当分、問題はないだろう。
今後も、老人を強く意識して生きるつもりはなく、壮年と同じ意識で動きたいし、少なくとも肉体的、精神的には問題ないと思っている。


エッセイ(このブログは左記リンクのカテゴリー別「エッセイ」ホルダーに収納しています。)
過去の注目ブログは、自選ブログ集・カテゴリー別(分野別)ホルダーに保存しています。
散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo




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「顔」文楽と行政

2012年11月12日 23時45分54秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
私は、岩波書店の雑誌「図書」を、たまに読んでいる。
たまたま、先日の「図書」11月号の冒頭に、文楽人形遣いの吉田蓑助さんのエッセイが掲載されていたので、読んだが、どうとればいいのか考えさせられた。
(多分、この雑誌は10月下旬から11月に出版されていると思うので、既にこの話はSNSで話題になっているのだろうと思うが、私は先日まで知らなかった。)

吉田蓑助さんのエッセイ「顔」の冒頭部分(http://www.iwanami.co.jp/tosho/765/preface.html)には、次のようなことが書いてあったのでそのまま一部を引用する。(詳細は、原文を読んでください。)
『橋下氏が突然『曾根崎心中』を見に来られ、「感動しました!」と賛辞を呈され、お初の人形と握手をして楽屋を後にされた。だがその直後の記者会見の、「人形劇なのに(人形遣いの)顔が見えると、(作品の世界の)中に入っていけない」との発言が、翌日の新聞各紙をにぎわせた。』

この話は、当人が書いておられるので間違いのない話であろう。
私はこの文章を見て、びっくりしたというのが素直な感想だ。
この話に初めて接して驚いたので、紹介させていただいた。

参考
これに関連して「文楽補助金、集客数に応じ増減 大阪市が方針」という新聞の記事が出ていた。(11月12日の朝日新聞)
その概要は、国立文楽劇場での集客は年9万人超。市は来年度以降、10万人を目標とし、超えない場合は運営補助費の1900万円を減らすという。
超えない場合は自滅せよということなのだろうか。
文化を守り育てる行政の役割としては、いかがなものか。
気に入ったイベントには気前よく出すが、気に食わないものには、出さないということのように感じるのだが。


岩波書店の雑誌「図書」(定価100円 年間購読1000円<送料込み>http://www.iwanami.co.jp/tosho/index.html
この雑誌は、一部連載もあるが、多くは毎回文学者、芸術家、学者他いろんな人の書き下ろしのエッセイを掲載している。
その顔ぶれが、すばらしいので読んでいて非常に面白い。

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エスカレーターのマナー

2012年11月11日 20時49分13秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
先日TVでエスカレーターの右立ち、左立ち、が話題になっていた。
エスカレーターに乗るとき、急ぐ人のために片側を空けて乗ることが多い。
この時どちら側に立つかが地域によって違うというのだ。

結論から言うとエスカレーターの右側に立って乗るのは駅で言うと、大阪、神戸、姫路、奈良、和歌山、で囲まれた範囲で、それ以外(京都、東京、名古屋や岡山以遠)は左立ちというのだ。
この理由については、諸説あるといわれていて、万博のときに始まったのではないかという説が有力という。

そういえば、京都に行ったときエスカレーターに乗っていて、京都の人は気遣いの無い人が多いのだなと思っていたが、これでどうやら京都と大阪で、エスカレーターの乗り方が違うのが原因と分かった。
これから京都に行くときは、郷に入っては郷に従えでいかなければと思っている。

因みにエスカレーターのメーカーでは、エスカレーターでは歩かないでくださいといっているようだ。
多分エスカレーター上を歩かれるとエスカレーターに余分な負荷がかかり、機械の寿命を短くするのだろう。
その意味では、エスカレータでは歩く人のために、どちら側を空けるというマナーは無いのかもしれない。

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