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エリートの思い上がり(追)

2013年09月26日 13時05分48秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
朝日新聞の記事で、経産省官僚のブログでの発言(http://digital.asahi.com/articles/TKY201309250648.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_TKY201309250648)が問題になっていることが報じられていた。

官僚のこの手の発言は、以前にもあった。
その度に、公務員は公僕であること忘れるな、官僚としての高い倫理意識や志を持て、といった意見が出る。

私は、その意見には賛成だが、今までの体験から同時に違った見方も持っている。
私は、仕事やプライベートで、一流大学出身の、経営幹部やマスコミ関係者を伴侶とする人や、その他、いわゆる社会的に地位もあり経済的にも豊かないわゆるエリートと呼ばれる何人もの人たちと、友人知人や仕事関係者として話した経験がある。(現在の友人知人ではありません)
ただ、一流大学を出ても経済的に貧しければエリートとはいえないだろう。
また、今の世の中では、博士号や弁護士といった資格を持っていても貧しい人が少なからずいるという。

このような、エリートの人たちと付き合っていて、ある程度親しくなると彼らの本音が出てくる。
そうした人の中には、わざと差別用語を自慢げに使う人も何人かいた。
私は、驚いたが、学歴も資産もない私を仲間と見ているのか分からなかったが、そうした意見に賛同も出来ず、うなずくいたり、仕事上や、友人知人関係を壊さないために、意に反して相槌を打ったこともある。
そのような人たちは、人前で言っている言動と、相手を仲間と見たときの打ち解けた話とは全く違い、みんなの前ではいえないけど・・・という前置きの話が多く、隠語もつかう。
しとやかに見える人でも、内心強烈なエリート意識・差別意識を持っている人もいる。
たとえば、40代の頃ある裕福な人は、私との別れ際に「あなたとは、住む世界が違う」といったが、バブル崩壊後どうなっているだろう。(恋愛関係や、あこがれもない、単なる友人知人であっただけに、なぜそんな差別的なことを言ったのか<言われる心当たりや筋合いも無いが>わからない。)

すこし前にも、週刊朝日の差別記事の問題があったが、そうした関係者に差別的考えや強いエリート意識を持った人がいるらしいことを知っていたので、その時はやはりとおもい、驚かなかった。

私は、こういう人を見下す人は、いつの世にも一定割合いると思っている。
そういう人は、官僚やジャーナリストには不適だと思うしなるべきではない。
ただ、そういう差別意識、エリート意識を持っている人は、他人の痛みを感じない人が多いし差別意識に罪悪感は持っておらず、そういうことに本人達は気付いていないのかもしれない。
人権問題や差別の問題は、知識として知っていても自分のこととして思っていないようだ。


ついでの話だが、こういうことを言うと嫌われるのだが、私は多くの学校の教員の方や美術団体のリーダー的方々や先生方及び、会社の経営者の方と接することが多かったが、専門外のことでも指導的に(偉そうに)発言する人が少なからずいるようだ。
各人の専門分野に関しては、指導する場合は当然上から目線が当たり前で、偉そうに発言し指導しても、何も問題ない。
ところが、中には少ないが、専門以外のことでも上から目線の態度が見え隠れすることがある。
俺のほうが多くのことを知っているから、おれの指導に従えというような姿勢が見える人がいるのだ。
専門分野はそうであっても、全人格的にその人が勝っていて人を、指導できるという保証はない。。

更に極端なことを言えば、私は、科学系以外の文化芸術、特に芸術に関しては、真理というものは無いと思っていて、人間の価値観により評価は大きく変わるのである。(哲学系は別)
人文系の学問は、それに与えられた条件の範囲での真理を追究していると考えている。
例えば、歴史観にしても、同じ事実を取り上げても個人・民族・国家の価値観の違いで評価は大きく違うことは、紛れもない事実であり、国際紛争にまで発展している。
考古学等の多くの範囲は、自然科学と同じ方法を取り入れているので、発掘や分析結果は、人間の価値観により評価が変わることは少ないが、考古学の事実をどう解釈するかの判断は、人間の価値観が入るので、邪馬台国論争のようなことが起きる。
これに関する問題は、文化人類学的視点やサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」で指摘されていることを見れば明白である。

芸術に対する見方もそうである。
ある人は、工芸・工芸的作品を軽視し、ある人は現代美術を軽視または無視をする。
このように、ある人にとって大切なことや興味あることでも、他の人にとっては気にもかけないことかもしれないのだ。
個人、社会(グループ・職場・学校・地域・民族)、で様々な価値観が違うのであり、各人の専門以外のことに関しては、上から目線でなく対等の立場で、接するなり議論すべきだろう。
議論を重ねれば、どの分野でどの人が造詣が深いかおのずと見えてきて、風通しのよいグループであれば、造詣の深い人が、年齢性別肩書きや社会的地位に係わらず、リーダーシップをとるようになる。
風通しの悪いグループは、肩書き・社会的地位、年齢、学歴、性別、といった様々な要素の価値観による権威主義が幅をきかし、議論は停滞する。

エリートの思い上がりは、自分の考えだけが正しいと信じ、周囲や全体が見えていないことに起因する。
ある意味「裸の王様」的であり、わがままで他者のことや周囲の環境に想像が及ばない、非常に子供っぽい世界の理解の仕方をしているといえる。
この問題は、最近話題の降板した有名キャスターの、マスコミで報じられるその後の言動にも(それが事実であれば)、共通するのかもしれない。


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緊急事態と避難

2013年09月18日 12時53分55秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
今回の台風関連の災害で、特別警報や避難指示のあり方が話題となっている。
今後地球温暖化に伴い、大規模災害も増える可能性があるという意見もある。
地震・津波・洪水等の大規模災害は、緊急事態であり避難が必要である。
避難の必要な緊急事態は天災以外にもある。
地下鉄サリン事件も避難の必要な緊急事態に違いない。
大火災もそうだろうし、原子力事故や戦争も非難の必要な、大規模災害に違いない。

日本では、平和憲法の基で戦争はありえないと思われていた。
ところが、いまやみっ中間では、軍事的緊張が高まっている。

突然極端に飛躍した話になるが、戦争と平和という点に関しては、万が一の有事には備えつつ、基本は外交努力で国家間の摩擦をなくしていくことが鉄則だと思う。
その上で、日本は現行憲法どおり専守防衛に徹するべきだと思う。
もし他国からミサイルが日本に向け発射された場合、飛来中の迎撃は当然で、何度も継続的にミサイルが発射される場合は、敵の発射基地のみを攻撃することは、常識的に妥当だろうと思っている。
ただし、敵の戦闘機や艦船に関しては、敵の飛行場や港湾まで攻撃するのかは問題がありそうだ。

こんな過激な話をするのも、中国が国の方針として、尖閣問題に関しては絶対譲らないとして、現実に積極的な挑発行為を行っているからだ。
中国としては、尖閣が中国領になるまでは、なんでもするということだろう。
中国の挑発は、中国が尖閣を領有するまで続くと予想している。
今までの中国の動向を見ると、非武装の平和主義だけでは解決しないであろうことは、容易に想像がつく。

もし日米安保がなければ、竹島が韓国領として韓国軍が実効支配しているように、今頃は尖閣諸島は、中国領になっていたかも知れないのだ。
フィリピンは、アメリカの軍事基地を廃止してすぐに、中国軍に南沙諸島の一部を占領されてしまった。
その結果、フィリピンは改めてアメリカとの軍事関係を強化したが、失ったものは帰ってこない。

それでも、民間レベルで積極的に国際交流を行い、中国の反日教育の誤解を解き、相互理解を進める努力が必要なことは言うまでも無い。

上記のように、緊急事態は、地震・津波・台風その他の自然災害や犯罪や火災や原子力を含む大規模災害・事故や戦争(現実には無いと考えられるが)等いろいろ予想できる。

緊急事態を想定して、対策を立てておくことは、減災につながる。
今回の台風で、人命の被害が少なかったのは、新設された大雨特別警報が効果的に作用したのかもしれない。

しかし、前のブログにも書いたとおり、行政からの避難指示は、余りに大雑把過ぎると思う。
何万人何十万人に避難指示を出すような大規模災害に対しては、避難誘導方法を統一徹底し、行政は具体的にどの地域から避難させるかとか、優先的に避難させる人(幼児、障害者、高齢者)とか、避難順序・手順や避難ルート避難場所とか、車の使用とか、避難民に対しての補給物資や衣食住医療の資材の調達といった、より具体的な詳細を決めて住民と行政・警察消防自衛隊で共有すべきだろう。

避難誘導に関しては、、住民への通知方法の詳細を定め、個別の災害・事故の性質による特有の事項は個別に制作し、それ以外の共通した避難場所や手順等については共通マニアルを作成すると分かりやすい。

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気になるブログのアクセス

2013年09月14日 23時22分51秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
私は、毎日ブログを書いているが、気になっていることがある。
ブログのアクセス数だ。
アクセス数を伸ばすことは、それだけ多くの人に見られるのでうれしい。

だが、アクセス数の中には、沢山のロボットによるアクセスが含まれている。
グーグルやヤフーその他多くの、ITサービス企業がキーワードその他をチェックするためアクセスしていて、生身の人間がどれだけ読んでくれているのか不明だ。
それでも、ロボットによるアクセスは、毎日定期的にアクセスしてアクセス数は一定と予想されるので、残りは、生身の読者だろう。

毎日のアクセス数は、ブログを投稿する回数が多いほど増加する。
それ以外に、アクセスをUPさせる方法は、今までいろいろ勉強した。
例えば、次のようなものだ。
一般の人が関心や話題性のあるものや、面白いことをテーマに選ぶ。
写真やイラストを載せる。
文章は、短く読みやすくする。
SNSとリンクさせる。
かわいいもの(動物・乳幼児)は、アクセスが増える。
出来るだけ多くの他者のブログに、コメントを乗せたり、足跡や「いいね」を残す。
相互リンクを多く貼る。
専門的なしっかりした記事を書く。(ただしその関係者しか見ない。)

私のブログは、そうしたことに当てはまっていない。
そのくせ、ブログのアクセスは毎日見て、気にかけている。
アクセス数の上下も凡、その予測がつき、当たる。
私の行動は、矛盾している。
即ち、アクセス数は、気になるが、アクセス数を増やす方法は分かっていても努力しない。

今改めて、いつも気になるアクセス数の意味について考えた。

アクセス数はブログを書く励みになる。
しかしそれ以前に、何のためにブログを書くのかという問いが先にあるべきだ。

ビジネスで多くの顧客を誘導するためとか、自分がブログの中で人気者や有名になったり(スター)や影響力のある人になりたいと、言うことであればアクセス数は重要で、出来るだけ多くのアクセス数があるようにブログを書く必要がある。

私の場合、以前はそういうことも考えたが、現在は次のようなことが中心となっている。
日記、自分史、メモ、
書きながら自分の考えをまとめる。
文章の練習。
研究や創作の取っ掛かりの可能性への挑戦。
友人知人に、自分を知ってもらう。

ということを見ると、いつもアクセス数を気にして、アクセス数が100以下になると、とにかく一日に書くブログの本数を増やさなければとか、もっと一般の人に受ける記事を書かなければとか、かわいい美しい写真を掲載しなければとかの強迫観念に見舞われることがバカらしくなった。
自分は、自分らしくアクセスが50になっても自己流で書けばよいと思うようになった。
ただし、いいブログ、即ち、分かりやすく読みやすく美しく楽しいブログになるに越したことは無いので、自分の目指すところを見失わない範囲で、いろいろ実験をし努力したい。
こんな中身は濃くないのに、1200字もあるブログは、私も読むのは苦痛かもしれないし、忙しい人や、気楽に楽しみたい人は読まないだろう。

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商売は信用第一

2013年09月08日 13時13分43秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
昨日は朝から、自転車を走らせて天王寺区の上本町まで出かけた。
20年近く前、西天満でギャラリーを開く前に、5年間近鉄上本町駅の南にある人通りの少ない雑居ビルの2階でギャラリーをやっていたことがあり、上本町はなじみ深くよく知っている。
上本町まで行くには、上町台地の坂を上らねばならないので、一汗かいた。

上本町には、ここ数年行った事がない。
当時あったABCギャラリーや、フリーマーケットが開かれた広場は、随分前に取り壊され、百貨店も新しくなり、南側の広場やABCホールのあったところは、歌舞伎座となりその上には、おしゃれなショップが入居していた。
それでも、街の雰囲気はそれほど、変わっていないような気がした。

昨日朝から上本町に行った理由は、新しい上本町を見に行くためではなかった。

新聞のチラシに、若者に人気の靴のチェーンストアのA〇Oxxxのチラシが入っていて、以前から欲しいと思っていたデッキシューズがなんと2500円の格安価格で出ていた。
その広告には、日替わりの目玉商品として、他の靴の4倍のスペースをとって大きく写真が掲載され、そこには売り切れ御免とか商品に限定ありとは書いてなかった。
だが当然目玉商品は、数量限定が多いので、このデッキシューズを買うために、わざわざ指定された日の朝から上本町まで出かけたのだ。

目的の店に着いて、店内を一通り見て回った。
端のほうに、その靴はあった。
店員に、私のサイズに合ったものは無いのか訊いた。
店員は、このサイズだけですと、張ってある紙を指差した。
そこには、サイズが26.5cmとそれより、かなり大きいサイズのたった2種類しかないのだ。

この店は、初めからこの目玉にしているこの靴を売る気はなく、他の靴を買わせようとしていることに気付いた。
もうこのA〇Oxxxには、行かないだろう。
ひがみも入っているかもしれないが、2500円の靴しか変えない客は、相手にしないとでも思っているのだろうか。
当然、扱う商品で顧客層が決まるので、高級品を扱う店で低価格商品を扱うのは適切ではない。
それなら、初めからそのような売り方をすべきでない。
こんな売り方をしていると、店の信用を失う。
急成長した会社だから、こういうことは当たり前なのかも知れないが、消費者をバカにするなと言いたい。

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ネズミ・イタチ・ネコの仕事場・遊び場・休憩所130906

2013年09月06日 23時45分24秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
今年の夏の前に、便所の屋根を修理した。(昨日記130618  130716)
豪雨でも降ると大変なことになると思ったからだ。
先日の豪雨でその予想は的中し、少なくとも修理したところは漏らなかった。

以前にも書いたように、雨漏りは、便所の屋根にネコやネズミやイタチが、出入り口を作ったり、獲物を追いかけたり、暇つぶしに隙間を引っかいて広げたりするのが原因だ。
無論それ以前に、建物の老朽化が第一の原因であることは言うまでもない。

その便所の屋根には、夏になるとナンテンの葉を屋根から裏路地に伸ばし、花が咲きその後赤い実がなるが、秋から冬にかけては、ヒヨドリや冬鳥が実を食べにやってくる。

ブドウも、害虫にやられなければ、うっそうと屋根一杯に隙間無く葉を茂らせ、沢山の実を付ける。
ブドウの実がなると、その実を目当てにネズミか来て、我が物顔に塀やブドウの幹を走り回り、長屋の天井も走り回る。
そのうえ毎年、ブドウが豊富に実ると、ブドウの実を食べたネズミが元気になり、繁殖し数が増した。

その結果、寝ていると、夜中に天井裏で運動会をしてチューチューとなきながら走り回るので困ったことが、何度もあった。
たまにイタチもネズミを狙って天井を走り回ることがあった。
天井裏を走る音が全く違う。
イタチが来ると、しばらくは、天井でのネズミの運動会は収まった。

便所の屋根の上に伸びたバラの幹は、南天やブドウの葉の茂みを付きぬけて空に伸び、四季咲きのため春夏秋冬、時期が来ると、天空で大きなピンク色の花を付ける。

夏は、前述のように放置すると植物の葉が茂った便所の屋根は、体の小さいネズミやイタチにとっては、涼しいの憩いの場となる。
更に、体の大きい野良ネコは、夏は草木がジャングルのように生い茂る場所には入れないようだが、秋から冬になり葉が落ちると、日向ぼっこを楽しみに我が家の便所の屋根に上る。

出入り自由で餌もくれる隣家への行き帰りに、我が家の便所の屋根で日向ぼっこを楽しむようだ。

ネコはかわいいし好きな動物だが、便所の屋根のネコの休憩所を放置すると、暇つぶしに瓦を動かして雨漏りの原因になったり、糞尿を垂れ流したり、ノミやダニを届けてくれるので、放置できないのだ。
現に、ネコの通り道やたまり場では、瓦がずれたり、雨漏り防止用のシートがズタズタに破れたり、柱が削られたりで、大きな被害を蒙っている。
そのため、秋から冬になると、いつも便所の屋根をチェックし、ねこが日向ぼっこをしているのを見つけ次第、棒で追っ払ったり、水をかけたりするのが私の日課になっている。

裏庭には、冬になるとウグイス、メジロ、シジュウカラ、ジョウビタキ、ツグミ、シロハラ、が毎年来るし、まれにムシクイ類が来るが、ネコがいると、いつも飛んでいるスズメやヒヨドリでさえ来なくなる。

ネコのみならず、ネズミ・イタチ・は通路を確保するため、瓦等の隙間があれば、隙間を広げ、餌の獲得のため侵入口を作るらしい。
事実、数年前、便所の屋根裏をチェクしたとき、4箇所ほどネズミが便所の天井板をかじって丸く穴を開けた通路が、上に向かってあいていて、そのあたりには雨漏りの痕跡があった。
こうしたことが、便所の雨漏りの直接原因となっていたようだ。
その意味で、私にとっては、ネコも、ネズミも、イタチも敵である。

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言葉、読み方、使い方、感性

2013年09月05日 11時45分10秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
とある番組のナレーションでテロップに「即興」とあるのに、ナレーションでは「そっこう」と聞こえた。
聞き取りが悪かったのかと思ったが、その言葉は何度も繰り返された。
どう聴いても「そっこう」と聞こえる。

そこで国語辞典を調べたが「即興」は「そっきょう」の読みしかない。
即座に、その場で歌や詩を作るという意味で、即興曲とか、即興で作るとか演じるとかの使い方で、一般的に使われている。
最近は、すぐにやるという意味の、「即行」という言葉も耳にするので、ナレーションがそれと間違ったのか、私の聞き取りが悪かったのか分からないが、映像の内容はその場にあわせて作るという感じで、即実行するという「即行」でも間違いではないが、興に乗って作るという「即興」に近いような感じに思えた。

近年TVで気になるのは、テロップの誤字とか読みの誤りの多発である。
特に民放の場合は多いような感じがする。

私もこのブログを書きながら、とんでもない誤字を見逃してそのまま投稿してしまうことは日常茶飯だ。
言い訳になるが、ある程度ブラインドタッチでも打てないことはないが、癖で半分ぐらいの時間は、キーボードを見ながら文字を打っている。
完全にブラインドタッチで打っていれば、間違いを見逃すことが少ないのだが、癖をなおすのはむずかしい。
努力して完全ブラインドタッチで打つ癖をつけるようにしたい。

こうしたことに関連して言うと、文章を書く場合、今やすっかりPCにおんぶにだっこという感じになっている。
そのため、ペンを持って字を書くと元々下手な字が、更に下手になってしまった。
しかも、手書ではPCの変換機能が使えないので、文字は読めてもかけなくなった字が多くなった。

普段から手書の日記を書くことで、漢字を忘れないようにし、同時に美しい文字や正しい筆順で書けるトレーニングをする必要がありそうだ。
このことは、今年の春に決心してやろうと思って実行したが、文字通り三日坊主になった苦い記憶がある。
「継続は力なり」で、毎日数行でもいいから、今日から再び手書の日記をかくようにしたい。
挫折すれば、その次の日から再開すればいいのだ。
とにかく、少しでも続ける努力をしたい。


更に、関連したことを言うと、文字や文章は言葉であるが、その言葉の誤用も多いらしい。
ワイドショーやバラエティー番組でもよく取り上げられる話題だが、多くの人が間違った意味で、ことわざや、単語を使っている場合が多い。
教養豊かな人や、文章や言葉を仕事として扱っている人ですら、たまに間違うこともあることは、バラエティー番組の言葉に関するクイズ等で、よく見かけるられる。
業界や仲間内では日常的に使用されている言葉でも、世間では聞きなれない言葉も多くあり、その場合はその言葉を公の場で使うと、うまく意思疎通ができなくなる。

このように言葉に関しては誰でも間違ったり誤用したりする可能性があるので、聴きなれない言葉や疑問に思った言葉に関しては、出来る限り国語辞典をこまめに引くようにしている。

言葉は、意思伝達(コミュニケーション)のための重要なツールだ。(意思伝達にはそれ以外、表情、身振り手振り、声の調子等その他、美術・音楽等の芸術表現等様々な要素がある。)
特に複雑な考え方や思想や抽象的なことを正確に伝えるには、言葉の表現にたよるしかない。(感情や雰囲気等の表現については、音楽・美術の世界も主要な表現である)

言葉の芸術である文学や短歌・俳句を含む詩を味わおうとすると、言葉に対する感覚を磨かなければ味わいが浅くなったり、誤った解釈をしたりすることになる。
特に最短に詩である俳句や短歌については、一言や助詞の使い方の違いでも大きく意味が変わる。
その意味で、短歌や俳句を作ることは言葉やイメージ・感性を磨くトレーニングになるのかもしれない。

美術や音楽を鑑賞するのと同様、文学や詩も言葉に対する感性を磨かなければ、すばらしい作品を深く味わうことが出来ない。
即ち、文学や詩は誰でも読めるし面白いが、多分言葉の感性を磨くことによりより深く味わえると、思っている。(私の言葉の感性は、深いものを味わえるまでには、程遠いと思っている。将来同じ小説なり詩を読み返して、感動が深くなったり、面白さが分かれば、言葉の感性が現在より高くなったといえるのだろう。)

感受性は常に磨く努力をしなければ、深まらないし、放置するとすぐにさび付くと思っている。
感性は、優れた作品に数多く接することで、高められるのかもしれない。
言葉の広がりは、言葉による内面世界やイメージの世界の深さや広がりと思っている。



参考
言葉以外のコミュニケーションとして、視覚・聴覚に関しては、美術・音楽という 別の表現・イメージの世界がある。
そうしたもに、言葉を加えて表現したものが、映画、演劇、パフォーマンス、歌曲・民謡・民族音楽、文字入り絵画となる。
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チャリティー活動の落とし穴

2013年09月01日 23時57分53秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
チャリテイーは人の善意を公益的な活動として具体化し、余裕のある人が困っている人たちを具体的に支援するので、誰しも反対する人はいないだろう。

チャリティーにも様々な活動がある。
その中には、具体的に中身を見ると問題がありそうなものも多い。
例えば、慈善事業を目的とした団体で寄付を集めるが、その用途の大半が組織運営費に消える組織もあるといったことがあるかも知れないのだ。
公益法人ですら、収入の使途に関して、マスコミをにぎわしたことがあり、社会問題化したこともあった。
海外でチャリティー活動をする団体の運営実態も、マスコミで問題になったことがある。

このように、善意の活動をしている団体でも、具体的内容を見ると問題のあることが多い。
例えば、廃品回収(古着や古本)して、それをチャリティーで障がい者や貧しい人の支援をしたり、何かの施設建設のために使うという場合、その手段として廃品回収してそれを売って現金化して資金に当てるという方法がある。
バザーなどで皆が廃品を持ち寄り、バザー会場で売り、その売り上げを寄付金として活用するというのは、一般的に行われている。
しかし、その場所で現金化するのでなく、廃品を全国から集めて、一括して業者に買い取ってもらい現金化する場合はどうだろう。
業者ということは、一般の企業であり、そこには企業の利益も含まれる。
更に具体的に考えると、寄付する人が廃品を送る場合、廃品の価値以上の送料がかかる場合もあるかもしれない。
少なくとも寄付する側は、寄付する金額以上に、送料や買取業者の利益も含め余分に支払っていることになる。
そういうことなら、直接現金でその団体に寄付したほうが余程有効である。
更にもっとうがった見方をすれば、慈善団体と買取業者が裏で密接な関係にある場合を考えると、慈善団体への業者からの買取金は、いかようにでもなるかもしれない。

チャリティー活動は、問題が起きないよう透明性を確保し、シンプルなことが必要だろう。
例えば、大手衣料品メーカーは古着を回収して、それらをそのまま、開発途上国の恵まれない人々に送っている。
この場合経費は大手衣料品メーカが持ち、日本で不要になったものを、開発途上国の恵まれない人々に直接使ってもらうので、その古着の価値は100%生かされる
恵まれない人々にとっては、安い衣料さえ買うお金がないのだろうから。日本の中古衣料が無償で支給されれば、大きな支援となるのだろう。

アメリカで古着を販売している業者の店で、古着を多く買おうとして断られたことがあった。
普通の商店であれば、お客が誰であれ、買ってくれる人は大歓迎のはずだ。
その店の人は、この古着は善意の寄付で集められたもので、貧しい人たちに買ってもらうためにあるというようなことを言っていた。(多分救世軍がやっていたのかもしれない。)
即ちそこには、企業の利益を出すための仕組みは入れていないのであろうと想像した。

以前慈善団体を装った、寄付金詐欺が横行していたことがあった。
15年以上前に我が家にも、新興宗教団体系と思しき慈善団体が商品を売りに来たことがあった。
その団体についてはニュースでも話題になっていたので、寄付のための商品を売りに来た若者を問い詰めると、答えられずすぐに帰ったことが何度もあった。

チャリティー活動にはいろいろある。
しかし、チャリティーという文字が頭に付けば、何でも信用し、協力てしまうということは止めたほうがよさそうだ。。
今やネット等で調べると、しっかりした組織なら、その慈善団体がどういう組織かすぐに分かる。
主催者が明確でない組織は怪しい。
行政がやるべきことや、予算が付くであろうことに関しても、寄付を募っている場合はその具体的な見通しや進捗状況を知らせるべきであろう。
そうした場合その主催者や組織も明確にする必要があるだろう。

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ゲリラ豪雨を体感していた。?

2013年08月28日 12時15分49秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
毎日、昨日記を記載するとき、最初にやることは、気象データ―のショートカット(http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/daily_s1.php?prec_no=62&block_no=47772&year=2013&month=08&day=&view=p1)をクリックして一覧表を表示することから始める。
この表は、月ごとに新しいページに更新されるので、月初めの2日の日に新しい月の1日の気象データーを表示させて、そのショートカットを新たに登録して、先月のショートカットのアイコンを削除する。
(前日の気象データーは表示されるが、当日のデータは表示されず翌日に表示される。)

8月25日のゲリラ豪雨のような大雨は、その日のブログに書いた「落雷・前線通過・猛暑一服」のことで、午前10時前後に近所に落雷のあり便所がひどい雨漏りが起きた。

大阪市の大雨のことは、マスコミでも取り上げら絵話題になっていたが、今気象庁の統計データを見て、1日の降雨量が88.5ミリ、1時間あたりの降雨量が49ミリ、10分あたりの降雨量が27.5ミリとなっていた。

確かに新聞でも降雨量も書いていたが、余り気にしなかった。
しかし10分で27.5ミリの雨が降っていたことの意味に、今気付いた。
一般的に、1時間で30ミリの雨というと、かなり激しい雨(大雨)である。
10分で27.5ミリの雨は、1時間に換算すると165ミリというとてつもない降雨量になる。
私は、以前から最近よく報道される、1時間で100ミリを超える雨を体感したいものだ、といつも思っていた。
ところが、振り返ると8月25日の10分間の最大雨量が27.5ミリを体験したことは、既に1時間当たり100ミリ以上という雨を体感したことになる。

無論、大阪市といっても広いし、ゲリラ豪の場合、狭い地域で雨量が大きく違うので参考にしかならない。
例えば、市内を自転車で走っていても、天満橋では雨だったのに、数キロメーター先の玉造のほうでは地面に濡れた跡もないというようなことは、たまに経験している。
そうしたことを考えに入れても、少なくとも1時間に100ミリを超えるような勢いの雨が、短時間ではあるが大阪市内に降ったということで、少なくともそれに近い雨量を体感した可能性がある。

その時、私は家の中に居て実感しなかったが、ザーという、いつもと全く違う非常に大きなノイズのような音が聞こえていて、滝の中に居るように感じたことを覚えている。
このとき、表に飛び出していたら、100ミリを超える雨を体感できた可能性がある。

このときの雨が10分間ではなく、1時間・2時間・半日と続いていたらと考えた場合、そこには我々の体験したことのない、想像を絶する事態が待ち構えている可能性があることに気付き、背筋が寒くなった。

想像してみると次のような事態が考えられた。
私の住んでいる地域は人口密度も高く、高齢者も多くて道も狭い。
例えば、床上浸水しただけでも、何千何万という人たちが、避難所に集まる。
それ以前に、高齢者の救助に多くの人手が必要となる。
インフラは数日間使用不能になる。
その後の床上浸水した、家財道具の処理は、膨大なものになるだろう。

今までこんなことを考えたことは無かったが、現実に記録的な大雨をもたらすゲリラ豪雨が現実に発生したことは、根拠は無いが、大阪市での水害被害の可能性は、地球温暖化で異常気象が続き更に激化する中で可能性が皆無とはいえなくなったのかもしれないと感じるのである。

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昔話の改ざん

2013年08月27日 20時40分05秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
最近、「はだしのゲン」の問題がニュースになり、図書閲覧の自由や、残虐性の表現との関連で、国民の関心を呼び覚まし、この問題は世論の良識に従った形で決着した。
それとともにクローズアップされたのが、残酷な話の表現である。
その問題に関連して、TVで近年の昔話の絵本が、今の4-50代より上の人たちの知っている話しと、筋書きが違うということが話題に上っていた。

例えばある絵本では、桃太郎が鬼が島へ鬼退治に連れて行く、犬や猿や雉は「家来」ではなく、仲間という設定だったり、桃太郎が鬼が島から持って帰った宝物は村人に与えたり、鬼は謝って仲良くしたり、といった話になっているという。
その他の「猿蟹合戦」や「かちかち山」やその他昔話の多くは、ソフトな形に筋書きが変えられているという。

調べたところ、元々昔話はいろいろ地方で少しずつ変わっていたようだ。
民謡や盆踊りの音頭も同じで、伝承芸能は伝承過程で名人や語り部が、話や音楽を面白くするための脚色することは普通であったであろう。

その意味では、それほど目くじらを立てるほどのことはないと思う。
伝承芸能は、当然のことながら、各世代の世相を反映して変化する。
歌舞伎でさえ、出雲阿国から今の歌舞伎になるまで、演出がそれぞれの時代の名優たちにより変えられているものが多いし、変更追加したものが、今の伝統になっているものもあるだろう。
能や狂言は、言葉や所作も伝統を厳格に守っている数少ない芸能だろうが、多くの芸能は時代とともに変化している。
昔話の語りも、伝承芸能の一つと見れば変化して当然かも知れない。

しかし、ほとんどの昔話で、人や動物が殺されたりすることなく、最後は敵も味方もお互い許しあって、皆平等で仲良く終わって、めでたしめでたしでいいのだろうか。

現実の世界は残酷なこと理不尽なことが多い。
だから、フィクションで理想を求めるという考えも理解できるが、逆に昔はこんな考えだったけれど、今は賢くなったので、こういうことはなくなったという話の材料にも出来るし、過去と現在の人類の考え方の変化や違いを教えるべきだと思う。
現実に、現在でも残酷なことや理不尽なことは多く存在しているのが現状だ。
特にアフリカでは、古い考えによる民族紛争や宗教対立で、多くの人が虐殺されているが、国連では現在の考え方(価値観)で平和を維持しようとしている。

TVのアンケートでは、昔話の改ざんに多くの人が反対しているという。
私も反対だ。
誰も殺されること無く、殺される場面では怪我をしたことにし、上下関係のあるものが、チームの仲間に書き換えられるのは、表現の自由として何も問題ない。
しかし昔話として絵本なり童話を書くときには、タイトルに新・旧の区別をして欲しいものだ。
例えば「新桃太郎」とか「桃太郎OO版」のように出来ないものか。
それと、オリジナルの話は、残して欲しいと思う。

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落雷・前線通過・猛暑一服

2013年08月25日 13時43分17秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
朝10時ごろ小雨が降っていた。(2013/8/25)
それまで雷の音は、聞こえてなかった。

突如バンーという耳をつんざく大きな炸裂音。
その後、ゴロゴロゴロ・・・・・・・・・と長く続いた雷鳴。
近くに落雷したらしい。

いつもは、朝に必ずPCを見るのだが、今日は一度もPCへの元電源(スイッチつきテーブルタップのスイッチ)を入れていなかったので、PCには問題なかった。
このテーブルタップには雷のサージ電圧保護素子が付いているので、PCを使用していても問題なかったとは思っているが。
TVには何か影響あるかと思ったが、全く問題なかった。

それから、しばらくすると雨がどんどん激しくなりだした。
ものすごい雨になった。
大雨洪水警報が出たらしい。
今は、雨が上がっている。

便所に行くと、この夏に屋根を修理したところは、全く問題なかったが、便所への入口に大量の雨漏りがあったようだ。
雨水が漏って、今までの汚れが積もったビニタイル張りの床を、トイレットペーパーできれいに拭いた。

雨漏りの原因は分かっている。
長屋の大屋根の雨水が、裏庭に突き出た便所の屋根と交差しているところで、大雨になると交差している所に雨水が集中し、雨水があふれるのだ。
雨水があふれると、瓦の隙間から浸水し雨漏りするのは、当然だ。
これを防止しようとすると、この部分を排水溝のようにするしかないだろう。
この部分にV字型にプラスチックシートを貼り付けて排水溝にする修理工事を検討してみたい。

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花火大会

2013年08月10日 10時24分53秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
今朝TVで「なにわ淀川花火大会」(http://www.yodohanabi.com/html/what/what.html)の案内をしていた。
今日7時50分から花火が打ちげられるようだ。

この花火大会は、ほぼ毎年見ている。
PLの花火大会も何度か行った。

花火を見るには、予め入場券を購入して観覧席で見るのが最高ということは分かっている。
淀川花火の資料を見ると、前売りで大人2500円からある。
しかし今まで観覧席で見たことは無い。

初めから花火はただで見るものと決め込んでいたせいかもしれない。
従って、花火大会に行くというと、未知の場所に乗り込んで、大混雑の中を最も見やすい場所を求めて探し歩く。
その意味で、花火大会を見に行くときは、私にとって探検と似たところがある。

こうした行動を積み重ね、分かったことがある。
観覧席の周囲は、厳重に警備され、天幕も高く張られ場外から花火をよく見ることが出来ないのだ。
かといって、群衆の流れに従って歩くといいかというとそうではない。
天神祭りの花火のときに経験したことだが、非常に良く見える場所が道路に面した駐車場にあった。
そこには、少数のグループが、風に吹かれながら、ゆっくりと花火を見物していた。
その場所は、見たところ出入り自由で、花火見物にうってつけの場所だ。
私も、駐車場の中に入り、夜風にふかれながら、ひと時花火を間近で楽しむことが出来た。
しかし駐車場前の道路を通る群衆は、こちらのほうを向いても、こちら側に来ることもなく、列に従って黙々と流れていった。
この光景を見て、群集心理の恐ろしさに気づいた。

日本人は、一旦群衆の中に入ると、自分の考えや感覚より、無目的な群衆の流れのほうを信用するらしい。
祭りや催し物での警察や主催者のコントロール下でないエリアの群衆の流れは、経験的に自分の目的から外れる場合が多い。
私の経験では、群衆の流れを無視して(警察や主催者の誘導の場合は、それに従う)自分の判断で行動したほうが、良い結果を得られることが多い。

PLの花火大会は地形の関係で打ち上げ場所に接近するルートもかなり限定されているため、近くで見やすい場所を見つけることは出来なかった。

淀川花火大会は毎年場所を変えて調べた。
やはり人の流れに任せて付いていくと、いいところに遭遇したことはなかった。
最近は、花火に音楽の要素も加わっているので、条件が複雑だ。
去年、やっといい場所が見つかった。
無論、その場所も多くの人がぎっしりと立って見ていた。
それでも十三大橋近辺から比べるとすいている。

今日の花火大会も7時50分の打ち上げだが、6時過ぎにはその場所への立ち入り制限がかかるのではないか思う。

花火大会はいいのだが、早く場所取りをしておかないと、すぐに場所がなくなる。
花火大会は、体力勝負でもある。
今日も夕方から出かけ、6時過ぎから7時までには去年の場所(うろ覚えだが)に行くとしよう。
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祇園祭宵山

2013年07月15日 23時51分43秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
明日は祇園祭宵山だ。
最近祇園祭によく行くようになった。
昨年は宵山だけだったが、一昨年は宵宵山・宵山・山鉾巡行と3日間連続で行った。
先ほど、昨年、一昨年の写真を見たが、やはり、すごいの一言に尽きる。

私の知っている日本の祭りは、僅かなので大きなことは言えないが、質・量・規模ともに日本一ではないかと思う。
特に山鉾の文化財的価値はすごいものがある。
各山や鉾は各町内で山鉾巡行に使用するすべてのタペストリーや彫刻や装飾品を展示しているが、その中には国や府県指定の文化財も多い。

更に宵宵山から宵山まで有力な町家で展示される、美術工芸品は、目を奪われる。
一見するだけで現代美術の傑作と思われる豪壮な作品を展示している旧家もあった。

祇園祭のメインイベントである山鉾巡行の、人と山鉾と祇園囃が一体になった豪華絢爛の巡航の華やかさ美しさ、ダイナミズムには、何度見ても心を奪われる。

はじめは祇園祭の宵山のことを良く知らず、四条通界隈のメインの鉾だけ見て、満足していた。(山と鉾の違いhttp://blogs.yahoo.co.jp/masatake_ko/33816252.html)
その後、山も見て歩くようになったが、各町内の山の展示場所があるが、いつも見学の行列が出来ているうえ、山は小さくて貧相に思えて余り興味が無く、単に山の横を通り過ぎるだけだった。

あるとき、山をお祀りしている路地から、わらべうたが聞こえてきた。
私が若い頃、ラジオで音楽学者の女性が日本のわらべ歌について、文化社会を含め様々な側面からの解説をしていて、それをきっかけに全国のわらべ歌に興味を持っていたのが、京の祭りで本物のわらべ歌が聞こえてきて驚いた。
是非歌っている場面を見たいと思って、長い行列に並んだ。
行列は、細い路地の奥に入っていった。
その奥では、信仰の対象としての、山にお祀りしている神様と、山に飾られている貴重な文化財である、タペストリや彫刻や装飾品の数々だった。
そして、子供達は浴衣を着てわらべ歌を歌いながら、神様に奉納するろうそくを売っていたのである。
小さな祠には沢山のろうそくが点灯され、行列の人の多くが次々とろうそくを献灯し、手を合わせて拝んでいた。
ろうそくに照らされ、祈る人たちは美しかった。
各山特製のお守りや、みやげ物も、昔のやり方で、町会の世話人の人により販売されていた。
祇園祭が、祭事であること、そしてその心が今も脈々と地域社会に息づいていることを実感し、その時初めて祇園祭の奥深さや伝統や文化の力を実感した。

それ以降、大きな鉾をじっくり見るより、沢山の山を見て廻るようになった。
しかし、それをするには問題があった。
見て廻る距離が、長いのだ。
大きな鉾では、それぞれの鉾独特の祇園囃子を聴くようにしている。
祇園囃子を長く聴いていると、心に染み入る。
更に、各山鉾周辺の古いお家では、先祖代々伝わる美術品を展示していることが多い。
それらの中には、文化財も含まれている。
中には先に書いたように、すばらしい現代美術が展示されることもたまにある。
祇園祭の宵宵山から宵山にかけては、美術館や博物館を廻るのと同じ、もしくは活きた伝統行事を見ることでそれ以上の価値があるかもしれない。

明日は、出来れば先に三条界隈の現代系の画廊を廻って、お茶を飲んで一休みしてから、夕方から宵山に行ってみようと考えているが、歩く距離が長いので、体力的に持つか心配でもある。

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姫鶉(ヒメウズラ)

2013年07月14日 17時22分23秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
それまで飼っていた、文鳥やインコを飼うことを止めて1-2年たった頃だった。

偶然通りかかった小学校前で夜店が開かれていた。
小学校の頃までは、良く夜店や祭りの縁日に通った。
懐かしく思い、自転車を降りて夜店を見ながら歩いていた。
その中に、ヒヨコを売る店もあった。

鶏のヒヨコには、悲しい思い出があった。
小学校3年生の頃、鶏のヒヨコを飼い大きくしたことがあった。
立派なオスの鶏になった。
鶏は裏庭で放し飼いにされた。
私にはなつかなかったが、コケコッコーと大声で鳴く大きなとさかの鶏をかっこよく思い好きだった。
あるとき、学校から帰ると、突然その鶏はいなくなっていた。
母は、ゴミ屋にやったという。
私は母を責め、悲しくて泣いた。
ヒヨコを見ると、そうしたことが思い出された。
大人になって、大きくなった鶏をもてあました母の思いも分かるようになったので、鶏のヒヨコを飼おうという気にはならなかった。

だが鶏のヒヨコとは違う縞々の柄のヒヨコがいた。
店主に聞くと、姫鶉で成長しても手に乗る程度の大きさだという話で、餌は何でも食うということだったので、買って帰った。
母が、怒ったことは言うまでもない。

とりあえず、母を説得して、文鳥やインコを飼っていたケージを引っ張り出して、そこで育てた。
夜店で買った姫鶉のヒヨコは、みるみる大きく成長した。
予想したよりは大きかったが、手のひらに乗る大きさだった。
この鳥が、文鳥やインコと違うのは、家の中に放すと絶えず走り廻っていることだった。
姫鶉は、文鳥やインコのようには、なつかなかったが、それでも呼ぶとたまに走り寄ってきたり、手に乗せて包んでやると、少しの間はおとなしくじっとして、手の中で遊んだりしていた。
インコや文鳥は、肩や手に止まってそこで居眠りをして、投げ捨ててもすぐに舞い戻るが、姫鶉は数分立つとすぐに、手の中から走って逃げた。
まるで、腕白坊主のように思えた。

羽が生え変わり、成鳥の羽が生えた頃から、姫鶉を捕まえては上に放り投げ飛ぶ練習をさせた。
そのかいあって、少し上に投げるだけで、家の端から端まで水平に近い状態で飛べるようになった。

大きくなった姫鶉はわがままで、裏庭に放すと走り回って、ダンゴムシやミミズを食べたりしていた。
私が縁側に腰掛けていると、私の足を突きに来たり、足の甲に乗ったりして遊びに来た。
大きなゴキブリを捕まえると、ゴキブリをくわえたまま、私の足の周りを「見てくれ」とばかりに誇らしげに首を真っ直ぐ立てて、クークーと喚声ををあげながら、何度も回り、最後に丸呑みした。

母が鶉は、砂浴びをするというので、砂を買ってきて弁当箱が何かに砂を入れて砂浴び場を作ってやると、気持ちよさそうに砂浴びを始めた。
初めて見た鳥の砂浴びに驚いた。(後日スズメが水浴びも砂浴びもするのを目撃した。)
しかし、その後が大変だった。
家の中で遊ばすと、家中走り回り、羽についている砂がバラまかれ、掃除しても畳がざらざらするのだった。
それでも、家族一同鶉が喜ぶならと、誰も砂浴びをやめさせろとは、言わなかった。

家の中で遊ばれると、不都合が多くなったので真冬以外のときは、ケージも裏庭に下ろし、出来るだけ裏庭で遊ばせるようにした。
夜が近づくと鶉が水を飲み餌を食べにケージに入るので、ケージの戸を閉め、家の中に上げるようにした。

それも手間なので、ケージを縁側に上げ、庭で遊んでいる鶉を呼び寄せ、縁側のケージで餌や水を飲むように訓練した。
訓練はうまく行き、朝ケージの戸を開けて、縁側のガラス障子を開けてやると、自分で庭に下りて遊び、腹が減ると、縁側のケージに上がって餌を食べるようになった。
気分によって家の中も走り回るようなったが、大体裏庭にいることが多かった。。
家の中に入ると、わたしが呼ぶと来るときもあれば、こちらを向いたまま無視することもあった。

こちらから捕まえに行くと、じっとして逃げ回ったりせず、手の中でしばらくじっとしていた。
そうしたときは、手の中から、いつも2-3回に分けて少しずつ首を真っ直ぐ上に伸ばし、最後に上を向いて勝ち誇ったようにクゥォクゥオーと大声で鳴いて、一気に首を元通り縮める。
気分がよいと、これを何度もすることがあり、余りにけたたましい鳴き声なので首を真っ直ぐに持ち上げるときに、「わがった・わかった」といって頭をちょっと抑えてやると、もとの姿勢に戻るが、すぐに頭を上げた。

その鶉を最後に見かけたのは、イタチが鶉を加えて裏庭の塀を登っていくのを見たときであった。
8月の終わりか9月の始め頃、だった。
その頃は、夜になってもなかなか、縁側のケージに上がってこないことが多くなった。
入らないときは、こちらが呼ぶと近くに寄ってくるので、捕まえてケージに入れた。

しかしイタチにやられる前の数日間は、鶉は遊びに夢中で呼んでもなかなか寄ってこず、縁側にも上がってこなかったので、分からせるため縁側のガラス戸を閉めて、餌や水を摂れないようにした。
居間で食事をしていると、2回ほど縁側のガラス障子に鶉が飛び上がりガラス戸にぶち当たってきたので、縁側の戸を開けに行った。
その時目にしたのは、イタチにくわえられた姫鶉だった。

生あるもの、必ず別れがあることは分かっていても、その後しばらく大事なヤンチャな相棒を亡くした喪失感を味わい、悲しみに落ち込んだ。


以上のことは、以前のブログにも思い出として、似た内容を書いた記憶があります。(同じ出来事です。)
20-30代の頃の姫鶉の思い出です。
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夏の異常気象と我が家の対応と園芸130712

2013年07月12日 23時28分03秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
大阪では、今年は6月13日に36.1度を記録した。
その後、6月29日の28.9度以降29度前後から30度と夏日に近い暑さになり、7月5日以後は30度以上の夏日が続いた。
更に、7月8日以降は連日34度後半の猛暑日同然の暑さが続いている。
昨日と一昨日は関東で、39度越えの気温が出ている。
今年は、とにかく異常に暑い。
これから先、最も暑い時期といわれる、大暑の7月23日頃を中心とした前後1週間は、暦上からも一年で最も暑くて当然だが、更に猛暑の残暑を考えると、盆前まで酷暑に備えなければならないのかもしれない。

大阪では、体感的に天神祭りの頃が最も暑くて、お盆が過ぎるまでは涼しくならず、ダラダラと夏の暑さが続く。
8月23日前後に行われる地蔵盆が来ると、朝夕の気温がは多少下がり、日中は暑くても朝夕は涼しさが感じられるようになり、ほっとする。
しかし、今年の異常気象を見ていると、暦どおり気温が下がるか心配になる。

今年の夏は、平年よりかなり高い気温の状態で経過するとみて、高温対策をしておいた方がよさそうだ。

我が家では、クーラーが無いので、先日玄関の引き戸の上の明かり取り窓に網戸を取り付けた。
これで、縁側の網戸を開くと、東西に風が流れ室内の通気性が最高に良くなった。
去年までは、家の東側の開口部は、炊事場の窓のみだった。
窓を開くと路地の風が入ってくるが、炊事場には、大きな冷蔵庫やレンジ類がある。
夜中ですら、冷蔵庫は動いているため表面が熱くなる。
去年は、東風のときに、夜中に冷蔵庫が冷却に入ると、冷蔵庫の熱気が風に流されて寝ている3畳間に到達し、西側からファンで風を送っていても、暑くて目覚めたことが何度もあったが、今年は玄関の網戸のお陰で夜中も快適に過ごせそうだ。

これで、昨年まで感じていた居間の上の熱のこもりが非常に少なくなった。
3畳間には、PC関係機器やひかり電話・TVのアダプターがあるため、PCやTVをつけてなくても関係機器は動作していて、常に発熱しているので風通しが悪いと、即熱がこもり周囲の気温が上昇する。
3畳間から居間を吹き抜ける東西の風の道が太い直線になり、風通しがよくなったので、熱のこもりがかなり軽減されるだろう。
更に、就寝時はミニファンを東西の風向きにそれぞれ1個ずつ設置し、自然の風向きに合わせてどちらかのファンを、枕もとのスイッチで動かすようにしたため、自然の風に逆らうことなく、自然の風も利用した微風で、快適に寝られるようになった。

今年は、日よけを兼ねて長屋の南の塀に伝わせてあるブラックベリーに多くの実がなったが、高温障害を起こし、一部茶色くなっている。
ブラックベリーと平行して西に向かって南壁上を伸びているゴーヤは、今のところ元気で、現在も8個ほど小さな実を付けて成長中で、既に30センチ前後の大きいゴーヤを4本収穫し毎日の食事に利用した。
ミニトマトやナスは、経験的に余り暑くなると、実の付き方が悪くなるので、一種の高温障害を起こしているのだろうと思う。
それでも既に、ミニトマトや中球トマトをいくつか食べたし、沢山の実が成長中である。
寒冷紗の使用を考えたい。
トマトやゴーヤのプランターに直射日光が当たり、根に悪影響を与えるので、プランター周囲に断熱シートを張ってやった。
イチジクは、いくつかの実が赤くなりかけている。
梅雨時に収穫した大きなイチジクを3個食べたが、日照時間不足のせいか、甘みが少なくまずかった。
これからのイチジクに期待。
去年の落ちた種から成長した5本のアオジソ(オオバ)は少し虫にやられているが、虫食いの少ない葉を食用に毎日食べている。(アオジソの自然生えの苗はもっと沢山あったが、育てるスペースが無いので間引いた。)

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蚊との攻防戦20130709

2013年07月10日 23時39分19秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
真夏になると、高温になると蚊の活動葉鈍くなるといわれているが、経験的に血を吸った蚊は、スタミナを付け羽音高く、本能的に体温が高く炭酸ガスを出し汗の臭いのする顔をめがけて突撃をかけることが多い。
しかし、昨日の蚊は、違っていた。
顔に近寄らないので、ほとんど羽音がしない。

一昨日床について眠ろうとしていると、なんとなく足の指その他各部や手や腕等の露出部がなんとなくこそばゆくなり、ついにかゆくなってようやく蚊の襲撃を受けたことを知った。
かゆみ止めを塗って処理をしないと、刺された跡が赤く膨れ、さらにかゆみがまして、蚊の襲撃を確信するが、そのときには蚊はその周辺には居らず、暗闇に紛れ少し離れたところに止まってじっとしているので、見つけ出すことが難しい。

蚊の姿を見つければ、殺虫剤を噴霧するなり(環境を汚染し体にとってよくないので、使用を控えめにはしているが。)電撃うちわで追いかけるなりするが、敵の姿がなければ、むやみに殺虫剤をまいても自分の健康に影響する可能性があるので、適当に殺虫剤を散布することは出来ない。

結局、蚊との戦いでは、一匹目は、腕がなんとなく「もぞもぞ」とこそばゆくなった時に、闇の中でその近辺で電撃うちわを体に当てたり振り回していると、パチンと大きな音がし、蚊を撃墜出来た。

もう安心と思って、近くにセットしてある、誘蛾灯式電撃殺虫器も消して、眠ろうとすると再び、なんとなく前と違って手の指辺りにかゆみが。
仕方なく、再び誘蛾灯式電撃殺虫器を点灯し、電撃殺虫団扇を振り回すも今回は効果なし。諦めて、せめて誘蛾灯に期待し、寝息が誘蛾灯の近くに届くように顔の位置を取り、寝息のCO2と湿気で蚊をおびき寄せることにした。
誘蛾灯と顔の間には、紫外線は有害なので誘蛾灯の紫外線を浴びないよう、ダンボール紙を仕切りに入れた。
しばらくして、誘蛾灯でパチンと大きな音がした。
2匹目撃墜だ。
もう居ないだろうと思い誘蛾灯も消して寝た。

その後寝付く寸前に、耳元で蚊の羽音がした。
まさかと思っていると、最初のところとは違う場所で足元がムズムズした。
対策したが、今度は蚊を撃墜できなかった。
暑い上に、夜中に何度も起き、電気をつけたり、かゆみ止めを塗ったりしていたので疲れと眠気で、3匹目の蚊については射したければ勝手に射せという気持ちになり、咬まれた跡に、かゆみ止めを塗り寝込んでしまった。


朝起きて、そもそも、なぜ蚊が何匹も家の中に侵入したのか考えた。
ここ1-2週間、蚊の被害を受けていないので、園芸作業中に玄関や裏庭の戸を開放していたときに侵入したのだろうと思った。
この侵入防止対策として、裏庭と玄関に関しては、噴霧式殺虫剤を使い、見つけた蚊はすべてその場で駆除することにした。
今までは、玄関や裏庭に出たときに、蚊が飛んでいても戸を閉めればよいと考え、駆除しなかった。

良く考えると、玄関や、裏庭で飛んでいる蚊が戸をあけた隙に室内に侵入したり、服について入ったりするのが当然のことに気付いた。
日中から夕方にかけて、玄関や裏庭に出入りしたときに、蚊をこまめに退治するこが、就寝中の蚊の被害の予防の最良の方策だと思った。
一度退治すると、近くに蚊の発生源がない限り、外から風に吹かれて玄関や裏庭に到達した新しい蚊だけが、駆除後に玄関や裏庭周辺に居つくのであろうと。
日々、こうしたことを、こまめに繰り返すしかなさそうだ。

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