晴一時曇 34.5 28.2
この日は朝から気温が上がり、6時頃目覚めた。
前日の塀の破損が気になり、朝の涼しいうちに一気に解決しようと思い立った。
裏路地に回り、群生したハランを根元から刈り込み、めくれ上がった塀の波板を、力業で元の位置に戻した。
その際蹴ったり力ずくで元の位置に押し込んだりしたことは言うまでもない。
おかげで波板は、ほぼ元の位置に収まった。
この塀のめくれ上がった部分は、イタチの通路にもなっているようなので、(イタチが出ていくのをたまに見かけたことが何度かある。)もとに戻らないよう工夫をしておいた。
朝食後、食材の買い出しに、3軒のスーパーを回った。(通常は午後に行う)
2km圏内のスーパー回りは、自転車で行くが、それでもきつい運動になる。
帰宅後食材を収納し、すぐに自転車でメトロの駅まで出かけ、大阪市立中央図書館に行った。
本を返却し、新しい本を借りて、すぐに天王寺へ向かった。
新しい本を探すのに、予想以上に手間取ったが、いい本を見つけることが出来た。
天王寺で、ファストフードによって昼食をとり、すぐにJRに乗って信太山へ出かけた。
予定時刻より10分程遅れた。
前回は乗り継ぎに失敗し30分ほど遅れた。
信太山駅から大急ぎで歩き10分程遅れて府立弥生文化博物館に着いた。
講演会は既に始まっていて会場は満員だったので別室のモニターを見ながら講演会を聞いた。
「弥生のマツリと卑弥呼」というタイトルで黒崎直 館長の講演だった。
話の内容は、ほぼ既知の内容だったので、多少がっかりした。
講演会終了後、改めて特別展を見て回った。(前回も見て回っている。)
縄文の祭りと弥生の祭りの連続性と、違うところが気になっている。
今縄文遺跡や弥生遺跡からの新しい発見で、この頃の縄文弥生時代の見方がどんどん変化し、今ある意味混沌としているようだ。
ただ確実に言えるのは、アジアの視点が入り、中国朝鮮シベリアの影響を学術的に比較検討しつつ各時代論を再構成しているという事だろう。
弥生時代が、稲作文化と生産体系が持ち込まれ、短い時間に一気に日本全国に広がったという学説は、今や再検討されていて、様々な学説が出ているようだ。
少なくとも、弥生文化が地域と時期により一様でないことは、明らかになっている。
こうしたことを見ると、今回の話では弥生時代末期の卑弥呼の時代の話であるが、その祭りの形態がポスターに示された復元図に近い形で、全国でも行われていたかは疑わしいと思う。
大和・河内・和泉では、金関氏の弥生の祭祀復元図通りかもしれない。(いくつかの弥生土器絵画から復元)
しかし資料が少なすぎるので、本当はどうか、何とも言えないと思う。
この講演会も、それなりに面白かった。
帰りは再び炎天下の道をJR信太山駅まで歩いた。
帰宅途中にカフェに寄り、体を冷やしながら読書した。
この日は朝から気温が上がり、6時頃目覚めた。
前日の塀の破損が気になり、朝の涼しいうちに一気に解決しようと思い立った。
裏路地に回り、群生したハランを根元から刈り込み、めくれ上がった塀の波板を、力業で元の位置に戻した。
その際蹴ったり力ずくで元の位置に押し込んだりしたことは言うまでもない。
おかげで波板は、ほぼ元の位置に収まった。
この塀のめくれ上がった部分は、イタチの通路にもなっているようなので、(イタチが出ていくのをたまに見かけたことが何度かある。)もとに戻らないよう工夫をしておいた。
朝食後、食材の買い出しに、3軒のスーパーを回った。(通常は午後に行う)
2km圏内のスーパー回りは、自転車で行くが、それでもきつい運動になる。
帰宅後食材を収納し、すぐに自転車でメトロの駅まで出かけ、大阪市立中央図書館に行った。
本を返却し、新しい本を借りて、すぐに天王寺へ向かった。
新しい本を探すのに、予想以上に手間取ったが、いい本を見つけることが出来た。
天王寺で、ファストフードによって昼食をとり、すぐにJRに乗って信太山へ出かけた。
予定時刻より10分程遅れた。
前回は乗り継ぎに失敗し30分ほど遅れた。
信太山駅から大急ぎで歩き10分程遅れて府立弥生文化博物館に着いた。
講演会は既に始まっていて会場は満員だったので別室のモニターを見ながら講演会を聞いた。
「弥生のマツリと卑弥呼」というタイトルで黒崎直 館長の講演だった。
話の内容は、ほぼ既知の内容だったので、多少がっかりした。
講演会終了後、改めて特別展を見て回った。(前回も見て回っている。)
縄文の祭りと弥生の祭りの連続性と、違うところが気になっている。
今縄文遺跡や弥生遺跡からの新しい発見で、この頃の縄文弥生時代の見方がどんどん変化し、今ある意味混沌としているようだ。
ただ確実に言えるのは、アジアの視点が入り、中国朝鮮シベリアの影響を学術的に比較検討しつつ各時代論を再構成しているという事だろう。
弥生時代が、稲作文化と生産体系が持ち込まれ、短い時間に一気に日本全国に広がったという学説は、今や再検討されていて、様々な学説が出ているようだ。
少なくとも、弥生文化が地域と時期により一様でないことは、明らかになっている。
こうしたことを見ると、今回の話では弥生時代末期の卑弥呼の時代の話であるが、その祭りの形態がポスターに示された復元図に近い形で、全国でも行われていたかは疑わしいと思う。
大和・河内・和泉では、金関氏の弥生の祭祀復元図通りかもしれない。(いくつかの弥生土器絵画から復元)
しかし資料が少なすぎるので、本当はどうか、何とも言えないと思う。
この講演会も、それなりに面白かった。
帰りは再び炎天下の道をJR信太山駅まで歩いた。
帰宅途中にカフェに寄り、体を冷やしながら読書した。