20220502月
終日、カジノ反対署名の受任者に配るルートを地図で設定したが、半分もできなかった。
とにかく住所にマークを付けるのが大変だった。
夜ストレス解消のためプールに行った。
無心で25mプールを往復すると気持ちいい。
20220503 火
この日も前日と同じ作業を深夜まで行った。
自転車で回るルートの候補が色々あり、どれが最適か迷った。
非常に疲れた。
20220504 水 案内配布で強い疲労
朝から日暮れまで、前日作ったコースに従い、区内のカジノ反対署名活動の受任者に署名活動受任者の集いの案内を配布して回った。
いわゆるポスティングである。
マンションや集合住宅は。郵便受けを探すのにかなり苦労した。
結局日没までには終わらず、8時ごろまで案内を配達した。
足は棒のようになりフラフラになるほど疲労した。
ある意味、自分が馬鹿らしく思えた。
と同時に、市民運動はこうしたことの積み重ねなのだろうとも思った。
配達途中、連休の町はがらんとしていて、車の通りもほとんどなく人々はのんびりと歩いていた
なんで、こんなことしているのかと思った。
それと同時に、5月6日開催で集まらないのではないかと思ったり、私が作成した案内文と比べると、共同代表が作成したはがきサイズの案内文の内容は、まるで組合や政党員のような人たち向けの呼びかけ文のように思え、一般市民の市民運動に参加す多様な人たち向けの呼び掛け文ではないと感じていて、集会の成果に影響するのではないかと思った。
多分、彼は普段から集会等のこうした案内をたくさん作っているのだろうと思った。
20220505 木
12時過ぎから、共同代表の指示で区民センターで行われた、9条関係の芸人集会に参加する人たち向けの署名活動をした。
他府県からの人たちも、多くいたが、そういう人たちは署名の対象外だ。
さらに、この催しの主催者が会場でも署名活動をしていたり、また署名を済ませている人も多かった。
結局、署名は期待したほどは集まらなかった。
思い付きが多く効率の悪い運営と思った。
私は、2対1で結論ありきのため連絡係に徹することにしているので、残り二人の共同代表の意見に従って行動した。
20220506 金
午後からジムに行き、久しぶりに筋トレやウオーキングを行った。
夕方から区民ホールに出かけ前日配布した受任者の集いの発会式会場の準備をした。
時間になると来たのは、左翼政党関係の団体役員ばかりだった。
一般の受任者はだれ一人来なかった。
しかも彼らは、共同代表も含めほぼ全員顔見知りか、顔なじみだった。
さらに、途中から共同代表が、司会の席を外しもう一人の共同代表が司会を継続した。
彼は別の階で行われている、左翼政党関係の団体の会合で、その会の役員もしているので、挨拶に行ったという。
その後その会の役員が、受任者の集いにも参加した。
こうした実情を知って、左翼政党関連の諸団体が、布の糸のように絡まりあって、複合協力しながら市民運動を展開している実態の一端を垣間見た。
私の考えでは、客観的に見て受任者の集いは大失敗であった。
こうなると私の地域の署名活動は、左翼政党関連の諸団体の掌中で動くことになるのだろうと思った。
何より共同代表は、そうした団体の強い影響力の下でコントロールされている可能性が強いと思った。
これ以前に、私が共同代表から政党?の事務所に時間指定で必ず来るよう言われたのは、その序章だった。
二人が出席したミーティングでは町内会長まで二人を出迎えたという。
左翼政党関係諸団体は、医療・税金経営・介護・子育て・・・といった様々な分野で網の目のように張り巡らされ、お互いに協力しているのだろうと推測している。(これは自民党や公明党でも似たような構造を持っていると思われる。)
昔ギャラリーを経営していた時に、親しい有力な作家が「芸術は人に勇気と希望を与えるものでなければならない」と言い始めた。
その後、多くの作家が同じ文言をオウム返しのように言い始めた。
はじめは、私もその言説に賛成したが、多くの若手美術家が同じことを言い出し強調するので、おかしいと思いつつ、芸術について改めて考えてみた。
すると悲惨な作品とか悲劇的な作品や、混乱するような名作が、様々な芸術(美術・音楽・・・・)に多くあることに気づいた。
そこでそうしたことを口走る作家たちに、私の考えをぶっつけ、政治が芸術をコントロールしようとするなんてとんでもないと、言った。
その後、私と親しい作家たちが、そんなことを発言していると、この画廊はつぶれるといった。
それからしばらくして、毎週必ず来る常連の作家たち、20数名が一斉に来なくなった。
それで、改めて来なくなった人たちは、政党関係のグループに属していることを知った。
それでも私は、自分の考えを曲げなかった。
芸術はすべてのものから自由でなければならないと思っていた。
そもそも私の芸術観は記号論=構造主義に大きく影響を受けている。
ロマン派等の主観主義=観念論(マルクスも含む)は、芸術と結びやすい。
その原点は、感情表現で、構造主義的に見れば自然なことであるし、異論はない。
構造的に見た場合、表現は自由であるべきだし、すべての表現が鑑賞対象になるのだ。
そもそも人間が表現する芸術という人間活動は、人間の内面を投影したもので、主観そのものなのだ。
ナチスや、軍国主義や、共産主義は特定の傾向の芸術を推奨し、違う傾向の芸術作品は退廃芸術として厳しく取り締まった。
政治は芸術に介入すべきでないのだ。
芸術への介入は基本的人権や民主主義の根本原理と絡む問題でもある。
今回の、署名活動の運動を通して、画廊時代の苦い思い出と同じ=政治勢力が組織的に活動し、人脈を武器にして、自分の思う方向に動かそうとする非民主的(相手の意見も尊重し合意を図ることをしない=自分たちだけが正しいと考える)圧力を感じた。
終日、カジノ反対署名の受任者に配るルートを地図で設定したが、半分もできなかった。
とにかく住所にマークを付けるのが大変だった。
夜ストレス解消のためプールに行った。
無心で25mプールを往復すると気持ちいい。
20220503 火
この日も前日と同じ作業を深夜まで行った。
自転車で回るルートの候補が色々あり、どれが最適か迷った。
非常に疲れた。
20220504 水 案内配布で強い疲労
朝から日暮れまで、前日作ったコースに従い、区内のカジノ反対署名活動の受任者に署名活動受任者の集いの案内を配布して回った。
いわゆるポスティングである。
マンションや集合住宅は。郵便受けを探すのにかなり苦労した。
結局日没までには終わらず、8時ごろまで案内を配達した。
足は棒のようになりフラフラになるほど疲労した。
ある意味、自分が馬鹿らしく思えた。
と同時に、市民運動はこうしたことの積み重ねなのだろうとも思った。
配達途中、連休の町はがらんとしていて、車の通りもほとんどなく人々はのんびりと歩いていた
なんで、こんなことしているのかと思った。
それと同時に、5月6日開催で集まらないのではないかと思ったり、私が作成した案内文と比べると、共同代表が作成したはがきサイズの案内文の内容は、まるで組合や政党員のような人たち向けの呼びかけ文のように思え、一般市民の市民運動に参加す多様な人たち向けの呼び掛け文ではないと感じていて、集会の成果に影響するのではないかと思った。
多分、彼は普段から集会等のこうした案内をたくさん作っているのだろうと思った。
20220505 木
12時過ぎから、共同代表の指示で区民センターで行われた、9条関係の芸人集会に参加する人たち向けの署名活動をした。
他府県からの人たちも、多くいたが、そういう人たちは署名の対象外だ。
さらに、この催しの主催者が会場でも署名活動をしていたり、また署名を済ませている人も多かった。
結局、署名は期待したほどは集まらなかった。
思い付きが多く効率の悪い運営と思った。
私は、2対1で結論ありきのため連絡係に徹することにしているので、残り二人の共同代表の意見に従って行動した。
20220506 金
午後からジムに行き、久しぶりに筋トレやウオーキングを行った。
夕方から区民ホールに出かけ前日配布した受任者の集いの発会式会場の準備をした。
時間になると来たのは、左翼政党関係の団体役員ばかりだった。
一般の受任者はだれ一人来なかった。
しかも彼らは、共同代表も含めほぼ全員顔見知りか、顔なじみだった。
さらに、途中から共同代表が、司会の席を外しもう一人の共同代表が司会を継続した。
彼は別の階で行われている、左翼政党関係の団体の会合で、その会の役員もしているので、挨拶に行ったという。
その後その会の役員が、受任者の集いにも参加した。
こうした実情を知って、左翼政党関連の諸団体が、布の糸のように絡まりあって、複合協力しながら市民運動を展開している実態の一端を垣間見た。
私の考えでは、客観的に見て受任者の集いは大失敗であった。
こうなると私の地域の署名活動は、左翼政党関連の諸団体の掌中で動くことになるのだろうと思った。
何より共同代表は、そうした団体の強い影響力の下でコントロールされている可能性が強いと思った。
これ以前に、私が共同代表から政党?の事務所に時間指定で必ず来るよう言われたのは、その序章だった。
二人が出席したミーティングでは町内会長まで二人を出迎えたという。
左翼政党関係諸団体は、医療・税金経営・介護・子育て・・・といった様々な分野で網の目のように張り巡らされ、お互いに協力しているのだろうと推測している。(これは自民党や公明党でも似たような構造を持っていると思われる。)
昔ギャラリーを経営していた時に、親しい有力な作家が「芸術は人に勇気と希望を与えるものでなければならない」と言い始めた。
その後、多くの作家が同じ文言をオウム返しのように言い始めた。
はじめは、私もその言説に賛成したが、多くの若手美術家が同じことを言い出し強調するので、おかしいと思いつつ、芸術について改めて考えてみた。
すると悲惨な作品とか悲劇的な作品や、混乱するような名作が、様々な芸術(美術・音楽・・・・)に多くあることに気づいた。
そこでそうしたことを口走る作家たちに、私の考えをぶっつけ、政治が芸術をコントロールしようとするなんてとんでもないと、言った。
その後、私と親しい作家たちが、そんなことを発言していると、この画廊はつぶれるといった。
それからしばらくして、毎週必ず来る常連の作家たち、20数名が一斉に来なくなった。
それで、改めて来なくなった人たちは、政党関係のグループに属していることを知った。
それでも私は、自分の考えを曲げなかった。
芸術はすべてのものから自由でなければならないと思っていた。
そもそも私の芸術観は記号論=構造主義に大きく影響を受けている。
ロマン派等の主観主義=観念論(マルクスも含む)は、芸術と結びやすい。
その原点は、感情表現で、構造主義的に見れば自然なことであるし、異論はない。
構造的に見た場合、表現は自由であるべきだし、すべての表現が鑑賞対象になるのだ。
そもそも人間が表現する芸術という人間活動は、人間の内面を投影したもので、主観そのものなのだ。
ナチスや、軍国主義や、共産主義は特定の傾向の芸術を推奨し、違う傾向の芸術作品は退廃芸術として厳しく取り締まった。
政治は芸術に介入すべきでないのだ。
芸術への介入は基本的人権や民主主義の根本原理と絡む問題でもある。
今回の、署名活動の運動を通して、画廊時代の苦い思い出と同じ=政治勢力が組織的に活動し、人脈を武器にして、自分の思う方向に動かそうとする非民主的(相手の意見も尊重し合意を図ることをしない=自分たちだけが正しいと考える)圧力を感じた。