とにかく日記

とにかく何でもいいから書く日記。3人の子へは仕送り、更新頻度は下がり、書き続けられるのか?(コメント等は承認制です)

読み聞かせ10周年

2015-05-26 10:28:46 | 
ウチの子たちがお世話になった小学校には読み聞かせボランティアサークル「そよかぜ」というのがある。

その「そよかぜ」の活動が10周年を迎えた。
最初はこんな感じで、職員会議の間の15分を利用していた。
だが、翌年からは担任の先生がいる状態での読み聞かせ活動となった。

月に1~2回。
多い時には3冊、普通には1冊の本を読む。

当日、学校図書館の本を借用して読むことも可能、というお気楽(^^;)なサークルだが、
あがり症でもあり事前に練習したいという事情から私は家にある本を持参して読んでいる。

時間までに学校図書館に集合し、名札をつけてから、教室に行く。
ただし、自分の子がいる教室とは限らない。
前の週までに希望を書くノートがあるので、読みに行きたい教室は希望できる。

読み終えたらまた学校図書館に戻り、簡単な記録をつける。
クラス毎にノートがあり「日時・読み手・読んだ本・感じたこと」を書く。

これで終わり、という活動である。
創設当時から一参加者として活動してて、10年ってのはよく続いたなぁ、と思ったりする。

私個人としては、はっきり言って、楽しいから続けてる。
でも続けられたのはそれだけじゃないよなぁ、というのも思ったりする。
以下、続けられた理由を箇条書きにしてみる。

・本が好き(子供たちと自分自身、どちらも楽しめるような本を選んで読んでいる)

・座って読むことができる(椅子を出してもらえるので気が楽)

・学校の先生(校長先生、図書館司書の先生、学級担任)の理解がある

・仲間がいる(サークルなので、ほかにもやってる人たちがいる)

・前日までに「X月X日は読み聞かせですよ」と連絡がもらえる(リマインダーしてくれる人がいる)

・人数が少ないと全クラスが埋まらないことがあるので、自分が休んで行かないと「読み聞かせなし」の教室が出るかも、という危機感がある。

・本を読んだあとの子供たちの「笑顔」が「最大の報酬」である。

以上。
今年度でウチの子は小学校卒業となるが、次年度以降どうするかは未定。
「地域住民」の立場で続けてくれてる人もいるのだが、私はどうするかなー。
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どうしてこんな気もちになるの?

2010-09-19 07:06:14 | 
図書館で見つけて、借りて来た本。

「どうしてこんな気もちになるの?」 エダ・ルシャン著 野田恭子訳
ディスカバー・トゥエンティワン社 発行 (2003年)

1970年代にアメリカで書かれた本の翻訳、らしい。
当時のアメリカの過激さ(笑)の一端がうかがえる箇所も数箇所あるが、
基本的には、子供に自分の感情について考えさせるための本、である。

図書館で立ち読みした。
て、これは70年代風の子供向け認知行動療法的な本だ、ということに気づいた。

また、子供だけではなくわたし自身のためにも、なる本。
なんといっても、タイトルがいいじゃないか。
「どうしてこんな気もちになるの?」
この問いは、親ですっかり大人であるわたし自身、常に自分に問いかけている。

借りてきて読み、早速、子供たちの寝かしつけの読み聞かせに使ってみた。
(テキトーにアレンジしながら読んだ。一字一句、本の通りには読まない。)
読んだ部分の一部を、紹介する。

「第一章 いろいろな気もち

 ひょっとすると、あなたはきのう、おねえさんとゲームをしたかもしれない。
 おねえさんは年上で、あなたよりたくさんゲームをやったことがあるから、
 あなたは負けてしまった。
 あなたはきっと、おねえさんに腹がたってしかたがなかったにちがいない。
 それとも、夕べおそく、あやしい物音をきいた気がして、ふと目をさましたかもしれない。
 こわくて動くことも、人をよぶこともできず、あなたはベッドで息をころしてた。
 朝がくると、台所にかけこみ(←原著はこうだが、私は『お母さんのフトンにもぐりこみ』
 と言った、ウチの子達の行動はそうだから)、
 おかあさんにぎゅっとだきついて、びっくりさせた。
 おかあさんのことが大好きだから、そうしたかった。

 世界中の人はみな、ときによって、おこったり、おびえたり、愛したり、
 そのほか、いろいろなことを感じている。それが『気もち』だ。
 気もちは、とてもたいせつなものだ。
 だれでもみんな、ときどき自分の気もちにうろたえたり、とまどったりするけれど、
 気もちのことをもっと知ることができれば、それだけ強く、しあわせになる。」

最初の部分では、姉たち二人が弟に「ルルのことだ、ルルのことだ」とひやかし、
ひやかされたルルは、照れくさそうにしていた。
夜におびえる部分では3人とも、真剣に聞いていた。
そういう経験がある、ことを自覚しているのだ。

子供の心も、大人の心も、理解しやすくさせてくれる本、だと思う。
絶版で中古本しか手に入らないらしいのが残念。
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さよならエルマおばあさん

2009-02-25 01:12:14 | 
最近、小学校の読み聞かせで読んでいる本。


日常から死が失われてしまった現代には、こういう本が子供の心の栄養分として欠かせない。
生まれたからには、人は、いつか必ず、死ぬのだから。

最後の日をどうやって迎えるのか。
死ぬことは怖くないのか。
孤独ではないのか。

子供たちも、そういう疑問を持っているかもしれない。
口にはしないだけで。

だから、教えてあげたい。
こんな風に亡くなっていったおばあさんがいたんだよ、と。
一つのロールモデルとして。
たとえば、死を目前にし身体の機能が衰えていく中で、人は何を思うのか。

 「体はだんだん弱っていきましたが、
  エルマおばあさんがみんなを思う気持ちは、
  ますます強くなっていきました。
  おばあさんは、家族ひとりひとりにあてて、
  お別れの手紙を書きはじめました。」

できることならば…エルマおばあさんのようでありたい。
自分の苦しみや、恐怖にとらわれるのではなく、周囲を思いやる強さが欲しい。



この本を読むと、子供たちはみな、真剣な顔で聞き入る。
静かな声で読んで15分、という時間も、読み聞かせにはちょうど良い。

「ノンフィクション?」と尋ねた子がいた。
「そうだよ。アメリカで、本当にいた人のお話。」と答えた。
「終わりよければすべて良し、だな」と言ったのは、担任の先生。

たとえばこの本が図書室にあっても、小学生が自分で借りて読むかどうかは疑問。
読む子もいるし、読まない子の方が多いかもしれない。
でも、どんな子にも、いつの日か、死はやってくるのだ。

だからこの本は、読み聞かせに向いている本、なのかもしれない。
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セイリの味方スーパームーン

2008-08-27 01:35:12 | 
タイトルも面白い、女子小学生向けの本。

生理(月経)について書かれた子供向けの実用書を探していて見つけたのだが、この本はとても良い。
10年前の本だが、内容はまだまだ全然古くなっていない。
マンガとキャラクター(スーパームーン)が可愛いし、同世代の体験談が多いのも読みやすい。
私が小学生の頃に、こういう本が欲しかったなぁ。

小学校3年生の長女はこの本が超気に入って、生理が始まるのを楽しみに楽しみにしている。
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おまえうまそうだな

2007-10-07 16:08:34 | 



宮西達也の絵本は、ウルトラマンやウルトラセブンのシリーズ?で知っていたが、
このシリーズの方が絵本としての完成度は高いと思う。
ウルトラシリーズは絵本の形態をとったファンブック、同人誌という印象がぬぐえず、
ウルトラマンやセブンを知っているから面白い、と思えるのだが、図書館で借りはしても買う気にはなれず。

ティラノサウルスの他のシリーズも見てみたが、この本が最も気に入った。
中生代を舞台にした、大型肉食恐竜と幼い草食恐竜が登場する、和製ファンタジー。

(以下、あらすじについて書いています、未読の方はご注意を。)


「おまえ、うまそうだな」と取って食おうとする大型肉食恐竜に、
生まれたばかりの草食恐竜が「おとうさん!」とすがりつくなんてあり得ない。
で、肉食恐竜が、唐突に示されたその愛情や信頼に応えようとするなんて・・・
もちろん、こんなこと絶対、あり得ない。
あり得ない状況…なのだが。
不器用に描かれた恐竜たちの心に、読む者の心は、みるみる共鳴していく。
大人も、子供も。

生まれたばかりで一人ぼっちで寂しくて泣く、アンキロサウルスの孤独。
それを食べようとして抱きつかれたティラノサウルスの困惑と、変化していく心境。

無心に信頼を寄せる、小さなアンキロサウルスに対して
ティラノサウルスは理想的な強者、父、として接して行くことになる。
自分が食べようとしてたアンキロサウルスが、他の恐竜に食べられそうになると守ったり。
「おとうさんのようになりたい」というアンキロサウルスを、教え導いたり。
ティラノサウルスを心から尊敬し、憧憬するアンキロサウルス。

ティラノサウルスは、その憧憬を利用し、別れの場面を演出する。
本当の父母(?)に引き合わせるために。
無言の別れは、アンキロサウルスにとっては新たな出会い。

誕生したばかりの草食恐竜が孤独に泣く場面で始まったこの絵本。
ラストは、孤独な大型肉食恐竜の、哀愁漂うシーンで終わる。
大型肉食恐竜は、泣きはしないのだけれど。
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ギルガメシュ王ものがたり

2007-06-13 04:30:16 | 
小学校での読み聞かせにて。
低学年はどんな絵本でもまぁ聞いてくれるのだが、高学年の子供たちに興味を
持って聞いてもらえる本ってどういうのだろう、と迷っていた時期があった。

探した結果、私がみつけた答えの一つが、この本。



読み始める前に、簡単に解説することにしている。

・世界最古の物語。今から5000年くらい前に書かれた、と言われている
・世界の4大古代文明は、エジプトとインドと中国とメソポタミア。
 その一つの、メソポタミアで書かれた話。
 メソポタミア、というのはチグリス川とユーフラテス川、二つの大きな川に
 はさまれた地方。そこにウルクという名の大きな街があった。
 本文にもウルクの街と、川が出てくる。
・もともとは楔形(くさびがた)文字で記されており、それを解読した。
 (表紙の絵にも小さいが楔形文字が書かれているので、それを示しながら。)

本の内容を一行で書くと「孤独な王が波乱の末に、友達を得る物語」である。

最初のページで「ともだちがいなかった」と書かれているギルガメシュ王。
5000年前も、今も、人はみな孤独に悩み、孤独に苦しめられる。
ギルガメシュ王の孤独と、戦いの果てに得られた友情。
普遍的なこのテーマは、子供たちの心に共感をよびおこすだろう。

ちょっと怖いくらいの絵で、古代神話の威厳と力が表現された絵本である。
私のような歴史マニアにはたまらない魅力があるが、そうでなくとも、
楽しめるのでは。子供にも、大人にも、お勧め。
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「おばけのいちにち」という絵本

2006-11-16 01:34:00 | 
こんな絵本があるから、世の中はおもしろい。

怖いけど、子供にとっては興味しんしんの存在、おばけ。
おばけといえば、常識的にはその出番は暗い夜。
なのに、この絵本は「おばけのいちにち」というタイトルである。
一日、つまり日が昇って明るくなってから暗くなるまでの
おばけの様子が、大胆なタッチで描かれている。

それも、部分的に異様に詳しかったり(おばけの歯ブラシの形!)
徹底的に説明不足だったり(これから食事だけど、何を食べるのかは
読者の想像にまかせる、なんて)。
大人にとっては、わかるようなわからないような、妙な絵本である。

だけど子供にはものすごく、おもしろいらしい。
最初にこの本にハマったのはルル(仮名、3歳男、末っ子)だった。
まだ2歳になったかならないかの頃からカタコトで
「ちにち」「ちにち」と言って、この本を持ってきた。
要するに「おばけのいちにち、読んで!」と言いたいのだ。
一度読み終わるとまた最初から、とせがまれる。
上の子2人にもこの本は面白いらしく、読んでいると寄ってくる。
これは案外、子供全般にウケるかも?と小学校での読み聞かせボランティアに
持って行って、読んでみた。
本文は全部ひらがなで書かれている、幼児向けの本なのだが、
小学校3年生、5年生、どちらのクラスでもウケは良かった。
子供たちが目を丸くして聞き入ってくれると、読み手としても読みがいがある。

緑色で目鼻口もない、のっぺらぼうのおばけ。ページをめくるたび意表をつく展開。
これはナンセンス絵本なのかもしれないが、豊かな心が育つのに役立ちそう。
去年まで絶版だったが、作者が亡くなったのを機会に再版されたようだ。

bk1の「おばけのいちにち」をリンクしておきます。
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励まされる本

2006-06-26 09:59:51 | 
(働きながら)子供を育てていると疲れること、いやになることもたくさんある。

ちょっとでも横になって休みたくても、子供たちは許してくれなかったり。
「おかあさん、うんこ出る!」と末っ子が叫べばトイレに連れて行ってお尻を拭き
その次には「牛乳こぼした~!」と半泣きになっている次女に雑巾を持たせ
宿題を終えた長女のノートに目を通そうとしても他の子たちが邪魔をする。
耐えかねて「うるさーーい!お母さんにこれをさせて!」と叱りとばせば
子供は叱られたこと、拒絶されたことにショックを受け、激しく泣き出す。

そうして、私は自己嫌悪に陥る。

  こんな子育ての仕方で、こんな母親で、いいんだろうか。
  体力もなく、狭量な私には、仕事をしながら子供を産んで育てたりするなんて、
  もともと無理なことだったんじゃないだろうか。

とりあえず子供たちに理不尽な怒り方をしたことを謝って泣く子を慰め、
亭主が子供たちを風呂に連れて行ったら、この本を開いてみたりする。

 「働くこと育てること」 落合由利子(写真と文)

白黒の写真。親が働きながら子供を育てる姿を、文章と共に紹介している。
特に、写真がいい。

とりすました笑顔の写真ばかりではない。
散らかった部屋、狭い台所での料理。
部屋にびっしり敷き詰められた布団に寝る親子。
ベランダでうまそうにタバコをふかす若い母。

みんな、こうやって子供を育ててるんだ、と思う。
良いか悪いかは関係なく、これが現実。
理想っぽい親子の姿は一つもなく、それでもサマになっている。
みんな、必死で働き、子供を育てている。
働くことと育てることの原点を思い出させてくれ、励まされる気がする。

すべての働く親にお勧めしたい、本。
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パンのかけらとちいさなあくま

2006-06-07 09:44:24 | 
長女の小学校で今年から「読み聞かせボランティア」が始まった。
先生たちの会議の時間にクラスに入り、15分間、子供たち相手に本を読むという
わかりやすいボランティア。
部分休業で出勤が遅い私にとって、可能な時間帯だったので早速申し込んだ。

で、初めての読み聞かせボランティア活動。
自分の子供がいるクラスに入りたかったのだが、そのクラスを希望する人が他にも
いたので譲り、同じ1年生の別のクラスに入ることになった。

初めてだし、ちゃんと準備をした。
読み聞かせにおいて最も大切な準備とは、本の選択だと思う。
日曜に図書館に行き、絵本を選んだ。
小学1年生向けで、私が読んでもおもしろい内容で、声に出して読みやすいもの。
それも、できれば鬼とか悪魔とか化け物とかが出てくる話。
(大勢の子相手に読むんだったら、やっぱりそういう絵本が楽しいじゃないですか。)

借りてきた本は「パンのかけらとちいさなあくま」という。
リトアニアの民話だそうだ。
冒頭部分のあらすじは、以下の通り。

  貧しいきこりのパンのかけらを、ちいさな悪魔(といっても異様な姿ではなく、
  いたずらっこの男の子のような絵で描かれている)が盗んだ。
  得意満面で悪魔たちのすみかに戻ったちいさな悪魔。
  ところが、大きな悪魔たちはそろって厳しくちいさな悪魔を叱った。
  お詫びとしてきこりの役に立ってこい、それまで帰ってきてはならない、と追い出されてしまう。
  ちいさな悪魔はしょんぼり。きこりの所に戻ってパンを返して謝った。
  きこりは笑って許したが、許してもらっても、ちいさな悪魔は帰る訳にいかない。
  何か自分にできることはないか、させて下さい、と泣き出してしまう。
  そこで、貧しいきこりが頼んだのは・・・

この続きを知りたければ、ご自分で読んでください(笑)
先がどうなるのか容易にはわからない、ページをめくるワクワク感もいっぱいの本です。

いたずら好きのちいさな悪魔。
子供たちにとって感情移入しやすい、分身のような存在となるだろう。

そして、悪魔といえどもルールがある。悪魔社会の掟(おきて)というべきか。
貧乏人のなけなしの物を盗んではならない。
掟を破ったら、原状回復(この場合はパンを戻すこと)だけではなく
お詫びとして力を尽くして償わなくてはならない。

異国の民話にある教訓が、子供の心に響くことを期待した。

そしてむかえた、読み聞かせの本番。
先生がいない教室に入り、席についていた子供たちを前に集めて座らせた。
子供たちは目を輝かせてこちらを見ている。
もともと芝居っけたっぷりに本を読む方なので、いろんな声を使い分けつつ、
途中で前のページの絵と比較したり、余計な言葉もはさみながら、読んだ。
・・・読み聞かせは、絵本を媒体としたコミュニケーション、なのだから。

子供たちは静かに一心に聞いていた。
途中で「ハエつかまえた!つかまえた!」と関係ないことで大声をあげた男の子が
一人だけいたが、私は無視して読み続けた。
・・・無視というと言葉は悪いが、たかがハエ、そのために本を読むのを中断する
ほどの大事ではない、と放置することにしたのだ。
他の子供たちにたしなめられ、その子は黙って一人でティッシュをとりに行った。

読み終わったら、15分の持ち時間のほとんどが終わっていた。
チャイムはまだ鳴らなかったので、あと1分だけ、と「おとうさん」という詩を読んだ。
父の日も近いことだし。
しかし詩よりも、物語の方がやはり子供の関心を集めるには向いている。

チャイムが鳴り、担任の先生が来てからも子供たちが寄ってくる。
「どろぼうしちゃいけないんだよね。人殺しも、人さらいも、いけないんだよね」
と感想を言ってくる子がいたり、自己紹介してくる子がいたり。

楽しい。
このボランティアはぜひ、続けたい。

 6月13日(火)追記:
 4年生のクラスでも同じ本を使った。少し大きな子供だとどういう反応だろう?
 とちょっと心配したが、最後まで静かに聞き入ってくれた。
 途中で遅刻してきた子(笑)も静かに加わったりして。
 読み終えたらみんなで拍手してくれて、読み手としては大変、嬉しかった。
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「私たちの着物術」という本

2006-01-24 04:48:22 | 
昨年末(忘年会付近)から、着物熱が続いている。
現在の私の趣味は、着物(和服)、という感じだ。

前から、着物に興味はあった。
15年くらい前に着付け教室にも3ヶ月、通ったし。
でも、着物は決まり事が多そうだし、着るのにも時間がかかり、実用的でない。
仕事も忙しいし、子供も小さいのに着物なんか着てられない、と思っていた。
だからごく普通に、洋服のみの生活をしてきた。

しかし、気がついてみれば・・・クローゼットには着れなくなった服がたまるたまる。
数年前に良いと思って買ったスーツの大半はサイズが合わない、形ももう古くさい。
かといって、今の体型にあった服を買っても、また数年後に着れなくなるのか、
と思うとなんか虚しい・・・高価な洋服を買う気にはなりにくい。
(まぁ、もともとそんな高価な洋服は買ってなかったが。)
好みの服を買える店も近くにない。通販で買ったりもしたがイマイチ気にくわない。
出張のついでに一生懸命服を買ったりもしていたが、最近はそれも面倒。

という訳で、気の早い結論を出す。
洋服では今の私の個性を表現できない。愚痴や不満ばかりが出る。
どうも、おしゃれをする、おしゃれをした、という華やいだ気分になれない。
・・・となると、和服?

以前からささやかな目標はあった。
「50代になった時、晴れの席に色留袖を着てゆけるオバサマになりたい」
結婚式の仲人姿などで当たり前に見られる黒い留袖ではない。
着物の格は同等でも、ずっと華やかな色留袖、というところが私の夢。
その夢が、この本を読んで、現実に一歩近づいた。

  「私たちの着物術」 近藤ようこ&お着楽倶楽部 河出書房新社(1400円)

今の時代に、普通の着物好きの女性たちがどんなに多様な着物の着方をしているのか、
が書かれている本である。
もとになっているのは、さまざまな着物好きの人たちへのアンケート。

雑多な意見をまとめただけ、という見方もできる本ではあるが、この雑多な意見が
大変、心強い。
なんとなく「決まりごとが多い」と思っていた和服の世界にも、いろんな人がいて、
いろんなやり方で着物を着ていることが実感できる。
特別な時の晴れ着や高級呉服だけではない、日常着の世界も垣間見ることができる。

たとえば、雨の日はどうするのだろう、と思ってこの本を開く。
「雨の日は基本的に着ない」とう人。
「雨コートに草履カバー」という人。
「近所なら、はだし下駄」という人もいる。

・・・はだし下駄で近所に着物で行けたら、いいなぁ、と思う。
その時、着ている着物はどんな着物だろう。派手な晴れ着ではないはずだ。
日常着としての着物、にどうしても心がひかれる。

つい50年前の日本には、まだ、着物を日常着にしていた人が多かった。
洋服には洋服の利点がある。(着るのに時間がかからない、動きやすい、など。)
でも、着物にも着物の利点がある。
モノさえ選べば、洋服以上に着回しがきくし、そもそも着ている人が少ないので、
流行に関係ない服装ができる。

着物は、百人百様。それをあらためて教えてくれた本だ。
買ったのはもう半年以上前だが、この本を読み返し何度も拾い読みしているうちに、
私の着物へのエネルギーは蓄積されてきたようだ。
・・・よーし、我流で着てやるぞー。

ネットでちょっと調べると、私のように考える人は増えているらしく、和服の世界
はアンティークもの、リサイクルものがここ数年、ブームだそうだ。
ネットで買えるリサイクル着物店、数千円で着物や帯が買える店も多いし、ネット
オークションでも活発な取引がされている。
で、私もネット通販で早速、日常に着れるようなウールのリサイクル着物を買った。
(買ったお店を紹介しときます。「つむぎや」さん。)
洋服(特に外出着)の通販には納得できなかった私だが、和服はまだこれからなので
とりあえず、通販でもリサイクルでも適当なのが入手できればそれでいい。
金をかけずに少し手をかけて、自分が着る服として整えていきたい。
安くても、いいんだ。和服をまとうと、ぴしっとした心根になれる気がする。

子供を寝かしつけた後、余力があれば、着付けの練習を兼ねて着物に着替える。
休日は朝から夜まで着物。
着物に手を通さない日も、ちょっと空いた時間があれば着物の本を読んだり、
ネットの着物サイトを見たり。
こういう、自分を磨く(女を磨く?)贅沢な時間がとれるのは幸せなことである。
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子供の身を守る本

2005-12-21 12:52:35 | 
子供を狙った事件の報道が相次いでいる。
3人の子を持つ身としては、他人事ではない。

まぁ、まずは心の準備、ということで本を買って読んでみた。

Say “No!” “やめて!”といおう -悪い人から自分をまもる本-

自分で自分の身を守るための知識を子供に与えるための本である。
子供にも読めるよう、漢字にはすべて振り仮名がついている。
しかし、大人にも読みごたえのある本だった。

最初の章に「チェック」がある。
「チェック1」は質問形式。どれを選ぶか、というもの。
  質問1、歩いている人から「道をおしえてくれる?」と聞かれたら?
  ①行き先が近いならそこまでつれていってあげる
  ②聞こえないふりをして通りすぎる
  ③近所のお店や、近くにいる大人の人に聞いてもらう
こんな質問が五つ、続く。

回答・解説ページは、どの選択肢を選ぶのが正解、という書き方ではない。
どう書いてあるのかは、ぜひ、この本を読んで欲しい。

その次の「チェック2」がなかなかすごい。
「どんな人なら信用できる?」と年齢も性別もさまざまな人の絵が描かれている。
上品そうなおばさん。学生服のお兄さん。白いブラウスに赤いイアリングのお姉さん。
背広ネクタイ眼鏡のおじさんは2パターン入っている。
身だしなみのきちんとした穏やかな笑顔の中年男性と、ネクタイがゆるんだ変な目つきの男性。
他にもいろいろ、合計12人の人物像が描かれている。

  「声をかけてくる人もさまざまです、どの人だったら答えてあげてもよさそうですか?
   あなたの目で信用できそうな人をえらんでください。だいじょうぶだと思える人は何人いますか?」

ララ(長女、6才)にこの本を渡したとき、読んですぐ、このページを開いて私のところに持ってきた。
「おかあさん、どの人なら信用できると思う?」
それだけ印象に残ったページなのであろう。

回答・解説ページはこうなっている。

  「少しいじわるだけど、この質問では<ゼロ>または<えらべない>と答えた人が安全感覚の高い人といえます」

人は外見で判断できない。確かに、もののわかった大人は誰もがそう思っている。
見かけでは人を判断できない、という内容が述べられたあと、
同じページに、目立つようにしっかり書かれている。

  それでも「ほんとうにこまっている人がいたら親切にしてあげたい」
  「悪い人より良い人のほうがずっと多いはずだよ」と感じたあなた。
  それはまちがいではありません。
  そのやさしい心はもちつづけてください。
  そして、この本を読んで、どうしたら安全に、親切にできるかを、
  お父さん、お母さんといっしょに考えてみましょう。

いやな時代であるが、こういう時代であることに文句を言っても仕方がない。
人間は、怖いものである。怖いだけのものではない、のだが。

この時代だけの問題とも思えない。
「子供の身は昔から危険にさらされていたのが、問題にされていなかっただけ」という見方もある。
ずっと昔なら「神隠し」と言われていたような失踪者の大半は今なら「誘拐事件」「行方不明者」なのだろう。

長女は来年、小学校にあがる。
登下校の安全をどうやって確保するか、が当面の問題になるだろう。

(文中、引用はすべて岩崎書店「Say “No!” “やめて!”といおう」より)
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「あなたがだいすき」という絵本

2005-10-16 03:11:34 | 
当直(24時間職場!)明けの土曜日。
一晩子供たちの顔を見ないですごすと、子供たちが特に可愛く見える。
なのに夕方からまた仕事がらみの会合に行かなくてはならない。
帰ってくる頃には子供たちは寝ているだろう。
せめて、昼寝の寝かしつけにはつきあってやりたい。

ということで、ルル(末っ子、2歳男)に添い寝して絵本を読んであげることにした。
どの本がいい?と尋ねたら「だいすき、だいすき」と言う。
・・・そうかアレか、と散らかった本棚から探し出した。
ポプラ社の絵本「あなたがだいすき」(鈴木まもる著)である。
2歳程度の子供にお勧めの本であるが、4歳、6歳の姉たちもこの本が好きである。

最初の部分を引用させてもらう。

  わたしは あなたが だいすきです
  せかいで いちばん あなたが だいじ
  あさも ひるも よるも あなたと いっしょ
  いつでも あなたを まもって あげる

こんな調子の一行ごとに、一ページ。
見開きの向かいページには動物(象、カンガルー、熊、猫、鳩など)に抱かれた子供が描かれている。
男の子とも女の子ともつかないような幼い子供。
その子が象の鼻に抱かれていたり、カンガルーのお腹のポケットに入っていたり、
鳩の翼の下で気持ちよさそうに目を閉じている絵である。

ただし、出てくるのは優しげな動物ばかりではない。
ピューマ(チーター?)に乗って走る、鷲の足に乗って飛ぶ子供も描かれる。
きわめつけは恐竜。ティラノサウルスの額に乗っている子供。
ルルは絵本の子供に自分を重ねてみているようだ。

最後の見開きページだけは、動物が出てこない。
子供を抱いているのは、ふくよかな女性。母親、ということであろう。
「とくべつ わたしは あなたが だいすき」という。
このページを読むときはいつも子供をぎゅっと抱きしめることにしている。
(上の子たちに読むときも。)
子供たちも喜んで抱きついてくる。そういう気分にさせる本なのだ。

ほんわかふんわりしたムードの絵に、甘い甘い文章。
母親にとっても、子にとっても、ヤバい麻薬のような絵本だよなぁ、と思う。

できるだけ優しい声で読みながら、心の中には矛盾した思いも出てくる。
「こんなの嘘っぱちだよなぁ」と。
「朝も昼も夜もあなたと一緒」だと?そんな日は週に1回あればいい方だ。
今日だって、この本を読み終わってルルが寝たら私は家を出なくてはならない。
目を覚まして、母がいないと気づいたらルルはどんな気持ちになるだろう。
・・・などということは極力考えたくないのだが。

この絵本を2回読んで「もう寝なさい」と言ったらルルは泣いて抵抗した。
眠りたくなかったらしい。が、泣きながら声が眠そうな声に変わっていく。
泣きながらではあったが、30分後、ルルは熟睡した。
家を出なくてはならない時間になっていたので、急いで支度をして出た。

本の話に戻す。
人間としては、絶対にありえないような愛を語る絵本、ともいえる。
(だから動物が次々に登場するのかな?)
幻想、非現実、ファンタジーの世界だが、絵本だから、これでいいのであろう。

子供は、世界から愛されているかのように錯覚していてもいいと思う。
そうすることによって(お返しのように)世界を愛することを学ぶだろう。

しかし成長するにつれて、その愛が錯覚であることに気づくはずだ。
世界から愛されていないことを知っても、絶望しないでくれることを親として願う。
心の底で自分を肯定する気持ちを、持ち続けて欲しい。
他に愛される存在から、他を愛する存在へと変わっていくためにも。
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「ほめるな」という本

2005-03-31 22:55:20 | 
久しぶりに本屋に行き、たまたま見かけた本を買って、読んだ。
タイトルは一語。

『ほめるな』
(伊藤進 著、講談社現代新書 税別定価700円。以下『』内はその本からの引用。)

子供は「ほめて育てる」という時代に、このタイトルが気に入って、買った。
「子供はとにかくほめる」のが正しい育て方、といわれることが多い上、ほめられるのは気分が良いことでもあるから、子供をできるだけ気分良くすごさせるためにも努力し、今では習慣のように「おりこうね」「えらいね」などとほめ言葉がすらすら口から出てくるようになってしまっている。
・・・しかし、私自身は、ほめられることに複雑な感情を持っている。
(だからこのタイトルの本につい、手が出た。)
上に「ほめられるのは気分が良いことでもあるから」と書いたが、自分自身のことを考えると、気分良くほめてもらえることは滅多にない。
上手に(?)ほめてもらえると嬉しいが、そういうことはまれである。
安易な「ほめ言葉」には内心、腹が立つことさえ少なくないのだが、ほめられている立場では不機嫌な顔もできず、曖昧な対応をするしかなくて、居心地が悪い思いをしてばかり。
それは「相手のほめ方が下手なせいだ」とこれまでは思っていた。

・・・違うのだ。
この本を読んでわかった。
「ほめられても嬉しくない」と感じることが多い人は、この本を読むべきだろう。

そして。
子供を安易にほめるのはやめよう、と思った。
中に『心からほめることまで否定しているのではない』という章があった。
逆に言えば「心から」ではないほめ言葉は、私が軽蔑している「うわっつらだけの人間関係」なのだ。相手の人間性に触れることがないのに、あたかもそうであるかのように表面上、取り繕った人間関係を私は軽蔑する。

必要なのは『真の愛情』だという。
しかし、人は人、特に他者(自分の子供だってもちろん、他者だ)に真の愛情を持てるのか、というのは私の一生の疑問でもあるぞ。
『無償の愛、やさしさと厳しさを兼ねそなえた愛情、そしてひとりの人間として尊重する愛情』の三条件を満たしたものが「真の愛情」とこの本は書いているが、この三条件を満たすのは容易じゃない。
決して容易じゃないが、目標とするには、悪くない。
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