久しぶりに本屋に行き、たまたま見かけた本を買って、読んだ。
タイトルは一語。
『ほめるな』
(伊藤進 著、講談社現代新書 税別定価700円。以下『』内はその本からの引用。)
子供は「ほめて育てる」という時代に、このタイトルが気に入って、買った。
「子供はとにかくほめる」のが正しい育て方、といわれることが多い上、ほめられるのは気分が良いことでもあるから、子供をできるだけ気分良くすごさせるためにも努力し、今では習慣のように「おりこうね」「えらいね」などとほめ言葉がすらすら口から出てくるようになってしまっている。
・・・しかし、私自身は、ほめられることに複雑な感情を持っている。
(だからこのタイトルの本につい、手が出た。)
上に「ほめられるのは気分が良いことでもあるから」と書いたが、自分自身のことを考えると、気分良くほめてもらえることは滅多にない。
上手に(?)ほめてもらえると嬉しいが、そういうことはまれである。
安易な「ほめ言葉」には内心、腹が立つことさえ少なくないのだが、ほめられている立場では不機嫌な顔もできず、曖昧な対応をするしかなくて、居心地が悪い思いをしてばかり。
それは「相手のほめ方が下手なせいだ」とこれまでは思っていた。
・・・違うのだ。
この本を読んでわかった。
「ほめられても嬉しくない」と感じることが多い人は、この本を読むべきだろう。
そして。
子供を安易にほめるのはやめよう、と思った。
中に『心からほめることまで否定しているのではない』という章があった。
逆に言えば「心から」ではないほめ言葉は、私が軽蔑している「うわっつらだけの人間関係」なのだ。相手の人間性に触れることがないのに、あたかもそうであるかのように表面上、取り繕った人間関係を私は軽蔑する。
必要なのは『真の愛情』だという。
しかし、人は人、特に他者(自分の子供だってもちろん、他者だ)に真の愛情を持てるのか、というのは私の一生の疑問でもあるぞ。
『無償の愛、やさしさと厳しさを兼ねそなえた愛情、そしてひとりの人間として尊重する愛情』の三条件を満たしたものが「真の愛情」とこの本は書いているが、この三条件を満たすのは容易じゃない。
決して容易じゃないが、目標とするには、悪くない。
タイトルは一語。
『ほめるな』
(伊藤進 著、講談社現代新書 税別定価700円。以下『』内はその本からの引用。)
子供は「ほめて育てる」という時代に、このタイトルが気に入って、買った。
「子供はとにかくほめる」のが正しい育て方、といわれることが多い上、ほめられるのは気分が良いことでもあるから、子供をできるだけ気分良くすごさせるためにも努力し、今では習慣のように「おりこうね」「えらいね」などとほめ言葉がすらすら口から出てくるようになってしまっている。
・・・しかし、私自身は、ほめられることに複雑な感情を持っている。
(だからこのタイトルの本につい、手が出た。)
上に「ほめられるのは気分が良いことでもあるから」と書いたが、自分自身のことを考えると、気分良くほめてもらえることは滅多にない。
上手に(?)ほめてもらえると嬉しいが、そういうことはまれである。
安易な「ほめ言葉」には内心、腹が立つことさえ少なくないのだが、ほめられている立場では不機嫌な顔もできず、曖昧な対応をするしかなくて、居心地が悪い思いをしてばかり。
それは「相手のほめ方が下手なせいだ」とこれまでは思っていた。
・・・違うのだ。
この本を読んでわかった。
「ほめられても嬉しくない」と感じることが多い人は、この本を読むべきだろう。
そして。
子供を安易にほめるのはやめよう、と思った。
中に『心からほめることまで否定しているのではない』という章があった。
逆に言えば「心から」ではないほめ言葉は、私が軽蔑している「うわっつらだけの人間関係」なのだ。相手の人間性に触れることがないのに、あたかもそうであるかのように表面上、取り繕った人間関係を私は軽蔑する。
必要なのは『真の愛情』だという。
しかし、人は人、特に他者(自分の子供だってもちろん、他者だ)に真の愛情を持てるのか、というのは私の一生の疑問でもあるぞ。
『無償の愛、やさしさと厳しさを兼ねそなえた愛情、そしてひとりの人間として尊重する愛情』の三条件を満たしたものが「真の愛情」とこの本は書いているが、この三条件を満たすのは容易じゃない。
決して容易じゃないが、目標とするには、悪くない。