今日から、2泊3日で出張。月1回は出張に行ってる感じだ。
子供を置いて出張に行くことができるのは、ひとえに亭主殿のおかげ。
1,3,5歳の3人の子をよくぞ一人でみて下さる、と思う。
でも本人にそれを言うと「いつもと変わらない」という答えが返ってくる。
・・・こう言われると、ちょっといじけモードに入りたくなる?。
私がいてもいなくても同じってこと?って。
いや確かに。
毎日のように、食事を作ったり子供に食べさせたり食器を洗ったり保育園バッグの用意をしたり、亭主殿には本当にお世話になっている。
だから私がいなくても日常生活には困らないのは事実だろう。
・・・なんか書いてて悲しくなって来た。
ええい。
生活には困らなくても、いなくてもいい、というのとは違うよな、と自分に言い聞かせる。
子供達を、大好きって言葉に出して抱きしめてあげたい。
身体の具合が悪くないか、本人が訴える前に気づいてあげたい。
一日が終わる時には楽しい日だったか、いやなことがなかったか、わかってあげたい。
亭主殿にしても、そうだ。
子供達を寝かしつけたあと、保育園に送りだしたあと、少しだけと話ができる時間がある。
仕事のことや子供のこと、そんなごくごく日常的なことを話すだけ。話はちょこっとで、ただ一緒にいるだけ、ってことさえある。亭主殿はコーヒー飲んでて、私は新聞読んでて、みたいな。
でも、時々そういう時間がとれない日があって、そうすると私は一日、ちょっとだけ何かが欠けたような気持ちのままで過ごすことになる。
子供がいる時にそういう話をすることもあるけど(それはそれで一部は補われるけど)短くてもいいから二人だけで一緒の空気を吸ってる時間が欲しい。
自分の大切な人、いつもと同じ人、と一緒の空気を吸う。
それだけで、何か自分の中に欠けていたものを補うような、こごえた手を暖かいお湯に浸すような、そんな満足感、充実感、幸福感とさえいえるようなものを味わうことができる。
誰かと一緒に暮らしてるってこういうことか、と思う。
きっと世界中のあちこちで、家族で、恋人達で、共同生活者で、そういうのを味わってる人たちがいるに違いない。
出張に行くのは、適度な緊張感があるし大きな気分転換にはなる。
けれど、そういう、いつもと同じ人と一緒の空気を吸えなくなるのがさびしい。
せめてもの代替として電話で話したりはするけど、ね。