まず、ハードだったここ数日のことから話は始まる。
26日は保育園のお弁当会だった。
日頃、料理をしない私が弁当を作るのでいつもお弁当会の朝は5時に起きるのだが、その日は緊張もあって3時に目が覚めてしまい、もう寝ることもできず、弁当を作った。
そのまま仕事に行き、夜まで仕事をし、帰宅したのは深夜11時半。
翌27日は出張で、午前中は普通に仕事をし、午後から自家用車を運転して出張先に行き、その足で空港にむかい、東京のホテルに着いたのは夜10時半だった。
ホテルでは20年ぶりに会った友達と一緒に泊まり、話し込んで、睡眠時間4時間。
28日は午前午後と東京で会議。
午前中の会議は一睡もしなかった(できないような会議だった)が、午後の会合は何度か気を失って(苦笑)いた。
会合が予定時刻に終了せず、帰りの飛行機に間に合わせるために駅まで走った、走った。
・・・という感じで、羽田空港に着いた時にはもう疲れきっていた。
そして、携帯電話をトイレに置き忘れてしまったのだ。
トイレの個室でコートを脱ぎ、預ける荷物の中にコートを入れる前にポケットから携帯をとりだした。
それから携帯に関する記憶がない。
荷物を預ける時に気づき、急いでトイレに戻ったが、既になくなっていた。
10分もたっていないはずだ、と近くのインフォメーションデスクで尋ねてみたが届けなどはない。
しかたなく、その場で遺失物届けの書類を出し、飛行機に乗りこんだ。
疲れも加わって気分は真っ暗である。
飛行機の中で寝て、更に車を運転すること1時間半、自宅に着いたのは深夜12時をすぎていた。
携帯を悪用されたらどうしよう、などという悪い想像はできるだけしないことにして・・・
翌29日の朝、携帯電話会社に利用停止手続きのため電話をした。
土曜日の保育園は午前保育である。
お昼に迎えに行った車の中で、ルル(第3子、男、1歳5ヶ月)が寝てしまった。
家に着いたので姉二人を車からおろし、私はそのままルルの隣でシートを倒して寝ていた。
そしたら、家に電話がかかってきたらしい。(私は寝ていたので気づかなかった。)
羽田空港の遺失物担当からだった。携帯電話がみつかったという。
こちらから羽田空港遺失物担当に電話をかけ直した。
特徴などを尋ねられたので答え、間違いない、ということで着払いで送ってもらうことになった。
届けてくれた人にお礼をしたいと思ったが、名前や住所などはわからない、という。
この社会には、良い人がいるのだ。
名前もわからない、良い人と、こんな風に縁があったのは幸せなことだ。
26日は保育園のお弁当会だった。
日頃、料理をしない私が弁当を作るのでいつもお弁当会の朝は5時に起きるのだが、その日は緊張もあって3時に目が覚めてしまい、もう寝ることもできず、弁当を作った。
そのまま仕事に行き、夜まで仕事をし、帰宅したのは深夜11時半。
翌27日は出張で、午前中は普通に仕事をし、午後から自家用車を運転して出張先に行き、その足で空港にむかい、東京のホテルに着いたのは夜10時半だった。
ホテルでは20年ぶりに会った友達と一緒に泊まり、話し込んで、睡眠時間4時間。
28日は午前午後と東京で会議。
午前中の会議は一睡もしなかった(できないような会議だった)が、午後の会合は何度か気を失って(苦笑)いた。
会合が予定時刻に終了せず、帰りの飛行機に間に合わせるために駅まで走った、走った。
・・・という感じで、羽田空港に着いた時にはもう疲れきっていた。
そして、携帯電話をトイレに置き忘れてしまったのだ。
トイレの個室でコートを脱ぎ、預ける荷物の中にコートを入れる前にポケットから携帯をとりだした。
それから携帯に関する記憶がない。
荷物を預ける時に気づき、急いでトイレに戻ったが、既になくなっていた。
10分もたっていないはずだ、と近くのインフォメーションデスクで尋ねてみたが届けなどはない。
しかたなく、その場で遺失物届けの書類を出し、飛行機に乗りこんだ。
疲れも加わって気分は真っ暗である。
飛行機の中で寝て、更に車を運転すること1時間半、自宅に着いたのは深夜12時をすぎていた。
携帯を悪用されたらどうしよう、などという悪い想像はできるだけしないことにして・・・
翌29日の朝、携帯電話会社に利用停止手続きのため電話をした。
土曜日の保育園は午前保育である。
お昼に迎えに行った車の中で、ルル(第3子、男、1歳5ヶ月)が寝てしまった。
家に着いたので姉二人を車からおろし、私はそのままルルの隣でシートを倒して寝ていた。
そしたら、家に電話がかかってきたらしい。(私は寝ていたので気づかなかった。)
羽田空港の遺失物担当からだった。携帯電話がみつかったという。
こちらから羽田空港遺失物担当に電話をかけ直した。
特徴などを尋ねられたので答え、間違いない、ということで着払いで送ってもらうことになった。
届けてくれた人にお礼をしたいと思ったが、名前や住所などはわからない、という。
この社会には、良い人がいるのだ。
名前もわからない、良い人と、こんな風に縁があったのは幸せなことだ。