今回は完全に趣味のゲームの話ですので、興味がない方はスルー願います。
新・暗黒竜のエンディングを迎えた。
初期のファイアーエムブレムのファン(いや、ファンというよりは完全なマニア)で、
それも第一作である「暗黒竜と光の剣」を偏愛してきた者としては
「リメイクに期待できるか!」という気持ちがどうしてもあった。
でもWebで画面を見たら、懐かしい気持ちが溢れてきて。
やっぱ、やってみるしかないだろう、ということで予約、購入。
子供を寝かしつける時間を利用してチマチマと進めて。
昨日、とりあえずのノーマルモードで無事にエンディングまでたどりついた。
新しく加わったオープニング(序章)についてはノーコメント。
マルスなどなどの顔グラフィックについてもノーコメント。
でも、これだけは、ノーコメントで通せないので書いておきたい。
マルスのファルシオンで、メディウスを倒すことができなかったのだ。
これは、ものすごく悔しい。
私はずっとマルスのファルシオンでメディウスを倒すことを定石としてきた。
か弱い王子を、打倒地竜王を目標に成長させ、小柄な身体に輝く光の剣を持たせ、
巨大なメディウスにとどめを刺させていたのだ。
もちろんマルス一人の力ではなく、仲間の助けを借りて、ではあったが。
なのに…まずシーダに持たせた最終兵器、大地のオーブがメディウスに無効。
グラディウスとパルティアでメディウスを弱らせた後も、ファルシオンの攻撃1回ではメディウスのHPを大きく削るだけで、倒すには至らない。
そのあと、メディウスの2回攻撃があたればマルスが死ぬことが予測された。
そんなリスクは冒せない。
結局、ゴードンのパルティアとミネルバのグラディウスでメディウスのHPを削り、
とどめを刺したのは神竜・チキ。
神竜VS地竜の戦いというマムクート一族の争いでこの戦争を締めていいのか…。
ファルシオンなし、グラディウスやメリクルでメディウスを倒す夫を「邪道!」とからかってきたのに…あ~あ。
いちおう、反省してみる。
マルスの育て方が悪かった、のか?
レベル19だが剣レベルB、メリクルすら使えないマルスである。
天使の衣やその他の強化グッズをもっとたくさん、マルスに使うべきだったか。
24章からやり直してみようっと。
一巡してみて、一番楽しかったのは「決戦マケドニア」のマップだった。
スーファミ版では削られたこのマップは、私の大好きなマップの一つである。
序盤から圧倒的移動力で攻撃してくる敵に対し、守りを固め、機をみて守勢から攻勢に転じる。
堪えに堪えれば、確実な勝利が待っている、このマップは本当に楽しい。
あと、個人的に気にくわなかった変更点は、ブラックナイツ・カミユが城を守ってなかったこと(あのカミユがロレンスに城の守りを任せて遊撃するなんて、彼の騎士としてのあり方を考えると、あわないと思うんだが…)と、逆にミシェイルが城に留まって遊撃しなかったこと(あのミシェイルがおとなしく城を守ってるなんて、彼の僭王としてのあり方を考えると…以下同文)。
敵ながら天晴れの二人だったはずが、男を下げたような気がする。
いろいろ書いていくとキリがないので、この話はここまで。
PS:あと一つだけ。
「亡国の王子マルスの物語」ってキャッチフレーズは、やめて欲しい。
「亡国」って辞書を調べると
(1)国をほろぼすこと。
「―論」「―の徒」
(2)ほろんだ国。また、ほろびようとしている国。
もちろん(2)の意味で使ってるつもりなんでしょうけど、「亡国の王子」って素直に読むと(1)の意味にとれるじゃないか。マルスへの侮辱だ~~。
確かに、マルスの故国(アリティア)は亡ぼされた状態からゲームは始まるけど、マルスの、そしてゲームの目的はその国(アリティア)の再興じゃないんだし。
ゲームの本筋を誤解している、キャッチフレーズだと思うぞ。
新・暗黒竜のエンディングを迎えた。
初期のファイアーエムブレムのファン(いや、ファンというよりは完全なマニア)で、
それも第一作である「暗黒竜と光の剣」を偏愛してきた者としては
「リメイクに期待できるか!」という気持ちがどうしてもあった。
でもWebで画面を見たら、懐かしい気持ちが溢れてきて。
やっぱ、やってみるしかないだろう、ということで予約、購入。
子供を寝かしつける時間を利用してチマチマと進めて。
昨日、とりあえずのノーマルモードで無事にエンディングまでたどりついた。
新しく加わったオープニング(序章)についてはノーコメント。
マルスなどなどの顔グラフィックについてもノーコメント。
でも、これだけは、ノーコメントで通せないので書いておきたい。
マルスのファルシオンで、メディウスを倒すことができなかったのだ。
これは、ものすごく悔しい。
私はずっとマルスのファルシオンでメディウスを倒すことを定石としてきた。
か弱い王子を、打倒地竜王を目標に成長させ、小柄な身体に輝く光の剣を持たせ、
巨大なメディウスにとどめを刺させていたのだ。
もちろんマルス一人の力ではなく、仲間の助けを借りて、ではあったが。
なのに…まずシーダに持たせた最終兵器、大地のオーブがメディウスに無効。
グラディウスとパルティアでメディウスを弱らせた後も、ファルシオンの攻撃1回ではメディウスのHPを大きく削るだけで、倒すには至らない。
そのあと、メディウスの2回攻撃があたればマルスが死ぬことが予測された。
そんなリスクは冒せない。
結局、ゴードンのパルティアとミネルバのグラディウスでメディウスのHPを削り、
とどめを刺したのは神竜・チキ。
神竜VS地竜の戦いというマムクート一族の争いでこの戦争を締めていいのか…。
ファルシオンなし、グラディウスやメリクルでメディウスを倒す夫を「邪道!」とからかってきたのに…あ~あ。
いちおう、反省してみる。
マルスの育て方が悪かった、のか?
レベル19だが剣レベルB、メリクルすら使えないマルスである。
天使の衣やその他の強化グッズをもっとたくさん、マルスに使うべきだったか。
24章からやり直してみようっと。
一巡してみて、一番楽しかったのは「決戦マケドニア」のマップだった。
スーファミ版では削られたこのマップは、私の大好きなマップの一つである。
序盤から圧倒的移動力で攻撃してくる敵に対し、守りを固め、機をみて守勢から攻勢に転じる。
堪えに堪えれば、確実な勝利が待っている、このマップは本当に楽しい。
あと、個人的に気にくわなかった変更点は、ブラックナイツ・カミユが城を守ってなかったこと(あのカミユがロレンスに城の守りを任せて遊撃するなんて、彼の騎士としてのあり方を考えると、あわないと思うんだが…)と、逆にミシェイルが城に留まって遊撃しなかったこと(あのミシェイルがおとなしく城を守ってるなんて、彼の僭王としてのあり方を考えると…以下同文)。
敵ながら天晴れの二人だったはずが、男を下げたような気がする。
いろいろ書いていくとキリがないので、この話はここまで。
PS:あと一つだけ。
「亡国の王子マルスの物語」ってキャッチフレーズは、やめて欲しい。
「亡国」って辞書を調べると
(1)国をほろぼすこと。
「―論」「―の徒」
(2)ほろんだ国。また、ほろびようとしている国。
もちろん(2)の意味で使ってるつもりなんでしょうけど、「亡国の王子」って素直に読むと(1)の意味にとれるじゃないか。マルスへの侮辱だ~~。
確かに、マルスの故国(アリティア)は亡ぼされた状態からゲームは始まるけど、マルスの、そしてゲームの目的はその国(アリティア)の再興じゃないんだし。
ゲームの本筋を誤解している、キャッチフレーズだと思うぞ。
私の両親が我が家の近くに住むことになり、両親にとっての孫、つまり私の子供たちと接する時間が増えた。
それは良いことなのだが、子供の「しつけ」に関してちょっと問題が生じて。
私の父(70代)は、愛情深く私たちを育ててくれた親であるが、怒った時には厳しく、私は叩かれ殴られ平手打ちされて育った。
それが父の「しつけ」ということだったようだ。
子供であった私は、優しい時の父は大好きだったが、突然、怒り出す短気な父は嫌いだったし、父の暴力が恐ろしく怖くてたまらなかった。
しかし中学生ともなり反抗期に入ると「私が悪いから叩かれたのだ、反省して自分を変えよう」とはもう決して思えなかった。
当時の自分の心情を再現すると以下のようになるかもしれない。
「父が短気で自分の感情と怒りの衝動を制御できないだから私は叩かれた。
すっごく痛い上に、叩かれるということそのものが、私には屈辱的だ。
こんな父に屈してなるものか。
父の感情に従う義務など私にはない。
表面上だけ従ったフリをして、この場をやりすごそう。
反省しているフリで十分。もっともっと私には演技力が必要だ。」
という具合で、全然反省などしていなかった。
17歳の時に父に口答えした際に頬を平手打ちされたのが最後で、それ以降はなかったが、その最後のビンタは当時の私に家を出る決意を固めさせた。
家を出る、といっても家出などという短絡的衝動的な方法ではない。
父が望む職業に就くための進学という、父も認めざるをえない手段で、私は父の経済的庇護からは抜けないまま、父の暴力的な「しつけ」から逃げた。
・・・という具合で、私は父の「しつけ」と称した暴力行為を心から憎んでいる。
そして現在。
父は年老いても同じような暴力を自分の孫、つまり私の子供たちにもふるう。
悪いことをしたら「頭をゲンコツで叩く」「お尻を叩く」などなど。
それくらい、たいしたことじゃない?
いやいや。
老いた父に叩かれるルルの姿は、昔、父に叩かれていた子供時代の私を呼び覚ます。
少なくとも私は見ていて非常に不快だし、いきなり叩く、というのは昔のしつけ方法、だと思う。
あの時代の軍隊の鉄拳制裁的指導法が、子供のしつけ方にまで浸透していたのではないか。
愛情があればゲンコツでぶんなぐってもいい、と私は思えない。
いきなり殴られて子供が感じるのは「痛み」と「恐怖」である。
そんな「しつけ」は間違っている。
ということで、ルルを叩いた直後の父に今どきの「叩き方」を指導した。
「いきなり叩いたら幼児虐待と変わらないよ。
昔はそれでよかったのかもしれないけど、
今はそんなのは『しつけ』って言わない。
教育目的で叩くのならば、自分の感情の発露として
いきなり叩くんじゃなくて、まずは言葉で注意してよね。
『今、すっごくお行儀の悪いことしたな。次に同じことしたら叩くぞ』
と言葉で注意し、もしまた同じことしたら、叩いて。」
・・・と言ったら、父は無言で居間を出て行き、寝室にこもってしまった。
しばらくして、何事もなかったかのように寝室から出てはきたが。
娘である私にこんな指導をされるのも父にとっては面白くないだろう。
しかし、この点について私は譲る気はないし、父の暴力的「しつけ」を容赦するつもりもない。
その後は、いちおう、父が孫を叩く姿はみられなくなった。
それは良いことなのだが、子供の「しつけ」に関してちょっと問題が生じて。
私の父(70代)は、愛情深く私たちを育ててくれた親であるが、怒った時には厳しく、私は叩かれ殴られ平手打ちされて育った。
それが父の「しつけ」ということだったようだ。
子供であった私は、優しい時の父は大好きだったが、突然、怒り出す短気な父は嫌いだったし、父の暴力が恐ろしく怖くてたまらなかった。
しかし中学生ともなり反抗期に入ると「私が悪いから叩かれたのだ、反省して自分を変えよう」とはもう決して思えなかった。
当時の自分の心情を再現すると以下のようになるかもしれない。
「父が短気で自分の感情と怒りの衝動を制御できないだから私は叩かれた。
すっごく痛い上に、叩かれるということそのものが、私には屈辱的だ。
こんな父に屈してなるものか。
父の感情に従う義務など私にはない。
表面上だけ従ったフリをして、この場をやりすごそう。
反省しているフリで十分。もっともっと私には演技力が必要だ。」
という具合で、全然反省などしていなかった。
17歳の時に父に口答えした際に頬を平手打ちされたのが最後で、それ以降はなかったが、その最後のビンタは当時の私に家を出る決意を固めさせた。
家を出る、といっても家出などという短絡的衝動的な方法ではない。
父が望む職業に就くための進学という、父も認めざるをえない手段で、私は父の経済的庇護からは抜けないまま、父の暴力的な「しつけ」から逃げた。
・・・という具合で、私は父の「しつけ」と称した暴力行為を心から憎んでいる。
そして現在。
父は年老いても同じような暴力を自分の孫、つまり私の子供たちにもふるう。
悪いことをしたら「頭をゲンコツで叩く」「お尻を叩く」などなど。
それくらい、たいしたことじゃない?
いやいや。
老いた父に叩かれるルルの姿は、昔、父に叩かれていた子供時代の私を呼び覚ます。
少なくとも私は見ていて非常に不快だし、いきなり叩く、というのは昔のしつけ方法、だと思う。
あの時代の軍隊の鉄拳制裁的指導法が、子供のしつけ方にまで浸透していたのではないか。
愛情があればゲンコツでぶんなぐってもいい、と私は思えない。
いきなり殴られて子供が感じるのは「痛み」と「恐怖」である。
そんな「しつけ」は間違っている。
ということで、ルルを叩いた直後の父に今どきの「叩き方」を指導した。
「いきなり叩いたら幼児虐待と変わらないよ。
昔はそれでよかったのかもしれないけど、
今はそんなのは『しつけ』って言わない。
教育目的で叩くのならば、自分の感情の発露として
いきなり叩くんじゃなくて、まずは言葉で注意してよね。
『今、すっごくお行儀の悪いことしたな。次に同じことしたら叩くぞ』
と言葉で注意し、もしまた同じことしたら、叩いて。」
・・・と言ったら、父は無言で居間を出て行き、寝室にこもってしまった。
しばらくして、何事もなかったかのように寝室から出てはきたが。
娘である私にこんな指導をされるのも父にとっては面白くないだろう。
しかし、この点について私は譲る気はないし、父の暴力的「しつけ」を容赦するつもりもない。
その後は、いちおう、父が孫を叩く姿はみられなくなった。