4年周期の証明 日本のサッカー大好き!

サッカーについて語るときに私の語ること サッカー大好き ジャパンフットボールで一期一会 記事上ノくーろん者。

数分後

2005年06月05日 12時05分11秒 | その他
日本代表の公式の国際試合後にピッチにあがれることなんて今後あるだろうか。もちろん一サポーターが試合後であってもピッチに上がるなんてモラルを害しているのは百も承知だ。しかしそんなレッテルを貼られたとしても、日本では間違いなく不可能な事を見過ごす事はできなかった。
ほとんどのサポーターは席から近かったアウェイ側ゴールに集まっていたが、少数はベンチまで足を運んだ。そして僕はそれ以上に数がすくないホーム側のゴールへ向かった。
つい数十分前まで日本代表が駆け回り、1時間程前小笠原のシュートが突き刺さったゴールである。この中東の海に浮かぶ小さな島国での記憶は一生消えないだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハラ-ス

2005年06月05日 11時44分51秒 | その他
○17時54分 成田着
強い追い風の為予定より1時間早く日本につく。
成田を出て電車に載ると雨が降り始めた。もしこれが敗戦での帰国だったら・・・とイラン戦を思い出すと本当に勝ってよかったと思った。
8日はタイに向かう事はないが、日本の勝利で決め、コンフェデに向かい、8月のイラン戦に勝利し、最終予選1次通過で再びドイツに立ってほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マアッ・サラ-マそしてシュクラン

2005年06月05日 11時43分55秒 | その他
○21時40分(日本時間3時40分) 試合終了後、選手がサポーターへ向かってくる。サポーターのモチベーションはさらに過熱。バーレーンサポーターからのペットボトルの押収も止まない。
日本人の退出許可が降りる。すると、ピッチに現地の男の2人が入り込みサッカーを始めているのに気付く。また観戦者出入口がピッチ側にあるため数名の日本サポーターがピッチへ。その後は我も先にとピッチへ流れ込み撮影を行う。まわりのバーレーン関係者はとくに動く事もなく見守っている。
1時間程の後、日本JFA関係者に促され、それぞれのバスへ移動。
○22時20分(日本時間4時20分) バスでスタジアムを出発。
べとべとの身体、ビショビショのTシャツ。シャワーが恋しい。
○23時(日本時間5時) バーレーン国際空港に到着。手続きをすませそれぞれお土産ものを買いに走り回る。空港でもアナウンスは日本語で流れた。このツアー特別なのだろうか。イラン程物価が安くなかったため、持ち込んだBD、米ドル全て使いきってしまった。レジで1ドル分たりなくなってしまい、クレジットカードで払うと言うとまけてくれた。これにかぎったことではないが、イランも同様に中東の人たちは気さくな人が多そうだ。
○4日(土)1時50分(日本時間7時50分) 成田へ出発。登場ゲートでチケットを出すと手で切り離され、大きい方の半券を渡されて驚いた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バーレーンVS日本

2005年06月05日 11時41分52秒 | 観戦記
2006年FIFAワールドカップ
アジア地区最終予選B組
バーレーンVS日本
19時35分キックオフ 気温36度 湿度50パーセント強
約3万人収容
日本人サポーター約2000名
(約1200+在留約800)

選手ウォーミングアップが始まると中田は1人、アンダーウェアで足下のボール回しを中心にアップを続ける。露出された肌は流れ出る汗で輝いている。
メンバー紹介、国歌斉唱の案内等日本語のアナウンスが流れる。
○19時35分(日本時間25時35分) キックオフ
サントスのドリブルは3枚の壁に阻まれ、柳沢への高いロングボールは長身のディフェンダーに弾かれる。日本は攻撃を仕掛けるもシュートまで及ばない。
バーレーンは4バック2ボランチ、6枚の壁で侵入者を許さない。
加地が右サイドで上がる場面も、仲間の顔出しがなくスペースを作ってしまう。
24分 中村のパスを受けたサントスがゴールエリアで倒されるが笛はならず。自ら捕られたボールを奪い返し、再びゴールエリアで足をかけられ倒され、今度は主審が笛をならす。しかし結果はサントスの「シミュレーション」テヘランに続き、バンコクに立つ権利も失う。

中田は福西、宮本と声を掛け合い中盤の意識を統一する。

33分 福西は右サイドがフリーにも関わらず、センターラインまで上がっていた田中へボールを戻す。田中は中村へ縦にパスを送る。中村は素早く後ろに位置する中田へショートパス。中田はやや斜左に移動したの中村へ戻すと中村はヒールでゴールエリア手前にいた小笠原へ送る。小笠原は右へ走り出した中村に合わせず、素早いフェイントでディフェンスのタイミングをずらし、直接ゴール左隅へシュートを放ち日本先制。(0-1)
35分 バーレーンが低い位置からワントップで上がっているフセイン・アリへロングパス、中澤に競り勝ったアリがフリーでシュートを放つが精度の低さからゴール左へ大きくそれる。
44分 サントスのボールを後ろから巧みに奪ったユースフに対し、日本の4バックはプレスをかけずラインを下げフリーにしてしまう。ユースフがタイミングを併せ放ったシュートはドライブをかけ川口が前かがりになった日本のゴールマウスを襲うが数センチのズレからサイドバーへ弾かれる。バーレーンの選手がつめていたがボールに触れ損ない、チャンスを失う。

中田はすぐに加地、中村、小笠原、柳沢に声を投げる。

ロスタイム2分後前半を終える。
後半福西との接触が原因か、要のサルミーンが交代、また右サイドのスピードスター、フバイルもピッチを降りた。ともに2人のFWと交代した。
日本は交代をしない。好調な大黒、稲本はハーフタイムアンダーシャツで汗を出しその時をまつ。

後半に入り、ホームとはいえ暑さからの消耗に走りだしが遅れだしたバーレーン、柳沢のポジショニングにバラツキを見せる。ポジションを3バック、3-5-2に代え中盤からのプレスを強めた。

湿度は50%を超え、ピッチに立つ選手を消耗させていく。

13分 サントスがバーレーンの選手に足をかけてしまう。熱くなりやすい性格から無用なファウルを生み出してしまう。

バーレーンは中田の身体を入れたプレッシングから中々ボールを回す事ができない。

18分 倒されてFKを得たにも関わらず中村がボールを置かなかったため審判が遅延と判断し、笛を拭く。サントスに続き、日本のファンタジスタもバンコクに立つ権利をはく奪される。

ディフェンスの田中がスタミナの消耗による意識の低下からファウルによるボール奪取や空中戦でのタイミングミスを起こす。

24分 相手のボールをカットした中田がイエローを受け、3人目の第5戦出場停止者となる。

28分 田中が疲労の蓄積から足をつるが、ジーコは動かない。

30分 加地が中村とのワンツーで抜け出して渡したパスを柳沢がゴールエイリアで受けた瞬間、ディフェンスに倒されるが審判は試合を流す。

31分 腰を痛め動きが鈍くなった中村に変え中田浩二を投入。ボランチは稲本でよかったのではないだろうか。大黒の投入はない。

32分 柳沢がゴールエリアでDFと1対1の状態で小笠原のパスを受け、前に出たキーパーをかわし絶妙なシュートチャンスを得るも後ろから来た小笠原にパスを出してしまう。小笠原のシュートはディフェンスがクリア。

バーレーンの足は敢然に芝に絡み付き鈍さを露呈し始めたが、日本はパスミス、判断ミスから決定気を逃し続ける。

40分 バックスタンドからペットボトルが降り始める。かなりの数が照明に照らされる。

42分 小笠原に変わり数分タイミングを待たされた稲本がピッチへ。

45分 柳沢とワンツーをつなぎ放った稲本のシュートはゴールを左へそれる。
柳沢に代え玉田を投入。大黒の投入は消えた。

ロスタイム2分も両チーム得点機を作れず終了。

中田は玉田へ言葉をかける。

8日の北朝鮮戦では小笠原を司令塔にしたアントラーズトリオなる意見もあがっている。日本ランド前半のメンバーにサントスが欠けたのみの布陣でジーコの目に狂いがないのであれば、稲本、大黒の先発起用を祈りたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナショナル・スタジアム

2005年06月05日 10時15分54秒 | その他
○17時(日本時間23時) ホテルを出発。バスでミネラルウォーターのペットボトル(冷えておらずぬるま湯状態)が配られたが、今日の試合では飲食物の持ち込みが禁止されているため、中にはもっていけないということだった。暑さの厳しい時間帯を考えるとかなり厳しい。
○17時30分(日本時間23時30分) ホテルから30分程でバーレ-ンナショナルスタジアムに到着。スタジアムに至るまでも、まったく危険を伺わせる事はなく、いたって日本と変わらず到着した。拾い空き地でサッカーをする少年達、公園にあつまる大人達、馬にのるイベント?に参加している大勢の人々、今日の試合の関心度はいかほどなのかと思わせる程だった。しかし、バスの車内テレビでは特別番組が放送されており、スタジオで1人?の男性がVTRと併せて解説をしていた。
バスをおりスタジアム内へ。自分質のバスが遅かったのか、すでに日本サポーター席もだいぶ埋まりかけていた。なんとか席を見つけて座る。ほとんど動かなくても少しづつシャツが汗ばんでいくのかわかる。真後ろには現地日本人の方々の為に「バハレーン日本人会」(?)と特別席が用意されていた。
しばらくすると見慣れた顔の女性達が。往路のJALチャーター便の客室乗務員の方々も日本サポーターエリアに入ってきた。どうやらチケットが確保されていたようだが、その時間すでに席は埋まりつつあったため上段にあがっていった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アッサラ-ム・アライクム

2005年06月05日 10時14分59秒 | その他
○14時25分(日本時間20時25分) 強風の影響もあり予定より30分遅れてバーレーンの首都マナマに到着。税関を潜ると歓迎ムードで迎えられる。小型ラジオ、カーネーション(生花)、みやげのリーフレットを受け取る。すでに到着した報道陣がそれぞれインタビューに勤しむ。外に出ると自然の洗礼を味わう。35度程の暑さらしい。バスはやはりドイツ車だったがイランよりも大きく安心した。(イランで使用されたバスはかなりの年代物だった。)バスに乗り込むも、担当良好会社の添乗員が全員の入国審査に手間取り、20分バスの中で待たされる。その際、車内は地元ツアーコンダクターしかおらず、サポーターの中で英語を話せる方により、なんとか内情を知る。
○15時40分(日本時間21時40分) 市内のホテルに到着。ここでドル、円から現地通貨のバーレーンディナールへ換金。現地日本人コンダクターに訪ねると中東の中でもこの国はお金持ちが多く、物価は日本とあまり変わらないということだった。取りあえず30ドルを10BDに換金した。バイキング形式の食事(中華風)をとり、出発の時間まで休憩。昨日から本格化した風邪の為か、気を抜くと意識が薄れ鼻水がとまらない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アラビア湾の島へ

2005年06月05日 10時13分57秒 | その他
6月3日(金)
○4時 起床
○5時 成田へ。外は雨が止んだばかり、気温は少し低い。15度ほどだろうか。
○6時30分 成田国際空港第2ターミナルビル3階
すでに沢山のサポーターが集まり報道陣が群がっていた。
イラン戦に比べどちらも遥かに数が少ない。昨日300人、今日は700人が2台のチャーター便に載る事になっている。弁当もなくまた決起集会も行われる事はなかった。
○9時17分 予定より17分遅れて成田を出発。早めの予約が功を成したか、2階席、しかも3人並びの席で中の席が空くという座席表だった。(これもイラン戦より少ない事が大きいのかもしれない。)機内で行われたビンゴゲームではアディダスのナイロンバックが当る。幸先のいいスタートだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マナマへ

2005年06月02日 20時11分11秒 | ニュース
明日の今頃はマナマに到着した頃だろうか。日曜から体調がすぐれず、現在も37度の熱が身体から水分を奪い続けている。すでにキャンセルしたところで一銭もかえっては来ない。それが理由でもないが明日はきっとマナマにいるだろう。熱心な?サポーターではないのでタイまで行く気はさらさらないが、いい結果で2戦を終えてほしい。

サッカーのワールドカップ(W杯)アジア最終予選で、バーレーンとアウエーで戦う日本代表のサポーター第1陣が2日夜、成田発の日航チャーター機で出発。
 JTBや西鉄旅行など4社が主催した1泊4日の応援ツアーで、計約300人が参加。3日午前には、同じ4社でジャンボ機2機を貸し切りにした「ゼロ泊」の強行ツアーで約700人が飛び立つ。
 若者のグループが目立つ中、神奈川県秦野市の主婦赤津安江さん(60)は単身でツアーに参加。「勝たせてあげたい。わくわくしています」と笑顔で話した。
 熱心なサポーターはバーレーンから帰国後、すぐバンコクに向かうという男性(24)は「試合を見ることができなくても、競技場の外から声援を送る」と意気込んでいた。
 北朝鮮戦(8日・バンコク)で「パブリックビューイング(PV)」が行われることが1日、決まった。競技場などを使う大規模なPVは国際サッカー連盟(FIFA)とタイ協会から反対されたが、日本協会がタイ協会と話し合いを続け、ホテルの宴会場などを借りての小規模なPV実施が許可された。費用は日本協会持ち。現地の日本人会を中心にファンを集め、無観客試合に臨む日本代表を応援することになる。
 日本協会がすでにおさえている会場は、バンコク市内のホテルの宴会場で、収容人員は1000人と800人の2カ所。機材等のために実際の収容人数はこの半分程度。基本的に日本からバンコクへ渡るファンのためのものではないが、日本人会とも相談して余裕があれば日本からのファンにも開放する。

本番とほぼ同時刻に行われた1日の練習開始時の気温は30度で、湿度は45%。その約2時間後は26度で65%だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小野離脱

2005年06月02日 10時41分55秒 | ニュース
高原についで小野の離脱。新たな柳沢構想。個人的に小野の離脱は中田の前線での活躍に陰を落とす可能性が大きいので手痛いが、ここで稲本の先発からのプレーを期待したい。稲本→大黒、中田英→加地のホットラインには目を見張るものがる。柳沢のプレーには期待していたので、どん欲にゴールを狙って得点に結びつけてほしい。高原はともかく小野の不在は日本ラウンド同様の構想内だろう。善戦の可能性に揺るぎはない。

W杯アジア最終予選第4戦でバーレーンと対戦する日本代表は1日、マナマ(バーレーン)の国立競技場サブグラウンドで初練習を行ったが、主力の小野(フェイエノールト)が紅白戦形式の練習中に右足を痛めて、病院で治療を受けた。フェイエノールトは足の甲を骨折したと公式ホームページで発表。
 フェイエノールトは「6月中旬から始まるコンフェデレーションズカップには出場することができないだろう」としており、3日のバーレーン戦ばかりでなく、8日の北朝鮮戦も含め、長期離脱の見通し。日本代表側は検査結果について現地の2日午前(日本時間同日午後)に発表する。

 練習では柳沢を1トップに置く3―6―1の布陣で、小野に代わって小笠原が中村と中央で並ぶトップ下に入った。中田英は福西と守備的MFを務めた。バーレーン戦は3日午後7時35分(同4日午前1時35分)にキックオフとなる。
 ≪ジーコ構想ピンチ≫2日連続の実戦練習の主力組には、柳沢が1トップに入り、中村と中田英が攻撃的MFに並ぶ陣形。立ち上がりから前日とは見違えるような連係を見せたが、前半10分すぎに突然、小野が右足に違和感を訴え退場。検査のために向かった病院で骨折が判明。早川トレーナーによると、前日から気にしていた部分をひねった可能性があるという。ジーコ監督は中田英を守備的MFに下げ、小笠原を攻撃的MFに入れた。しかし、ゴールに近い位置で中田英の攻撃力を生かすという当初の狙いはぼやけてしまった。攻守の中心選手の負傷で、ジーコ監督が得点力強化を狙って採用した3―6―1の新布陣自体が白紙に戻る可能性さえ出てきた。
 FW柳沢が31日の紅白戦で後半から出場。ゴールこそなかったが中田、中村、小野との連係もピッタリ。3日のバーレーン戦ではFW鈴木に代わって昨年3月以来、1年2カ月ぶりに先発する可能性もありそうだ。
 選手の連動がなく、シュート2本に終わった前半と打って変わり、後半はシュート7本。鈴木に代わって3―4―2―1の1トップに入った柳沢が、素早い動き出し、巧みなスペースメーキングで攻撃を活性化させた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大久保、松井代表復帰

2005年06月01日 18時17分58秒 | ニュース
といっても舞台はコンフェデ。ジーコの低采配でどう活躍できるかは疑問だが期待してみたい。

 そのコンフェデ杯に、スペインリーグでマジョルカ1部残留の救世主となったFW大久保嘉人が登録されていることが分かった。
 ジーコ監督はこれまで代表招集について、「門戸はいつでも開いている。でも順番があるのでしばらく待ってほしい」と話してきた。大久保にとっては、コンフェデ杯でようやく代表復帰の順番が回ってきたということなのだろう。
 大久保は2年前、フランスで行われたコンフェデ杯では高原と2トップを組む代表のレギュラーだった。しかしこの大会では3試合に先発出場してノーゴールに終わっており、そのリベンジに再びコンフェデ杯という舞台を用意したジーコ監督の親心ではあるのだろう。
 また大久保同様、2年前のコンフェデ杯で代表デビューを飾った松井大輔(ルマン)もメンバー登録された。松井もチームの1部昇格のキーマンとなっており、若い2人の代表復帰でコンフェデ杯はニュー・ジーコジャパンのお披露目の舞台ともなりそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする