神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.168  本質と現象

2024-05-13 08:28:41 | 余録

(1)「本質と現象」というと、ずいぶん難しいことを言い出したと思われるかもしれません。では、「天動説と地動説」ならどうでしょうか。
これは、「ともかくそう思われていること」と「本当はどうか」ということです。「見た目(先入観)と本当のこと(真実)」ということです。

(2)少し話を変えましょう。
科学や学問の役割として、未解明なことを解明する(探査・発掘)、説明できなかったことを説明できるようにする(分析)、わかっている(常識)と思われているけれども、間違っていること(偏見・誤謬)だから正すという場合があります。

(3)今日、「天動説」が誤りであることはわかっています。
太陽が東から上がって西に沈むように見えるけど、それはそう見えるだけで、本当は地球が動いている。
とはいえ、「太陽が東から上がるように見える」というのは、それは「現象」ですが、そう見えるというかぎりでは「真実」です。
その理由(本質)が説明できなかったとはいえ、歴史的にはずっと正しいものとされてきて、今も、正しいといわないまでも、生活がそれで動いている場合がみられます。
たとえば、ある地方で、山の残雪が鳥の形や馬の形になったら代掻きをするなどです。

(4)私も、この「現象のすごさ」によく考えさせられます。
科学的には「誤り」とわかっていても、なお、正しいかどうかを忘れさせて(超越して?)そう見させるところです。
 たとえば、「ご来光」や「初日の出」を見て新生を祈るなど、敬虔な気持ち拝んだりするのを見ることがあります。また、夕陽が沈んでいく様を見て、故人や過ぎ去った出来事に思い致すということなどもそうです。

 天動説を知らないわけではなくて、知っているけれども、そのことを忘れさせてしまう、ここに「現象のすごさ」があるからだと思います。 
 夕日を見て「西方浄土」に思いを馳せている人に向かって、「それは天動説だ」とか、「そう見える(主観)のと本当(客観)は違う」といっても話しになりません。

  

(5)こういうことが、経済や財政の場合には、あちこちにあります。
 たとえば、資本はそのままでは動きません。労働者を従業員として雇って工場などを稼働させられるから収益が上がって存続できるのに、資本があると儲けられる、と見えます。
 これは戦前などの地主と小作の関係でもそうです。地主は、小作人がいるから地主でいられるのに、田圃を持っているから地主であるかのように見えるし、そう振舞っていました。
資本は、人が雇われて、動かしてもらえるから機能するわけです。最近の人手不足を見ると、その一端がわかります。
 賃金を給料(昔は現金払い、今は明細書)というのも考えてみれば変なことですが、ふつう、なにかをもらうときと同じように、受け取るときに頭を下げます。しかし、働いた報酬(対価)として受け取るもので、恵んでもらうというものではありませんから、これもリクツの問題としては、おかしいといえばおかしいわkです。

(6)いまの、景気の問題にしても、政府が企業(特に大企業)を優遇した税制を続けてきたために、企業の方には内部留保が積み上がっていって、その一方で国民所得が伸びないばかりか、実質所得が低下の一途をたどってきたために起こっているということが本質です。
 さらに、消費税は国民の福祉のためといいながら、法人税減税や所得税の累進性を弱めるなどの減税の財源として利用するというウソまで言います。
 この先は、軍事のために消費税増税もあり得ますし、現に福祉は圧縮されたり、目減りしています。

  

(7)「本質と現象」というと難しく聞こえますが、要するによく見ることです。
 たとえば、政府が「国民」というとき、自分が入っているかどうか考えてみてください。たいがい、庶民は入っていません。
 でも、手もみしながら「国民のみなさま」とかいうときはまず入っています。その時は、たとえば、「消費税の増税」など、国民に負担を強いる時です。

では。

   





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