神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.167 『資本論』と

2024-05-12 07:56:49 | 余録
    伊那市:清流荘前庭で

(1)きのう『資本論』のゼミに入ったことが出てきました。
もう読んだという人もあるかもしれませんが、これからという人のために、一言だけ書くことにしました。

(2)『資本論』は、元はドイツ語で書かれていますが、これを日本語に翻訳したものがたくさん出版されています。
私が使用したのは、大月書店刊行の「普及版」といわれていたものです。A4判より一回り小さく、第1巻は2分冊になっています。

(3)これまでに、高畠版といわれた戦前の『資本論』から、最近の日本共産党社会科学研究所版『資本論』までいろいろありますが、私は、最初に使用したせいか、大月書店版が取り扱いやすいと思っています。
これは、持ち運びの面(大きさ・厚さ・1冊の分量・活字の大きさなど)からのことです。
内容の面では、一般的には、あとから刊行されたものの方がよいでしょう。訳語・訳し方の問題のほか、注釈のつけ方も見落とせません。
しかし、マルクスが付けた原注を読むだけでも大変です。そのうえに懇切な注釈を読むのは、最初は手間がかかって「ありがた迷惑」なものです。ですから、「付録」ではなくて、本文の方を優先しましょう。

(4)読破に長期間を要するので、辞典を選ぶ時と同様に、自分が取り扱いやすい、読みやすいと思った版、とくに活字の大きさの適当なものを選ぶのがよいと思います。
そして、大筋を理解することを目指し、なにかあれば、ほかの版と照合したり、自分でドイツ語版を読むのがよいでしょう。とくにドイツ語を本格的に勉強したことがなくても、単語をいくつか辞書で引いてみるだけでもわかることがあります。

   

(5)宇佐美ゼミでは、毎週20ページを目安に予習してきて質疑をし、そのあとで先生にコメントをお願いするというかたちですすめました。授業としては、年に30回くらいですが、これで20×30=600ページです。
そのほか、夏や冬の長期休暇に自主的に集まってやり、ふだんより余計に読み進めましたが、第1巻をとりあえず読むというだけでも1年はかかります。
というより、1年後には読み終えられますから、楽しみながら取り組むのが秘訣と思います。
なお、今は各人で簡単に録音ができますが、1970年ころはまだラジ・カセもないころでしたから、大型のテープ・レコーダーを真ん中に置いて録音し、それを起こして原稿を作り、青焼きやらガリ切りをして記録を作りました。読み飛ばすのでなく、ノートや何かの記録を残すことも勉強としては大事です。

   

(6)ちょっと前に、あるテレビ番組で、池上さんという人が、自分の大学での授業風景を再現してみせたことがありました。
そのときに、『資本論』の一節の文章を示して、併せてアナウンサーに音読させて、学生に感想を訊きました。すると、予定通り、学生が「わからない」というそぶりをみせましたから、待ってましたという雰囲気で、「もっと簡単に説明できますね」と言って得意そうにしている場面を見ました。

(7)確か、最近もマルクスやら『資本論』やらの劇画・マンガが刊行されました。ですから、その意味では簡単にできます。しかし、それで、経済学の先行者であるアダム・スミスやデイビッド・リカード―をはじめとする古い経済学の誤りを精算できるでしょうか。
 日々の仕事で追われ、食うや食わずの生活で、本も新聞も読む気力が起こらないというような貧困状態に置かれた当時の労働者や農民のためだけというならば、あるいはマンガの方がわかりやすいということもあるでしょう。だから?、今もマンガが作られるのかもしれません。
 しかし、そのマンガを作るためであったとしても、しっかりとした「種本」がなければできないことです。

   

(8)宇佐美誠次郎先生のゼミに入って心がけたことは次のことでした。「わたしは、若い人や学生たちに機会あるごとに「20年さきを考えて行きよ」ということを話しています。これは、別に今日の現実から逃避して、先のことだけを考えるということではなくて、毎日の生活の現実をふまえながら、またそれに対処しながら、なおかつ、つねに20年さきとのつながりをみとおしたうえで、生活し、学問し、行動してほしいということです」(宇佐美誠次郎「みとおしをもち、古典をすなおにまなぶこと」、『経済』1969年5月号)

  

(9)「20年」というのは、世代が変わる時間の長さです。その長期的視野を持って考える。
『御料局測量課長 神足勝記日記 ―林野地籍の礎を築くー』日本林業庁候会(J-FIC)の作業は、かれこれ約20年近くかかったことになりますが、実質は10年くらいです。
 あと20年あれば、そして病気しなければ、目下の計画は終わる予定です。
 では。

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