裏町人生 上原敏・結城道子
大河内一男氏から
孝橋正一先生、岸勇先生、高島進先生に至る
マルクス主義的な政策論及び運動論は、社会福祉論における主要な分析論であった。
岡村重夫先生や三浦文夫先生の論は
あくまで
政治的な機能が一義的な
自由主義論である。
ここでは
社会福祉の歴史と本質を明らかにしたい。
マルクス主義理論の史的分析では
近代の産業革命以後の
工場労働者の階級に含まれない
経済秩序外的な存在を対象とした
非生産的な出費が社会福祉であるとする。
労働者の所得保障とは違う「穀潰し」経費だというのだ。
マルクス主義社会福祉論は、政策論も運動論も、
国家独占資本主義が、体制を維持存続させるために実施する合目的な飴の懐柔策が社会福祉であるという結論に至る。
したがって
本質的に重要なのは
労働組合運動や前衛の党による政治活動であるという結論になり
マルクス主義社会福祉論は破綻するのである。
まず
社会福祉の本質を
歴史的に捉えるなら
近代資本主義、原初的蓄積から国独資に至る、の経済社会の論理とは根本的に異なる本質を持つことを指摘せねばならない。
マルクス主義社会福祉論も自由主義社会福祉論も、近代社会の経済社会を肯定的に捉えるが、私は違う。
つまり
社会福祉の本質、歴史、対象者、機能は、近代の原理と異なる中世もしくは原始的な共同体に理念型が求められる。
近代政治は
古代の奴隷制に基づく王権に範を取っており、いずれも王か一般意思の決断を神の意思より重視するという傲慢な政治体制である。
社会福祉の理念型は
そういった古代や近代の奴隷社会ではなく、宗教団体、民間、豪族が併存して均衡を保つ、多元的社会がモデルであり
それは中世封建社会なのである。
マルクス主義社会福祉論と自由主義社会福祉論は、共に近代を賞揚しており、社会福祉論に相応しくない。
多元的でゆるゆるな中世こそが
あるべき社会福祉の歴史的イメージであり
ハンディや病、借金や罪科までもが不問に付される無縁の聖域こそ社会福祉という公界なのである。
高橋研究員(社会福祉学)