Soopllofeiv の日常

管理人soop視点の奇妙な現状

新左翼

2022-05-08 12:40:49 | Weblog

よど号事件新聞記事抹消事件(よどごうじけんしんぶんきじまっしょうじけん)とは日本の判例。新聞を購読している未決勾留者に対し、拘置所側が特定記事を不可視化して配布した処置の適法性が争われた。

新左翼の事件で起訴され東京拘置所に勾留されていた6人の活動家は、所内で私費で新聞を定期購読していた1970年3月31日赤軍派によるよど号ハイジャック事件が発生した際に、3月31日夕刊から4月2日の朝刊までよど号事件の関連記事の一切を墨で塗りつぶして未決勾留者である6人に配布した。これは、「在監者文書、図画ノ閲読ヲ請フトキハコレヲ許ス」と定め制限の具体的内容を法務省令に委任した監獄法第31条、それを受けて「拘禁ノ目的ニ反セズ且ツ監獄ノ紀律ニ害ナキモノ」に限り閲読を許可する旨を定めた監獄法施行規則第86条第1項および閲読禁止図書であっても「支障となる部分を抹消」して閲読を許すことができる旨を定めた取扱規定等に基づいたものであった。そこで6人の活動家は上記の法令及び東京拘置所長による未決勾留者へ閲読させる記事を塗りつぶした措置を違法であると主張して、国家賠償を求めて出訴した

1975年11月21日東京地方裁判所は、閲読制限の合憲性審査基準として「相当の蓋然性」の基準を採用し、合憲解釈により監獄法令等は憲法に違反せず本件処分も適法として請求を棄却した1977年5月30日東京高等裁判所も一審判決を全面的に支持して控訴を棄却した

 

1983年6月22日最高裁判所は活動家らによる上告を棄却した

最高裁はその中で、逃亡や証拠隠滅を防ぐ拘置本来の目的の他、監獄内の規律や秩序維持のために必要ある場合にも、未決勾留者に対して身体的自由や他の自由に一定の制限を加えることは「やむをえないところというべきである」とし、「これらの自由に対する制限が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかは、右の目的のために制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を較量して決せられるべきものである」とした

そして「新聞紙、図書等の閲読の自由が憲法上保障されるべきことは、思想及び良心の自由の不可侵を定めた憲法一九条の規定や、表現の自由を保障した憲法二一条の規定の趣旨、目的から、いわばその派生原理として当然に導かれるところであり、また、すべて国民は個人として尊重される旨を定めた憲法一三条の規定の趣旨に沿うゆえんでもあると考えられる」としながらも、「閲読の自由は、生活のさまざまな場面にわたり、極めて広い範囲に及ぶものであつて、もとより上告人らの主張するようにその制限が絶対に許されないものとすることはできず、それぞれの場面において、これに優越する公共の利益のための必要から、一定の合理的制限を受けることがあることもやむをえないものといわなければならない」とし、更に「(未決勾留者の閲覧は)逃亡及び罪証隠滅の防止という勾留の目的のためのほか監獄内の規律及び秩序の維持のために必要とされる場合にも、一定の制限を加えられることはやむをえないものとして承認しなければならない」とした

一方、「監獄法三一条二項は、在監者に対する文書、図画の閲読の自由を制限することができる旨を定めるとともに、制限の具体的内容を命令に委任し、これに基づき監獄法施行規則八六条一項はその制限の要件を定め、更に所論の法務大臣訓令及び法務省矯正局長依命通達は、制限の範囲、方法を定めている。これらの規定を通覧すると、その文言上はかなりゆるやかな要件のもとで制限を可能としているようにみられるけれども、上に述べた要件及び範囲内でのみ閲読の制限を許す旨を定めたものと解するのが相当であり、かつ、そう解することも可能であるから、右法令等は、憲法に違反するものではないとしてその効力を承認することができるというべきである」として、障害発生防止のために必要かつ合理的な範囲である限りにおいて、閲読制限の運用は合憲であるとした

本件の閲読制限については、「公安事件関係の被拘禁者らによる東京拘置所内の規律及び秩序に対するかなり激しい侵害行為が相当頻繁に行われていた状況に加えて、本件抹消処分に係る各新聞記事がいずれもいわゆる赤軍派学生によつて敢行された航空機乗つ取り事件に関するものであること等の事情等の事情に照らすと、東京拘置所長において、公安事件関係の被告人として拘禁されていた上告人らに対し本件各新聞記事の閲読を許した場合には、拘置所内の静穏が攪乱され、所内の規律及び秩序の維持に放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性があるものとしたことには合理的な根拠があり、また、右の障害発生を防止するために必要であるとして右乗つ取り事件に関する各新聞記事の全部を原認定の期間抹消する措置をとつたことについても、当時の状況のもとにおいては、必要とされる制限の内容及び程度についての同所長の判断に裁量権の逸脱又は濫用の違法があつたとすることはできない」と、東京拘置所の措置を合憲とした

wikipediaより抜粋

soop「これに対しては特例措置とはならなかったことに遺憾を感じている」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すべての若き糞溜野郎ども

2022-05-08 12:37:04 | Weblog

 

糞溜野郎寄り合って集会を開け

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

革命戦士

2022-05-08 12:24:32 | Weblog

山岳ベース事件(さんがくベースじけん)とは、1971年から1972年にかけて連合赤軍群馬県の山中に設置したアジト(山岳ベース)で起こした同志に対するリンチ殺人事件。当時の日本社会に強い衝撃を与え、同じく連合赤軍が起こしたあさま山荘事件とともに新左翼運動が退潮する契機となった。

 

本事件は1971年(昭和46年)年末から1972年2月にかけて、新左翼の組織連合赤軍が警察の目を逃れるために群馬県の山中に築いたアジト(山岳ベース)において、組織内で「総括」が必要とされたメンバーに対し、人格否定にも近い詰問・暴行・極寒の屋外に放置・絶食の強要などを行い、結果として29名のメンバー中12名を死に至らしめた事件である。本事件による犠牲者の続出、脱走者や逮捕者の続出で最終的に5名だけになったメンバーは警察の追跡を逃れる過程であさま山荘事件を起こすことになる。

 

1960年代以前の日本では学生や労働者による政治運動や政治活動が盛んであった。そんな中、学生を中心とした新左翼諸派は、1967年頃より急速にその活動を先鋭化させていった。その中でも最過激派の代表格が、1969年9月に公然と登場した共産主義者同盟赤軍派(以下、「赤軍派」)、及びほぼ同時期に過激な闘争を開始した日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(以下、「革命左派」)[注釈 1]で、同年10月の国際反戦デー闘争や同11月の佐藤首相訪米阻止闘争で新左翼主流武闘派や全共闘が壊滅し政治運動が穏健化する中、彼らはハイジャックよど号ハイジャック事件)やダイナマイト闘争などを行い、その活動をより先鋭化させていった。

1971年に入ると、革命左派は銃砲店を襲撃し銃で武装するようになり、赤軍派は金融機関襲撃による資金獲得を行うようになる。彼らに対する警察の取り締まりは一段と厳しくなり、また革命左派や赤軍派も警察に対して「殲滅戦」(殺害)を企てるようになっていった。一方、この頃から中核派等の新左翼主流派勢力やノンセクト・ラジカルも過激な闘争を復活・先鋭化させるようになり、交番爆破や東峰十字路事件のような機動隊員の殺害事件も起こるようになった。

1971年に入って共闘関係を結ぶようになっていた赤軍派と革命左派は、やがて「連合赤軍」の結成を宣言したが実態は無く、その一方で両派とも警察の厳しい追及によって活動に行き詰まっており、「殲滅戦」においても他党派に後れをとるようになっていた。両派は事態を打開するため合同の軍事訓練を行い、指導部会議を重ねていたが、その最中発生したのが本事件であった。

なお、1971年8月には革命左派において山岳ベースを脱走したメンバー2名を「処刑」する印旛沼事件が起こっており、「同志殺害」という一線は既に越えられていた

連合赤軍の母体の一つである革命左派は、テロを行ったメンバーの多くが指名手配されていたために都市部で自由な行動ができなくなっていた。そこで、警察の目の届かない山岳地帯に軍事訓練や今後のテロ作戦のための拠点となる「山岳ベース」と呼ばれるアジトを築いた(山岳ベースは、脱走者の発生、他人に目撃される等の事情で、各地を転々とした。名称は「榛名ベース」のように「地名+ベース」で呼ばれた)。連合赤軍のもう一つの母体である赤軍派も、都内アジトを拠点としつつ山岳ベースの設置を目指すようになった。1971年7月に名目上結成された連合赤軍は、同年12月初頭に赤軍派の新倉ベース(山梨県)で初の合同軍事訓練を行った。一方でこの頃から革命左派の非合法部(山岳ベースメンバー)と合法部の意見の相違が目立ちはじめ、12月18日柴野春彦一周忌への対応を巡り対立は決定的となった。12月20日頃から革命左派の榛名ベース(群馬県)で両派の指導部会議が始まると、合法部との決別と両派による「新党」の結成が宣言され、両派のメンバーが山岳ベースに集合することとなった。山岳ベースに集まったメンバーはのべ29人(内、女性は10人)であった。

榛名ベースの「新党」においては、「総括」と称する内部でのメンバーに対する批判や自己批判がエスカレートするようになった。総括とは、本来は過去を振り返る「反省」を意味し、当時の左翼政治運動家の間で好んで使われた思考法であった。

連合赤軍において、総括対象者は最初は作業から外されるだけだったが、間もなく「総括に集中させるため」として、長時間の正座、食事を与えないなどされ、ついに殴打が加えられるに至った。この際に連合赤軍の最高幹部の森恒夫は、殴って気絶させ、目覚めたときには別の人格に生まれ変わり、「共産主義化」された真の革命戦士になれるという論理を展開した。この暴行はあくまで「総括」のための「援助」であるとされた[注釈 3]。暴行の対象者は日を追うごとに増えていき、死者を出すに至ったが、森らはこれを「総括できなかったための敗北死」とし、方針が改められなかったため、死者が続出することになった。被害者らの死因は殴打による全身打撲や内臓破裂、氷点下の屋外にさらされたための凍死、食事を与えられなかったことによる衰弱死などであるとされる。

一部のメンバーは森により「組織に対する裏切り」と断定され、「死刑」を宣告された。この「死刑」は相手を殺害することを目的としたもので、アイスピックやナイフで刺された後に絞殺された。

1971年12月末からの約2ヶ月の間に死亡したメンバーは12人にも上った。犠牲者の中にはメンバー同士で恋仲であった者、兄弟であった者もいた。中には妊娠していた女性メンバーもいた。証拠隠滅のため遺体はすべて全裸で土中に埋められた。

連合赤軍事件の他にも多くの政治的過激派組織による殺人事件は発生しているが、当事者による事件の詳細な経緯の発表はほとんど行われておらず、事件の実態は闇の中となっている場合が多い。そのような中にあって、本事件は事件を批判的に捉え返した詳細な記録が複数の当事者により発表されており、事件の実像に迫りやすいという点でも特異な事件である

1971年12月初旬、新倉ベース(赤軍派のベース)における赤軍派・革命左派両派の合同軍事訓練が行われ、革命左派メンバーによる赤軍派メンバーの批判を皮切りに両派各メンバーが各々の問題点を相互批判・自己批判を通して「総括」していく体制が構築される。合同軍事訓練後の12月20日、赤軍派の森恒夫らが両派の指導部会議のために革命左派の榛名ベースを訪れると、同時期に起きた両派の合法部・非合法部間の軋轢をきっかけに両派の非合法部が合同する路線が作られる。これにより森と革命左派の永田洋子を中心とした革命左派メンバーの「共産主義化」のための「総括」要求が強化され、「総括」要求されたメンバーは正座の強要や食事を与えないなどされ、やがて「暴力による総括援助」が行われるようになる。この過程で新倉ベースに残っていた赤軍派メンバーも榛名ベースに呼び寄せられ、暴力・絶食・大半の日において最低気温零度を下回る極寒の屋外で束縛されたこと等により、死者が続出。死亡したメンバーは「総括できなかったところの敗北死」とされ、「総括」要求は続行された。こうして1972年2月までの約2ヶ月の間に12名が死亡。内2名は組織への「裏切り」等を理由に「死刑」とされ、ナイフやアイスピックで刺された上で絞殺された。残されたメンバーの脱走・逮捕により組織が壊滅するという形で事件は終結した

wikipediaより抜粋

 

soop「のちにこの事件にインスパイアされた映画

   鬼畜大宴会が放映される」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界革命戦争宣言

2022-05-08 07:46:29 | Weblog

ブルジョワジー諸君!
我々は君たちを世界中で革命戦争の場に叩き込んで一掃するために、ここに公然と宣戦を布告するものである。
ブルジョワジー諸君!
君たちがたとえ、アメリカ軍、NATO軍、安保軍、ベトナム連合軍など等全世界の警察を総動員しようとも、君たちが骨抜きにし変質させたソ連、ワルシャワ軍までをも動員したとしても、我々は全世界のプロレタリア人民の力を世界党、世界赤軍、世界革命戦線の下に結集し、必ずや叩きのめしてしまう事を通告する。
君たちの歴史的罪状は、もう分かりすぎている。
君達の歴史は血塗られた歴史である。
第一次、第二次世界大戦、君たち同士の仲間をだまして動員し、互いに殺し合わせ、あげくのはてにはがっぽりと儲けているのだ。
君たちは植民地を略奪するために我々の仲間を殺した。
仲間をそそのかし、植民地を略奪したら分け前をやると言って、後進国の仲間を、君たちがそそのかした仲間を使って殺させたのだ。
それだけではない。
そうやって略奪した植民地を君達同士で奪い合う強盗戦争にも、同じように仲間をそそのかして殺し合わせた。
我が日本のブルジョワジー諸君!
君たちにもウソとは言わせない。
「富国強兵」のスローガンのもと、日清、日露、第一次、第二次の強盗戦争を

我々はもう、そそのかされ、だまされたりはしない。
否、そそのかされ、だまされるだけではない。
我々は過去の恨みを持って呪うと共に、またまた君たちのやろうとする事に対して、今度は我々の側には用意がある。
君達にベトナムの仲間を好き勝手に殺す権利があるのならば我々にも君達を好き勝手に殺す権利がある。
君たちにブラック・パンサーの同志を殺し、ゲットーを戦車で押しつぶす権利があるのなら、我々にも、ニクソン、佐藤、キッシンジャー、ド・ゴールを殺し、ペンタゴン、防衛庁、警視庁、君達の家々を爆弾で爆破する権利がある。
君たちに、沖縄の同志を銃剣で突き刺す権利があるのなら、我々にも君達を銃剣で突き刺す権利がある。

君達が朝鮮で再び戦争をやるために、自衛隊を増やし、フォーカス・レチナや三矢作戦をやり、朴独裁三選のためにそれに反対する任君を逮捕し、死刑にする権利があるのならば、我々にも赤軍を建軍し、革命戦線を作り、君たちを逮捕し、死刑にする権利がある。
アメリカのブルジョワジー諸君!
君たちは第二次世界大戦後、朝鮮で、コンゴで、ベトナムで、普段に仲間を殺し続けてきた。
日本のブルジョワジー諸君!
君達は、自衛隊、機動隊を増やし、今ベトナムに協力し、将来朝鮮に派兵しようとしている。
西ドイツのブルジョワジー諸君!
国防軍を強化しフランスをけん制し、チェコや東欧や中近東に目を光らせて何をしようというのだ。
ブルジョワジー諸君!

いつまでも君達の思い通りになると思ったら大間違いだ。
我々は過去、封建領主のもとでは家畜のように領土のおりの中に縛り付けられた農奴であった。
君たちには、この身分の枠を破り、我々を君たちの自由にするために、「自由、平等、博愛」のスローガンの下、領主達と戦った。
だが今や、我々を君たちの好き勝手にされることを公然と拒否する事を宣言する。
君達の時代は終わりなのだ。
我々は地球上から階級戦争を無くすための最後の戦争のために、即ち世界革命戦争の勝利のために、最後まで戦い抜く我々は、自衛隊、機動隊、アメリカ軍諸君に公然と銃を向ける。
君たちは殺されるのがイヤなら、その銃を後ろに向けたまえ!
君たちをそそのかし、操っているブルジョワジーに向けて。
我々、世界のプロレタリアートの解放の事業を邪魔するやつは、だれでも、容赦なく革命戦争の只中で抹殺するだろう。
万国のプロレタリアートよ 団結せよ!
世界革命戦争宣言をここに発する!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かなしいずぼん

2022-05-08 07:33:02 | Weblog

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする