砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

NUMBER GIRL『NUM-HEAVYMETALLIC』

2018-09-01 23:21:53 | 日本の音楽


9月になったのでブログを更新します。
平均気温が下がり、過ごしやすい日が増えてきました。ふと思い出したかのように暑い日が顔を覗かせることもありますが、季節は着実に秋に向かっています。今年も夏が終わる。それはそれで少しさみしいな、という下らん孤独主義者の戯言は置いといて。


この時期に聴きたい1枚、ということで本日はナンバーガールの最後のスタジオアルバム、『NUM-HEAVYMETALLIC(ナムヘヴィメタリック)』を。タイトルの「NUM(南無)」というは、もしかしたらNUMBER GIRLのNUMとかけているのかな。

簡単に彼らの紹介。福岡市博多区からやってまいりました、4人組ロックバンド。1995年結成、4枚のアルバムを出して2002年に札幌のライブで解散。メンバーは今でもなんらかの形で音楽を続けています。
ヴォーカル向井秀徳の聞き取りにくい歌、「冷凍都市」「性的」「はいから」「少女」「酩酊」といった歌詞から繰り広げられる独特の世界観、田渕ひさ子の肉を削ぐ鋭いギター、アヒトイナザワのやかましいドラム、中尾憲太郎n歳(nには任意の年齢を代入)の、なんていうか、まぁ比較的まともなベース、そういった魅力あふれるバンドです。正直言って聴きどころしかない。


本作は日本民謡のメロディやらダブの要素を取り入れており、今までの一直線な感じの曲たちとは作風が異なる気がする。リリースされた直後は賛否両論あったのではないかな。でも聴いているうちにのめり込んでいく、そんな一枚です。

私見ですが、色んな評価を読んでいると彼らはサウンド面を評価されることが多いように思います。でも実は歌詞も魅力的なのです。とてもエディパルというか、原初的なエディプスコンプレックスのなかで感じる「疎外感」、それに伴う「憤り」、自分にはどうにもできない「無力感」が漂っている。
歌っている「俺」「制服の少女」を見て眩暈を催したり、いかんともしがたいフラストレーションを抱えて酩酊したりふらふら彷徨ったり。そして無垢な少女たちは「誰か」の手によって汚されていく、一人ぼっちの俺。そういった孤独はもう貪るほどに味わい尽くした、だけどどこかで感じる寂しさ。そのような妄想的な世界を描くのが、この向井秀徳という男がすごく上手です、最高。童貞くさいと言えばそれまでなんだけど、なかなか狙ってできることではないよな。


そんなわけで好きな曲紹介
M2 INUZINI
NUMBER GIRL - INUZINI (ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2002) LIVE


やっぱりロックンロールやね。映像はライブ盤のもの。アコースティックギターが隣人を怒らせ内容証明をいただくに至る歌です、私も上の住人に送りたい、お気持ち表明したい。夜の営みの音がうるさいの、週何回やるんだよ。それはさておき。途中のギターフレーズは前作の「URBAN GUITAR SAYONARA」をいじって使っています。ドラムのンタンタンタタタ、ンタンタンタタタというリズムが好き。PIXIES聞いて葛飾北斎!


M3 NUM-AMI-DABUTZ
Number Girl - Num-Ami-Dabutz


とても好きな曲、先行シングル。鋭いギターから始まります。昔このタイトルをもじって携帯のアドレスに入れてたな。
「南無阿弥陀仏」というタイトルに反して歌詞はかなり危うい。「真昼間にひっつきまくった男女の生殖器官はもうどうもこうもならん」「視姦される女たちが自意識まきちらし 恥さらし しかし取り澄ましてパンツ濡らし」「餓鬼はガンジャ吹かし」と、極極(きわきわ)のラインを攻めています。だけどこういった歌詞で描かれる世界も、ある意味では真実なのだよなと思う。南無阿弥陀仏。

M9 性的少女
Number Girl - 性的少女 (Live from SAPPORO OMOIDE IN MY HEAD)


こちらもライブver、SAPPOROのOMOIDE Liveから。中尾憲太郎28歳の重たいベースから始まる曲、和風なギターフレーズが好き。出だしから「村の神社の境内でヤったあの娘は街に出て」と、タイトルが表すように非常にセクシャルでありながらも、「性的少女の見た夢は 真っ赤な烏を食らう夢」と、ちょっとグロテスクな歌詞が出てきます。「歩いて知り合いはいない 街ん中誰も知らない」「知らない誰かの吸いがらだけが 灰皿の上に山の様」というのも、なんだか妙に怖い。性的な関係が孕む孤独をうまく表していると思う。

しかしバイオレンスな歌詞のなかに、ひゅっと紛れ込んでくる切ないフレーズ。「季節と季節の変わり目 恋をする少女だったこともあった」とか「俺は俺に似合ってた」とか。そういった歌詞も本当に素敵だな、と思う。
最後の曲「黒目がちな少女」で「色々な人がいるもんだ」と歌っているのも面白い。ヴーン、という具合の太いギターの音をバックに、今までは「俺」「少女」「少女を汚す誰か」といった3者関係のなかで悶々と、鬱屈とするのを繰り返していたのだけれど、ここで少し世界が広がったようにも読み取れる。見渡すと本当に色々な人がいる、そういったことに気づいた瞬間。ちょっと好意的に解釈し過ぎかしらん。


この作品を初めて聴いたのは高校生の時でした。近所のCDショップを探してもなかなか置いてなくて、注文して取り寄せて繰り返し聴き、鬱屈としている私の思春期を激しく揺さぶったものでした。今思うとどうしてあんなに思い詰めていたのか不思議なくらいです。
今でも時々聴き返していて、特にこの季節に聴きたくなります。それはそれで苦しいことも思い出させるけど、やはりあの頃の思い出というのは、小学生の時にもらったマラソン大会の賞状のように「苦しいけどこんなに頑張ったんだよ、あれは嘘じゃないんだよ」と語りかけてくる気がします。それをどう生かすかは、今の自分次第なのですが。

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