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教育系ポップスバンド 風船花(ホウセンカ)の活動日記
日常の中であれこれ思ったことなど

平成7年のこと~「定年まで働けますか?」

2014年12月11日 23時01分10秒 | 人生
本日の道新夕刊。岩見沢局の堀田記者の気持ちを感じる記事でうれしかった。

さて、平成7年の続き……10月9日に告知され、北大に入院したのが15日だったと思う。当時の日記があるので、それを見れると分かるとも思うのだが……。その封印を解く、今は勇気がないね。

そのころになると、首が腫れ上がって、顔と同じくらいの太さになり、呼吸も困難になった。息をする度に、「ヒューヒュー」って音を感じた。

大部屋が空いてなくて、特別室というゴージャスな部屋での闘病スタート。

主治医は、僕と同じ年齢の先生。詳細はこれからエピソードとして、紹介するけど、本当によくしてもらった。
最初に、僕は「定年まで働けますか?」と聞いたと思う。
「大丈夫!」と、割と控えめな先生だけど、力強く答えてくれた。また、信じるしかなかった。

担当の看護師さんは、新卒の方。
「ひまわりのころ」に出てくる千石さん、この方がモチーフ。名前は文字が違うけど、sengokuさんでした。雰囲気も違うけど、元気な看護師さんでね、随分、励ましてもらった。北見出身で、僕が訓子府に赴任した時の3年生と同学年。高校の同級生には、僕の知っている訓子府出身の仲間もいたことから、親しみももてた。

最初にやったのが、照射のための仮面づくり。顔に照射位置を書くことができないからね。仮面を作って、そこに赤や青の線がひかれ、照射の位置が示されていたようだ。

そのころは、北大病院の改築時で、外来や入院病棟は新しくなっていた。

放射線科の照射室は古い建物の地下だったな。

初日に耳鼻科外来も受診したような……。放射線科の病棟に行く前だったかもしれない。

放射線科の病棟は、5階?何しろ、北大にこの後、第3内科、第1外科に入院したから、忘れてしまった。放射線科の反対側は、小児科だったのは間違いない。

「ひわまりのころ」の7階東病棟は、旭川医大。僕が潰瘍性大腸炎で大学の卒業直前と、平成元年~平成2年まで入院した病棟です。

そんな感じで、入院生活が始まったわけです。